1 / 43
魔導師の……弟子? 1
しおりを挟む
「トキネ!」
呼ぶ声に、私はドキッと肩を跳ねさせました。
どうしよう。あの声は確実に怒っている声です。さっきのあれだ、私絶対間違えた。
「は、はい……」
ドキドキしながらお師匠様の部屋へと向かってみます。
長い廊下を渡って行くと、お師匠様はご自分の部屋の前で、片手を腰に当て、立って私を待っていました。
――もう片方の手に、とある草を持っていらっしゃる。
「……来たか」
お師匠様は私の顔を見ると、その無表情をぴくりとも動かさず唇だけを動かしました。手にしていた草を軽く持ち上げながら。
「これは、頼んだ薬草じゃない。いつになったら覚えるんだ。同じ物を依頼し続けてもう一週間経つ」
「……すみません……」
だってだって、薬草って見分けがつかないのが多いんです。葉っぱの見た目はほぼ同じなのに、先端がちょこっとだけカールしてるもの、それだけで違う種類って言われるのです。
そういう微妙な違いばかりの薬草を、今のところ五十種類、全部覚えろとのお達し。
たった一週間で、覚えられるわけが!
「……何か言いたそうな顔だな」
冬の凍った湖面よりも冷たく怜悧な碧眼が、私の心の中を射ぬいてゆく。ひいいい! 全部お見通しー!
私は肩を思いきり縮めて、力いっぱい頭を下げました。下げすぎて、首の後ろでくくっただけの私の背中まである黒髪が豪快に跳ねました。
「申し訳ございません! 私の頭では、いっぱいいっぱいです!」
「……たしかにお前の頭は何を詰め込んでも空っぽになるようだな」
皮肉げな口調にはとげがいっぱい。お師匠様の口の中には、わざわざ毒草を使うまでもなく人を(精神的に)殺せる毒がたっぷりと完備されてる。絶対に。
そしてこの一週間、それにさらされ続けた私はもはや限界で……
じんわりと視界に涙がたまってきました。それと一緒に鼻水も。
一度あふれたら止まらなくて――
「ふえええお師匠様ぁ、私もう無理ですぅぅぅぅ」
ずびずび言いながらお師匠様にすがりつきました。
うわ、とお師匠様は飛び退いて逃げました。
「お前っ、今鼻水を私の服につけただろう!」
「ふぇっ、ふぇっ、つけてまへええん、涙だけでふううう」
「ああもう泣き止め! ついでに鼻水を止めろ!」
「わああんお師匠様優しくないいいいさすが彼女いない歴二十四年生いいいい」
「な……貴様!」
ようやくお師匠様が私に触ってくれました。正確には肩を強く掴んでがくがく揺さぶっただけですが。
「誰からそんなことを聞いた! ローランかグロリアかそれともレンジュかイオリスか!」
「ふえっ、ふぇっ、私、告げ口はしない主義ですお師匠様ああああ」
「変なところで律儀なやつだな! くそ、もういい!」
懐からハンカチを出して私の涙を乱暴にぐいぐい拭いてくださります。それから、「鼻をかめ」とそのままそのハンカチを私にくれました。
「ふえっ、いいんですか、ふぇぇっ」
「いい。貴様にやる。どうせハンカチなど山ほどある」
「なんでそんなに持ってるんですかあ」
高そうなハンカチでしたが、私は遠慮なくチーンと鼻をかみました。だって私にくれるって言うんですもん。好きにしていいはず。
「グロリアのやつが趣味で買ってくる。やつは買い物が趣味なだけで使わないからな」
ああ、なるほど。それで私なんかがこのお屋敷に住むことになったときも、服に困らなかったんですね。
グロリア様と私の体格がとてもよく似ていると言って、グロリア様は嬉々として私を着せ替え人形にしたのですが、これでも私はお人様の服を使わせてもらうことに遠慮を感じていたのです。
でも、その遠慮もあんまり必要なかったのかも。クローゼットを一目見ただけで一年毎日お着替えできそうな量の服がありましたし。
と言っても、その大半は豪奢なドレスでした。“魔導師の弟子”である私には似合いません。
グロリア様はそういう意味で、私にも着せられる服を選ぶのに苦労していたようです。
「この草は別の薬に使う」
お師匠様は草を手に持ったまま腕を組みました。「お前はローランについて、もう一度畑へ行け。薬草の復習をしてこい」
「は……はいー」
涙が止まった安心感でつい間延びした返事。即座にお師匠様の眉が鬼のように吊り上がって、
「やる気があるのか! 今すぐ弟子を解雇してこの屋敷を放り出すぞ!」
うっひいいいい! 美しい顔が憤怒を形にすると余計に恐いものなのですねえええ!
