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三話
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食堂から出るとシャーロットは溜め息を吐いた。疲れた。本当に疲れた。
きっと今のシャーロットの顔は干からびた魚より干からびているに違いない。
それくらい疲れ切っているということだ。
城へ帰ろうか、友人を待とうか。そういえば大司教様に呼ばれていたような? あれ、療養院のおジジだっけ? 取り留めない事を考えながら孤児院の廊下を歩いていると、前方から一人のシスターが歩いてくる事に気が付いた。
「ドナお疲れ。もう用事は終わったの?」
「シャルお疲れぇ。授業代わってくれて……ってアンタその顔どうしたの? 産まれたての子猿より子猿じゃん!」
「産まれて十八年の人なんだけどね」
心の全てを顔にのせて辛さをアピールした。
疲れも相まっていい具合に仕上がっているだろう。
やばいを連呼しながらゲラゲラと笑っているのは、姉分であり友人のシスター・セドナ。気心知れた間柄だ。
今日会いに来た相手でもあるけれど、今じゃない。
せめて体力と精神力を取り戻してから会いたかった。
朱色の髪を揺らしながら笑い続けるセドナを恨みがましく見つめる。
「ごめんごめん。そうだ、今度のバザーで出す小物でも作りながら話せる? 出来れば刺繍を手伝って欲しいんだけど」
情に訴える様な上目遣いをしながら見つめてくるセドナから顔を逸らす。
刺繍が苦手なのは知っているけれど、それはシャーロットも同じだ。
「いいけど……文句は受け付けないからね」
「わかってるって! 夕食の仕込みよりはマシでしょ?」
セドナはちらりと食堂の方を見た。
そこで何があったのか、なぜシャーロットがくたびれているのかを察しているようだ。
調理場には外からでも入れるが食堂と繋がっている。
今は子ども達と、特に男子達と顔を合わせるのは避けたい。
「本当にドナって最高の友達だわ」
「知ってる!」
****
授業を終えたシャーロットが食堂に着いた時、子ども達は大きく二つにわかれていた。
女子はまとまって席に着きおやつを食べており、男子は立ったまま一か所に集まって騒いでいる。
女子と男子、で括るには何か足りない、両者の間に大きな壁や温度差といった、そういう隔たりを感じた。
そもそも、寝室や風呂でもないのにこうもはっきりわかれている方が珍しいし、食べ盛り達がおやつを後回しに出来るなんて、どう考えてもおかしい。
思い起こせば、授業でも別々に座っていた。
小さな違和感を感じつつも、そういう時もあるだろうと気に留めることはしなかった。
以前は個人差はあっても仲は良かったはずで、年長者であるサナとマルクが上手くまとめていた。
その二人ですら反目しているかのように見える。
シャーロットは男子の塊を横目に無言で食べ続ける女子達の元へ向かった。
シャーロットに気付いた女子達は、それぞれ手を振ったり手招きしたりと歓迎してくれているようだった。皆浮かない顔をしている。
特にサナは薄らと微笑んで見せてはいるが、暗然としているのか双眼を潤ませている。
心成しか少し痩せたように見える。
「サナ、顔色が悪いようだけど……」
シャーロットはサナの頭を撫でながら『心が落ち着きますように』と祈る。
すると、キラキラとした粒子の様なものがサナの周囲に現れ消えた。
シャーロットが願いを込めて祈ると、それが叶う時にこうなる。
勿論、何でも願えば叶う訳ではない。
誰かの死を望んでも、反対に生き返るようにと懇願しても叶うことはない。
何とも不思議で、半端な現象だと思う。
女子達が凄いだとか綺麗だとか言いながら見つめてきて少しばかり小恥ずかしくなる。
仕方ない、と『今夜いい夢が見られますように』と祈ると、彼女達の周囲にキラキラが現れる。
本当に意味が分からない不思議な現象だ。
きゃっきゃと楽しそうにしている彼女達を見ていると、この後提出する報告書も苦ではなくなる気がする。一キラキラ一報告書だ。
「シャル姉さん、私達の為に力を使う必要はありません。でも……ありがとうございます」
「可愛い妹達に使うんだからいいの。誰にも文句は言わせないわ」
「もう、姉さんったら。有事に備えて制限されている事、知ってるんですからね」
相変わらず実直で律儀なサナに、先程よりも和らいだ表情に安堵する。
根本的な解決になっていないのは分かっているが、そもそも一緒に暮らしている訳でも毎日顔を出す訳でもないシャーロットに出来る事は多くない。
