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第二章 アーテ王女の周囲の人々 それらの性格について

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 アーテ王女の周囲の人々 それらの性格について

 アーテ王女が住んでいる、長橋国(これについては詳しく述べない。あまり、この物語と関係があるとは思われないし、もしも重要になったら、その都度、論述を重ねることができるからである。ただ、今の時点で読者に理解しておいてほしい最低限の情報は、橋が、国家の領土であったので、そう呼ばれたと、いうことである)には、幾人かの人々が生活をしていたが、その中においても、アーテ王女は詳しく、アーテ王女にとって重要であるものと、そうではないものとを区別していた。
 長橋国の全人口はアーテ王女を除外して四人いた。
 王様に、デッカー次官に、チェッカー少尉に、ロイズおばさんである。
 アーテ王女はいつものとおり、ほかに物事を分類するように、その重要性、充当性、妥当性、親密度合い、その他いくたの要素から、彼らの重要度を区分していた。
 まず、王様。
彼はアーテ王女にとって、父親代わりである上(と、言うのも、アーテ王女は王様の、実の娘ではなかったからである。しかし、これについては詳述を避ける、なぜなら、この物語において、アーテ王女が王様の実の娘ではないということは、ほとんど重要なことではないし、また、それを取り扱う意義ももたないからである。何よりそれはまた、別の話であろう。とにかく、ここで読者に理解しておいてほしい最低限の情報は、アーテ王女が間違いなく長橋国の正式な王女であり、その出自とは無関係であるという点である)、王女という地位をアーテ王女に提供していた協力者として、アーテ王女は、彼を、高く評価していた。もしも王様がいなければ、アーテ王女は王女としての人生を歩んでいくことはできないし、何より働かなくてはならなかっただろう。しかし朝早くおきて、水汲みをし、どこかの料理店の手伝いをするなど、アーテ王女にとっては考えられないことであったし、また、気ままな王女暮らしをしていくことが、ここ最近のアーテ王女にとっての希望だった。趣味がある。それに没頭せずに生きていくなど、アーテ王女には、また、考えられないことだった(ちなみにこの趣味が、彼女をこの後、奇跡の世界の冒険に導く糧となるのであるが、それはまた、後の話である)。
 そのためというか、なんと言うか、とにかくアーテ王女は、かくたる理由によって、王様を、高い地位とし、尊敬し、崇拝し、また、かくたる理由によって、アーテ王女の王女としての地位が維持されていることを、はっきりと理解していた。
 このようにして、王様は、アーテ王女にとって、最重要人物だったわけである。
 次に、デッカー次官。
 彼については、あとに回そう。
 なぜならアーテ王女にとって、価値付け的正当性は、忘れることのできない重要な人間を分類する要素であったし、また、その要素に当てはまらない人間を先にすることは、アーテ王女にとっては不可能だったからである。結論から言うと、デッカー次官は、アーテ王女の分類において、もっとも最下層に位置する人間だった。とにかく、そうした理由で、アーテ王女は、デッカー次官を後に回して論じることを希望した。
 チェッカー少尉。
 チェッカー少尉は、アーテ王女にとって、最も重要な人物の一人だった。(もっとも、長橋国には四人しか人物がいないから、もっとこの人口が増えればどうなるかはわからないが・・・・・・それはともかく)かれは、順位としては、王様の後、ロイズおばさんの次ぎに続くべき人物であり、アーテ王女にとっては、格付けこそ、後に続けど、欠くことのできない人生の登場人物の一人だった。
