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本編
そんなつもりはありません―3
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シェーラに縁談?――
「カイ、相手はどこだ?」
アレス様が真剣な声で問いました。
屋台のご主人が、油の温度をたしかめています。指に油がかかっても平気そう。
わたくしたちがずっと深刻な顔で話をしているのを、屋台のご主人はすべて知らぬ顔で聞き流してくれています。
ここはアレス様たちの行きつけで、信頼のおける屋台なのだそうです。出しているのはごくふつうの揚げ物ですが、アレス様たちにとって安心できる場所なのに違いありません。
……突然ご主人の様子が気になってしまったのは、事態を直視したくないという、わたくしの逃げなのでしょうか。
「ええと、コースドリア州のミハイル伯爵家だったと思います。あそこにはご子息が五人いて、そ、そのご長男と……」
わたくしの様子を気にしてか、カイ様は歯切れ悪く言いました。
「コースドリア……? 冗談だろう?」
アレス様が、はあとため息をつきました。「王都から離れすぎだ」
我がエバーストーン国は、東西に長い形をしております。
王都はその西寄りにあり、問題のミハイル伯爵家領コースドリアは東の端――
「ミハイル伯爵……」
わたくしの脳裏に、以前から聞いているその伯爵家の情報が洪水のように流れ込んできました。
コースドリア州はこの国で一番大きいのです。そして東の隣国との貿易でとても栄えています。はっきり言えば、国内でも一、二を争う裕福な領でしょう。
その、ご長男と……。
わたくしはうつむき、胸に手を当てました。
「……ミハイル伯爵家のご長男となら、シェーラも幸せになれるでしょうか?」
かつて貴族の子女に結婚の自由がないのがこの国でした。結婚こそが政治、女の子は結婚の道具、という因習があったのです。今でこそそんな風習は薄らぎましたが……それでもわたくしのように修道院に入ることを許してもらえることのほうが希有なのです。
これはブルックリン伯爵の価値観と、わたくしの価値観が違うだけなのでしょうか?
そもそもわたくしなどが、シェーラの人生に口出ししてもいいのか――
「アルテナ」
ふいにアレス様が厳しくわたくしを呼びました。
わたくしははっとアレス様を見ました。
いつも優しくわたくしに接していたアレス様が、険しい顔でこちらを見ていました。
「簡単にあきらめてどうするんですか? あなたはまだ、シェーラさんの本心を聞いていないんでしょう」
「―――」
「それを聞かないままで、シェーラさんを行かせてもいいと?」
わたくしの口から、泣きそうな声が漏れました。
「――いやです」
ずっと一緒にいました。シェーラになら、なんでも話しました。こちらが大変なときも面白がるような困った友人でしたが、彼女の明るさはいつでもとても心強かったのです。
わたくしの危機に、「私がアルテナを守るから!」と真剣に言ってくれた親友。
「あなたはどうしたいんですか?」
アレス様は穏やかな声になりました。
弱ってしまったわたくしの心を、包み込むような声でした。
カイ様はじっとわたくしを見上げています。長い前髪の隙間から、おろおろと心配そうな目が覗いています。
本当に、優しい人たち……
「………」
わたくしは、胸に当てた手を拳に握りました。
縁談の話はまだ憶測です。
ただシェーラが別荘に帰ってしまった、ということだけが事実。それが本人の意思なのか、それとも無理やりだったのか。
わたくしは、それを知りたい。
「――会いたいです、シェーラに会って……話をしたい」
そう口にしたとき、わたくしの心は決まりました。
*
心配するアンナ様を丸一日かけて説得し――
シェーラがいなくなってから六日目。わたくしは、ひとり馬車に揺られていました。
行き先は王都郊外、ブルックリン伯爵家別荘。
本当はアレス様たちが同行を申し出てくれていたのですが、折り悪くどこかで魔物が発生してしまい、一緒には来られませんでした。後で必ず行くと、約束してくれましたが。
馬車はガタゴトと道のでこぼこを越えながら進みます。
かなり揺れて、気をつけなくては簡単に投げ出されてしまいそうです。他の国ではもっと道が整備されているそうですが、エバーストーンの道は少々荒れています。それというのも、この国は石の多い土壌で、かつ十年もの間魔物の脅威にさらされていたからなのですが。
女性はこの揺れをきらって馬車に乗りたがらないとも言います。
わたくしもあまり好きではありませんが、今は耐えようと目を閉じて祈り続けました。
(シェーラ。無事でいて)
思い出すのは二年前、わたくしが修道院に入ったばかりの日……
『はじめまして、私も入ったばかりなの。仲良くしましょう』
まとめあげた金髪も美しく、明るい太陽のような笑顔でわたくしに手を差し出したシェーラ。修道女として地味な格好をしていたはずなのに、華やかで掛け値なしに美しかった彼女。
(……縁談が来るのは当然の話だけれど)
むしろ一人からしか来ていないことが驚きです。たぶんもう相手が決まっているから、よそが手を出せない――ということなんでしょう。
シェーラは、縁談についてどう思っているのでしょう?
