上 下
10 / 37

第三章其の二

しおりを挟む
 しかし、このあと助手の口から出た言葉に、アーテ王女は驚愕した。
「わたしが教授のラビットです」
 さっき、自分は助手であり、教授になるには長い経験と、豊富な教養が必要であるといっていた人が、今は教授であるという、どうしたことだろう。
「十分な時間が経ちましたので、授業を始めたいと思います」
 アーテ王女の疑問をよそに、助手で、今は教授の女の人の授業は始まるらしかった。
「まずは聞いておきましょう。そう、あなた、最後にこの教室に入ってきた、女の子、いったいあなたはどういう名前をしているのですか?」
 自分のことだろうか。
 アーテ王女はおもった。
 そのようだった。
 アーテ王女は名前を聞かれ、それに答えた。
「アーテ、そうですかアーテ女史・・・・・・。わかりました」
 さっきは助手で、今は教授の女の先生は、何事かに、何事かを書き込んだようだった。そうしておいて、教壇から顔を上げた。
「では、はじめます」
 さっきは助手で、今は教授の女の先生(長いので、以下、教授と、表記する)は、授業を始まるようだった。
 どういう授業が始まるんだろう。
 アーテ王女が不審に思いながらも、関心を持って、初日の学校の授業に当たろうと思った、教授はいった。
 いつの間につけたのだろう。教授は、三角形のふちをした、角ばりめがねをかけていた。いかにも、気難しそうな顔になっていた。

