月闇の扉

瑞原チヒロ

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第一章 その日、青い光が飛んだ。

09 行方不明の少女

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 マーサたち姉弟が住む家は、村で一番大きい。
 壁は乳白色で、屋根は素朴な木々の色。ここだけ木造ではなく粘土造りであるようだ。

「きれいな家ー!」

 セレンが額に手をかざしながら家を見上げ、感嘆の声をあげる。
 それを聞いて嬉しそうに顔を輝かせたのは、ハヤナだった。

「そうだろ!」

 急に跳ねあがるような元気を見せて、シグリィたち三人の前に飛び出し、両手を広げる。

「ここは村長として今はマーサと、その補佐のぼくたちが住んでるんだ。他にも来たばかりの仲間が一時的に住むために、部屋が多く造ってある」

 誇らしげな表情。少し日焼けした顔が弾けるように笑う。

「だからこの家はとくに頑丈になるように――みんなで何度も、何度も補強して。壊れかかったところはもっといい材料探してつくろって」

 みんなで、とくり返し、彼女は自分の両手を見下ろす。

 シグリィはハヤナの手を見て納得した。チェッタを持ちあげた力持ちのその手は皮膚が厚い。指も、同年代の女性を思えば太い。傷も多い。
 男の子のような装いも、身軽さと安全面を重視したためなのかもしれない。

 ハヤナは自分の手を見てうれしそうに笑ったあと、その手でもう一度目の前の家を指さした。

「――いい家だろう!?」

 東からのぼる太陽の光が、やわらかい色の壁を包んでいる。
 村を一望するように。
 素朴な家は、晴れ渡る青空の下、堂々と建っていた。

「どうぞお座りください。今お茶をお淹れします」

 シグリィたちに椅子をすすめて、マーサは台所に立った。
 ハヤナもそれに続こうとしてふと立ち止まり、弟を振り返ると、にらみつけた。

「チェッタ、お前何ちゃっかり椅子に座ってるんだ。洗濯はどうした!」

 またもや伸びた手がむんずとチェッタの襟をつかむ。
 チェッタは必死に抵抗した。

「いやだっての! おれはこいつらを“かんし”するんだ!」
「ちゃんとやらないと今日一日ご飯ぬくからな!」
「ち、ちくしょー! ハヤナはおーぼーだ! ヨメのもらいてなくなるんだかんなっ! イカズゴケ!」
「どこで覚えたんだそんな言葉ーーーー!」

 チェッタのこめかみを両手で“ぐりぐり”する。チェッタの悲鳴があがった。

「だめよハヤナ、痛いことをしては」

 台所からマーサの声がかかる。
 ハヤナはしぶしぶと手を放した。チェッタがこめかみを両手でおさえてうめいた。

 ――“いかず後家”の意味がまちがっている、というつっこみはこの際しないでおこうとシグリィは思った。

 仲がいいとしか言いようのない姉弟の姿を見て、ジオがくっくとおかしそうに肩をゆらす。

「ったくよ、チェッタ。お前さんの心意気はいーが、監視するとしてもちと役者不足だぁな」
「なんだとっ。オッサン、ユードの一番弟子であるおれをナメるなよっ」
「ほーぉ。じゃあいい加減ハヤナとの勝負には勝てるようになったか?」
「ぐっ」

 少年がひるむ。ジオがにやにやとしながら、あごをさする。

「オレが前に来たときゃあゼロ勝七十二敗だったっけか。今はどうなったんだ、ハヤナ?」
「百六戦全勝。ぼくが」

 ハヤナが胸をはった。そんなしぐさはやはりチェッタとよく似ている。

「勝負ってなんのことです?」

 シグリィが口をはさむと、

「あれだ、木の枝を木刀代わりにしたチャンバラごっこってやつだな」
「ハヤナはわかってねーんだ。いつもオレサマが手かげんしてやってるってことをなっ」
「嘘つけ。いつもぜえぜえ言いながら、足もたつかせてるくせに」
「真のヒーローはめったに本気を出さないんだってユードが言ってたんだ!」