少しでも気が晴れたのなら、その力になれたのなら上々だろう。
キラキラが降り注ぐ中、ふと食堂に来た目的を思い出す。
リリアに魔道具の危険性を教える為に来たのにすっかり忘れてしまっていた。
女子達の中にその顔を探すも見当たらない。
「あの、実はお聞きしたいことがあるんです。魔法使いについてなんですが……本当に存在しないんでしょうか。姉さんのように特別な力を持っている人物がいるとか、聞いたことはないですか?」
魔法に興味を持った小さい子とは違うサナの様子に顔が強張る。
意図は分からないが、粗略にすべきではないと感じる程に眼差しは真剣そのものだ。
「そうね……私が知る限り存在しない。だから、この世のどこかには存在するかもしれないし、それは身近だって可能性もある。魔法については分からないことが多すぎて断言できる事がないのよ」
「そうですか……。それじゃあ、相手を意のままに操ったり……例えば、自分に好意を持たせるような魔法とか魔道具はありますか?」
「……ええ。呪術や呪具と呼ばれるものね。どちらも禁止されているし、刑は重いわ」
「そんな……」
サナの顔色が見る間に悪くなっていく。血の気が引いたような様子は深刻な事態を予感させた。
もしかして、心当たりがあるのかもしれない。
考え込むサラを窺いながら、会話の内容を思い出す。
魔法使いが存在するのかから始まって、呪術と呪具の話で終わった。精神操作……相手を操ること、好意を持たせること……。
視線を男子の方へ向けると、目を輝かせながらキラキラを眺めているリリアがいる。
先程までは、きっと男子達に囲まれて見えなかったのだろう。
無邪気で愛らしい少女。しかしその後ろには、親の敵であるかのようにシャーロットを睨み付ける男子達がいる。
サナが何を疑懼し、誰を案じているのか。その答えが目の前にあった。
****
「その後が大変でね、リリアがずっと私に話し掛けるもんだから男子達が怒っちゃって」
「それは災難だったねぇ。私達も注意するんだけど酷くなる一方でさ」
シャーロットはセドナと作業室に来ていた。
食堂での出来事を話しながら三十五センチ四方の布地の角に刺繍をする。
花の図案の中でも比較的簡単なものを選んだものの、ひと針ひと針丁寧に刺している為あまり進んでいない。
会話の方が捗っているのも進まない原因の一つだと分かってはいる。
目の前にいるのがセドナだという時点で、こうなることは必然だった。
「でもまあ、確かにリリアは可愛いし、何とも言えない魅力があるよね」
「確かにね。もう引き取り先が決まるくらいだし。言い方は悪いけど、リリアがここを出たら落ち着くでしょ」
「え……早いね。まだここに来てひと月も経ってないんじゃない?」
「二十日くらいかな。よく慰問して下さる貴族様があの子を気に入ったみたいでね。身元は確かだし人格者だって有名な方だからすぐ決まったんだよ」
孤児院から養子になる子は滅多にいない。
だから孤児院を出ても生きていけるように技術を学ぶし勉強もする。読み書きに計算が出来れば職の幅が広がるし、刺繍だって上手い子はお針子の職に就いたりする。
血を重んじる貴族が孤児を養子を迎える理由、役に立つ存在だからだと言われた方が気に入ったなんて曖昧な言葉よりしっくりくる。
「心配? そうよね、相手は貴族なんだもの」
セドナは蔑むように微笑むと刺繍糸を鋏で切った。
つながりを絶たれた赤い糸を見つめながら何を思っているのか、眉間に皺を寄せフンと鼻を鳴らした。
こういう時、シャーロットはセドナが話し出すまで待つようにしている。
大抵貴族に対する悪感情――憎悪ともいえる――が耐えられなくなってきた時にこうなるからだ。
感情と現実に折り合いをつける為の儀式のようなものだとシャーロットは思っている。
最後のひと針を刺して糸の始末をすると、白い布地にひっそり咲く黄色い花を指でなぞった。
我ながら可愛く出来た。裏は多少雑に見えるが、最終的に隠れるので問題はない筈。
二枚縫い合わせればハンカチの出来上がり、バザーの人気商品だ。
「あら、結構可愛い。いつの間に上達したのさ」
「やっぱり! はぁ……自分の才能が怖いわ」
「そこまでじゃないから」
二人揃ってくすくすと笑う。セドナは先程と打って変わって穏やかな表情をしている。
「ねえシャル。アンタがリリアを心配する以上に、私はアンタを心配してる。どんなに気掛かりでも首を突っ込まずに、自分の安全だけを考えて。特に貴族とは……関わらないで」
シャーロットは短く「わかった」と返事をすると帰り支度を始めた。
全て杞憂であればそれに越したことはない。
