託宣が下りました。

瑞原チヒロ

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番外編

誰がための祈り

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 これはアルテナ・リリーフォンスおよびヴァイス・フォーライクに関する例の託宣が下ってから、一ヶ月ほど後のひそかなお話……


「人を思いやる方法を教えてくれないか、アレス」
 ある日ヴァイスが大真面目な顔でそう言ったとき、アレスはこの世の終わりが近いのかもしれないと思った。
「……死ぬ前に世界の魔物を全て討伐しておきたかった……」
「突然何を言っているんだお前は?」
 お前のせいだよとアレスはため息をつく。
 そこはアレス一行いきつけの屋台だった。今日はヴァイスと二人きりだ。というより、今日のアレスはヴァイスに呼び出されてここにいるのだ。
 星のきれいないい夜のことだった。軽めの果実酒で唇を湿らせながら、アレスは「それで」と話を促した。
「いったいどういった心境の変化だ? お前が他人を思いやりたいだなんて」
 いや、聞かずとも分かる。この男の最近の変化の原因なんてひとつしかない。
「巫女に好かれたい」
 直球だった。本当に隠すことのできない男である。
 アレスは重々しくうなずいた。
「そうか。無理だ」
「……少しは考えてくれないか」
「一度死んで生まれ変わったら可能性があるかもしれない」
「いや待て生まれ変わって成長するのに何年かかるんだ? その間に巫女が別の男に取られるかもしれないじゃないか」
「まあ彼女は修道女だから結婚はしないだろうが、年の差婚にはなるかもな」
「別に年齢は問わん。だが生まれ変わって性格が変わる保証はあるのか? そもそもそれは俺と言えるのか?」
「哲学的な話だな」
「お前……俺のことが嫌いか?」
 情けない顔になるヴァイス。アレスはぶはっとふき出した。
「いや、悪い。あんまり意外だったもので」
 笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭い、アレスは「そんなに悩んでいるのか?」と訊いた。
「悩んでいる」
 ヴァイスは台に腕を置き、じっと目の前の酒を見つめている。
「……というか、今までも俺なりに考えたつもりだった。だが、うまくいっていない……ような気がする。よく分からんが、巫女との距離が縮まらん」
 言葉を選ぶように語る。本当に途方に暮れているようだった。
 アレスは感心した。過去のヴァイスなら、相手に通じていようが通じていまいがお構いなしに自分のやり方を貫き通していただろうに。
 無神経の代名詞とも言えたこの親友が、少しずつ形を変えようとしているのか。
(本気の恋とはここまで人を変えるものかな)
 気になることと言えばもうひとつある。最近ヴァイスは、ひとつの行動を起こし始めた。
 家の内装を変えようとしているのだ。
(大変だったな、銅像だの金箔だの……)
 『巫女を迎えるための部屋』は、当初ヴァイスらしい意味不明な内装にされかけていた。カイと一緒に大慌てでそれをやめさせたのだが、意外にもそれが楽だったのだ。
 『アルテナという女性をなんだと思っているんだ』と言えば――それでヴァイスは口をつぐんだからである。
 そして――彼なりに悩み抜いたあげく、ヴァイスは結局一人で部屋の内装を決めた。しかしその内容を執事のウォルダートから聞いたとき、アレスはいよいよヴァイスが狂ったのかと思ったほどに――驚いた。
 あまりに、まともだったから。
「……別に、お前に人の思いやり方が分かってないとは思わないよ、俺は」
 心からそう言った。「だからある意味でこのままでいいんじゃないかな」
 隣のヴァイスが、納得のいかなそうな顔をこちらに向ける。
 アレスはいたずらっぽく笑ってみせた。
「本気で言ってるんだぞ? 部屋の改装は、成功していると思う」
「……ああ、あれか」
 まともすぎる改装計画を聞いたときの驚きと、遅れてきた感動を思い返す。
 ヴァイスもやればできるじゃないかと。たしかにそう思った。
 ……肝心の巫女が嫁ぐのを嫌がっている段階で部屋の準備をしていることがまともかどうかは、この際考えないことにするが。
「だが工事を急がせるのは考えものだな。そんなじゃよいものはできないぞ」
「……だが、早く巫女を家に呼びたい」
「落ち着け。もっと腰をすえろ。彼女は修道女だ、そう簡単によそに嫁にいったりしない」
「しかし――」
「真面目に修道を志している彼女を信じろよ」
 ヴァイスは口をつぐんだ。心の中で色々考えているのか、伏せた視線が揺れている。
(……我ながら、無茶な理屈だな)
 アレスは胸中で自嘲した。修道女であろうがなんであろうが、嫁に行くときは行くだろう。そもそもそんな修道女に無理やり求婚しているのは他ならぬヴァイスだ。
 しかし――この男を落ち着かせるには屁理屈でも何でもこねなければ。
 とにかくまず、『時間はまだある』ことを教えなければいけないと思った。そうすれば少しは無神経さもおさまるかもしれないし、何より変化の兆しを見せ始めた『思いやり』が実をつけるかもしれないと。
 ヴァイスはジョッキの酒を一気に煽った。アホみたいに酒に強い男は、それから大きくため息をついた。
「……巫女は、笑ってくれるだろうか」
 アレスはそれを一番近くで聞いた。不思議なくらい穏やかな声が、親友のためにこぼれ落ちた。
「笑ってくれるさ。お前が急かさないでいられればな」
 そうか、とヴァイスはつぶやいた。
 アレスは手にしたグラスを、ヴァイスのジョッキの縁に当てた。

(願わくば……)
 ほろ酔いでグラスを傾けながら、空を見上げる。
 今宵の星は美しい。神の造りたもうた景色に向かって祈る。
(ヴァイスなりの『思いやり』が、彼女の心に響くものであるよう……)
 そして最後につけたした。違うんですよアルテナ――

(ヴァイスをあなたに押しつけたいわけではないんです。本当に。本当ですってば)

 悩んでいるのはアレスも同じなのだ。自分ではヴァイスを真人間にはできない。そうである以上、きっとかの巫女への後ろめたさは一生ついて回るだろう。
 ああ――星の神よ。罪深い私を許し給え……いや、違うんですよアルテナ、本当に。

(終わり)
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