 鼻で笑うハヤナに、チェッタがかみつくような声を出す。
 そんな姉弟を見ていて、シグリィは一瞬、ここは本当に例の福音の島なのだろうか――と考えてしまった。

 正直、意外だった。……彼らがこれほどことに。

 彼らは《印》なき者。その体から、なじみ深いその気配はまったく感じない。
 大陸にいたころの彼らがどんな扱いを受けていたかは分からない。だが、まともな扱いを受けていたら、そもそも子供の身でこんな辺境の孤島に住みついたりしないだろう。

 そして、マーサが最年長という言葉が本当なら――彼らの親は、ということだ。

 ――それでも。

「なんでえハヤナのひんにゅー!」
「なんだとこのちんちくりん!」
「二人とも、けんかしていないで運ぶの手伝って」
「「了解、マーサ!」」

 シグリィはそっと微笑む。

(この姿が心の中のすべてではないとしても)

 ――彼らがあふれさせているエネルギーは、何物にも代えがたく尊い。

 俺は四年前に初めてこの島にきた、とジオは言った。

「いつもより遠出して、この辺りまで漁にきていた。そうしたら“迷い子”に襲われちまってな、幸い弱ぇ“迷い子”だったが、仲間がひとり怪我ぁしたんだよ。それで思い出したのさ、ここがうわさの薬草島だってことをな」
「それでここに避難した?」
「いんや、他の連中はいやがったんでな。上陸したのは俺だけだ。連中は船倉で縮こまってたぜ……ああ、俺の仲間にはグランウォルグの王を怖がってるやつらが多かったんだ――代がわりしてもな。とにかく、一人で上陸して驚いたのさ。あの薬草の量! ついついあちこち歩き回ってたらよ、ユードに見つかって剣つきつけられてよ」

 ありゃあおっかなかったぜ、と言いながら、ジオは愉快そうに笑った。そして三姉弟が出してくれた茶菓子をひとつ口に放りこんだ。

 マーサのお手製だという薬草茶と菓子。お茶の苦みに、ほんのり甘い菓子がよく合う。

 シグリィたちはまだ朝食をとっていないが、村の朝ご飯の時間はもう終わってしまったらしい。しかしこのティータイムは十分に彼らのすきっ腹を癒してくれる。

「わたしたち姉弟は五年前からこの島におります」
 席についたマーサが、シグリィたち三人をまっすぐに見ながらそう言った。「一番古い者で六年です。前村長と、その弟のユード、他数人が最初の住人です」

「その、先代の長は?」
「一昨年亡くなりました」
 静かな声に、動揺はない。「最年長がわたしとユードで、ユードは大陸に用事があるため、わたしが長を引き継ぎました」

「大陸に、いったい何の用事が?」

 シグリィはマーサを見つめ返す。
 マーサは少し困ったように小首をかしげて、

「……詳しくはわたしどもも知りません。おそらく金策のためでしょう。ユードは色々なものを持ち帰ってきますから」

 なるほど、とうなずいたシグリィは、それ以上問いつめなかった。――もしもどんな“金策”なのかを知っていても、おそらく話すつもりはないのだろう。

 話を小休止させるつもりで、部屋を見渡す。
 まだ朝の気配がぬけない窓の外。ぽかぽかとあたたかい陽射しがさしこんで、板張りの床に光の波を描く。時折乳白色のカーテンがそよそよとそよぎ、家のすぐそばの木々から鳥が飛び立った。