「やります! 今すぐ行ってきます! ごめんなさいいいい!」
もう一度深く頭を下げてから回れ右。そして私は長い廊下を足早に、スカートを持ち上げながら進みました。
お師匠様――アーレン・フォレスター様の氷の視線をびしびし背中に感じながら……。
呼ぶ声に、私はドキッと肩を跳ねさせました。
どうしよう。あの声は確実に怒っている声です。さっきのあれだ、私絶対間違えた。
「は、はい……」
ドキドキしながらお師匠様の部屋へと向かってみます。
長い廊下を渡って行くと、お師匠様はご自分の部屋の前で、片手を腰に当て、立って私を待っていました。
――もう片方の手に、とある草を持っていらっしゃる。
「……来たか」
お師匠様は私の顔を見ると、その無表情をぴくりとも動かさず唇だけを動かしました。手にしていた草を軽く持ち上げながら。
「これは、頼んだ薬草じゃない。いつになったら覚えるんだ。同じ物を依頼し続けてもう一週間経つ」
「……すみません……」
だってだって、薬草って見分けがつかないのが多いんです。葉っぱの見た目はほぼ同じなのに、先端がちょこっとだけカールしてるもの、それだけで違う種類って言われるのです。
そういう微妙な違いばかりの薬草を、今のところ五十種類、全部覚えろとのお達し。
たった一週間で、覚えられるわけが!
「……何か言いたそうな顔だな」
冬の凍った湖面よりも冷たく怜悧な碧眼が、私の心の中を射ぬいてゆく。ひいいい! 全部お見通しー!
私は肩を思いきり縮めて、力いっぱい頭を下げました。下げすぎて、首の後ろでくくっただけの私の背中まである黒髪が豪快に跳ねました。
「申し訳ございません! 私の頭では、いっぱいいっぱいです!」
「……たしかにお前の頭は何を詰め込んでも空っぽになるようだな」
皮肉げな口調にはとげがいっぱい。お師匠様の口の中には、わざわざ毒草を使うまでもなく人を(精神的に)殺せる毒がたっぷりと完備されてる。絶対に。
そしてこの一週間、それにさらされ続けた私はもはや限界で……
じんわりと視界に涙がたまってきました。それと一緒に鼻水も。
一度あふれたら止まらなくて――
「ふえええお師匠様ぁ、私もう無理ですぅぅぅぅ」
ずびずび言いながらお師匠様にすがりつきました。
うわ、とお師匠様は飛び退いて逃げました。
「お前っ、今鼻水を私の服につけただろう!」
「ふぇっ、ふぇっ、つけてまへええん、涙だけでふううう」
「ああもう泣き止め! ついでに鼻水を止めろ!」
「わああんお師匠様優しくないいいいさすが彼女いない歴二十四年生いいいい」
「な……貴様!」
ようやくお師匠様が私に触ってくれました。正確には肩を強く掴んでがくがく揺さぶっただけですが。
「誰からそんなことを聞いた! ローランかグロリアかそれともレンジュかイオリスか!」
「ふえっ、ふぇっ、私、告げ口はしない主義ですお師匠様ああああ」
「変なところで律儀なやつだな! くそ、もういい!」
懐からハンカチを出して私の涙を乱暴にぐいぐい拭いてくださります。それから、「鼻をかめ」とそのままそのハンカチを私にくれました。
「ふえっ、いいんですか、ふぇぇっ」
「いい。貴様にやる。どうせハンカチなど山ほどある」
「なんでそんなに持ってるんですかあ」
高そうなハンカチでしたが、私は遠慮なくチーンと鼻をかみました。だって私にくれるって言うんですもん。好きにしていいはず。
「グロリアのやつが趣味で買ってくる。やつは買い物が趣味なだけで使わないからな」
ああ、なるほど。それで私なんかがこのお屋敷に住むことになったときも、服に困らなかったんですね。
グロリア様と私の体格がとてもよく似ていると言って、グロリア様は嬉々として私を着せ替え人形にしたのですが、これでも私はお人様の服を使わせてもらうことに遠慮を感じていたのです。
でも、その遠慮もあんまり必要なかったのかも。クローゼットを一目見ただけで一年毎日お着替えできそうな量の服がありましたし。
と言っても、その大半は豪奢なドレスでした。“魔導師の弟子”である私には似合いません。
グロリア様はそういう意味で、私にも着せられる服を選ぶのに苦労していたようです。
「この草は別の薬に使う」
お師匠様は草を手に持ったまま腕を組みました。「お前はローランについて、もう一度畑へ行け。薬草の復習をしてこい」
「は……はいー」
涙が止まった安心感でつい間延びした返事。即座にお師匠様の眉が鬼のように吊り上がって、
「やる気があるのか! 今すぐ弟子を解雇してこの屋敷を放り出すぞ!」
うっひいいいい! 美しい顔が憤怒を形にすると余計に恐いものなのですねえええ!
「やります! 今すぐ行ってきます! ごめんなさいいいい!」
もう一度深く頭を下げてから回れ右。そして私は長い廊下を足早に、スカートを持ち上げながら進みました。
お師匠様――アーレン・フォレスター様の氷の視線をびしびし背中に感じながら……。
0
お気に入りに追加
355
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる