好きになっちゃ駄目なのに

瑞原チヒロ

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魔導師の……弟子? 1

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「トキネ!」
 呼ぶ声に、私はドキッと肩を跳ねさせました。
 どうしよう。あの声は確実に怒っている声です。さっきのあれだ、私絶対間違えた。
「は、はい……」
 ドキドキしながらお師匠様の部屋へと向かってみます。
 長い廊下を渡って行くと、お師匠様はご自分の部屋の前で、片手を腰に当て、立って私を待っていました。
 ――もう片方の手に、とある草を持っていらっしゃる。
「……来たか」
 お師匠様は私の顔を見ると、その無表情をぴくりとも動かさず唇だけを動かしました。手にしていた草を軽く持ち上げながら。
「これは、頼んだ薬草じゃない。いつになったら覚えるんだ。同じ物を依頼し続けてもう一週間経つ」
「……すみません……」
 だってだって、薬草って見分けがつかないのが多いんです。葉っぱの見た目はほぼ同じなのに、先端がちょこっとだけカールしてるもの、それだけで違う種類って言われるのです。
 そういう微妙な違いばかりの薬草を、今のところ五十種類、全部覚えろとのお達し。
 たった一週間で、覚えられるわけが!
「……何か言いたそうな顔だな」
 冬の凍った湖面よりも冷たく怜悧な碧眼が、私の心の中を射ぬいてゆく。ひいいい! 全部お見通しー!
 私は肩を思いきり縮めて、力いっぱい頭を下げました。下げすぎて、首の後ろでくくっただけの私の背中まである黒髪が豪快に跳ねました。
「申し訳ございません! 私の頭では、いっぱいいっぱいです!」
「……たしかにお前の頭は何を詰め込んでも空っぽになるようだな」
 皮肉げな口調にはとげがいっぱい。お師匠様の口の中には、わざわざ毒草を使うまでもなく人を(精神的に)殺せる毒がたっぷりと完備されてる。絶対に。
 そしてこの一週間、それにさらされ続けた私はもはや限界で……
 じんわりと視界に涙がたまってきました。それと一緒に鼻水も。
 一度あふれたら止まらなくて――
「ふえええお師匠様ぁ、私もう無理ですぅぅぅぅ」
 ずびずび言いながらお師匠様にすがりつきました。
 うわ、とお師匠様は飛び退いて逃げました。
「お前っ、今鼻水を私の服につけただろう!」
「ふぇっ、ふぇっ、つけてまへええん、涙だけでふううう」
「ああもう泣き止め! ついでに鼻水を止めろ!」
「わああんお師匠様優しくないいいいさすが彼女いない歴二十四年生いいいい」
「な……貴様!」
 ようやくお師匠様が私に触ってくれました。正確には肩を強く掴んでがくがく揺さぶっただけですが。
「誰からそんなことを聞いた! ローランかグロリアかそれともレンジュかイオリスか!」
「ふえっ、ふぇっ、私、告げ口はしない主義ですお師匠様ああああ」
「変なところで律儀なやつだな! くそ、もういい!」
 懐からハンカチを出して私の涙を乱暴にぐいぐい拭いてくださります。それから、「鼻をかめ」とそのままそのハンカチを私にくれました。
「ふえっ、いいんですか、ふぇぇっ」
「いい。貴様にやる。どうせハンカチなど山ほどある」
「なんでそんなに持ってるんですかあ」
 高そうなハンカチでしたが、私は遠慮なくチーンと鼻をかみました。だって私にくれるって言うんですもん。好きにしていいはず。
「グロリアのやつが趣味で買ってくる。やつは買い物が趣味なだけで使わないからな」
 ああ、なるほど。それで私なんかがこのお屋敷に住むことになったときも、服に困らなかったんですね。
 グロリア様と私の体格がとてもよく似ていると言って、グロリア様は嬉々として私を着せ替え人形にしたのですが、これでも私はお人様の服を使わせてもらうことに遠慮を感じていたのです。
 でも、その遠慮もあんまり必要なかったのかも。クローゼットを一目見ただけで一年毎日お着替えできそうな量の服がありましたし。
 と言っても、その大半は豪奢なドレスでした。“魔導師の弟子”である私には似合いません。
 グロリア様はそういう意味で、私にも着せられる服を選ぶのに苦労していたようです。
「この草は別の薬に使う」
 お師匠様は草を手に持ったまま腕を組みました。「お前はローランについて、もう一度畑へ行け。薬草の復習をしてこい」
「は……はいー」
 涙が止まった安心感でつい間延びした返事。即座にお師匠様の眉が鬼のように吊り上がって、
「やる気があるのか! 今すぐ弟子を解雇してこの屋敷を放り出すぞ!」
 うっひいいいい! 美しい顔が憤怒を形にすると余計に恐いものなのですねえええ!
「やります! 今すぐ行ってきます! ごめんなさいいいい!」
 もう一度深く頭を下げてから回れ右。そして私は長い廊下を足早に、スカートを持ち上げながら進みました。
 お師匠様――アーレン・フォレスター様の氷の視線をびしびし背中に感じながら……。
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