 ふしぎなほど、のどかな時間。

「……このお茶とてもおいしいですね」
 カミルがおだやかにマーサに話しかけた。「よかったら作り方を教えていただけませんか」

 マーサはやさしい顔つきをさらにやわらげた。

「喜んで。材料もお分けしましょうか――ちょうど今日は薬草を摘みに行く日ですわ。お時間があるならご一緒にどうぞ」
「シグリィ様、どうなさいますか」

 声をかけられて、シグリィは部屋をさまよわせていた視線をテーブルに戻した。

 唐突に、彼は思い出していた。――自分の意識を隅にあった小さな焦燥を。

 話を切り出すための言葉をさがす。星。青い流れ星。この島の方向に落ちたような気がした星。流れ星は地上に降り立つ――

 と、シグリィが口を開くより先に、ガタッと行儀の悪い音を立ててチェッタが立ちあがった。

「おれ二階に行く。アイツの様子見てくる」

 ハヤナがはっと弟を見た。その視線がいったん壁時計に向かい、それからまた弟に戻る。

「……まだ早いよ。眠ってるんじゃないか?」
「起こさねえよ。でも何があるかわかんねーじゃん。それにうなされてたら、起こす」

 きっぱりと言う弟に、ハヤナはため息をついた。

「分かった、じゃあぼくも行く。お前ひとりじゃ何ヘマするか分かんないし」
「どーゆーイミだよっ!」
「そーゆーイミだよ。ほら、行くよ」

 立ちあがったハヤナは、壁から鍵をとり、さっさと階段に向かって歩き出した。「まてよ!」と声をあげながらチェッタが後を追った。

「誰か二階にいるの?」

 カップの取っ手をもてあそびながら、セレンがマーサを見る。
 マーサはとても自然に微笑んだ。

「ええ……この島に着いたばかりの子が、ひとり」

 言いながら妹弟たちが足早に二階に昇っていくのを見送り、長姉は目を細める。
 ジオがきつく眉根を寄せた。

「また増えたのかよ。……ああ、たまったもんじゃねえな」

 吐息とともにつぶやく声は、どこか物悲しい。

「やっぱり子供なのね?」

 セレンはコップから指を離し、んー、と柳眉を寄せた。

「どうして子供ばっかり?……みんな生まれつき? だったら大人がいないっていうのは、昔から異変が起こってたわけじゃないってことですよね、シグリィ様」
「……マーサさん、本当にあなたが最年長ですか?」

 セレンに直接応えることをせず、シグリィはマーサに訊いた。流れ星の話はいったん置くしかない。
 マーサはうなずいた。

「はい。この島に二十歳以上の者はおりません。十九歳のわたしとユードが一番上です」
「それはこの島にいるのがたまたま若い人ばかりだということですか? それとも――」

 ――セレンの言うとおり、大陸全体を見ても二十歳以上の“《印》なき者”がいないということだろうか。
 しかし、そこまではマーサにも分からないようだ。首をふる娘の代わりに、ジオが口を開く。

「大陸全体のことなんざ、把握できねえよ。俺も島にいる連中以外見たことねえが――でもな、ひょっとしたらずっと昔からいたのかもしんねえな。なあマーサ?」

 ジオに呼ばれて、マーサが何とも言えないあいまいな顔をする。
 それを見た瞬間に、シグリィは思い出した。――そうだ、二十歳以上なら。

「先代の長は、何歳だったんです?」

 ユード――ユドクリフという人物が、今マーサと同じ十九歳だという。
 そしてユドクリフは、先代の“弟”だとマーサは言った。ということは?
 目を伏せたマーサの睫毛が、わずかに震えたのを、シグリィは見た。

「……先代は、一昨年に十九で亡くなりました。だから……」

 ひとつ、ため息。
 頭をふって何かを打ち消すようにしたマーサは、顔をあげると、

「大丈夫かしら、あの子たち……」

 気をまぎらわせるかのように二階に目をむける。
 ――何を言いかけた?
 問いつめるべきかとシグリィが考えた、そのときだった。

 豪快な足音が、二階を駆け降りてきた。
 チェッタは転げ落ちそうになりながら階段を降りると、マーサを見るなり叫ぶように言った。

「――いねえ! アイツが部屋にいねえ!」

 真っ青と真っ赤の中間のような顔色が、チェッタの動揺を知らせる。

 マーサがさっと青ざめた。すぐに立ちあがり「他の部屋はさがしたの?――ああ、ハヤナが行っているのね、窓は開いていた?」と早口に弟を問いつめる。

「窓あいてた! たぶん、窓から出ていったんだ!」
「なんだと? いつものあの部屋だろう? 飛び降りたのか!」

 ジオが吠えるように言いながら、椅子を蹴倒すようにして立ちあがる。
 部屋に緊張が走る。反射的に、シグリィたち三人も立ちあがっていた。

「他には? 何か残っていた?」

 マーサの問いに、チェッタは首をふる。

「ない。何もなかった」
「――すみません皆さん、少し失礼します」

 マーサはシグリィたちに向かって一礼すると、さっと身をひるがえして二階へ駆けのぼった。代わりに一階に残ったチェッタは、シグリィたちの視線にも気づかず、激しく息を乱しながら大きくかぶりを振った。