(修道院に家出してきたからには、結婚したくなかったのかしら)
わたくしは胸にちくりと痛みを感じました。
シェーラはあまり自分のことは話したがりませんでした。彼女が言いたくないことを聞きだそうとも思えなくて、わたくしも触らずにきました。
それが間違いだったのでしょうか。知っていれば、助けになれた……?
(……いえ。落ち込むのはやめましょう)
瞼を開け、前を見ます。
御者は淡々と馬にムチを入れています。ガタゴトと揺れる馬車。
今日は久しぶりに私服です。しまいこんであった外出用のドレスを引っ張り出し、鏡の前で格闘しました。ドレスでの振る舞いかたは簡単に復習しましたが、ブルックリン伯爵に会ってしまったときに上手に立ち振る舞えるか、正直不安です。
でも、行ってみるしかない。わたくしはもう迷いませんでした。
さすがブルックリン伯爵家と言おうか、別荘はとても大きく、近くまで来てしまうと全体が一望できません。
(シェーラはどこ?)
御者に待つように頼み、門番の元へと向かいます。少しはこの家の関係者に見えるよう、悠々と……できているでしょうか。
門番は、不審そうにじろじろわたくしを眺めました。
「ごきげんよう」
わたくしは帽子を取り、胸に当てました。「こちらにシェーラお嬢様が来ていらっしゃると聞いて。わたくし、彼女の友人なんです。アルフィ・リリアントと申します――彼女にお会いできますか?」
……本名を名乗ってしまったら、例の託宣の巫女だとすぐに分かってしまいます。
とっさに口から出たでまかせに、門番は鼻を鳴らしました。
「シェーラお嬢様はただいま誰ともお会いになりません。お帰りください」
「誰とも会わない? どうして?」
「ご気分がすぐれないのです」
……これは口実でしょうか、それとも真実でしょうか。
「それならぜひお見舞いを」
「なりません。旦那様がお許しになりません。お帰りください」
門番はかたくなで、てこでも動きそうにありません。
わたくしは小さく深呼吸をしました。焦らない、焦らない……
(少なくとも、シェーラは間違いなくこの別荘にいる)
門番と適当な会話を交わし、わたくしは一度馬車に戻るふりをしました。
そこから方向転換をし、別荘の裏に回ります。裏は山に面し、さらに深い林になっていて、塀がありません。勇気を出して林に突入ししばらく歩くと、幸いなことにちゃんと屋敷まで出ることができました。
人がいないことを願いながら、見える窓の数々にシェーラの姿がないかさがします。
(シェーラ。シェーラ……!)
ひたすらその名を心の中に抱きながら歩くこと少し。
角をひとつ曲がったところで、わたくしはようやく捜し人を見つけました。
(シェーラ……!)
