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第二章 誰がための罪。
24 雇われた傭兵と
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『クルッカの森に囲まれるようにして、かつてひとつの村が存在していたことが分かっている。
総勢二十名ほどの小さな村だったという。森の一部は切り拓いたものの、必要以上の土地を望まず身を寄せ合うようにして暮らしていた。
彼らの結びつきはとても強かったようだ。村の成り立ちを思えばそれも当然であろう。彼らは親族ではなく、それぞれが生まれ育った土地を捨てこの地へ集まった無関係の人々だった。
彼らの間にあった絆はたったひとつだ。――すなわち、彼らが崇めている神は『地祖四神』であったということ。
二百年前、マザーヒルズから派遣された兵により、村は焼き払われた。
当時マザーヒルズは異教排斥運動の先鋒だった。命は王自ら下したとも言われている。
村人は一人として残らなかったという。子どももまた、例外ではない。
主力の兵は数人、残りは西部から雇った白虎の傭兵だった。傭兵を雇った理由はいくつかあげられる。村に強力な朱雀の術者がいたためとも、単に村に近づきたがる兵士がいなかったためとも言われている。
なお現場の兵士の記録によれば、クルッカの村は異教徒の中でも特に危険だと考えられていた。……』
――『クルッカの森、あるいは死の大地について』
*****
――闇に包まれていた雨音が、次第に勢いを失っていく。
「……好都合だ」
我知らず、そう呟いていた。低い声は誰の耳に届くこともなく、雨とともに暗い地面に落ちていく。
「ユード」
呼ばれて、ユドクリフは振り返った。
目の前に数人の戦士がいた。雨に濡れて不機嫌さを隠そうとしない顔には、力で世間を渡っている者特有の皮肉げな陰りがある。
話しかけてきた男は大斧を肩にかついだまま、面倒くさそうに続けた。
「それで、俺らはどうすりゃいいんだ?」
「……」
大斧の男の後ろでは、他の男たちがつまらなそうに各々の武器をもてあそんでいる。一人だけ元気なのは魔術師の男だ――彼が自在に術を操るのを邪魔する雨が止み始めたことが嬉しいに違いない。
「ユード。おい」
「……あと少しで、ここに人が現れる」
ユドクリフは顔を男たちから外した。鷹揚に巡らせた視線が、やがて一カ所でとまる。
この暗闇の中では、術師の灯した灯りが彼らの目だ。雨が止んだおかげでその光量は徐々に増している。
照らし出されたのは何もない土地――
(いや、ある)
「人がぁ? どこから現れるんだよ」
不審そうに大斧の傭兵が問うてくる。
ユドクリフは、今見ている場所に向けて手を向けた。
「ここからだ」
「……何もねえぞ?」
「ああ。だがここから現れる」
男の顔がますますヘンな顔になる。だがどう思われようとユドクリフは構わなかった。
「現れたら一仕事してもらう。詳細はゴーシュから聞いていると思う。金は話の通りだ――」
――"傭兵を貸してほしい"。
ゴーシュ・ナロセイドに頼んだのはユドクリフ自身だ。
もっとも、あの時点で傭兵を借りたいと考えたのは、今のとは違う理由だった。計画が全部狂ってしまった――あの旅人たちと、オストレム隊長の存在のせいで。
「ま、金さえもらえば俺らはいいさ」
大斧の柄に腕をかけ、傭兵は唇の端を上げた。
「……ご要望通り、その”誰か"とやらを殺してやる」
「……」
ユドクリフは言葉を返さなかった。ただ、目の前の土地を見つめ続けた。
魔術の灯りに照らし出されたその場所には、何もない。まぎれもなく空っぽで――それなのに、こちらの胸をひどくざわつかせる。
かつてユドクリフはここで一度死にかけた。そして……
(……?)
ふと何かが記憶に引っかかった。自然と伏せかかっていた目を上げて、ユドクリフは眉根を寄せた。
耳の奥でかつて囁かれた誰かの声が蘇る。
『――誰だって、自分の故郷で人が死ぬのを見たかぁないだろう?――』
(この声。ゴーシュ――?)
