月闇の扉

瑞原チヒロ

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番外編

お題「ふかふか」 [ほのぼの]

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「やあーっと街に着いたぁ!」
 街の門を無事通過したところで、セレンが大きく伸びをした。
「はー。安心するーぅ」
「今日は陽気もいいし、なんとなくめでたい気分だな」
 とシグリィは言った。
 カミルがくすくすと笑って、
「まあ、ここに来るまで一週間人里を通っていませんからね」
「苦労したわよねえ……“迷い子”に襲われ通しで」
 背後で門番がひるんでいる。“迷い子”。人の血肉を喰らうケダモノ。
 シグリィ。現在十三歳。
 大陸東部へは、ほんの二週間前に足を踏み入れたばかりだ。
 当年とって二十三歳のセレンは東部にはよく来たらしいが、当年とって二十五歳のカミルの方は、シグリィと同じく初らしい。
「いいところですね、東部は」
 街をぐるりと見渡して、カミルは言った。
 門からまっすぐと、広いメインストリートが走っている。そして右と左にもそれぞれカーブした道が。どうやらこの街は全体像が円になっているようだ。
 これからこの街をじっくり観察するのが楽しみで、わくわくしてくる。
「さて、と」
 カミルが太陽の位置を確かめた。
「昼の――二時。宿を取って昼食を食べましょうか」
 人里に着いたらまず宿を。この三年で知ったことだ。シグリィはうんとうなずき、
「宿はどこかな」
 東部に慣れているはずのセレンを見た。
 セレンはてへ、と笑って、
「覚えてませーん」
「……記憶力というものがないのか……?」
 がっくりと肩を落としたシグリィに、
「だってだって、東部って観光地ですもん。すぐに店の位置とかが変わったりするんですよー?」
 ぱたぱたとセレンは暴れた。
 傍から青年の嘆息が聞こえた。
「メインストリートに面するところに一軒ぐらいはあると思いますが――門番さん」
 カミルは懸命にも、門番に訊くことにしたようだった。
 門番は親切に教えてくれた。東部はセレンの言う通り観光地である。“迷い子”がはびこるこの時代でも、護衛衆や守護師を雇って訪ねてくる者は多い。さすがにシグリィたちのように旅人そのものは少ないようだが。
 カミルの予想通り、メインストリートに面する場所に、大きな宿があるということだった。
 宿。
 今まで冷たい冷たい北部を渡ってきたシグリィは、東部ではどんな宿があるのだろうと、興味津々だった。

 一階フロアは床も壁も大理石だ。カウンターが真正面にある。あちこちに観葉植物があった。
 カウンターの中には、正装をした男性が立っていて、シグリィたちが宿に入ってくるなりにこりと笑った。
 近づいて宿を取りたい旨を告げると、
「いらっしゃいませ。ようこそホテル『ヴェント』へ」
「風(ヴェント)?」
「風が吹きぬけるような心地よさをお客様にご提供することを、モットーとさせて頂いております」
 垢抜けた姿勢だ。シグリィは感心した。こういうものなのか、宿とは。
「お部屋はおいくつお取りになられますか」
「二つです」
 カミルが即答する。「ひとつは二人部屋で」
 二部屋も取るのかと、シグリィは驚いてカミルを見る。
 カミルは微笑んで、
「路銀もありますし。男と女で分かれられますよ」
「今まで三人一緒に一部屋で済ませてきたじゃないか」
「もーシグリィ様っ」
 セレンがシグリィに後ろから抱きついた。
「東部では、男女は普通分かれるものなんですよぉ。ねえ」
 と訪ねた相手はカウンターの中の青年だ。
 青年は穏やかに微笑んで、
「北部からいらした方ですね。よく理解してもらえなくて困ったりもするのですよ」
 この街が北部に近いために、シグリィのような反応をする客が多いということらしい。
 北部では、宿などろくになくて、普通の民家を貸してもらえれば上々というほどだった。大抵は厩を借りていたものだ。三人で雑魚寝。シグリィがまだ若いこともあって、セレンはシグリィのことは気にしていなかったが、カミルとはしばしばケンカになっていた。
「分かれるのか……」
 シグリィはまだ抱きついているセレンのぬくもりの中で、ぽつりとつぶやいた。
「寂しいな」
 沈黙が訪れた。
 シグリィにとって、二人は大切な家族で、他に誰もいない。離れるのは寂しくて悲しいことだったのだ。
 しかしやがてカミルが、
「私は同室ですし。それにシグリィ様。今までにない楽しみもあります」
「楽しみ?」
 シグリィは背の高いカミルを見上げた。
 カミルは微笑んだ。
「私も聞きかじりですが……東部は、西部や北部と、毛布の質が全く違うはずですよ」

 そのことは、シグリィも知っていたのだ。
 西部や北部とは素材が違う。
 そして、作る技術も違う。
 毛布。
 いざそれに触れてみて、シグリィは目をぱちぱちとさせた。
「これが毛布?」
「ええ」
 セレンはシングルの部屋へと行ってしまい、今はカミルと二人きり。カミルは荷物を部屋の隅に置いている。
「これが毛布か……」
 しみじみとつぶやいた。「東部は、豊かだな」
「そうですね」
 カミルは道具整理を始めたようだ。
 シグリィは毛布をめくったり叩いたりしてみた。
 その気配に気づいたカミルが振り向き、笑った。
「飛び込んでみたらいかがです?」
 シグリィはその通りにしてみた。毛布の中心へダイブ。
 ほわん、とベッドの弾力で戻され、一瞬体が浮くような気分。
 毛布の中へと飛び込んでみても、やっぱり感想はひとつ。
「――ふかふかだ」
 毛布をぎゅっと抱いてみた。暖かいぬくもりを感じる。一枚一枚丁寧に作られた毛布だ。人のぬくもりの名残があるのだろうか。
 ふかふか。ふかふか。
 シグリィは今まで渡ってきた北部を思い起こす。寒い寒い、北の国。
「北部では、出される毛皮がありがたくて仕方がなかったものだが――」
「ええ」
「……北部を渡って東部に来た者は、きっとこの毛布に涙するのだろうな」
「そうかもしれませんね」
「そう言いながら、泣かない私を変だと思うか?」
「いいえ」
 私も泣かないでしょうから――とカミルは微苦笑する。
 ああ、とシグリィは天井を見上げた。
 高い天井だった。
 北部で借りていた、厩の天井とは、まるで違っている。
 けれど三人で寝ていたあの頃。
 三人で身を寄せ合って寝ていたあの頃。二人はいつもシグリィを中心にして、まるでシグリィを温めるように抱いてくれていた。
 そんな二人の間にいるのが好きだった。
「――お前たち二人のぬくもりの方が、ふかふかだった」
 毛布に顔をうずめ、寂しさに寄り添う。
 カミルはベッドの傍らにまでやってきた。
 微笑んで。
「……野宿のときなら、いくらでもそれができますよ」
 うん、とシグリィは毛布に埋もれてうなずいた。
 自分には二人しかいないから。
 二人のぬくもりに、甘えていたかった。

 ふかふか、ふかふかな場所。

 それは、彼にとっていつだって一箇所しかない――

 ―FIN― 
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