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第一章其の二

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 ざぶーん。

「おお、いい降りっぷりだぞ、ウサギ」
 かかしがいった。
「何を言っているお前も続けよ」
 ウサギがいった。
 すると、かかしが今度は乗船券を、係員に提示した。
「どうぞ、おおりください」
 すると、かかしも、自分の荷物を海に投げ込むと、自身もそれに続いた。
 小人の商人も。
 今度はアーテ王女の番である
「どうぞ、乗船券を拝見いたします」
 アーテ王女は、その言葉に躊躇した。
 もっていない。
 乗船券を持ってはいないのである。
「いかがいたしましたか?」
 係員が聞いた。
 すると、王女は持っている『金目の物』を提示して、その場を逃れようと考えた。
 これを売れば、いくらかのお金にはなる。そうすれば、乗船券がなくっても、おろしてもらえるかも知れない。
 アーテ王女がだまって、自分の持っている『金の鍵』を提示すると、突然、何が起こったのか、係員の様子が一変した。
「失礼いたしました。どうぞ、階段よりおおり下さい」
「?」
 係員は通路を開けた。
 そうしてアーテ王女を、その先に進ませる様子であった。
 降りていいのだろうか。
 飛び込まなくても?
 そのようだった。
 アーテ王女はその鍵を手に、階段を降りて、桟橋へとむかった。
 どうして桟橋への階段を開けられたのだろうか。
『金の鍵』が、それを握る鍵だった。
 この鍵に、何か不思議な意味があるのだろうか(しかし、今のアーテ王女には、それはわからなかった。これについては、この後、アーテ王女の冒険に、大きな意味を持つことになる、エピソードのひとつであるが、それはまた後の話である)。
 とにかく、アーテ王女は船を、見事に降りることができるようになった。
 階段を降りて、桟橋へ。
 桟橋に着くと、それをつたって、たぶん港町のほうへと歩いていった。
 桟橋の終わりにつくと、どうやら船を飛び降りて、泳いで岸へとついた、人々の群れにぶつかった。
 その中で、アーテ王女はウサギの姿を見つけた。
 ウサギはアーテ王女を見つけると、
「何だあんた、乗船券を持っておらんかったのか」
「?」
「乗船券を持ってはいないと、泳いで岸につくことができないんだよ。まったく残念だね、せっかく泳ぐチャンスだったのに。お前も泳ぎたかっただろう? 気持ちいいよ、はたしていつも、どこでも、海を泳げるというものではない。お嬢さんもこの機会に、海を泳いでおけばよかったのに・・・・・・どうしてあんたは泳がなかったのか?」
 アーテ王女が事情を話そうとおもって、また、どうして自分が泳がなくて済んだのか、聞こうと思っていると、続いてあがってきた、かかしと小人の商人が、それを阻んだ。
「いやあ、大変だった。本当に、大変だった」
 かかしがいった。
「いやあ、本当に、大変だった」
 と、商人が言った。
「どうだろう。本当に、わたしはこれから本当に、密航しようかと思っているよ、本当に。全身ずぶぬれだ。本当に大変だった」
「それはいい考えだ」
 と、かかしは答えた。
「乗船券なんてものを持っていると、船の外にほっぽりだされて大変だ。これからは、船に乗る料金なんてものは、払わないほうがいい。どうしてだろうね、人は、いったいどうして船に乗るときに、乗船券なんてものを買うんだろう」
 乗船券?
 それがあると、船の外にほっぽり出される?
 どういうことなのだろう。
 アーテ王女は思った。
 そうおもって、みていると、小人の商人が言った。
「まあ、いいじゃないか、人間泳ぐことなんて、人生に幾度もない。人間幾度もないことは、お金を払ってでもやりたいじゃないか」
 アーテ王女はたずねた。
 どうして乗船券を持っていると、船の外にほっぽりだされるのか。
