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本編
10:南の魔法士 1
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「リュウ様、リュウ様」
珍しく慌てた様子で、副官のマオがリュウの私室の戸を叩く。
リュウはゆっくりとドアを開け、「どうした」と副官の顔を見る。
今彼は私服姿だった。もう少ししたら魔法士の服に着替え、西領の見回りに出るつもりだったのだ。
マオはリュウが着替え終わる時間を正確に把握しており、それより前に呼びに来ることは滅多にない。従って、今回は本当に異常事態と言える。
マオは広い作りの袖に両腕を入れて頭を下げる礼をして、
「訪客でございます。南の、エリアレージュ様が」
「……なんだと?」
*
「や……元気にしてるかえ、リュウ」
そう言って、座敷で待たせていた来客は楽しげに片手をひらひら振った。
足は崩して座り、振っていないほうの手を座敷について、それにもたれかかるようにしている。来客のくせにずいぶんと砕けた態度だ。
しかも口調が、まるで酔っているかのようにおぼつかない。時々発音不明瞭で聞き取れないことさえあった。
これが南の山を守る魔法士、エリアレージュ――
現魔法士四名の中で唯一の女性である。女性で魔法士を継承することは非常に珍しい。
年齢は二十五ほどに見えるが、魔法士になった時点で成長は止まるので、実際はそれよりもずっと上だ。
着替えたリュウは苦々しい顔で、目の前の『客』という役割を捨てまくっている女を見る。
「こんな早朝から、いったい何をしにきた、南の」
「そんなかたーいこと言うんじゃないえ。呼び名も、エリアでいいというに」
「南の。いったい何をしにきた」
「つれないのう……」
南の魔法士エリアレージュは、その紅唇をとがらせるようにしてため息をつく。
リュウは正直この南の魔法士が苦手だ。北の魔法士ダリアンもやりづらい相手だが、それとは別種の苦手さである。ダリアンにはリラという行動理由があるが、エリアレージュにはそれがない。何を考えているのか、何を目的に行動しているのか、さっぱり分からないのだ。
先日、西に三角ドラゴンが発生したときもそうだ。この南の魔法士はなぜかだいぶ遅れてやってきて――その気になればリュウやカッツェ並みの速さで飛べるくせにゆっくりと飛んできて――到着したときにはすでにドラゴンが倒されていたことを知り、「そうか、良かったのう」そう一言言って去った。本気で何をしにきたのか分からなかった。
そんな南の魔法士は、これでもとても人に好かれるタチであるらしい。南の副官はみな彼女に従順で働き者であり、それ以外にもカッツェなどは本気で惚れているふしがある。
リュウだけなのかもしれない。彼女を見たことのない珍獣のように思っているのは。
エリアレージュは、リュウが座り、マオがリュウにもお茶を淹れるのを待ってから口を開いた。
「実はのう……頼みがあってきた」
「……うん?」
「南のな、見回りに協力してくれんかの」
そう何気なく言ってから、少し熱めのお茶をふーふーしながら飲む。猫舌なのだろうか。
「見回り……? 何か困ったことでも起きているのか」
「それがのう、南は近頃治安維持に困っておって」
「治安だと?」
リュウの記憶では、南にある街はみな活気があり、明るく人々の性質もいい印象だ。
それが突然治安が悪くなるなど、いったいどうしたことだろう。
「ある日から悪いやつらがな。徒党を組むようになっての」
「……誰なのか分かっているなら、お前の術で吹き飛ばせばいいんじゃないのか」
「そうなんじゃが、そうもいかん理由があってのう」
「理由とは?」
そこでエリアレージュは口を閉ざす。いつも通り酔っているかのようなとろんとした目をリュウに向け、無言で何かを『察しろ!』と言いたそうにする。
瞳は非常に美しい女だ。黒眼に星屑のようにきらきらと光が入っている。
「……とにかく、来てもらえれば分かるんじゃ。頼めんかのう」
「理由も分からず来いと言われてもな」
「西は今忙しいのかえ?」
「そう忙しくもないが……」
