月闇の扉

瑞原チヒロ

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第二章 誰がための罪。

8 十五年前の調査団

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 アルメイア公立記憶図書館――
 名前の通り、『アルメイア』という都市が世界に誇る巨大図書館である。
 その大きさは南部マザーヒルズ王立図書館、及び東部公立クラウンテイル自然図書館に匹敵し、〝迷い子”が増えた昨今もアルメイアに人の出入りが激しい一番の理由となっている。

 ――〝死の大地”への出立は午後二時に。この街の正門で落ち合おう。
 そんな約束を交わし、オルヴァ・オストレムと分かれたシグリィ一行は、迷うことなくこの図書館へとやってきた。
 街のど真ん中と言っていい場所に大きな敷地を持つ荘厳の建物。その圧倒的な存在感に、初めてここへ来たラナーニャは驚きのあまりしばらく声が出なかったほどだ。
 仮にも王族である彼女は、決してその建物の大きさや装飾に驚嘆したわけではない。
 このアルメイアでは多くの建物がそうであるように、この図書館も窓が多い。そしてその窓の中から覗ける内部にこの図書館の真の価値の一端が見て取れる。
 すなわち――図書館なのだから当然と言えば当然だが――蔵書の多さ、加えてそれらが整然と並べられた室内の美しさ。
 その中で静かに本を渉猟する人々の、真摯に本へ取り組む姿勢――
 大きな窓から惜しげもなくさらされているその光景が、何よりもラナーニャの心を奪った。
 元々ラナーニャは本好きだ。俄然生き生きとし始めたラナーニャは、建物の中に足を踏み入れる際にも高揚を抑えきれなかった。こんな気分はシレジアを離れて以来初めてのことだ。
「本当はシレジアのことを調べたかったんだが」
 ずらりと並ぶ本を眺めながら、シグリィは顎に指を当てた。「それよりも今は〝死の大地”の記録を探した方がいいな。すまない、ラナ」
「いいんだ」とラナーニャは笑顔で首を振る。そんな場合でないことぐらい、彼女にも分かる。
 『記憶』図書館という名前は、創立の第一人者が『すべての出来事を記憶しておくために』という志を込めてつけた名であるという。
 そのため、この図書館には古今東西の『出来事の記録』の類が大変多くある。外国の人間の出入りが多くなるのは、その辺りにも理由があった。
 膨大な書籍の中を進む。
 シグリィはカミルとセレンにそれぞれ別のジャンルの本を見に行かせ、自分はラナーニャを連れてとある一画へとやってきた。
「ここだな。マザーヒルズ南西部の『地理誌』」
 ずらずらと並ぶ各種のタイトルの上を、シグリィの視線がなぞっていく。
 新しいものから、古いものまで。内容で並びを決めているのか、大きさがまばらなたくさんの本の中から、やがてシグリィはとても薄い一冊の本を抜き出した。
 ――『クルッカの森、あるいは死の大地について』
 色あせている。しかし手垢はさほどついていないように見える。あまり読まれていない本なのかもしれない。
 シグリィは頁をめくり、素早く目を通していく。そしてその内容を、簡潔にラナーニャにも分かるよう口にする。
「十五年前に……一人の学者が『死の大地』と名づけたのは間違いない。だが、森がいつ消滅したのかを知る者はいない……」
「二百年前……までは、あったんだろう?」
「そうらしい。オルヴァさんの地図もちょうど二百年ほど前のものだと言っていた。この本の著者もそう言っている。だが」
 軽く眉をひそめる。「十五年前に『元・クルッカの森』に足を踏み入れた者たちは、異変の原因をその場で突き止めようとして失敗している。著者はそのときの調査団の一人……」
「失敗? なぜ?」
 ラナーニャは声を殺して問う。
 荘厳な図書館は中も静謐で、普通の声ではとても会話のできる空気ではない。
「気分が悪くなってとてもその場にいられなかった、と書いてある」
 シグリィは顔を上げ、ラナーニャを見た。「調査団……彼らは元々、あの辺りの地域全般の調査をするため結成された学者と護衛の傭兵の集まりだった。それがのきなみ調査続行不能の状態になった、そうだ」
 ラナーニャは不安に思って聞く。「何か……毒気のようなものにでも? まさか現地のものを口にしたわけでもないのだろうし……」
「瘴気、と書かれている。が、どのような瘴気か――具体的な記述はなさそうだな。同行者全員が、長くその場にいられなかった。何より護衛の傭兵が耐えられず真っ先に逃げ出したから、学者も長居するわけにもいかなかったようだ」
 あまりに薄い本を、シグリィはあっという間に読み終わったのか、もう一度最初から開いて最後まで確認した。「ああ、やっぱり具体的なことは書いてない」
「待ってくれ。傭兵が逃げ出したから学者も長居できなかったということは――」
「ああ、学者の方はまだ症状が軽い者がいたみたいだな。ちなみに学者団はみなマザーヒルズの出身者で、傭兵は西部の出身者とある」
 二人の目が合った。お互いの脳裏にある考えが同じであることは、お互いの表情で分かっていた。
「……朱雀の術か?」
「――西部――白虎の者には耐えられなかった、というだけなら、二つの場合がある。ひとつは強すぎる白虎の≪気≫で威圧された場合だな。ただし、白虎の≪気≫は基本的に瞬間的な力で、しかも力の持ち主の周囲にしか発生しない。空気中に漂うようなことはない。もうひとつは――」
 君の考える通りだよ、とシグリィは言った。
 もうひとつ――すなわち魔力の残留力。魔術として成立する前の≪魔力≫ならば、特殊な条件下で瘴気のように漂うこともある。
「でも……」
 ラナーニャは腑に落ちず眉尻を下げた。
 一般的に白虎の者は朱雀の魔力に『強い』とされているのだ。場合によっては魔術を全く受け付けない白虎の者さえいるほどだ。
 そんな彼女の疑問を、シグリィは正確に読み取った。「そうだな」とまずは肯定して、それから付け足す。
「ただし魔力は変幻自在の力だ。ある種の魔力はむしろ白虎の者に忌み嫌われる」
「ある種の魔力……?」
「――『怨念』と呼ばれる。恨みによって発生した魔力のことさ」
 そう言って、シグリィは手にした本をパタンと閉じた。