 難しい問題。

「なんですか、こんな問題も、解けないのですか? あなたたちは、いったい何年学校に通っているのです。あなた方はいったいこんな簡単な問題をとくために、学校に来ているのでしょう」
 アーテ王女は黙った。そうだったのか、学校とは、難しい問題を解くために、通うところなのか・・・・・・。
 アーテ王女はいつも、知識には素直な女の子であった。
 アーテ王女が黙って聴いていると、教授は、話を続けるらしかった。
「いいですか、いいですか、皆さん、何度も同じことを言わせないでください。学校とは、あなた方を学ばせる場所ではありません、いいですか、いいですか、学校というのは、あなた方の知識を確認し、そうして教授にその生徒を教えることができるという満足を与えるための場所なのです。決して、勉強して、何かを学ぼうなどと、浅はかな考えは抱かないことです。それではいいでしょう。さっき、最後に入ってきた方、そうです、あなたです。アーテ女史。あなた、この問題を解いてみてください」
 そういうと、さっきは助手で、今は教授の女の人は、黒板を棒でパタパタたたき、アーテ王女の答えを待つようすであった。
 しかし、アーテ王女はその答えを、言い当てることができなかった。
 難しい。
 アーテ王女は思った。
「なんですか、この程度の問題で、答えに詰まるとは、・・・・・・いったいあなたはどういう学習をしてきたのです」
 アーテ王女は思った。
 自分だって、自分なりに、本を読んで勉強した身である。 
 それはただ、勉強した分野が違うだけの話。
 それなのに、そんなこといわれる筋合いはない。
「いいでしょう。あなたは、今日が初回の授業の日。きっと予習がおぼつかなくて、こうした問題についていくことができなかったと判断して、あなたをこの教室の末席に加えることといたしましょう。で」
 と、教授は話をきると、三角のめがねを上下に動かし、
「あなたの専門はなんなんですか。きっとあなたがこの程度の簡単な問題に答えを出すことができなかったのは、専門が違っただけのこと、きっとそのほかに、真の底まで知り尽くした、専門分野があるはずです。で、いったいあなたの専門はなんなんですか?」
 アーテ王女は再び答えに詰まった。
 専門?
 そんなもの、アーテ王女は今までに、考えたこともなかったし、また、形成しようとも思わなかったことであった。
 アーテ王女はこのときまで、ただの読書好きの女の子で、自身誇れる専門などというものを、持ったことがなかったのである。
「さあ、お答えなさい、あなたの専門はいったいなんなんです」
 アーテ王女は答えられなかった。
 ただ、できたのは、素直に、ごく素直に、自分は読書好きだが、と、話をあわせることぐらいだったのである。
「何ですって」
 かなきり声が、教授の口から沸いた。
「数学も知らなければ、社会思想も、経済学も、知らない。・・・・・・いったいあなたは今の年に成るまで、何をしてきたのですか。読書? 何を馬鹿なことを言っているのです。何の専門分野にもつながらない読書を積み重ねても、なんの役にもの立ちません。このクラスには、少なくとも、三分野の専門的知識を持った生徒が、いるというのに、あなたといったら、ただの読書好きとは、いったいどういう感想ですか・・・・・・。まったくなんということでしょう。では、言語はどうですか。言語ぐらい、少しはできるでしょう」
 アーテ王女は答えた。
 何も知らない。ただ、少し読めて、少し、かけるだけ。
 英語のホッブスや、ルソーは読みましたが、まだ、わからないところが幾分あります。
 言語教養にして、三級から、二級前後の成績です、といった。
「何も知らない? なんということでしょう」
 再び教授から、かなきり声があがった。
「あなたは何も知らないというのに、あなたは何も知らないというに、この学校に来たと、この学校に来たと、そういうわけですか、そういうわけですか。まったくなんということでしょう。でしょう。とんでもない怠惰としか、としか、いいようがありません。ありません。その程度の、その程度の教養で、この、『学校』にやってくるとは。あなたもここにいる多くの生徒同様、何も。何語も。知らずに、『学校』にやってきた、オタンコナス・・・・・・と、いうことですね。ここにいるひとびとは、アーテ女史、アーテ女史をはじめ、何語もご存知ないごようすです。それにくわえて、基礎的な知識すらも、あなたは、あなたがたは、持ち合わせてはいない・・・・・・。いいでしょう。あなたたちの無教養には、ほとほと、愛想が付きました。次の時間は国語と、理科の時間でしたが、それを飛ばすことにしましょう。やったって、何も知らないあなたたちには、無駄です。こういうことは、何かを知っている人に対して、意味のあることなのです。・・・・・・では、一時限目、二時限目、三時限目、は、飛ばしましょう。そうして、四時限目の、これから生物の時間に入ることにしましょう。さあ、皆さん、力いっぱい生物の時間を楽しんでください。あなた方のような何も知らない人たちにも十分できる、生物です。体育をやりましょう。生物の授業はなんといっても、体を使うこと。そのために、自分の体のことを、よく知りましょう。ソフトボールをやります。今さっきいらした、アーテ女史を含めて、男女ちょうど半々十八人います。女の子と、男の子のチームに分かれての、ソフトボール大会です。男の子は女の子に、力では、女の子は男の子に劣るということを思い知らせ、女の子は、男の子に、世の中すべて力ではないことを思い知らせましょう。さあ、さあ、みんな外に出て、力いっぱい生物、そのため体育の授業を楽しみましょう」