「くそ――くそぉっ! なんでだよ……!」

 何度も毒づく。いらだっているというよりは、不安を殺そうとしているかのような声。

「おいチェッタ、大丈夫か――」

 ジオが近づいても、聞こえていないように少年は反応しなかった。

「チェッタ、おいチェッタ!」

 肩をつかむと、激しく抵抗して振り払う。ジオは驚いたように手を引っこめ、困惑の色を浮かべる。あまりにも大きなチェッタの動揺の意味が分からず、だれもが動くことを躊躇していたその中で、

「チェッタくん!」

 セレンが声をあげた。息を乱したままの子供に駆け寄って、おもむろに抱きしめる。
 彼女の腕の中で、チェッタがびくっと体を硬直させた。セレンは何も言わず、ただ少年を強く抱き続けた。

「―――」

 チェッタの言葉が途切れた。
 弱々しい小さな少年の手が、セレンの服をつかむ。

 シグリィはカミルとともにそれを見つめた。――おびえる子供を支える母親がいるのなら、自分たちの出番はない。

 部屋に沈黙が落ちる。張りつめたままの空気の中、女の腕に抱かれる幼子の呼吸がはっきりと聞こえる。頼りなげなそのリズムが、セレンの抱擁の中で徐々に落ちつきを取り戻す。緊張していた糸をほぐすように。

 やがてマーサがハヤナと連れだって二階から降りてきた。その表情を見るに、いい報告は見つからなかったようだ。

 セレンとチェッタの様子を見て、ハヤナがぎょっとしたような顔をした。

「チェッタ?」

 ハヤナの声でようやく我にかえったチェッタが、慌てて「放せよ!」とセレンを押し離す。
 セレンはすぐに手を引っこめた。
 そして、驚くほどやさしい表情で、チェッタに微笑みかけた。

「落ちついた?」

 チェッタは真っ赤な顔でそっぽを向いた。しかしすぐはっとして姉たちを見やる。

「どうだった!?」

 マーサは沈痛な表情で首を横にふる。それからシグリィたちに向き直り、

「お客様、すみません。これからわたしたちで捜しにいきます。場合によっては村人全員で」
「二階の窓から自分で出たんですか? 窓の外に木でも?」
「いえ、……来たばかりの子にはそういう部屋をあてないようにしています。はっきり申しますなら、勝手にいなくなったりしないように」

 想定外でした、とマーサは目を伏せる。

「女の子だったので、二階から飛び降りるようなことはないだろうと……。あの子は昨夜見つかったばかりです。この土地に慣れていないはず――早く見つけないと、危険です」
?」

 問い返すシグリィに、マーサは目を閉じ、開くと、ゆっくりうなずいた。

「――私たちの仲間は、この世をはかなんで最悪の選択をすることが少なくないのです。それにあの子は」

 ――記憶喪失だから。

 シグリィたちは即座に、自分たちも捜索に参加すると伝えた。
 消えた少女の特徴をひと通り聞いた後、全員で外に飛び出し、急いで問題の部屋の下にあたる場所へと向かう。

 そこに、伝って出られるような木はたしかになかった。開け放した窓の下、比較的やわらかい土に、足跡が残っている。それほど大きくはない、たしかに若い女の子のものに見える。

 裸足の跡はほんの少しその場をうろうろするような動きのあと、森がない方向へと一直線に向かっていた。だんだん歩幅が開いている。走っていってしまったらしい。

 シグリィは不審に思った。昨夜見つかったばかり、この土地に慣れていない……慣れない土地で迷いなく走ることができるのだろうか。

 ――昨夜?

 ふいに、脳裏に船上で見た光が流れる――

「青い星が落ちたんだ」

 シグリィははっと横を見た。
 隣にいたハヤナが、独り言のようにつぶやいていた。

「青い青いきれいな光。窓から見えてた。夜中だったけど、思わず家飛びだして落ちた場所へ走った」

 ――青い光?

 まただ。また何かが揺れ動く。
 ふりこが心の中にあるかのように。何かに向けて刻を刻んでいるかのように。

「そうしたらそこに」

 ――流れ星は昔から、地上に達したら人間の姿をとるのだと、

「女の子が一人で倒れていて」

 大陸では信じられていて、

 けれどあの青い光は本当に流れ星?
 その少女に会わなくては。

 心の振動がとまらない。
 彼の衝動を突き動かして、とまらない―― 
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