一番日当たりのよい一角、最上階の窓に、彼女の姿がありました。部屋の中で、本を読んでいるのでしょうか。
美しく着飾っているのに……その横顔はひどく憂鬱そう。これがあの友人だろうかと、一瞬分からなくなるほどに。
わたくしは窓に駆け寄りました。
「シェーラ!」
勇気を出して名を呼ぶと、窓の向こうではっとシェーラが動きました。こちらを見、目を丸くします。
「ア、アルテナ――」
「良かった、シェーラ」
わたくしは両手を上に差し出しました。届くはずがありません。
それでも、そうせずにいられませんでした。
けれどシェーラの顔色は治りませんでした。むしろますます青くなり、ふるふると首を横に振ります。
「だめよアルテナ! 帰って……!」
「でも、シェーラ」
「お願い帰って! 人が来るわ!」
シェーラは横を向きました。たぶんドアのほうを見ているのでしょう。人が来る――
「………っ」
ここで掴まってはシェーラに迷惑がかかる。わたくしは身をひるがえしました。
背中に、シェーラの視線を感じました。後ろ髪をひかれる思いでわたくしは走りました。
走りながら祈りました。このことが家人に気づかれていませんように。どうかシェーラが咎められませんように――
幸い、わたくしをさがしてブルックリン家の家人が来るようなことはありませんでした。
わたくしはとぼとぼと歩いて、馬車に戻りました。
シェーラには会えました。でも、これではますます心が晴れない――
「む」
そのとき、誰かが馬車の陰で振り向きました。「おお! 待っていたぞ、巫女よ!」
「……!?」
その声。
わたくしはばっと顔を上げ、盛大に引きつりました。
わたくしに向かって駆け寄ってくる人影。たくましい長身に剣をぶら下げ、なぜか肩に大きな袋をかついで、にこにこしながら。
「き、騎士ヴァイス! なぜここに……!」
「巫女! 会いたかった……!」
騎士はかついでいた袋を放り出し、わたくしに抱きつきました。
わたくしは即座に突き飛ばしました。
「ごふっ。い、今のは効いた」
「アレス様に対処法を教えてもらったのです。いきなり抱きつくのは失礼ですよ!」
「なんとアレスが!? おのれあの裏切り者の親友め、人の恋路を邪魔するか!」
騎士は腕を振り回して怒ります。
……邪魔するも何も、先日いい加減にしろと勇者様に怒られているはずなのですが。
「わ、わたくしに近寄らないで」
わたくしはじりじり後ずさりながら――心の中で、小さくため息をつきました。
騎士にではありません。自分に呆れたのです。いつだってこうして散々拒絶しているくせに……
心細かった今、騎士の顔を見てほっとしているのですから。
「カイ、相手はどこだ?」
アレス様が真剣な声で問いました。
屋台のご主人が、油の温度をたしかめています。指に油がかかっても平気そう。
わたくしたちがずっと深刻な顔で話をしているのを、屋台のご主人はすべて知らぬ顔で聞き流してくれています。
ここはアレス様たちの行きつけで、信頼のおける屋台なのだそうです。出しているのはごくふつうの揚げ物ですが、アレス様たちにとって安心できる場所なのに違いありません。
……突然ご主人の様子が気になってしまったのは、事態を直視したくないという、わたくしの逃げなのでしょうか。
「ええと、コースドリア州のミハイル伯爵家だったと思います。あそこにはご子息が五人いて、そ、そのご長男と……」
わたくしの様子を気にしてか、カイ様は歯切れ悪く言いました。
「コースドリア……? 冗談だろう?」
アレス様が、はあとため息をつきました。「王都から離れすぎだ」
我がエバーストーン国は、東西に長い形をしております。
王都はその西寄りにあり、問題のミハイル伯爵家領コースドリアは東の端――
「ミハイル伯爵……」
わたくしの脳裏に、以前から聞いているその伯爵家の情報が洪水のように流れ込んできました。
コースドリア州はこの国で一番大きいのです。そして東の隣国との貿易でとても栄えています。はっきり言えば、国内でも一、二を争う裕福な領でしょう。
その、ご長男と……。
わたくしはうつむき、胸に手を当てました。
「……ミハイル伯爵家のご長男となら、シェーラも幸せになれるでしょうか?」
かつて貴族の子女に結婚の自由がないのがこの国でした。結婚こそが政治、女の子は結婚の道具、という因習があったのです。今でこそそんな風習は薄らぎましたが……それでもわたくしのように修道院に入ることを許してもらえることのほうが希有なのです。
これはブルックリン伯爵の価値観と、わたくしの価値観が違うだけなのでしょうか?