我知らず記憶の中の声に意識を集中させたその刹那、
「来るヨ!」
警告を発したのは杖を握った魔術師の男。
ユドクリフははっと顔を上げた。空間に仄赤い光が生まれ、尾を引いて円を描く。黄金色の光を散らしながら魔法陣となり、そして――
術師の男が嬉々として高らかな詠唱を放った。
「喚ぶは千尋の谷の龍、その息吹の炎なることヲ!」
ご、と風が唸る。荒ぶる龍の息吹が、やがて猛り狂う炎をまとって闖入者を襲う。
しかしそのときには、敵の詠唱も終わっていた。
「慈母の羽二重」
この暗い中でも、透けるように白い膜がが発生したのが分かった。それが生まれたばかりの龍を包み込み、まるで眠りにつかせるように威勢を削ぐ。
そのさまを目の前で見て、ユドクリフは動揺した。唇を噛み締め、来訪者をにらみつける。
とん、と軽やかに地面に降り立つ足音が幾つか。次いで、底抜けに脳天気な声が聞こえてくた。
「さっすがシグリィ様! いいタイミングでしたねえ」
「攻撃される予想ができていたからな」
――出会ったときから冷静そのものの少年は今もまったく変わらない。
意図しているのかいないのか、揺るがない涼しげな視線をユドクリフに送り、少しばかり笑う。
「ご挨拶ですね、ユードさん」
「……なぜここまで来られたんだ」
唸るように訊く。この連中が追ってくるには、転移術が必要不可欠だ。だからこそこの天候の悪さが有利だと思った。魔術具の魔法陣が純なる魔法陣に勝てる唯一の要素と言えば、それは天候に左右されないということなのだから。
宿に足止めも置いてきた。ゴーシュにも頼んできた。彼らがこないうちに、事を成し遂げるつもりだった。
それなのに――
「甘くみすぎですよ」
少年――シグリィはそう言った。それを聞いて、ユドクリフはぎりと歯を軋らせる。
「君らの能力をか」
「いいえ」
言いながら、シグリィがゆっくりと前へ歩み出る。
「……あなたの仲間の心情をです」
どういう意味だ。
わけが分からず、ユドクリフは激昂しかけた。しかし彼が爆ぜる前に、大斧の傭兵が面倒くさそうな声を放つ。
「なんだぁ。子どもに女二人かよ……おいユード、まさかこいつらが”現れる”奴らじゃねえだろうな?」
(……女二人?)
よく見ると、彼の後ろには魔術師の女の他にもう一人の少女がいた。先刻ユドクリフが見たときには昏睡していた少女だ。たしかラナとか呼ばれていたか。
気がつくと周囲の光量がいっそう増していた。ユドクリフの連れてきた魔術師が生む光よりもずっと明るく柔らかい光が、まるで昼間のように辺りを照らしている。
小ぶりとなった雨が光を弾いて、異様なほどきらきらとしていた。
その光が、闖入者である少年たち三人を包んでいるように――見えた。
ぞ、と背筋を悪寒が這い上る。こいつらは、何だ――
「……こいつらじゃない。こいつらじゃないが」
ユドクリフは低くうめいた。「こいつらも、頼む」
「ほう」
大斧の男が満足げににやりと笑った。「雨も止んで来たし、暴れるにゃあいい頃合いだ」
その肩から、ユドクリフの体重よりも重そうな斧が下ろされた。あまりにも凶悪なその武器を、男は片手で持っている。白虎の戦士だからこそできる芸当だ。
その向こうでは傭兵の一員である魔術師が、妙に楽しげな声を上げた。
「いいネいいネ、きれいな魔力の気配がするヨ! ワタシの大好物ネ!」
口調も風貌もどこの出身なのかとんと分からぬ魔術師は、興奮のまま杖を掲げて舌をねろりと出した。
「――呑み込み甲斐があるヨ」
狂気をはらんだ彼らの声に、ユドクリフは安心感を覚えて微笑を浮かべる。
傭兵は合計六人。しかし残りの四人に関しては、保険のような部分もあった。つまり、斧男と魔術師が暴走してユドクリフの意のままにならなくなったときのために――
『いつでも、保険はかけとくべきさ』
ゴーシュはそう言って、けけけと笑った。
(ああ。その通りだね、ゴーシュ)
――予想外に現れた少年たちに傭兵を何人かあてがっても、少し残っていれば本来の目的は果たせるはずだ。
否――