 チェッカー少尉は、何のためにか、忙しそうに、毎日、国境の門番、王国内の見回りなど、働いていた。たとえば、橋の袂でリクライニングベンチを広げて、それに寝そべりながら、雑誌をめくったり、釣り糸をはるか下の谷川にたらしたり(この記述でもわかるように、長橋国は、深い谷の間をわたす、橋の国だった)、また、時にはそれに飽きると、王様の城や、橋の各所をぶらついたりしていたのである。
 その合間に、彼は、アーテ王女の相手をしてくれた。すなわち、キャッチボールや、チェスの相手である。あるときなどは、時間を換算して見て、アーテ王女はチェッカー少尉が働いている時間よりも、アーテ王女と一緒にいる時間のほうが長いことに気がついたほどである。
ところでアーテ王女は、チェッカー少尉とチェスをするたびに、思っていた。やっていることがチェスなのだから、名前も、チェッカー少尉からチェス少尉に変えたらいいのに、とか、あるいは行っているゲームを、チェスから、チェッカーに変えたらいいのにだとかである。それはしかし、このときのアーテ王女にとっての疑問であり、それはまた、別の話である。
 ロイズおばさん。
 ロイズおばさんは、長橋国の食事を一手に引き受ける傍ら、橋げたで、料理店を営む女性であった(長橋国には橋の下に、人々の生活する空間があり、その一角が、ロイズおばさんの料理店であった。ロイズおばさんは、営む料理店の裏に部屋を与えられて住んでいた。また、長橋国の下の空間には、物置と称される王国の財産が収められた地下室があった。この地下室は、形こそ、端の上に浮かんだ状態にあるが、ひとつの、地下室のように密閉された空間だったのである。ここへは、長橋国上部にある、お城のなかから階段を通ってしか、入ることができなかった。ここで、これを長々と論じたのは、この後アーテ王女が奇跡を行う国に行く上で、とりわけ重要であったからである。とにかくここでは、長橋国の中に、神秘に満ちた空間があるということを、押さえておいていただきたい)。
 ロイズおばさんの料理は、王様から、デッカー次官、チェッカー少尉にいたるまで、アーテ王女にも、まずいということで評判だった。ロイズおばさんが作る料理は、いつも、なんだかよくわからない緑色の液体が浮かんだスープや、青だか、時には紫色の液体に浸された焼肉だった。
 しかしみな、これ以外には食べるものがないため、しょうがなく、がまんをして、その味に慣れていた。一度などは、とおりがかりの旅人が、それを一口食べた瞬間、飛ぶように逃げたほどあり、みな、長橋国の住人は、あの、旅人のように自由になれたらいいなと、思うほどだった。
 しかし、ロイズおばさんは、そうした人々の苦痛がわからないほどに、人のいい人だった。料理さえしなければ本当にいい人だと、アーテ王女は思っていたし、ほかの長橋国の住人も、同意見であっただろう。
 ロイズおばさんは、幼いころ、赤ちゃんのころから、アーテ王女を育ててくれた、気の長い性格の人であり、アーテ王女もこのおばさん、時に過保護と思われるような扱いをするおばさんを慕っていた(アーテ王女が長橋国にやってきた事情を聞くと諸説ある。もっとも有力なのは、アーテ王女がある日突然釣りをしていたチェッカー少尉の針に、かかったみかんの木箱に乗ってやってきたとか、どこからか突如現れた旅人が、ロイズおばさんに預けて去っていったとかである。諸説ある、といったのは、それらの人々、長橋国の住人が、はっきりと、アーテ王女に対してその出生の秘密を話してくれなかったからである。王女は、自分のルーツがどこにあるのか、この後、それを探すたびにでるが、それはまた、別の話である。ところでアーテ王女の名前の由来は、これもまた諸説ある。いっしょに名前が得てきたみかん箱にその名がきさいされていたとか、アーテ王女をつれてきた旅人が、息を引き取る前に、述べたとか、である)。
 最後に格付けされたのは、デッカー次官である。