「何を言っているのだ、お嬢さん」かかしが答えた。「船の乗船券というものは、プール入場券とおなじものなのだよ。それをしらないなんて、いったいあんたはどういう育ちをしているんだ。海育ち? それなら、あんた、そんなこと、知らないはずはない。山育ちなんだね、覚えておくことだ」
 確かにアーテ王女はそうだった。長橋国は橋の国。谷川にかかる橋の国であった。
 しかし、さんざん本を読んで、世界のことを少しは知った様子の哲学者であった。
 そんな風習があれば、自分が知らないはずがない。
 しかし。
「船に乗るときは、乗船券を持っていると、外に出て行って、下船しなならん。いいね、この次同じ質問なんてしたら、ただじゃおかないぞ」
 だから・・・・・・。
 と、アーテ王女は思った。
 どうして乗船券と、プールが関係あるの?
「わからない人だな」ウサギが答えた。「あんた、ちょっとおかしいんじゃないか? そうだろう。これだけの人間、つまり、船に乗っていた人間がすべて、乗船券を持って、そうして海に飛び込んで、陸に上がっているんだ、それをみて、いったいどういう疑問があるというんだ。あんたはちょっと、『おかしな』ところがあるらしい。気をつけることだ。あんたのその『思想』、それは、このあとあんたの人生に大きくかかわってくるに違いないからな」(ウサギがいった言葉は、ある部分あたっている。彼はすなわち、奇跡を行う国で行われている、おかしな風習に対して、示唆的な発言をしたのである。すなわち、アーテ王女は、このあと、その、ウサギがいう、『おかしな思想』のために、結論を言うと、大多数の人間が行っていることに対して疑問を投げかける、アーテ王女の思想のために、彼女が悪しき立場に立たされることを、示唆的に論じたのである)
「それはそうとかかしさん」
 と、小人の商人が言った。しかし、どうしたことだろう、何かかかしはすぐにはこたえなかった。
 何かしら。
 アーテ王女は思った。
 かかしは、小人の商人の言葉には、すぐには答えず、何かを考えている様子であった。
アーテ王女の発言に対して、不思議な思いを抱いたようなカッコウをして、あごに手を当てていた。
 かかしが答えたのは、小人の商人が、もう一度、話かけたときである。
「なあ、かかしさん」
 商人がもう一度、かかしを呼び止めた(呼び止めた、といったのは、かかしがまるでどこかに飛んでいきそうな様子でいたからである)。
 かかしははっとして、小人の商人の言に答えた。
「なんだい?」
 かかしのはっとした態度が、アーテ王女には印象的だった。
「?」
「いや、別にどうということはないが、あんた、そんなにずぶぬれになってしまったのなら、かかしの中身のわらが、かびてきてしまうのではないかな? そうだろう。あんたはかかし。中にはたくさんはいっているのだろう? 乾かした、よーく乾かした、わらが」
「いや、大丈夫だよ」
 と、かかしは答えた。
「ほら、今は明け方近くだから、霧も深いし、太陽も見えないが、今日の天気はとてもいいよ、きっと、太陽が、そのうち出てきて、私の体ひとつなんか、すぐに乾かしてくれるだろうよ」
 しかし、答えたかかしは、どこか、どうにも腑に落ちないという表情をすぐに戻した。
「?」
 アーテ王女は、そのかかしの何かものを思う考えを、不思議な表情として受け止めた。
 何か、重要な事実を知ったような、何か、知ってはいけないことを、知ってしまったような・・・・・・(このあと、かかしがおもったことは、そのままアーテ王女の『奇跡を行う国』の冒険に、重要な要素を与えることになる。しかし、このときのアーテ王女は、それに答えを出すことはできなかったし、それはまた、後の話である)。
 とにかく。
 しかし、今のアーテ王女の関心事は、どうして乗船券が、プールの入場券と同様なのかということだった。
 しかし、考えてみても、どうにも腑に落ちない。
 果たしてそこには、何か、重要な一般性が隠されているんだろうか?(この、アーテ王女の感じた疑問は、正しい。彼女、アーテ王女はまた、その疑問を感じたがために、運命に翻弄され、また、自身積極的に、『奇跡を行う国』と対決することになるのである)