リュウは静かに控えていたマオに目をやる。
マオはこっくりとうなずいた。特別問題が起きていないという返答だ。索敵の天才であるマオが言うなら今のところは大丈夫だろう。
魔物は突然発生する存在ではあるが、そうなったらリュウがどこにいようとマオの念心で報告を受けられる。
「なら、頼む。どうしても、お主の力が必要なんじゃ」
あぐらを組み、豪快に頭を下げる。女性がする仕草ではない。
この東生まれ北育ちの女は、東の洗練された文化にも、北の素朴な文化にも影響されず、ただ南の気質だけを受け取ったようだ。
すなわち、マイペースで強引。
リュウはため息をつく。突っぱねることは簡単だが……
南の治安が悪くなれば、当然それが西へ伝播してくる可能性がある。それは避けたかった。
「仕方ないな……」
「来てくれるか!?」
がばと頭を上げたエリアレージュの満面の笑顔。たしかにそれだけを見れば、カッツェが惚れるのも分かるような、大輪の華の美しさだが……
リュウにとっては毒花の誘い香だ。引きずり込まれないようにしようと、彼は心に決めた。
*
南の山の麓にある街、デルアラント。
週に三回朝市を行い、毎度活況をていしていると聞く。南は東のように洗練されていないので、素朴な露店で行う朝市だが、それが余計に彼らの威勢のよさを上乗せするようだった。
右から左から活気づいた声が聞こえるのを、耳を塞ぎたい気分で聞きながら、リュウは前を歩くエリアレージュの背に問う。
「問題の連中はこんな朝から活動しているのか」
「まあ今は黙ってついてきてくれんかのう」
「勝手だな」
「原因が分かれば、お主にも分かる」
リュウの中で危険信号が絶えず音を発している。行かないほうがいいと、自分の半分が叫んでいた。
それに無理やり気づかないふりをしながら、リュウはエリアレージュの後を追う。
「や! エリア様、ご機嫌うるわしゅう!」
「今日も美しいっすね、エリア様!」
「エリア様ー美容にいい果物入ったよ! 買っていかない!?」
彼女にかかる声はすべて好意的で、人のぬくもりを感じさせる。エリアレージュはそれらすべてに笑顔で手を振って返す。
リュウが西領の街に降りたときは、民は畏怖の表情しか見せないのが通常である。改めて、エリアレージュがいかに民に愛されているかを知る。
エリアレージュはそのまま、市を通り過ぎた。
どうやらその先にある、人家の少ない地区へ行くつもりらしかった。
だいぶ歩いた先に、うち捨てられたかのような区画があった。元は人が住んでいたであろう家々。今は誰も手を入れず、雨ざらしになったぼろ家が林立している。
「ここじゃ、やつらがすみかにしているのは」
言うなり――
エリアレージュはそのうちひとつの家を唐突に魔法で爆破した。
「―――ッ」
リュウは指で耳栓をしながら、「あらかじめ言え!」と叫ぶ。だがエリアレージュは知らん顔で、腰に手を当てまっすぐ前を見ている。
ガラガラと石造りの家が崩れ落ちていく。派手な光景だった。
砂塵が舞う。リュウは目を細めて、目の前で起こる光景を見守る。
やがて――
他の建物からわらわらと人間があふれてきた。男も女もいる。どれも、まともな格好をしていない。服の一部を破いたり、上半身裸だったりと、まるで自分たちが一般庶民とは違うことを主張しているかのようだ。
そして最後に、崩された家の隣の建物の、二階の窓から――
軽々と飛び降りてきた一人の男。
「ずいぶんな挨拶じゃねえか、魔法士様?」
リュウは瞠目した。
男は服を破いて上半身を半分さらけだす格好で、腰に虎の皮を巻いている。肩に担いでいるのは偃月刀――刃先が鋭い月のように曲がっている刀。この大陸で、この武器を手にしている人間は珍しい。
しかし、驚くべきなのはその服装でも武器でも決してなく――
先に反応したのは、男のほうだった。
エリアレージュの斜め後ろに立ちすくむ形になったリュウに目をやり、苦虫を百匹噛みつぶしたような顔になって、一言。
「……んだよ。なんでてめえが来てんだ、リュウ」
その言葉で、リュウはようやく我に返った。
エリアレージュの隣まで進み出て、男と相対する。
「……無理やり連れられてきただけだ、コウ」