     ***

 オルヴァ・オストレムはシグリィたちと別れた後、アルメイアの街を巡回していた。
(特別変わったことはねえな)
 知り合いと軽く挨拶をし合い、知り合いではない者にも気軽に話しかけ、世間話のついでに街の近況を仕入れていく。
 今の時期、話題はもっぱら≪月闇の扉≫のことになる。
 と言ってもこの街はほとんど被害が出ていないようだ。それについては、商店街の者たちが口を揃えてこう言った。
「何せこの街にはアティスティポラのアイテムがあるからねえ」
(御大の開発した魔術具の性能は相変わらずだな……大した戦力にならないはずの一般人さえ最低限身を守れるようになる)
 何よりバルナバーシュ・アティスティポラの偉大だったところは、≪扉≫が開き無数の〝迷い子”に囲まれたあの期間、自らの持つあらゆるアイテムを惜しみなく街の人々に配ったということだ。
『当然だろう。街の人々あっての我が家だからね』
 バルナバーシュは当然のことのように笑っていた。大したもんだと、オルヴァは舌を巻いたものだ。
 末恐ろしいのはその行為自体ではなく、それによって街が守られ≪扉≫の影響下を脱してすぐに、アティスティポラは商売を再開したという事実だ。つまりそれだけアイテムを保有していたということ――
(いったいどれだけの魔術具を抱えてやがるんだ)
 街にとっては英雄であっても、国を守る兵士であるオルヴァにとっては脅威でしかない。
 個人が大量の魔術具を抱えているという事実。マザーヒルズ国王が、オルヴァに真っ先にアルメイアの様子を見に行くよう命じた理由のひとつは、そこだ。
 ――今回に限っては、それが一番の理由ではなかったが。
(やっぱりもう少し人手が欲しかったな)
 人ごみの中を進みながら油断なく視線を走らせ、オルヴァは思う。今回の任務は複数の人間で挑むべきだということくらい、最初から分かっていたことだ――
 ただ、≪扉≫の直後である今、マザーヒルズの兵は激減していた。定期的に起こる天の異変に、あらかじめ用意はしていたというのに、だ。
 各所から上がってくる〝迷い子”との闘いの報告を聞くに、ひとつだけ確かなことがある。
 〝迷い子”は、間違いなく年々力を増している。

 歩いているうちに人気の少ない通りに出た。
 立地条件が悪いがために居住者がどんどん逃げ出して、空っぽの家屋ばかりが立ち並ぶ一画。そこは正規の魔術師ではない祈祷師やら占い師やらの格好の住処で、オルヴァにとっては重要な視察ポイントでもある。
「……ん?」
 ふと、足が止まった。
 目に映った人物に、思わず声をかける。
「ユード?」
「……!」
 路地裏から出てきた様子の吟遊詩人ユードは、オルヴァに気づいてはっと立ち止まった。
 オルヴァは挨拶代わりに片手を上げて見せながら、ユードに歩み寄った。
「奇遇だな、こんなところで……バルナバーシュの旦那にはもう挨拶したのか?」
「……ええ、もちろんです。オルヴァ隊長はどうしてここに?」
 ユードはひとつ息を吐いてから応えてくる。
 オルヴァは一瞬目をすがめてそれを見たが、すぐに笑みを取り繕った。
「俺は被害状況の確認だ。つってもこの街はほとんど必要なかったみたいだなあ」
 いかにも感心している風を装うと、ユードは苦笑した。
「いいですよ、気を遣わなくても。国はうちの主人を危険視しているんでしょう?」
 まったく、この線の細い吟遊詩人は意外にやりづらい。オルヴァは苦笑を返して、「それよりも」と話を変える。
「お前さんこの後どうするんだ?」
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