小さく『何事もありませんように』と祈ったがキラキラは起こらない。願いが抽象的過ぎたのか、それとも――
きっと今のシャーロットの顔は干からびた魚より干からびているに違いない。
それくらい疲れ切っているということだ。
城へ帰ろうか、友人を待とうか。そういえば大司教様に呼ばれていたような? あれ、療養院のおジジだっけ? 取り留めない事を考えながら孤児院の廊下を歩いていると、前方から一人のシスターが歩いてくる事に気が付いた。
「ドナお疲れ。もう用事は終わったの?」
「シャルお疲れぇ。授業代わってくれて……ってアンタその顔どうしたの? 産まれたての子猿より子猿じゃん!」
「産まれて十八年の人なんだけどね」
心の全てを顔にのせて辛さをアピールした。
疲れも相まっていい具合に仕上がっているだろう。
やばいを連呼しながらゲラゲラと笑っているのは、姉分であり友人のシスター・セドナ。気心知れた間柄だ。
今日会いに来た相手でもあるけれど、今じゃない。
せめて体力と精神力を取り戻してから会いたかった。
朱色の髪を揺らしながら笑い続けるセドナを恨みがましく見つめる。
「ごめんごめん。そうだ、今度のバザーで出す小物でも作りながら話せる? 出来れば刺繍を手伝って欲しいんだけど」
情に訴える様な上目遣いをしながら見つめてくるセドナから顔を逸らす。
刺繍が苦手なのは知っているけれど、それはシャーロットも同じだ。
「いいけど……文句は受け付けないからね」
「わかってるって! 夕食の仕込みよりはマシでしょ?」
セドナはちらりと食堂の方を見た。
そこで何があったのか、なぜシャーロットがくたびれているのかを察しているようだ。
調理場には外からでも入れるが食堂と繋がっている。
今は子ども達と、特に男子達と顔を合わせるのは避けたい。
「本当にドナって最高の友達だわ」
「知ってる!」
****
授業を終えたシャーロットが食堂に着いた時、子ども達は大きく二つにわかれていた。
女子はまとまって席に着きおやつを食べており、男子は立ったまま一か所に集まって騒いでいる。
女子と男子、で括るには何か足りない、両者の間に大きな壁や温度差といった、そういう隔たりを感じた。
そもそも、寝室や風呂でもないのにこうもはっきりわかれている方が珍しいし、食べ盛り達がおやつを後回しに出来るなんて、どう考えてもおかしい。
思い起こせば、授業でも別々に座っていた。
小さな違和感を感じつつも、そういう時もあるだろうと気に留めることはしなかった。
以前は個人差はあっても仲は良かったはずで、年長者であるサナとマルクが上手くまとめていた。
その二人ですら反目しているかのように見える。
シャーロットは男子の塊を横目に無言で食べ続ける女子達の元へ向かった。
シャーロットに気付いた女子達は、それぞれ手を振ったり手招きしたりと歓迎してくれているようだった。皆浮かない顔をしている。
特にサナは薄らと微笑んで見せてはいるが、暗然としているのか双眼を潤ませている。
心成しか少し痩せたように見える。
「サナ、顔色が悪いようだけど……」
シャーロットはサナの頭を撫でながら『心が落ち着きますように』と祈る。
すると、キラキラとした粒子の様なものがサナの周囲に現れ消えた。
シャーロットが願いを込めて祈ると、それが叶う時にこうなる。
勿論、何でも願えば叶う訳ではない。
誰かの死を望んでも、反対に生き返るようにと懇願しても叶うことはない。
何とも不思議で、半端な現象だと思う。
女子達が凄いだとか綺麗だとか言いながら見つめてきて少しばかり小恥ずかしくなる。
仕方ない、と『今夜いい夢が見られますように』と祈ると、彼女達の周囲にキラキラが現れる。
本当に意味が分からない不思議な現象だ。
きゃっきゃと楽しそうにしている彼女達を見ていると、この後提出する報告書も苦ではなくなる気がする。一キラキラ一報告書だ。
「シャル姉さん、私達の為に力を使う必要はありません。でも……ありがとうございます」
「可愛い妹達に使うんだからいいの。誰にも文句は言わせないわ」
「もう、姉さんったら。有事に備えて制限されている事、知ってるんですからね」
相変わらず実直で律儀なサナに、先程よりも和らいだ表情に安堵する。
根本的な解決になっていないのは分かっているが、そもそも一緒に暮らしている訳でも毎日顔を出す訳でもないシャーロットに出来る事は多くない。
少しでも気が晴れたのなら、その力になれたのなら上々だろう。
キラキラが降り注ぐ中、ふと食堂に来た目的を思い出す。
リリアに魔道具の危険性を教える為に来たのにすっかり忘れてしまっていた。
