月闇の扉

瑞原チヒロ

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第一章 その日、青い光が飛んだ。

29 男の約束

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 村からやや南東に位置した場所にある岩山――

 その麓にある洞穴の入り口はとても狭かった。それこそが元は天然洞窟であることの証明かもしれない。両側からせり出した岩を削った跡があり、今ではカミルぐらいの体格の人間も無理なく滑りこめるのだが、一度に二人以上は入口を通れないだろう。

 入口の狭さからは想像できないほど、内部は広かった。現在の村の人数なら楽に収容できるはずだ。

「一度避難所に造り変えようと調査しながらやめた場所……。……どうしてここの手入れを中止したのかな」

 岩盤の硬さを拳で叩いて確かめながら、シグリィは不思議に思ってそう呟いた。

 声が響く。上を見上げると、低めの天上からは雫が落ちてきている。数日前の雨の影響がまだ残っているのだろうか。

 昨夜村を出たシグリィ、ラナーニャ、カミルとセレンにジオを加えた五人は、すぐにマーサの地図にあったこの洞穴にやってきた。

 到着直後はシグリィの怪我があるため休息を取ることを優先したが、朝になり目が覚めると、改めて洞穴のことが気になってくる。

 そこで、心配するラナーニャやらカミルやらをなだめながら、こうして周囲の壁の様子を調べているのだ。

「息が苦しくないですしねー。どこかで空気が通ってるんだわ」

 セレンがカンコンと杖の先端で壁を叩きながらそう言った。

 リズミカルな音が響き、妙に陽気な気分を生む。

 狭い入口からしか採光できない洞穴の内部を、彼女の魔術の灯火が照らしていた。ふわふわと不定型なその魔力の塊を、シグリィの傍から離れないラナーニャが不思議そうに目で追っている。

 ジオはまだ寝ていた。どうもこの島に来てからの彼はほとんど眠っていなかったらしい。セレンがカンカンと鳴らす壁の音にも全く反応しない。

 カミルだけは、洞穴の外で見張りをしていた。数刻経てばセレンと変わる予定だ。

 一通り壁を調べ終えると、彼らは保存食を分け合った。
 カミルとジオの分は残し、三人で黙々と食べる。

「……これから、どうしたらいいのかな」

 ラナーニャが、ぽつりと呟いた。

 さて、とシグリィはじっくり咀嚼した分を呑みこんでから口を開いた。

「そうだな、しばらくは様子見かな」
「……いつまで?」
「そればかりははっきり言えないが。ただ、おそらくそれほど待たなくても――」

 言い終わる必要もなかった。

 シグリィ様、と、外にいるカミルの声が聞こえて、彼らは一斉に洞穴の入口に目を向けた。

 入口の外側で複数の人間の気配がうごめいたあと、

「あーもー、あいかわらずせまいんだよここっ」

 盛大に洞穴に声を響かせながら入ってきた人物に、「あら」とセレンが杖を振りながら目をしばたいた。

「チェッタくん。あなたが来たのねえ?」
「うっ、お、おお。ま、またせたなっ」

 両腕にかごを抱えたチェッタは、昨日までと変わらない偉そうな態度でふんぞり返った。そしてふと思い出したように後ろを振り返り、

「いや、おれ一人じゃねーや。おいメリィ、入れるか?」

 彼の声にちょうど応えるかのように、背後にもう一人が現れる。
 狭い入り口さえ難なく通るほどの、幼い体。

「メリィ」

 ラナーニャが驚きの声を上げた。

 メリィと呼ばれた少女は恥ずかしそうにチェッタの背中に隠れながら、そっと顔をのぞかせる。

 シグリィも村で何度か見たことのある少女だ。いつも逃げられてしまうため話したことはないが――たしか、ロイックの〝妹〟だ。片腕がない彼女は、どうしても目立つ。

「こいつも来たいっていうからつれてきた。メリィは、あんたらにカンシャしてるんだぜ」

 チェッタはそう言った。
 シグリィは首をかしげた。

「感謝……?」
「おまえらには、あー、《印》もちのくせにこの村にわざわざ来てくれやがってありがとーってことだなっ」

 咳払いを交えながら少年は言う。無理に反抗的な言葉を使おうとするのが、何だかおかしい。

 その後ろでは、メリィがこくこくと小さくうなずいている。

 チェッタはいびきをかいて寝ているジオを見て呆れた顔をしてから、ラナーニャに目を向けた。

「で、あんたは――ハナシをきいてくれてありがと、ってさ」

 ラナーニャは思いも寄らぬことを聞いたような驚きの顔をした。
 メリィは頬を真っ赤にして、さらに強くこくこくとうなずいた。

「―――」

 ラナーニャの顔が泣きそうに歪む。
 振り切るように頭を振り、彼女は足早にメリィに駆け寄ると、その幼い体を抱きしめた。

 囁く声は、心を含んで濡れていた。

「ありがとう。――ありがとうメリィ」

 メリィがほっとしたように顔をほころばせるのが見える。

 それを見て、シグリィも微笑んだ。不安に満ちていたラナーニャにとっては何よりの救いに違いない。

 そんなシグリィを、チェッタがこそこそと盗み見る。そして、

「……うごけるんだな」

 言外に〝よかった〟とつきそうな声で呟いた。

「ほら、薬の追加」

 力一杯無愛想を装いながら、かごをシグリィにつきつけてくる。

 シグリィは笑いをこらえながら、

「ありがとうチェッタ。しかしよく来る気になったな?」
「っ。うぁ、だ、から、けが人あいてじゃケンカできねーしっ」
「そうか」

 うろたえるチェッタにそれ以上は言うのは野暮だ。いつの間にか近くまで来ていたセレンが、「ありがとねー!」と楽しそうにチェッタに抱きつき、少年を慌てさせるのを微笑ましく見る。