と――自分とうり二つの顔の男に向かって、リュウは苦々しい思いでそう言った。
珍しく慌てた様子で、副官のマオがリュウの私室の戸を叩く。
リュウはゆっくりとドアを開け、「どうした」と副官の顔を見る。
今彼は私服姿だった。もう少ししたら魔法士の服に着替え、西領の見回りに出るつもりだったのだ。
マオはリュウが着替え終わる時間を正確に把握しており、それより前に呼びに来ることは滅多にない。従って、今回は本当に異常事態と言える。
マオは広い作りの袖に両腕を入れて頭を下げる礼をして、
「訪客でございます。南の、エリアレージュ様が」
「……なんだと?」
*
「や……元気にしてるかえ、リュウ」
そう言って、座敷で待たせていた来客は楽しげに片手をひらひら振った。
足は崩して座り、振っていないほうの手を座敷について、それにもたれかかるようにしている。来客のくせにずいぶんと砕けた態度だ。
しかも口調が、まるで酔っているかのようにおぼつかない。時々発音不明瞭で聞き取れないことさえあった。
これが南の山を守る魔法士、エリアレージュ――
現魔法士四名の中で唯一の女性である。女性で魔法士を継承することは非常に珍しい。
年齢は二十五ほどに見えるが、魔法士になった時点で成長は止まるので、実際はそれよりもずっと上だ。
着替えたリュウは苦々しい顔で、目の前の『客』という役割を捨てまくっている女を見る。
「こんな早朝から、いったい何をしにきた、南の」
「そんなかたーいこと言うんじゃないえ。呼び名も、エリアでいいというに」
「南の。いったい何をしにきた」
「つれないのう……」
南の魔法士エリアレージュは、その紅唇をとがらせるようにしてため息をつく。
リュウは正直この南の魔法士が苦手だ。北の魔法士ダリアンもやりづらい相手だが、それとは別種の苦手さである。ダリアンにはリラという行動理由があるが、エリアレージュにはそれがない。何を考えているのか、何を目的に行動しているのか、さっぱり分からないのだ。
先日、西に三角ドラゴンが発生したときもそうだ。この南の魔法士はなぜかだいぶ遅れてやってきて――その気になればリュウやカッツェ並みの速さで飛べるくせにゆっくりと飛んできて――到着したときにはすでにドラゴンが倒されていたことを知り、「そうか、良かったのう」そう一言言って去った。本気で何をしにきたのか分からなかった。
そんな南の魔法士は、これでもとても人に好かれるタチであるらしい。南の副官はみな彼女に従順で働き者であり、それ以外にもカッツェなどは本気で惚れているふしがある。
リュウだけなのかもしれない。彼女を見たことのない珍獣のように思っているのは。
エリアレージュは、リュウが座り、マオがリュウにもお茶を淹れるのを待ってから口を開いた。
「実はのう……頼みがあってきた」
「……うん?」
「南のな、見回りに協力してくれんかの」
そう何気なく言ってから、少し熱めのお茶をふーふーしながら飲む。猫舌なのだろうか。
「見回り……? 何か困ったことでも起きているのか」
「それがのう、南は近頃治安維持に困っておって」
「治安だと?」
リュウの記憶では、南にある街はみな活気があり、明るく人々の性質もいい印象だ。
それが突然治安が悪くなるなど、いったいどうしたことだろう。
「ある日から悪いやつらがな。徒党を組むようになっての」
「……誰なのか分かっているなら、お前の術で吹き飛ばせばいいんじゃないのか」
「そうなんじゃが、そうもいかん理由があってのう」
「理由とは?」
そこでエリアレージュは口を閉ざす。いつも通り酔っているかのようなとろんとした目をリュウに向け、無言で何かを『察しろ!』と言いたそうにする。
瞳は非常に美しい女だ。黒眼に星屑のようにきらきらと光が入っている。
「……とにかく、来てもらえれば分かるんじゃ。頼めんかのう」
「理由も分からず来いと言われてもな」
「西は今忙しいのかえ?」
「そう忙しくもないが……」
リュウは静かに控えていたマオに目をやる。
マオはこっくりとうなずいた。特別問題が起きていないという返答だ。索敵の天才であるマオが言うなら今のところは大丈夫だろう。