そもそもわたくしなどが、シェーラの人生に口出ししてもいいのか――
「アルテナ」
ふいにアレス様が厳しくわたくしを呼びました。
わたくしははっとアレス様を見ました。
いつも優しくわたくしに接していたアレス様が、険しい顔でこちらを見ていました。
「簡単にあきらめてどうするんですか? あなたはまだ、シェーラさんの本心を聞いていないんでしょう」
「―――」
「それを聞かないままで、シェーラさんを行かせてもいいと?」
わたくしの口から、泣きそうな声が漏れました。
「――いやです」
ずっと一緒にいました。シェーラになら、なんでも話しました。こちらが大変なときも面白がるような困った友人でしたが、彼女の明るさはいつでもとても心強かったのです。
わたくしの危機に、「私がアルテナを守るから!」と真剣に言ってくれた親友。
「あなたはどうしたいんですか?」
アレス様は穏やかな声になりました。
弱ってしまったわたくしの心を、包み込むような声でした。
カイ様はじっとわたくしを見上げています。長い前髪の隙間から、おろおろと心配そうな目が覗いています。
本当に、優しい人たち……
「………」
わたくしは、胸に当てた手を拳に握りました。
縁談の話はまだ憶測です。
ただシェーラが別荘に帰ってしまった、ということだけが事実。それが本人の意思なのか、それとも無理やりだったのか。
わたくしは、それを知りたい。
「――会いたいです、シェーラに会って……話をしたい」
そう口にしたとき、わたくしの心は決まりました。
*
心配するアンナ様を丸一日かけて説得し――
シェーラがいなくなってから六日目。わたくしは、ひとり馬車に揺られていました。
行き先は王都郊外、ブルックリン伯爵家別荘。
本当はアレス様たちが同行を申し出てくれていたのですが、折り悪くどこかで魔物が発生してしまい、一緒には来られませんでした。後で必ず行くと、約束してくれましたが。
馬車はガタゴトと道のでこぼこを越えながら進みます。
かなり揺れて、気をつけなくては簡単に投げ出されてしまいそうです。他の国ではもっと道が整備されているそうですが、エバーストーンの道は少々荒れています。それというのも、この国は石の多い土壌で、かつ十年もの間魔物の脅威にさらされていたからなのですが。
女性はこの揺れをきらって馬車に乗りたがらないとも言います。
わたくしもあまり好きではありませんが、今は耐えようと目を閉じて祈り続けました。
(シェーラ。無事でいて)
思い出すのは二年前、わたくしが修道院に入ったばかりの日……
『はじめまして、私も入ったばかりなの。仲良くしましょう』
まとめあげた金髪も美しく、明るい太陽のような笑顔でわたくしに手を差し出したシェーラ。修道女として地味な格好をしていたはずなのに、華やかで掛け値なしに美しかった彼女。
(……縁談が来るのは当然の話だけれど)
むしろ一人からしか来ていないことが驚きです。たぶんもう相手が決まっているから、よそが手を出せない――ということなんでしょう。
シェーラは、縁談についてどう思っているのでしょう?
(修道院に家出してきたからには、結婚したくなかったのかしら)
わたくしは胸にちくりと痛みを感じました。
シェーラはあまり自分のことは話したがりませんでした。彼女が言いたくないことを聞きだそうとも思えなくて、わたくしも触らずにきました。
それが間違いだったのでしょうか。知っていれば、助けになれた……?
(……いえ。落ち込むのはやめましょう)
瞼を開け、前を見ます。
御者は淡々と馬にムチを入れています。ガタゴトと揺れる馬車。
今日は久しぶりに私服です。しまいこんであった外出用のドレスを引っ張り出し、鏡の前で格闘しました。ドレスでの振る舞いかたは簡単に復習しましたが、ブルックリン伯爵に会ってしまったときに上手に立ち振る舞えるか、正直不安です。
でも、行ってみるしかない。わたくしはもう迷いませんでした。
さすがブルックリン伯爵家と言おうか、別荘はとても大きく、近くまで来てしまうと全体が一望できません。
(シェーラはどこ?)