 少しばかり寒かった洞穴の内部に、ぬくもりが灯った気がした。

「この洞穴――」

 シグリィは軽く天井に目を向けながら口を開いた。

「チェッタ。この洞穴は、なぜ利用するのをやめたんだ?」
「あ、ああ」

 しどろもどろにセレンの相手をしていた少年は、ごほんと咳払いをしてシグリィに顔を向ける。

「ここはテンネンってやつだったんだけど。いちどは使おうとしたんだぜ。でも、ユキナがとちゅうでとめたんだ」
「理由は?」
「おれはしらない。マーサなら知ってるけど――あ、あと」

 顔をしかめて、「ダッドレイとかも知ってる。だからあいつもここをすてることにモンク言わなかったんだよ。あいつはいちばん、ヒナンバショとかにうるさかったのに」

「そうか。危ないとか、そういう話だったのか?」

 わかんねえ、とチェッタは首を振った。

って、ユキナはそれだけ言った。ユキナは、せつめーしようとしないときはぜったいしねーから、だれも聞かなかった」
「なるほど」

 だが、マーサはシグリィたちを迷わずこの洞穴に導いたのだ。危険があるわけではないのだろう。

 だとしたら……?

 チェッタに抱きつくのをやめたセレンがふと顔を上げて、シグリィに視線を送る。

 何か言いたそうな顔だった。彼女にうなずいて見せたシグリィは、受け取ったばかりのかごの中身を確認すると、洞穴の隅に置いていた自分たちの荷物へと移動した。

 そこにかごを置く――それから荷物袋の中を探り、数枚の符を取り出した。

「チェッタ。これを」

 すぐに少年の元に戻り、その手にその数枚を握らせる。
 疑問符を浮かべるチェッタに、シグリィは真顔を向けた。

「結界符だ。私の術をこの符に仕込んである。いいか、これをすぐに村の周囲の地面に埋めてくるんだ。村を円で囲むようにして。分かるか?」
「けっかい……」

 チェッタは身を乗り出す。
 必死の表情がその顔に浮かんでいた。

「それって、ぼうぎょのためのカベ、みたいなもんだよな?」
「そう。透明な壁のようなものだよ。人間は通り抜けられるが〝迷い子〟の侵入は阻む。ただし」

 ゆっくりと、一字一句チェッタが聞き漏らさないように、シグリィは説明する。

「この符を設置するより前に〝迷い子〟が村の中に入ってしまうと、逆に村に閉じこめる形になってしまう。つまりこれは一刻も早く村に埋めてこなくては意味がない。それに掘り返したら効果は消え失せるから――そうだな、他の人たちには秘密にしたほうがいい。私の作ったものを信用できない人が多いだろうから、余計な恐怖を感じるかもしれない。特にダッドレイさんに知られると混乱する」

「………」

「結界はどのみち、目には見えない。誰にも知られず埋めることさえできればいい」

 チェッタは手の中の符をじっと見下ろす。
 その真剣な顔に、シグリィは語りかけた。

「私が村でやり損なったことだ。後悔してる。でも、もう私自身が村に赴いて結界を張るのは難しくなった。だからチェッタ、君に頼む」

 気がつくと、ラナーニャとメリィもこちらを見ていた。

 二人は一様に不安そうだった。だがその眼差しに、何かが宿っている。まるでチェッタの背中を押そうとしているかのような、強い願いの光……

 チェッタがぽつりと、洞穴の重い空気にも沈むような声を漏らした。

「……ほんとーに、これを埋めてきたら、おれらの村、あんぜんになるのか……?」

 シグリィは即答した。

「なる。少なくとも効果が切れるまでは」
「い、いつまでだ?」
「うまくいけばひと月。少なくとも、ユドクリフという方が戻ってくるころまではもつと考えている」
「―――」

 ごくりと、少年が唾を飲み込む音が聞こえた。

 《印》持ちの言葉を信じることが、彼にとってどれほど勇気のいることなのか、シグリィは知らない。
 おまけにもし彼がこれを実行したことがダッドレイ辺りに知られたなら、間違いなくまた一悶着起きる。

 それでも。

「……ほんとにこの紙、力あるんだな? ニセモノだったり、あぶなかったりしないんだな?」

 チェッタは下から睨み上げるようにシグリィを見る。

 その言葉は、疑っているのではなく――ただ明確な答えを欲しているだけのように、シグリィには聞こえた。

「ああ。誓って、村を護るため以外の効果はない」

 迷わず断言した。

 それはチェッタの満足のいく答えだったようだ。幼い目に決然とした光を乗せて、少年は顔を上げた。

 ひとつ大きなうなずきと共に。

「分かった。おれがやる。――他のやつらには言わない、すぐにやってくる。やくそくする」

 後ろを振り向き、ずっと見ていたメリィに強い視線を向ける。

 メリィもこくんと首を縦に振った。
 頼りなさげな村最年少の女の子は、驚くほど理解力のある子でもあるようだった。

 もう一度シグリィに向き直ったチェッタは、どこか希望に輝く目をしていた。

「ぜってーうまくいく。だからもっとくわしく使いかたおしえてくれよ、シグリィ!」
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