 そういうと、教授は壇上を離れ、教室の外に向かう様子であった。
 なにやら教授のラビット女史は、最高に輝いた表情をしていた。その、自分の打ちたてた理論に、大満足の様子である。
 しかし、ちょうど十八人、男の子、九人、女の子九人、アーテ王女を合わせて。
 天文学的一致だわ。
 アーテ王女はおもった。
 そう、アーテ王女が思っていると、教授は活動を早めた。
 考えながらも、アーテ王女はその様子を、逐一目で追っていた。
 展開されていた理論が何か変だったし、また、何より生物の授業が、体育の授業と、どういう関係があるのだろうかという点についても、少しおかしな点があったからである。このあと、教授は何をするだろう。
 すると。
 アーテ王女はその教授の行動に、何か、奇妙な点があることに気がついた。
 さっきは、確かにいっていたのに、その行動は、アーテ王女が聞いたものとは違っていたのである。
 すなわち、さっきはあれだけこだわった、ドアのところについている『信号』に、教授のラビットさんはほとんど意識せず、意識しないどころか赤信号であるにもかかわらず、ドアを開けて、おもいきり、外に扉を開けたのである。
「?」
 どうして?
どうしてドアの『信号』に、注意を払わなかったのだろう。
しかし、このときのアーテ王女には、そのことはわからなかったし、また、そのため注意を払うことはなかった。ただわかったのは、教授という女の人が、扉の『信号』に従うことなく、外に出たという、事実だけだった。
 外に出る。
 教授が外に出ると、ゾンビのような学校の生徒たちは、それに従う様子であった。
 教授が外にでると、それに続いて、前の席から、順々に、ぞろぞろとした、亡者の行進が始まったからである。いったい誰が命令しているのか、生徒たちの亡者の列は、整然と、規則正しく、そのあとに続くようすであった。
 列が続いて、その順番がアーテ王女の番になると、仕方がないのでアーテ王女は素直にそれに従った。
『信号』に注意しなくていいだろうか。
 アーテ王女のこのときの関心課題は、それに集約された。
 しかし、どうやらいいらしかった。
 亡者の列は、開け放たれた扉から、順々に、外に出て行く様子であった。
「・・・・・・・・・・・・」
 アーテ王女の番。
 扉をくぐる、そのとき、信号の色が、赤であることがわかった。
「・・・・・・・・・・・・」
『奇跡を行う国』。
 お前はいったい何もの?
 アーテ王女は思ったが、このときは、それを知ることはできなかった。
 ただ、分析できたのは、教授という女の人が扉の信号を無視して外に出ると、それに続いて生徒たちも外に出て、いいらしい、ということぐらいだった。
 考えていても始まらない。
 物語を先に続けよう。
 アーテ王女は成り行きに、ことを流すつもりだった。
 外に出ると、そこには依然として、深い霧が舞っていた。
 一寸先も見えないとは、このことをいう。
 こんな中で、野球、いや、ソフトボールをするの?
 無理がないのかしら。
 しかし、話はそれに向かって突き進むようだった。
 しかし、今のアーテ王女にとっては、関心課題があった。
 霧。
 そうである。
 霧。
 何者をも覆い隠す、死の咆哮。
 悪魔の霧・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・」
 アーテ王女には、その霧が、まるで地獄の世界を、アーテ王女の目から遠ざける、カーテンのように思われた。その霧の向こうには、何か、人間が見てはならないものがあって、しかし、それに蓋をして、決してそこに生活する人間には、見えることがないように、されている外の世界がある。
 とりこ。
 アーテ王女はこのとき、それを思った(このときアーテ王女が思った感想は、決して深い思考から生まれたものではなかったけれど、実にいい、表現であるということができた。これからのち、アーテ王女が『奇跡を行う世界』を冒険する上で、それは欠かすことのできない概念であった。とりこ)。
 ここにいる人間は、何か、人間が見てはならないもののとりことなっていて、そうしてその影をまとい、孤独な戦いを行っているのである。
 それは、決して勝つことができない戦いである・・・・・・。
「?」
 アーテ王女は思った。