ここに、このクルッカの森に今来てしまった時点で。少年たちもユドクリフの『目的』の対象となったのだ。
ユドクリフは残りの四人の傭兵にだけ配置の場所にいることを命じた。
そして、『問題児』の二人に声を向ける――
「お前たち」
指先を、少年たちにつきつけ。
ユドクリフは強く命を下した。
「こいつらを、殺せ」
総勢二十名ほどの小さな村だったという。森の一部は切り拓いたものの、必要以上の土地を望まず身を寄せ合うようにして暮らしていた。
彼らの結びつきはとても強かったようだ。村の成り立ちを思えばそれも当然であろう。彼らは親族ではなく、それぞれが生まれ育った土地を捨てこの地へ集まった無関係の人々だった。
彼らの間にあった絆はたったひとつだ。――すなわち、彼らが崇めている神は『地祖四神』であったということ。
二百年前、マザーヒルズから派遣された兵により、村は焼き払われた。
当時マザーヒルズは異教排斥運動の先鋒だった。命は王自ら下したとも言われている。
村人は一人として残らなかったという。子どももまた、例外ではない。
主力の兵は数人、残りは西部から雇った白虎の傭兵だった。傭兵を雇った理由はいくつかあげられる。村に強力な朱雀の術者がいたためとも、単に村に近づきたがる兵士がいなかったためとも言われている。
なお現場の兵士の記録によれば、クルッカの村は異教徒の中でも特に危険だと考えられていた。……』
――『クルッカの森、あるいは死の大地について』
*****
――闇に包まれていた雨音が、次第に勢いを失っていく。
「……好都合だ」
我知らず、そう呟いていた。低い声は誰の耳に届くこともなく、雨とともに暗い地面に落ちていく。
「ユード」
呼ばれて、ユドクリフは振り返った。
目の前に数人の戦士がいた。雨に濡れて不機嫌さを隠そうとしない顔には、力で世間を渡っている者特有の皮肉げな陰りがある。
話しかけてきた男は大斧を肩にかついだまま、面倒くさそうに続けた。
「それで、俺らはどうすりゃいいんだ?」
「……」
大斧の男の後ろでは、他の男たちがつまらなそうに各々の武器をもてあそんでいる。一人だけ元気なのは魔術師の男だ――彼が自在に術を操るのを邪魔する雨が止み始めたことが嬉しいに違いない。
「ユード。おい」
「……あと少しで、ここに人が現れる」
ユドクリフは顔を男たちから外した。鷹揚に巡らせた視線が、やがて一カ所でとまる。
この暗闇の中では、術師の灯した灯りが彼らの目だ。雨が止んだおかげでその光量は徐々に増している。
照らし出されたのは何もない土地――
(いや、ある)
「人がぁ? どこから現れるんだよ」
不審そうに大斧の傭兵が問うてくる。
ユドクリフは、今見ている場所に向けて手を向けた。
「ここからだ」
「……何もねえぞ?」
「ああ。だがここから現れる」
男の顔がますますヘンな顔になる。だがどう思われようとユドクリフは構わなかった。
「現れたら一仕事してもらう。詳細はゴーシュから聞いていると思う。金は話の通りだ――」
――"傭兵を貸してほしい"。
ゴーシュ・ナロセイドに頼んだのはユドクリフ自身だ。
もっとも、あの時点で傭兵を借りたいと考えたのは、今のとは違う理由だった。計画が全部狂ってしまった――あの旅人たちと、オストレム隊長の存在のせいで。
「ま、金さえもらえば俺らはいいさ」
大斧の柄に腕をかけ、傭兵は唇の端を上げた。
「……ご要望通り、その”誰か"とやらを殺してやる」
「……」
ユドクリフは言葉を返さなかった。ただ、目の前の土地を見つめ続けた。
魔術の灯りに照らし出されたその場所には、何もない。まぎれもなく空っぽで――それなのに、こちらの胸をひどくざわつかせる。
かつてユドクリフはここで一度死にかけた。そして……
(……?)
ふと何かが記憶に引っかかった。自然と伏せかかっていた目を上げて、ユドクリフは眉根を寄せた。
耳の奥でかつて囁かれた誰かの声が蘇る。
『――誰だって、自分の故郷で人が死ぬのを見たかぁないだろう?――』
(この声。ゴーシュ――?)