女子達の中にその顔を探すも見当たらない。
「あの、実はお聞きしたいことがあるんです。魔法使いについてなんですが……本当に存在しないんでしょうか。姉さんのように特別な力を持っている人物がいるとか、聞いたことはないですか?」
魔法に興味を持った小さい子とは違うサナの様子に顔が強張る。
意図は分からないが、粗略にすべきではないと感じる程に眼差しは真剣そのものだ。
「そうね……私が知る限り存在しない。だから、この世のどこかには存在するかもしれないし、それは身近だって可能性もある。魔法については分からないことが多すぎて断言できる事がないのよ」
「そうですか……。それじゃあ、相手を意のままに操ったり……例えば、自分に好意を持たせるような魔法とか魔道具はありますか?」
「……ええ。呪術や呪具と呼ばれるものね。どちらも禁止されているし、刑は重いわ」
「そんな……」
サナの顔色が見る間に悪くなっていく。血の気が引いたような様子は深刻な事態を予感させた。
もしかして、心当たりがあるのかもしれない。
考え込むサラを窺いながら、会話の内容を思い出す。
魔法使いが存在するのかから始まって、呪術と呪具の話で終わった。精神操作……相手を操ること、好意を持たせること……。
視線を男子の方へ向けると、目を輝かせながらキラキラを眺めているリリアがいる。
先程までは、きっと男子達に囲まれて見えなかったのだろう。
無邪気で愛らしい少女。しかしその後ろには、親の敵であるかのようにシャーロットを睨み付ける男子達がいる。
サナが何を疑懼し、誰を案じているのか。その答えが目の前にあった。
****
「その後が大変でね、リリアがずっと私に話し掛けるもんだから男子達が怒っちゃって」
「それは災難だったねぇ。私達も注意するんだけど酷くなる一方でさ」
シャーロットはセドナと作業室に来ていた。
食堂での出来事を話しながら三十五センチ四方の布地の角に刺繍をする。
花の図案の中でも比較的簡単なものを選んだものの、ひと針ひと針丁寧に刺している為あまり進んでいない。
会話の方が捗っているのも進まない原因の一つだと分かってはいる。
目の前にいるのがセドナだという時点で、こうなることは必然だった。
「でもまあ、確かにリリアは可愛いし、何とも言えない魅力があるよね」
「確かにね。もう引き取り先が決まるくらいだし。言い方は悪いけど、リリアがここを出たら落ち着くでしょ」
「え……早いね。まだここに来てひと月も経ってないんじゃない?」
「二十日くらいかな。よく慰問して下さる貴族様があの子を気に入ったみたいでね。身元は確かだし人格者だって有名な方だからすぐ決まったんだよ」
孤児院から養子になる子は滅多にいない。
だから孤児院を出ても生きていけるように技術を学ぶし勉強もする。読み書きに計算が出来れば職の幅が広がるし、刺繍だって上手い子はお針子の職に就いたりする。
血を重んじる貴族が孤児を養子を迎える理由、役に立つ存在だからだと言われた方が気に入ったなんて曖昧な言葉よりしっくりくる。
「心配? そうよね、相手は貴族なんだもの」
セドナは蔑むように微笑むと刺繍糸を鋏で切った。
つながりを絶たれた赤い糸を見つめながら何を思っているのか、眉間に皺を寄せフンと鼻を鳴らした。
こういう時、シャーロットはセドナが話し出すまで待つようにしている。
大抵貴族に対する悪感情――憎悪ともいえる――が耐えられなくなってきた時にこうなるからだ。
感情と現実に折り合いをつける為の儀式のようなものだとシャーロットは思っている。
最後のひと針を刺して糸の始末をすると、白い布地にひっそり咲く黄色い花を指でなぞった。
我ながら可愛く出来た。裏は多少雑に見えるが、最終的に隠れるので問題はない筈。
二枚縫い合わせればハンカチの出来上がり、バザーの人気商品だ。
「あら、結構可愛い。いつの間に上達したのさ」
「やっぱり! はぁ……自分の才能が怖いわ」
「そこまでじゃないから」
二人揃ってくすくすと笑う。セドナは先程と打って変わって穏やかな表情をしている。
「ねえシャル。アンタがリリアを心配する以上に、私はアンタを心配してる。どんなに気掛かりでも首を突っ込まずに、自分の安全だけを考えて。特に貴族とは……関わらないで」
シャーロットは短く「わかった」と返事をすると帰り支度を始めた。
全て杞憂であればそれに越したことはない。
小さく『何事もありませんように』と祈ったがキラキラは起こらない。願いが抽象的過ぎたのか、それとも――
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