(勝てないがゆえに、人はそのとりことなり、亡者としての生活を、送っていくのである)

「・・・・・・・・・・・・」
 外に出る。
 すると、どこか、地獄の底から響いたかのような、奇声が沸いた。
「男の子は守りっ、女の子は攻撃っ」
 教授という女性の奇声である。
 アーテ王女がみていると、その声にともなって、亡者の列は、散り散りとなった。
 すなわち、男の子たちは外野に、内野に散ったし、女の子たちは、おのおの、バットとボール、ヘルメットの準備をした。
 いつの間にできたのか。
 さっきはこんなもの、あっただろうか。わからない。
 教会で、今は学校である建物の前には、バックネットがあり、何か、大掛かりなこともできそうなグラウンドができていた。
 たぶん、この様子を見ると、ずっと、向こうには、外野席があって、ホームランボールを押しとどめる、ネットの存在が予測された。
「・・・・・・・・・・・・」
 アーテ王女はことの成り行きを見守った。
 教授という、ラビットという名の女性は、球審の位置に付くと、いろいろ指示を出したりしていた。
「女の子は男の子ぜいのピッチャーに、ボールをわたして、わたしたら、男の子ぜいのピッチャーは、投球練習っ」
 アーテ王女が内野の外、一塁側のベンチから、ことの成り行きを見ていると、どうやらソフトボールの試合が、普通に始まるらしいことが伺えた。
 男の子ぜいのピッチャーは、すなわち投球練習を始めたし、女の子ぜいのバッターは、ベンチの前でスイングをはじめ・・・・・・どうやら始まるらしかった。試合。
 霧の中、ご苦労なこと・・・・・・。
 アーテ王女が思っていると、元は助手で、教授になった、今は球審のラビット女史が、一塁側のベンチに近づいてくる様子であった。
「打順を書いた紙を提出しなさい。ルールです」
 すると、いつの間に書いたのか、誰か一人が、たぶんそれを書いた紙を、提出した。
 あたしもその中にはいっているわけ?
 アーテ王女が思っていると、球審がそれを示唆した。
「ふむふむ、なるほど、そうですか。一番がネットさん、二番がマーガリータさん、三番がトロットさんか、・・・・・・え? 本当にこれでいい訳? 四番、四番にあなた、アーテ女史が入っていますよ。あなた、野球、いえ、ソフトボールの経験はありますか? 本当に、四番を打つ気なの?」
 知りません。
 アーテ王女は思った。
 しかし、打順表にそのように書いてあるのだろから、そうなのだろう。
 アーテ王女が四番手を打つ。
「まあいいでしょう」
 事態はかくして進展した。
「あなたが打てない四番でも、五番、六番に入っている、リー女史と、サン女史が、きっと長打を打ってくれることでしょう」
 そうですか。
 アーテ王女は感心なさげに思った。
 野球など、いや、ソフトボール、しかし野球なら、チェッカー少尉といつもしているアーテ王女であった。
 もちろん長橋国では大きなボールを打つことはできなかったけど、トスバッティングでは、いい打球を幾度もチェッカー少尉のグラブに返したほどである。
 得意得意。
 アーテ王女の関心は、四番? その点などではありえなかった。
 あたし、この後どうなるんだろう。
 アーテ王女は思った。
 野球、いや、ソフトボールをして、それから数時間学校で過ごして、その後は。
 帰らなくてはならないのではないか。
 学校とは、そういう場所だろう。
 朝来て、そうして午後、お昼を食べて、遅くなったころに帰るのである。
 今、一緒に野球、いや、ソフトボールをしている仲間には、帰るところがあるのである。しかし、アーテ王女には。
 帰れない。
 学校、その後。
 生活の心配。
 このときアーテ王女がしていた心配は、『奇跡を行う国』での、自分の社会経済的な立脚の問題であった。
 ご飯。寝るところ、住むところ・・・・・・。
 まあいいかな。
 何とかなるんじゃないか。
 しかし、アーテ王女にはその問題を、簡単に片付けることができなかった。
 問題は深刻である。
 黙っていても、『奇跡を行う国』においても、時間は過ぎる。そうしてお腹がすく。そのとき、アーテ王女には、まずくても、ご飯を配給してくれるべき、ロイズおばさんがいないのである。
 どうしよう。
 しかし、そんな、アーテ王女の心配をよそに、野球、いや、ソフトボールの試合は始まるらしかった。
「・・・・・・・・・・・・」
 問題は深刻。
 なのに、それに対して誰もが無関心。
 やはり、他人なのだろうか。
 それ以上のことが伺えたが。
 アーテ王女は思った。
 そうしてアーテ王女はこのとき、初めてそれを痛切に知った。
 自分は、長橋国を出たら、ただの、何もできない女の子。
 王女であって、誰かにちやほやしてもらえるのは、長橋国にいる間だけ。
 王様の庇護は、長橋国にいるときにだけ、受けることができるのである。
 それが、長橋国をでたのだから、当然受けることができない。
 アーテ王女が思った不安の概念は、十歳にして、すでに自立という、生活に密着したものだった。
 自身の生活を、食べていくすべを、考えなければならない。
 こういう気分にいるときに限って、デッカー次官の言葉が、痛切に感じられた。

