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第二章 誰がための罪。
27 “オッファーの森”
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カミルとオルヴァが顔を見合わせる。
やがて二人はシグリィに顔を向けた。先に口を開いたのはオルヴァだ。
「俺たちは『オッファーの森』にいた」
「オッファー?」
「ああ。森の中に住人がいて――その住人が『オッファー』だと言っていた。彼らは俺たちを憎んでいた。俺たちを何度も殺した」
「殺し――」
ラナーニャは思わず息を呑む。聞いただけで体の芯がぞっと震える言葉だ。
それは、どういう意味?
オルヴァは首をひねり、正しく説明する言葉を探しているようだった。
「要するに、死ぬ気分を何度も味わわされたというか……ループの世界にはまったんだ。具体的に言うのは控えるが」
彼らは、とオルヴァの声が真剣みをいっそう増す。
「彼らは、かつて自分たちが殺された恨みを晴らそうとしていた。彼らは――かつて『クルッカの森』にいた住人だ。二百年前、地租四神を崇めて迫害され、森へ逃げ込んだ人々」
(地租四神を――)
ではあの小さな像は。
地租四神朱雀は、いったいなぜ。
「なるほど。それで『オッファーの森』ですか」
シグリィが腕を組んで、困ったような声を出した。「説としては聞いていましたが……まさか本当だとは」
「説? どういうことだ?」
「オッファーとは」
オルヴァの疑問に、シグリィは淡々と答える。
「古代語で、『犠牲』という意味です」
「犠牲……?」
「大陸四神を崇める人々の一部に、そういう信仰があったと言われているんです。真なる四神が再び蘇るためには力がいる。犠牲が――いる」
ひたひたとラナーニャの心に何かが迫り来る。
体の中が、冷たく冷えていく。
……知りたくないと思いながら、知らなくてはいけないと思う心が上を向く。
「自分たちの命を四神に捧げる。それが彼らの宿願だったらしい」
「――」
「証拠が少ないので、実際にあったかどうかは難しいと思っていたんですが……どうやら本当のことのようだ」
シグリィが再び体を向こう側に向ける。
向いた先、吟遊詩人と相対する。……目の輝きを取り戻したユードと。
「……侮辱することは許さない。彼らは真剣だ、真剣に四神様の復活を願っている!」
ユードは吠えた。
まるで獣のようなうなり声だ。大切な巣を荒らされまいと、威嚇する獣の。
「侮辱してはいません。本当にいるのだなと感動しただけです」
対するシグリィはあくまで冷静だった。たぶん彼は大真面目に言っているのだろう。相手の神経を逆なでする内容だと、分かってはいるのだろうが――
案の定吟遊詩人は激昂した。シグリィに指をつきつけ、聞くに堪えない罵詈雑言を投げつける。
おそらくそれらは、地租四神信者と英雄四神信者の間で幾度も浴びせ合った言葉でもあったのだろうが。
それにしても、
(子どものようだ)
ラナーニャは正直にそう思った。
彼の見た目はもう少し大人だから、なんだか必要以上に幼く感じてしまう。
一方、見た目よりはるかに老成した中身を持つシグリィはすべてきれいに聞き流したようだ。ラナーニャに顔を向け、「君に影響は?」と訊く。
「影響?」
「像を具現化させたのは君だろう。影響はないか?」
「ああ――」
違うんだ、とラナーニャは慌てて手を振った。「具現化……とかじゃない。あの像は『解放』されたがっていた。私はその手伝いをしたというか」
像に祈りを捧げたことで、像の言葉がかすかに聞こえた。
――我を『解放』せよ、と。その一言が。
それが具体的にどういうことなのか、理解するより先に体が動いていた。ラナーニャはクルッカ跡地に駆け寄り、そして像の望み通りに『解放』した。
「……どうやったのだと言われると、よく分からないけれど……」
うまく説明できない。情けなくてうなだれると、「気にするな」とシグリィは優しく言った。
「おそらく君の潜在能力を像のほうが引き出したのだろうな。あの像には……本当に大陸四神の力の一部が封じ込められていたようだ」
「大陸四神の……」
「そのおかげで私たちも助かったわけですね」
カミルが体についた砂を払いながら、「私たちも幻の中で術者の精神集中を途切れさせることはしましたが、それだけでは不十分だったようだ」
オルヴァが肩をすくめる。その動作を見るに、簡単に言っているものの『術者の集中を途切れさせる』ことはたいそう大変だったのだろうと思う。
ふう、と細い風が吹く。砂埃とたわむれて、かきまわしていく。
まるでここにある混沌がいまだ晴れぬことをラナーニャたちに示すように。
「このクルッカの地にただよう力は、私たちが思う以上に強力だということだ」
二百年か、とシグリィは感慨深げにつぶやいた。