 彼は、アーテ王女に対してさまざまな、小耳に痛い小言を言うことで、アーテ王女から嫌われる存在だった。デッカー次官は、もっとも、それが、アーテ王女のためになるからこそ言うのであって、ここにおいて、百歩譲ってデッカー次官が、アーテ王女の中で低い価値付けをされたことは、両者の見解の相違といえよう(この点に関して、王様は、アーテ王女の自由な発想に、楽観的であり、アーテ王女をできるだけ自由に育てたいというのが、その根幹にある思想であったらしかった。このために、アーテ王女はデッカー次官の小言に対しても、自由に行動を起こすことができたのである。王様は、特にアーテ王女の落書き〈アート〉に関心があり、城にかかれた落書きを、いいものはその場に額を打って飾ったりした)。
 デッカー次官のアーテ王女批判の一例を見ると、城内は走るな、かかとをすりむくな、城の壁に落書きをするな、つり橋遊びをするな、など、王女の発散的思考に対する抑制を意味するものであって、アーテ王女にとっては避けて通ることのできない存在、それがデッカー次官だった(アーテ王女はこの後、その、デッカー次官との対決の中から、寮生活による、修道女学校への入学が決定するが、それはまた別の話である。また、『つり橋遊び』について少し言及すると、長橋国の橋げたから、外に、ロープをつって投げ、それを伝って橋の外に身を投げ出して遊ぶ遊びであり、特にアーテ王女はスリリングさを求めるため、強い雨の日にさえ、これを行うことがあった。この危険さは、想像がすぐにつくだろう。デッカー次官が他のことについてきつくアーテ王女を締め付ける背景には、こうしたアーテ王女の破廉恥な行動にあったのである)。

 アーテ王女の趣味について

 さて、これで出揃った。
 以上が、長橋国の住人である人々と、アーテ王女との関係図式である。
 まとめると、王様が、アーテ王女の庇護者であり、その下に、ロイズおばさん、チェッカー少尉がいて、アーテ王女に対して口うるさいのがデッカー次官ということになる。
 彼らは彼等なりにアーテ王女と付き合い、そのよさを引き出しもすれば、それを抑制しようともする、存在だった。
 さて、本題に戻ろう。少し、長話が過ぎた。
 アーテ王女は十歳になってから、その分類作業(重要なものと、そうではないもの)に拍車がかかった。これは、自我の目覚めというか、周囲の環境の変化によるところが大きい。十歳になって、お姉さんになったのだろうから、もっとそれらしくしなさい、という、デッカー次官の指摘は、それを暗に示しているように思われた。
 アーテ王女は、自分にとって重要なものと、そうではないものを、はかりにかけては区分し、あるは捨て、あるは上げていき、そうして自己の世界を構築していった。
 ここで重要となるのは、アーテ王女が果たして何を元にして、自己の世界構築を果たしていったかであろう(これには諸説ある。アーテ王女が自身の周りの人物、すなわち王様、デッカー次官、チェッカー少尉、または、ロイズおばさんの様子を観察し、自己の世界を構築していったという説と、そうではなくて、アーテ王女自身が、自身読んだ本の中からの経験で、つかんだという説である。本書は、後者をおもに取る。なぜならアーテ王女は、はじめから、自己の経験を持っていた節があったからである、また、アーテ王女はこのときにあって、すでに高い語学能力を持っていたようであったからである)。
 アーテ王女は読書家であった。
 何かにつけて、本をかたときも話さず持っていて、それはチェッカー少尉とのキャッチボールのときも同じであった。アーテ王女は片時も空けず、本とともにあり、チェッカー少尉とのキャッチボールや、チェスは、主としてそうした本との関係の息抜きである面があった。
 アーテ王女は、本を媒介として世界を知り、そうして本を媒介として、人間を形成していった。
 アーテ王女がデッカー次官の幾度とない小言を、ただの小言として聞き流すことができたのは、そのためでもあろう。アーテ王女は、本から知った過去の偉大な人物を知っていたからこそ、目の前にせまった、問題を、簡易に処理することができたのであり、決して何の理由の無いものではありえない。(もちろんアーテ王女にも、不可能なことはあった。ラテン語の教養と、経済学の難しい数学理解である)。
 読む本は、はじめのころは簡単な童話であったが、次第に、時を追うごとに、難しくなっていった。