(「王女、もっと王女らしくしてください。本当に、どうしてこんな王女を王女としていただいたのか、まったくわけがわかりません。いったい何の因果で、こんな王女が、わたしたちの王女なのか。わかりません。いいですか、世の人々は、働かなくては生きてはいけないのですぞ、それなのに、あなたはあまりに王女としても資質にかけます。もっと王女らしくしてもらわない日には、まるでわたしたちがあなたのために働いている意味が、なくなってしまいますぞ」)

 まったくそのとおり。
 あたしはただの女の子。
 ひょんな偶然から、社会経済的に高い立場を得たに過ぎない・・・・・・。
 読書ができる?
 そんなもの、何の役にも立たない。
 アーテ王女はおもった。
 はじめ助手で、その後教授になり、今は球審のラビットさんが言ったとおりである。アーテ王女は何の専門分野も確立していない、そのためか、自身の食事の心配もできない、小さな、小さな女の子だった。
 アーテ王女は何か、しんとした様子で、来るものを見送った。
 何もできない。
 あたしは女の子。
「・・・・・・・・・・・・」
 そう思うと、何もかにもがわびしくて、涙でも、流したい気分であった。しかし、不思議と涙は流れてこない。まるで、からからに枯れてしまったように、涙腺は、何ものも要求しなかった。
 アーテ王女が思っていると、しかし、帰るところがある人々のゲームは始まる様子であった。試合。
 あなたたちは帰るところがある。
 そのためこんな何でもないことを、楽しむことができるのよ。
 アーテ王女は思った。
 しかし、もちろん試合をする人々は、決して楽しそうな顔をしていたわけではない。
 あいも変わらずゾンビのような表情をして。
 自身のしていることすらも、知らない様子をしているのである。
 アーテ王女は自身、どうでもいいゲームを見送った。
 試合が始まった。
 まずは一番バッター。
 一人の女の子が、バッターボックスに立った。
 アーテ王女が何気なくその様子を見ていると、さすがに男の子は、あんなにゾンビみたいな顔をしているのに、強いようだった。
 三球三振。
 女の子の一番バッターは、何も手が出ず、そのままバッターボックスをあとにした。
 どうやらアーテ王女の打順は、この回はまわってこないようすである。
 次は?
 二番バッター。
 選んで四球。
 ワンナウト、走者一塁。
 ということは、アーテ王女に打順が回る。
 どうしよう。
 バットの素振りでもしておこうか?
 アーテ王女は何もできない女の子である。
 何をしたって同じこと。
 それは変わらない。
 それならば。
 このとき、アーテ王女はアーテ王女の一番いい面を、表にだした。すなわちアーテ王女がだした、一番いい面とは、物事を、率直に、そうして、積極的に受け止める、面である。すなわちアーテ王女はおもったのである。今を、積極的にこなすそう。そうして。
 そのために、今を、積極的に、存分に生きる。
 何をしたところでどうにもならない。
 それならば、今、この瞬間に、精神を集中使用ではないか。
 このときアーテ王女が心に決めた信念は、このあとも受け継がれることとなる。これは、今の、どうにもならないアーテ王女にとっては、実にいい、方法論であったといっていい。アーテ王女は自身、真剣、まじめに、このあともあらわれることになる、目の前の問題に立ち向かうことで、自身の運命を切り開いていき、そうして長橋国に帰りつくのである。
 アーテ王女はバットを手に取ると、右に握って、振りはじめた。
 自分の打順まで、アーテ王女はそうして過ごした。
 ピッチャーの投げ出すたまに、タイミングを合わせる。
 そうして自分の打席の際に、一番いいスイングをできるようにしたのである。
 三番。
 三番手の送りバント。
 誰が指示をだしたのか、それはわからなかったが、とにかく作戦は、成功したようだった。ツウアウト、ランナー二塁。先制のランナーを、得点圏に進めた、女の子ぜい。
 さあ、どうなる。
 今度はアーテ王女の打順である。
 打てるだろうか。
 アーテ王女は気楽に考えた。
 打つ。
 今、この瞬間を楽しむ。
 そうすることが、このあとへと自身の道をつなぐ、最高の方法のように思われた。
 攻略。
 そう。
 これはゲームなんだ。そう考えることが、一番だと、はじめに決めたではないか。
 アーテ王女は右打ち。
 バッターボックスに立つと、バットを前へと突き出し、相手ピッチャーを威嚇した。
 こい。
 お前の玉を、このグランドの一番遠くまで飛ばしてやる。
 しかし、野球になれたアーテ王女であった。
 下から投げられる、ソフトボールには、目が、慣れてはいなかった。
 一級目、ストライク。
 意外と、玉の伸びがある。さすがは力で勝る男の子。
 手元でボールが浮く感じが、アーテ王女を驚かせた。
 二級目、ボール。
 三球目、見せ球。ボール。
 四級目、ストライク。
 さあ、運命の五級目。
どうなる。
 アーテ王女は狙いを定めた。
 内角高め、こい。
 ピッチャーがボールを投げる。
 すると、ボールは面白いように、そのコースを向かい。
 アーテ王女の一番得意な内角高めに入ってきた。
 バットを思い切り振りぬいた。