魔物は突然発生する存在ではあるが、そうなったらリュウがどこにいようとマオの念心で報告を受けられる。
「なら、頼む。どうしても、お主の力が必要なんじゃ」
あぐらを組み、豪快に頭を下げる。女性がする仕草ではない。
この東生まれ北育ちの女は、東の洗練された文化にも、北の素朴な文化にも影響されず、ただ南の気質だけを受け取ったようだ。
すなわち、マイペースで強引。
リュウはため息をつく。突っぱねることは簡単だが……
南の治安が悪くなれば、当然それが西へ伝播してくる可能性がある。それは避けたかった。
「仕方ないな……」
「来てくれるか!?」
がばと頭を上げたエリアレージュの満面の笑顔。たしかにそれだけを見れば、カッツェが惚れるのも分かるような、大輪の華の美しさだが……
リュウにとっては毒花の誘い香だ。引きずり込まれないようにしようと、彼は心に決めた。
*
南の山の麓にある街、デルアラント。
週に三回朝市を行い、毎度活況をていしていると聞く。南は東のように洗練されていないので、素朴な露店で行う朝市だが、それが余計に彼らの威勢のよさを上乗せするようだった。
右から左から活気づいた声が聞こえるのを、耳を塞ぎたい気分で聞きながら、リュウは前を歩くエリアレージュの背に問う。
「問題の連中はこんな朝から活動しているのか」
「まあ今は黙ってついてきてくれんかのう」
「勝手だな」
「原因が分かれば、お主にも分かる」
リュウの中で危険信号が絶えず音を発している。行かないほうがいいと、自分の半分が叫んでいた。
それに無理やり気づかないふりをしながら、リュウはエリアレージュの後を追う。
「や! エリア様、ご機嫌うるわしゅう!」
「今日も美しいっすね、エリア様!」
「エリア様ー美容にいい果物入ったよ! 買っていかない!?」
彼女にかかる声はすべて好意的で、人のぬくもりを感じさせる。エリアレージュはそれらすべてに笑顔で手を振って返す。
リュウが西領の街に降りたときは、民は畏怖の表情しか見せないのが通常である。改めて、エリアレージュがいかに民に愛されているかを知る。
エリアレージュはそのまま、市を通り過ぎた。
どうやらその先にある、人家の少ない地区へ行くつもりらしかった。
だいぶ歩いた先に、うち捨てられたかのような区画があった。元は人が住んでいたであろう家々。今は誰も手を入れず、雨ざらしになったぼろ家が林立している。
「ここじゃ、やつらがすみかにしているのは」
言うなり――
エリアレージュはそのうちひとつの家を唐突に魔法で爆破した。
「―――ッ」
リュウは指で耳栓をしながら、「あらかじめ言え!」と叫ぶ。だがエリアレージュは知らん顔で、腰に手を当てまっすぐ前を見ている。
ガラガラと石造りの家が崩れ落ちていく。派手な光景だった。
砂塵が舞う。リュウは目を細めて、目の前で起こる光景を見守る。
やがて――
他の建物からわらわらと人間があふれてきた。男も女もいる。どれも、まともな格好をしていない。服の一部を破いたり、上半身裸だったりと、まるで自分たちが一般庶民とは違うことを主張しているかのようだ。
そして最後に、崩された家の隣の建物の、二階の窓から――
軽々と飛び降りてきた一人の男。
「ずいぶんな挨拶じゃねえか、魔法士様?」
リュウは瞠目した。
男は服を破いて上半身を半分さらけだす格好で、腰に虎の皮を巻いている。肩に担いでいるのは偃月刀――刃先が鋭い月のように曲がっている刀。この大陸で、この武器を手にしている人間は珍しい。
しかし、驚くべきなのはその服装でも武器でも決してなく――
先に反応したのは、男のほうだった。
エリアレージュの斜め後ろに立ちすくむ形になったリュウに目をやり、苦虫を百匹噛みつぶしたような顔になって、一言。
「……んだよ。なんでてめえが来てんだ、リュウ」
その言葉で、リュウはようやく我に返った。
エリアレージュの隣まで進み出て、男と相対する。
「……無理やり連れられてきただけだ、コウ」
と――自分とうり二つの顔の男に向かって、リュウは苦々しい思いでそう言った。
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