我知らず記憶の中の声に意識を集中させたその刹那、
「来るヨ!」
警告を発したのは杖を握った魔術師の男。
ユドクリフははっと顔を上げた。空間に仄赤い光が生まれ、尾を引いて円を描く。黄金色の光を散らしながら魔法陣となり、そして――
術師の男が嬉々として高らかな詠唱を放った。
「喚ぶは千尋の谷の龍、その息吹の炎なることヲ!」
ご、と風が唸る。荒ぶる龍の息吹が、やがて猛り狂う炎をまとって闖入者を襲う。
しかしそのときには、敵の詠唱も終わっていた。
「慈母の羽二重」
この暗い中でも、透けるように白い膜がが発生したのが分かった。それが生まれたばかりの龍を包み込み、まるで眠りにつかせるように威勢を削ぐ。
そのさまを目の前で見て、ユドクリフは動揺した。唇を噛み締め、来訪者をにらみつける。
とん、と軽やかに地面に降り立つ足音が幾つか。次いで、底抜けに脳天気な声が聞こえてくた。
「さっすがシグリィ様! いいタイミングでしたねえ」
「攻撃される予想ができていたからな」
――出会ったときから冷静そのものの少年は今もまったく変わらない。
意図しているのかいないのか、揺るがない涼しげな視線をユドクリフに送り、少しばかり笑う。
「ご挨拶ですね、ユードさん」
「……なぜここまで来られたんだ」
唸るように訊く。この連中が追ってくるには、転移術が必要不可欠だ。だからこそこの天候の悪さが有利だと思った。魔術具の魔法陣が純なる魔法陣に勝てる唯一の要素と言えば、それは天候に左右されないということなのだから。
宿に足止めも置いてきた。ゴーシュにも頼んできた。彼らがこないうちに、事を成し遂げるつもりだった。
それなのに――
「甘くみすぎですよ」
少年――シグリィはそう言った。それを聞いて、ユドクリフはぎりと歯を軋らせる。
「君らの能力をか」
「いいえ」
言いながら、シグリィがゆっくりと前へ歩み出る。
「……あなたの仲間の心情をです」
どういう意味だ。
わけが分からず、ユドクリフは激昂しかけた。しかし彼が爆ぜる前に、大斧の傭兵が面倒くさそうな声を放つ。
「なんだぁ。子どもに女二人かよ……おいユード、まさかこいつらが”現れる”奴らじゃねえだろうな?」
(……女二人?)
よく見ると、彼の後ろには魔術師の女の他にもう一人の少女がいた。先刻ユドクリフが見たときには昏睡していた少女だ。たしかラナとか呼ばれていたか。
気がつくと周囲の光量がいっそう増していた。ユドクリフの連れてきた魔術師が生む光よりもずっと明るく柔らかい光が、まるで昼間のように辺りを照らしている。
小ぶりとなった雨が光を弾いて、異様なほどきらきらとしていた。
その光が、闖入者である少年たち三人を包んでいるように――見えた。
ぞ、と背筋を悪寒が這い上る。こいつらは、何だ――
「……こいつらじゃない。こいつらじゃないが」
ユドクリフは低くうめいた。「こいつらも、頼む」
「ほう」
大斧の男が満足げににやりと笑った。「雨も止んで来たし、暴れるにゃあいい頃合いだ」
その肩から、ユドクリフの体重よりも重そうな斧が下ろされた。あまりにも凶悪なその武器を、男は片手で持っている。白虎の戦士だからこそできる芸当だ。
その向こうでは傭兵の一員である魔術師が、妙に楽しげな声を上げた。
「いいネいいネ、きれいな魔力の気配がするヨ! ワタシの大好物ネ!」
口調も風貌もどこの出身なのかとんと分からぬ魔術師は、興奮のまま杖を掲げて舌をねろりと出した。
「――呑み込み甲斐があるヨ」
狂気をはらんだ彼らの声に、ユドクリフは安心感を覚えて微笑を浮かべる。
傭兵は合計六人。しかし残りの四人に関しては、保険のような部分もあった。つまり、斧男と魔術師が暴走してユドクリフの意のままにならなくなったときのために――
『いつでも、保険はかけとくべきさ』
ゴーシュはそう言って、けけけと笑った。
(ああ。その通りだね、ゴーシュ)
――予想外に現れた少年たちに傭兵を何人かあてがっても、少し残っていれば本来の目的は果たせるはずだ。
否――
ここに、このクルッカの森に今来てしまった時点で。少年たちもユドクリフの『目的』の対象となったのだ。
ユドクリフは残りの四人の傭兵にだけ配置の場所にいることを命じた。
そして、『問題児』の二人に声を向ける――
「お前たち」
指先を、少年たちにつきつけ。
ユドクリフは強く命を下した。
「こいつらを、殺せ」
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