 課金

 小気味いい音がして、ボールは宙を舞った。
 幸い外野は、女の子ぜいを見くびって、一番浅いところを守っていた。
 いや、伸びる。
 一塁へ走るアーテ王女は、そのままその足を止めた。とまった。
 ボールはアーテ王女が思ったよりも、はるかに早い球速で、グラウンド上空を飛んでいった。
 霧の中。
 ライト方向にとんだボールは見えなくなり、・・・・・・。
 ホームランか?
 そのようだった。
 ツーランホームラン。
 アーテ王女はやった。
 今、この瞬間に、最高のことを、行ったのである。
 アーテ王女は素直に喜んだ。
 そのホームランを、喜ぼう。
 死人のようになっている、生徒たちの中にあって、このときのアーテ王女は一番輝いていた。
 しかし。
 それは、その次の瞬間に起こったことだった。
 アーテ王女がホームランを見送ったあとで、それは起こった。
 いや、ホームランを打ったからこそ、起こったことであったといっていい。

 派厘

 なにやらまた、小気味いい音がして、ゲームがとまる様子であった。
 なんだろう。
 アーテ王女は、走るのも忘れてたちどまった。
 それは音である。
それも、何か、薄い氷を割ったときに起きるような音だった。
 ぱりん?
 何かを割ったのだろうか。
 アーテ王女にはそのように思われた。
 アーテ王女が二塁へ向かう足を止めると、
「ターイムっ」
 大きな金切り声がして、試合はとまった。
 それは、霧の中、球審からおこった声のようにおもわれた。事実、そうだった。
「なんてことをしてくれたのっ」
 アーテ王女はやった。
 そうである。
「あなたが犯人です」
 アンパイヤのラビットさんが、アーテ王女のほうへと駆け寄った。
「?」
 犯人?
 誰が?
 そうして何の?
「やってくれましたね、アーテ女史」
 なんだろう。
 アーテ王女がおもっていると、ラビットさんは答えを言った。
「あなたは、バックル氏の家の、ガラスを割った、張本人、主犯、犯罪者です」
しおりを挟む

処理中です...