御者に待つように頼み、門番の元へと向かいます。少しはこの家の関係者に見えるよう、悠々と……できているでしょうか。
門番は、不審そうにじろじろわたくしを眺めました。
「ごきげんよう」
わたくしは帽子を取り、胸に当てました。「こちらにシェーラお嬢様が来ていらっしゃると聞いて。わたくし、彼女の友人なんです。アルフィ・リリアントと申します――彼女にお会いできますか?」
……本名を名乗ってしまったら、例の託宣の巫女だとすぐに分かってしまいます。
とっさに口から出たでまかせに、門番は鼻を鳴らしました。
「シェーラお嬢様はただいま誰ともお会いになりません。お帰りください」
「誰とも会わない? どうして?」
「ご気分がすぐれないのです」
……これは口実でしょうか、それとも真実でしょうか。
「それならぜひお見舞いを」
「なりません。旦那様がお許しになりません。お帰りください」
門番はかたくなで、てこでも動きそうにありません。
わたくしは小さく深呼吸をしました。焦らない、焦らない……
(少なくとも、シェーラは間違いなくこの別荘にいる)
門番と適当な会話を交わし、わたくしは一度馬車に戻るふりをしました。
そこから方向転換をし、別荘の裏に回ります。裏は山に面し、さらに深い林になっていて、塀がありません。勇気を出して林に突入ししばらく歩くと、幸いなことにちゃんと屋敷まで出ることができました。
人がいないことを願いながら、見える窓の数々にシェーラの姿がないかさがします。
(シェーラ。シェーラ……!)
ひたすらその名を心の中に抱きながら歩くこと少し。
角をひとつ曲がったところで、わたくしはようやく捜し人を見つけました。
(シェーラ……!)
一番日当たりのよい一角、最上階の窓に、彼女の姿がありました。部屋の中で、本を読んでいるのでしょうか。
美しく着飾っているのに……その横顔はひどく憂鬱そう。これがあの友人だろうかと、一瞬分からなくなるほどに。
わたくしは窓に駆け寄りました。
「シェーラ!」
勇気を出して名を呼ぶと、窓の向こうではっとシェーラが動きました。こちらを見、目を丸くします。
「ア、アルテナ――」
「良かった、シェーラ」
わたくしは両手を上に差し出しました。届くはずがありません。
それでも、そうせずにいられませんでした。
けれどシェーラの顔色は治りませんでした。むしろますます青くなり、ふるふると首を横に振ります。
「だめよアルテナ! 帰って……!」
「でも、シェーラ」
「お願い帰って! 人が来るわ!」
シェーラは横を向きました。たぶんドアのほうを見ているのでしょう。人が来る――
「………っ」
ここで掴まってはシェーラに迷惑がかかる。わたくしは身をひるがえしました。
背中に、シェーラの視線を感じました。後ろ髪をひかれる思いでわたくしは走りました。
走りながら祈りました。このことが家人に気づかれていませんように。どうかシェーラが咎められませんように――
幸い、わたくしをさがしてブルックリン家の家人が来るようなことはありませんでした。
わたくしはとぼとぼと歩いて、馬車に戻りました。
シェーラには会えました。でも、これではますます心が晴れない――
「む」
そのとき、誰かが馬車の陰で振り向きました。「おお! 待っていたぞ、巫女よ!」
「……!?」
その声。
わたくしはばっと顔を上げ、盛大に引きつりました。
わたくしに向かって駆け寄ってくる人影。たくましい長身に剣をぶら下げ、なぜか肩に大きな袋をかついで、にこにこしながら。
「き、騎士ヴァイス! なぜここに……!」
「巫女! 会いたかった……!」
騎士はかついでいた袋を放り出し、わたくしに抱きつきました。
わたくしは即座に突き飛ばしました。
「ごふっ。い、今のは効いた」
「アレス様に対処法を教えてもらったのです。いきなり抱きつくのは失礼ですよ!」
「なんとアレスが!? おのれあの裏切り者の親友め、人の恋路を邪魔するか!」
騎士は腕を振り回して怒ります。
……邪魔するも何も、先日いい加減にしろと勇者様に怒られているはずなのですが。
「わ、わたくしに近寄らないで」
わたくしはじりじり後ずさりながら――心の中で、小さくため息をつきました。
騎士にではありません。自分に呆れたのです。いつだってこうして散々拒絶しているくせに……
心細かった今、騎士の顔を見てほっとしているのですから。
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