「その二百年の間……ずっと醸成されてきたのか。その、村の人々の力が。――そういうことですよね、ユードさん?」
「――」
突然話を向けられたユードは、いつの間にかその表情から怒りをおさめていた。むしろ、なぜか放心しているようだ。
「どうかしましたか」
「――像とは」
何のことだ、と吟遊詩人とは思えない、ひからびたような苦しげな声が、それを問う。
さっき見たでしょう、とシグリィは静かに返す。
「小さな大陸四神の像です。サモラで人にいただきました」
「サモラで? 誰に!」
「ゴーシュという人物に」
その瞬間のユードの動揺は、今夜一番のもののように見えた。口を開くがしばらく声が出ない。やがてようやく出た言葉は、やはり水のないひびわれた湖底の音。
「馬鹿な」
「知り合い――ですね。あなたが傭兵の手配を頼んだのは彼でしょう」
「……」
「『馬鹿な』というのは、その彼があなたを裏切ったことに対してですか。それとも――」
「うるさい!」
立て板に水のようなシグリィの弁舌を、遮るユードの声に怒りが舞い戻る。否、怒りというよりは、
混乱、だったのだろうか。
「嘘だ。ゴーシュが――」
一言つぶやいた彼は、突然走り出した。
向かう先には木があり、そこに彼の荷物らしきものがあった。ユードはその荷物をあさりだした。なりふりかまわないといった体で。
「魔法陣だな。サモラに帰るつもりらしい」
シグリィが小さくそう言った。「せめて傭兵の後始末をしていってほしいんだが」
倒れ伏したままの傭兵たちを困ったように見やる。彼らはまだ生きている。シグリィは殺すつもりなどないだろうから、手当てもしなくてはいけない。
やれやれと彼が傭兵たちに向かって歩き出す。その後を、カミルやオルヴァが追う。
出遅れたラナーニャを、「立てる?」とセレンが支えて立ち上がらせてくれる。
「それにしてもラナはすごいわねえ。大陸四神に呼応するなんて」
「え……? いや、そういうわけでは」
「声が聞こえたんでしょう? うーん、あなたにはすごい力がありそうね。ひとりの少女に秘められた力! かっこいいじゃない!」
「……そんなわけは……」
ない、と言い切ることができない。
だって、声はたしかに聞こえたのだ。シグリィにも見えない光が、自分には見えたのだ。
いったいなぜ――?
(《印》がないから……?)
《印》は、行ってみれば英雄四神の印だ。大陸四神はきっと、あの印を嫌っている。だとすれば。
私にだけ声が聞こえた理由は――
――そう。朱雀様はあなたを気に入られた。
「……!」
誰もが足を止めた。先頭のシグリィがはっと振り向く。その瞬間、
光がほとばしった。先を行くカミルやオルヴァをなぎ倒して、シグリィに直撃する。
「シグリィ……!」
「みんな!」
ラナーニャとセレンは揃って駆け出そうとした。
けれど、前方を見えない何かでふさがれた。壁のような何かがあって、そこを越えようとするとパチリと弾かれてしまう。
「うそ。これ結界……?」
片手で壁の位置を確認しながら、セレンは首を振る。「……違うわ。玄武の気配じゃない。朱雀の……壁?」
シグリィが作っていた魔力の灯火が消えた。男性三人が倒れる地面に沈黙の闇が降りて、様子が分からなくなる。
ラナーニャは焦りながら、たった今聞こえた声を思い返す。
(今の声は)
あれは朱雀神の声ではなかった。あれは――
『ようこそ、《印》なき子よ。歓迎します』
今度こそ聞こえた。ラナーニャは振り向いた。
クルッカの広い跡地。かつて人里を覆う森のあった場所。今は何もない場所。
そこにおぼろな光が現れた。空に大きく広がるように――
半透明な女性の上半身が。
(人……?)
長くゆるやかに広がった髪。知的な大人の女性。その怜悧な瞳が、今は憂えるようにラナーニャを見下ろしている。
『ですが……あなたはなにゆえそのような者たちと共にいるのです。朱雀様に気に入られるほどの者でありながら、いまだ目が醒めずにいるのですか』
「――」
『早う彼らと離れなさい。彼らの力の根本は他人の力を利用すること……そのような者たちと共にいては、あなたの内面もおかしくなってしまいますよ』
それはまるで母が、幼い子どもに優しく厳しく諭すように。
見知らぬ女性は空からとうとうとラナーニャに語りかける。
そばで聞いていたセレンが肩を怒らせた。
「ちょっと! 好き勝手言わないでよ、そもそも英雄神様は――」
『黙りなさい。お前には話していない』
セレンの足下で小さな爆発が起こる。セレンが慌てて飛び退いた。
やがて二人はシグリィに顔を向けた。先に口を開いたのはオルヴァだ。
「俺たちは『オッファーの森』にいた」
「オッファー?」
「ああ。森の中に住人がいて――その住人が『オッファー』だと言っていた。彼らは俺たちを憎んでいた。俺たちを何度も殺した」
「殺し――」
ラナーニャは思わず息を呑む。聞いただけで体の芯がぞっと震える言葉だ。
それは、どういう意味?