 ルソーの社会契約論や、ホッブスの哲学に触れたのは、八歳も満たないころのことである。アーテ王女はそうして自己のなかに、本を読むこととで得られる世界認識に確信の種を、植え付けていくことができた。
 本を読む場所は、アーテ王女の寝室でもあったし、また、お城の図書室でもあった(アーテ王女の寝室はお城の屋根裏部屋を改造して作られた。アーテ王女が5歳に満たないときである。それまでロイズおばさんと一緒に寝ていたアーテ王女が、始めて一人で夜を眠るようになったのである。推進したのは主としてデッカー次官であった。次官は、アーテ王女がいつまでもロイズおばさんと一緒に寝ていると、自立が遅れるという理由から、そのように考えたのである。アーテ王女もはじめのうちは、心細い気もしていたが、すぐになれた。アーテ王女は、自立心の高いタイプの人間であった。むしろ、それに楽しみを見出したのが、アーテ王女のよいところである。ロイズおばさんと一緒に寝ていたころは、夜の九時も回るとすぐに眠らされていたのに、夜の十二時になっても、大好きな本を読んでいられるようになったからである。また、このころになると、ロイズおばさんが、アーテ王女の本好きに気づき、ロイズおばさんの書斎にある本を貸してくれるようになったし、デッカー次官は、暗いランプの中で本を読むには目に悪いというので、めがねをプレゼントしてくれた。デッカー次官も、王女の本好きにはひそかに感心していたようである)。
 お城の図書室にこもって、連日本を読んでいると、アーテ王女は時を経つのも忘れた。
 はじめのうちは、どんな本を読んでいいのかもわからず、本棚の端から本を選んで読んでいたが、次第にそれも変わり始めた。
 アーテ王女の好奇心は本を読んでいて、わからないところを他の本から探すようになったし、また、お気に入りの本もできるようになった(ところで本をよんでいて、さらに深くその内容を理解するにはより深い言語理解が不可欠であることを知ったアーテ王女は、独学で古代語の履修に取り掛かるようになった。古代語とはすなわちラテン語である)。
 気にいった本は、部屋まで借りていって、何度も何度も繰り返して読んだ(アーテ王女が気に入った本の中には、ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』、トマス・ホッブスの『リバイアサン』など、難しい本もあったが、簡単な本もあった。すなわち、『クマのプーさん』、『不思議の国のアリス』シリーズ、『オズの魔法使い』などがそれである。このうちアーテ王女の一生、とりわけこの物語で重要になってくるのには、『鏡の国のアリス』が挙げられる、これを読んだことによって、その、アーテ王女が持つ想像力が刺激され、奇跡を行う国への冒険が始まるのである)。
 特に気に入った本の中に、ルイス・キャロル、数学者でもある彼が書いた、『不思議の国のアリス』シリーズが挙げられる。特に、その中でも関心が向けられたのは、『鏡の国のアリス』であった。
 面白さの点から言えば、不思議の国のアリスのほうが、上であったが(と、アーテ王女は思っていた)、かがみの本の内容を概略すると、アリスがある日、ひょんなことからかがみの国に入ってしまい、不思議な国を冒険する中で、最後にそこにいる王様と、アリスと、その世界はどちらが見ている夢かを問いとして投げかけられる、物語である。この物語には、アーテ王女はその気を惹かれずにはいられなかった。すなわちアーテ王女は、その、かがみの中にはいっていくという点に興味を引かれたのである。
 アーテ王女は大いに好奇心を持ってその本を読み、そうして空想の世界に舞った。
 いつも見ているかがみ。その中に入っていて、不思議な世界を旅する。そんなことは果たして本当にありえるのであろうか。論理的にはありえない。かがみとは、現実を映し、人々にその残像を見せるもの。それは物語の中だけの話。
 しかし、アーテ王女の好奇心はそれにうちかった。
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