町について

 アーテ王女がだまって、かかしの様子を見ていると、陸に上がった人々は、次々と、港を去り始めた。
 どこへ行くのだろう。
『奇跡を行う国』、だろうか?
 そうかも知れない。
 しかし、聞くことはできなかった。
 みな、どこか取り付かれたように、いそいそと、港を去っていったからである。
「?」
 いったいみんな、どうしたというのだろう。
 何か、確信があるような、ないような。
 そういう疑問を思っていると、
「よお、お嬢さん。あんた、いったい何を考えているのだね。何かぽーとした顔をしているよ、ところで、ぽーとって、ポートとかかっていることに注意したことあるかね?」と、ウサギがはなしかけてきた。「わたしらはこれから『奇跡を行う国』に行くんだよ、あんたも行くんだろう? 何しろ、そこは、今、世界で一番大きな国だ。暮らすにしても、働くにしても、学校に行くにしても、今じゃあ『奇跡を行う国』を抜いては考えられない。あんた、このあと学生になるんだろう? その年じゃ、およそ働くとは考えられない。いや、あんたみたいな女の子を働かしちゃ、雇う側がつかまってしまうよ、いや、だから学校へ行くために、『奇跡を行う国』に着たんだろう?」
 アーテ王女は黙っていると、ウサギは話を続けた。
「『奇跡を行う国』には、第一に、法学校がある。物事何をするにもまず必要になるのは法学だ。そのためそこでは『奇跡を行う国』の法学を教える学校が、ごまんとある、ところで、ここでいうごまんという言葉は、五万とはかかっていないから注意することだ。その次にあるのが、経済学。経済学は、人間の生活に基礎を与える学問だ。そのためこれは、そう、経済学、経済学は、法学の次に多くのものを持っている。これは、そのためこれを教える学校は、『奇跡を行う国』には、法学校の次に多い、法学部がない学校があっても、経済学部がない学校はないくらいだ、ちょっと矛盾しているようだけど、それはご愛嬌ということで、よろしくお願いします」
 ウサギが長々と話していると、小人の商人が、それをさえぎった。
「おい、ウサギさんよ。お嬢さんの相手もいいが、わしらの計画もある。そろそろ列車の時間かもしれんよ。いかないかい? そうしないと、汽車の時間におくれて、わしの持っている商品の、時価が下がってしまう可能性がある。頼むよ」
「そうだった。そうだった」
 ウサギはいった。
「お嬢さんわしら、そろそろ行かなきゃならない。悪いが先にいかしてもらうよ。ところで汽車に乗るには、間違いなく、切符がいるから、そのつもりでね。『奇跡を行う国』にいくには、まずは汽車の切符を手に入れなくてはならない。そのつもりでね」
「・・・・・・・・・・・・」
 展開の早さに、アーテ王女は黙っていた。
「それはそうと」
 ウサギは最後にいった(これは、あとでわかったことである。はじめ、アーテ王女はまさかそれが、このおしゃべりの、最後の言葉になろうとは、思っていなかった)。
「最後にきいておくが、あんた、名前はなんと言うんだい? いや、別にそう関係のあることではないけれど、あんたの名前を聞いておかないと、どうも、お嬢さんとしか呼ばないと、決まりが悪いからね」
 アーテ王女は、名前を教えてあげた。
「そうか、アーテというのか。アーテ、アーテ、・・・・・・アーテさん。なかなかいい名前じゃないか。そうか、そうか、それはよかった・・・・・・そういえば、どこかで聞いたことがあるような名前だな・・・・・・どこだろう」(これはこの後のアーテ王女の人生に、大きくかかわってくる、重要な示唆であった。しかし、これが発せられたときは、アーテ王女も、もちろんウサギも、これが、アーテ王女の人生の中で、大きな意味があることだろうとは、思ってはいなかった、これは、ずっと後になってからの話である)
「?」アーテ王女。
 商人が、いつまでもぐずぐずしているウサギにいった。
「さあ、もう行こう。本当に、予定の汽車に乗り遅れてしまうかも知れないぞ、なあ、かかしも」
「ああ、わかったよ」
「そうだな」
「それじゃあお嬢さん、ごきげんよう。ああそうか、アーテさんだったかな? ・・・・・・」
 三人は、アーテ王女の前を去っていった。
 一人残された、アーテ王女。
 さて、この後どうしよう・・・・・・。
 アーテ王女はとりあえず。
 しばらく、次の行動のことを考えることにした。
 何をするにしても、綿密な計画は必要不可欠であることを、アーテ王女は知っていた。
 しかし、それが通用するかしないかは、また別の話である。
 なにしろここは『奇跡を行う国』。アーテ王女の持っている常識が、ある面通用し、ある面通用しない世界の話なのである。それは、もう、知っている。さっきの乗船券とプールの話で、それをいやというほどわからされた。
 しばらく考えていると、

 ぽー、ぽー。

 アーテ王女を乗せて? この港までやってきた船が、警笛を鳴らし始めた。出港の合図だろうか。そうらしかった。船は、もはや乗る人のない場所から、離れ、そうしてまた、乗る人のいる港へと、向かっていくのであろう。客船。
 アーテ王女は、出港していく船の様子を、霧の影で見送った。
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