オルヴァは首をひねり、正しく説明する言葉を探しているようだった。
「要するに、死ぬ気分を何度も味わわされたというか……ループの世界にはまったんだ。具体的に言うのは控えるが」
彼らは、とオルヴァの声が真剣みをいっそう増す。
「彼らは、かつて自分たちが殺された恨みを晴らそうとしていた。彼らは――かつて『クルッカの森』にいた住人だ。二百年前、地租四神を崇めて迫害され、森へ逃げ込んだ人々」
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ではあの小さな像は。
地租四神朱雀は、いったいなぜ。
「なるほど。それで『オッファーの森』ですか」
シグリィが腕を組んで、困ったような声を出した。「説としては聞いていましたが……まさか本当だとは」
「説? どういうことだ?」
「オッファーとは」
オルヴァの疑問に、シグリィは淡々と答える。
「古代語で、『犠牲』という意味です」
「犠牲……?」
「大陸四神を崇める人々の一部に、そういう信仰があったと言われているんです。真なる四神が再び蘇るためには力がいる。犠牲が――いる」
ひたひたとラナーニャの心に何かが迫り来る。
体の中が、冷たく冷えていく。
……知りたくないと思いながら、知らなくてはいけないと思う心が上を向く。
「自分たちの命を四神に捧げる。それが彼らの宿願だったらしい」
「――」
「証拠が少ないので、実際にあったかどうかは難しいと思っていたんですが……どうやら本当のことのようだ」
シグリィが再び体を向こう側に向ける。
向いた先、吟遊詩人と相対する。……目の輝きを取り戻したユードと。
「……侮辱することは許さない。彼らは真剣だ、真剣に四神様の復活を願っている!」
ユードは吠えた。
まるで獣のようなうなり声だ。大切な巣を荒らされまいと、威嚇する獣の。
「侮辱してはいません。本当にいるのだなと感動しただけです」
対するシグリィはあくまで冷静だった。たぶん彼は大真面目に言っているのだろう。相手の神経を逆なでする内容だと、分かってはいるのだろうが――
案の定吟遊詩人は激昂した。シグリィに指をつきつけ、聞くに堪えない罵詈雑言を投げつける。
おそらくそれらは、地租四神信者と英雄四神信者の間で幾度も浴びせ合った言葉でもあったのだろうが。
それにしても、
(子どものようだ)
ラナーニャは正直にそう思った。
彼の見た目はもう少し大人だから、なんだか必要以上に幼く感じてしまう。
一方、見た目よりはるかに老成した中身を持つシグリィはすべてきれいに聞き流したようだ。ラナーニャに顔を向け、「君に影響は?」と訊く。
「影響?」
「像を具現化させたのは君だろう。影響はないか?」
「ああ――」
違うんだ、とラナーニャは慌てて手を振った。「具現化……とかじゃない。あの像は『解放』されたがっていた。私はその手伝いをしたというか」
像に祈りを捧げたことで、像の言葉がかすかに聞こえた。
――我を『解放』せよ、と。その一言が。
それが具体的にどういうことなのか、理解するより先に体が動いていた。ラナーニャはクルッカ跡地に駆け寄り、そして像の望み通りに『解放』した。
「……どうやったのだと言われると、よく分からないけれど……」
うまく説明できない。情けなくてうなだれると、「気にするな」とシグリィは優しく言った。
「おそらく君の潜在能力を像のほうが引き出したのだろうな。あの像には……本当に大陸四神の力の一部が封じ込められていたようだ」
「大陸四神の……」
「そのおかげで私たちも助かったわけですね」
カミルが体についた砂を払いながら、「私たちも幻の中で術者の精神集中を途切れさせることはしましたが、それだけでは不十分だったようだ」
オルヴァが肩をすくめる。その動作を見るに、簡単に言っているものの『術者の集中を途切れさせる』ことはたいそう大変だったのだろうと思う。
ふう、と細い風が吹く。砂埃とたわむれて、かきまわしていく。
まるでここにある混沌がいまだ晴れぬことをラナーニャたちに示すように。
「このクルッカの地にただよう力は、私たちが思う以上に強力だということだ」
二百年か、とシグリィは感慨深げにつぶやいた。
「その二百年の間……ずっと醸成されてきたのか。その、村の人々の力が。――そういうことですよね、ユードさん?」
「――」
突然話を向けられたユードは、いつの間にかその表情から怒りをおさめていた。むしろ、なぜか放心しているようだ。
「どうかしましたか」
「――像とは」
何のことだ、と吟遊詩人とは思えない、ひからびたような苦しげな声が、それを問う。
さっき見たでしょう、とシグリィは静かに返す。
「小さな大陸四神の像です。サモラで人にいただきました」
「サモラで? 誰に!」
「ゴーシュという人物に」
その瞬間のユードの動揺は、今夜一番のもののように見えた。口を開くがしばらく声が出ない。やがてようやく出た言葉は、やはり水のないひびわれた湖底の音。
「馬鹿な」
「知り合い――ですね。あなたが傭兵の手配を頼んだのは彼でしょう」
「……」
「『馬鹿な』というのは、その彼があなたを裏切ったことに対してですか。それとも――」
「うるさい!」
立て板に水のようなシグリィの弁舌を、遮るユードの声に怒りが舞い戻る。否、怒りというよりは、
混乱、だったのだろうか。
「嘘だ。ゴーシュが――」
一言つぶやいた彼は、突然走り出した。
向かう先には木があり、そこに彼の荷物らしきものがあった。ユードはその荷物をあさりだした。なりふりかまわないといった体で。
「魔法陣だな。サモラに帰るつもりらしい」
シグリィが小さくそう言った。「せめて傭兵の後始末をしていってほしいんだが」
倒れ伏したままの傭兵たちを困ったように見やる。彼らはまだ生きている。シグリィは殺すつもりなどないだろうから、手当てもしなくてはいけない。
やれやれと彼が傭兵たちに向かって歩き出す。その後を、カミルやオルヴァが追う。
出遅れたラナーニャを、「立てる?」とセレンが支えて立ち上がらせてくれる。
「それにしてもラナはすごいわねえ。大陸四神に呼応するなんて」
「え……? いや、そういうわけでは」
「声が聞こえたんでしょう? うーん、あなたにはすごい力がありそうね。ひとりの少女に秘められた力! かっこいいじゃない!」
「……そんなわけは……」
ない、と言い切ることができない。
だって、声はたしかに聞こえたのだ。シグリィにも見えない光が、自分には見えたのだ。
いったいなぜ――?
(《印》がないから……?)
《印》は、行ってみれば英雄四神の印だ。大陸四神はきっと、あの印を嫌っている。だとすれば。
私にだけ声が聞こえた理由は――
――そう。朱雀様はあなたを気に入られた。
「……!」
誰もが足を止めた。先頭のシグリィがはっと振り向く。その瞬間、
光がほとばしった。先を行くカミルやオルヴァをなぎ倒して、シグリィに直撃する。
「シグリィ……!」
「みんな!」
ラナーニャとセレンは揃って駆け出そうとした。
けれど、前方を見えない何かでふさがれた。壁のような何かがあって、そこを越えようとするとパチリと弾かれてしまう。
「うそ。これ結界……?」
片手で壁の位置を確認しながら、セレンは首を振る。「……違うわ。玄武の気配じゃない。朱雀の……壁?」
シグリィが作っていた魔力の灯火が消えた。男性三人が倒れる地面に沈黙の闇が降りて、様子が分からなくなる。
ラナーニャは焦りながら、たった今聞こえた声を思い返す。
(今の声は)
あれは朱雀神の声ではなかった。あれは――
『ようこそ、《印》なき子よ。歓迎します』
今度こそ聞こえた。ラナーニャは振り向いた。
クルッカの広い跡地。かつて人里を覆う森のあった場所。今は何もない場所。
そこにおぼろな光が現れた。空に大きく広がるように――
半透明な女性の上半身が。
(人……?)
長くゆるやかに広がった髪。知的な大人の女性。その怜悧な瞳が、今は憂えるようにラナーニャを見下ろしている。
『ですが……あなたはなにゆえそのような者たちと共にいるのです。朱雀様に気に入られるほどの者でありながら、いまだ目が醒めずにいるのですか』
「――」
『早う彼らと離れなさい。彼らの力の根本は他人の力を利用すること……そのような者たちと共にいては、あなたの内面もおかしくなってしまいますよ』
それはまるで母が、幼い子どもに優しく厳しく諭すように。
見知らぬ女性は空からとうとうとラナーニャに語りかける。
そばで聞いていたセレンが肩を怒らせた。
「ちょっと! 好き勝手言わないでよ、そもそも英雄神様は――」
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