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Story 21
しおりを挟む仁寿が茹であがったパスタを皿に盛って、フライパンのミートソースをかける。すると、湯気に乗って漂ってきたおいしそうな匂いが、彩の鼻腔をくすぐった。
「なにも問題はないみたいで、四カ月おきの受診が半年おきになりました」
「半年後か。病院に行ったのは十月だったから、次は来年の四月くらい?」
「そうですね」
「少しは、ほっとした?」
「はい、ほっとしました」
「僕もほっとした」
何気ない日常こそ幸せ。ふと、いつかの、仁寿の言葉が胸をよぎる。思えば、今までなにが幸せかなんて、真剣に考えたことがなかった。僕もほっとした、と言われて目の奥がじんと熱くなるのはなぜだろう。
彩は、カウンターに置かれた二人分の小盛りパスタをダイニングテーブルに運ぶ。席に着く間際、仁寿が黒い長袖のシャツを彩に手渡した。彩が着ている、白いコットンリネンのブラウスへの気遣いだ。
「これ使って」
「ありがとうございます」
仁寿サイズの長袖を着て、イスに座る。横髪を耳に掛けると、向かいに座った仁寿がスプーンとフォークを差しだした。
「彩さんの口に合うといいけど」
「おいしそう。いただきます」
ほっぺたが落ちちゃうくらいおいしいパスタを頬張った時、仁寿が「幸せだなぁ」と笑ったので、彩はこみあげる涙をこらえるのに必死だった。それをまぎらわすために、コミックの話題を持ちだす。
「あのマンガは、先生が買ったんですか?」
「ううん、姉からのおさがり」
「お姉さん?」
「あれ、彩さんには言ってなかったっけ。僕には、安寿っていう、七歳年上の姉がいるんだ。小児科医で今は千葉の大学病院にいるんだけど、後々、故郷で母がやってる小児科のクリニックを継ぐみたい」
「へぇ……」
ご両親どころか、お姉さんまでお医者さんだったなんて。一瞬、飲み込んだパスタが喉に引っかかる。
「先生、単刀直入にお聞きしてもいいでしょうか」
「どうしたの、改まって」
「わたし、先生には不釣り合いじゃないですか? わたしは平凡な一般家庭の出身だし、先生のご両親とかご実家とか、いろいろ迷惑になるような気がして」
失礼な物言いになったかもしれない。彩は、内心で反省しながら仁寿の顔を見る。しかし、それは杞憂だったようで、仁寿は特に気にする様子もなくいつもの調子で彩に答えた。
「彩さんについては、ずっと前から両親に話してるからまったく問題ないよ」
「それ、本当ですか?」
彩が疑ってしまうのは仕方がない。だってほら、よくあるじゃない。どこの馬の骨とも知れない輩め! みたいなどろどろした展開。裏で手切れ金なんかを渡して、二度と息子に近づかないでちょうだいっていうあれ。ちょっと、最近見た韓国ドラマの影響を受け過ぎかもしれないけど……。
「嘘じゃない。本当だよ」
「じゃあ、お見合いとかは? 先生のご実家は、由緒ある家柄でしたよね?」
「ないない。彩さん、由緒もなにも廃藩からどれだけたったと思ってるの。今や、仕える藩主もいないのに」
「でも……」
「いい機会だから打ち明けるけど、大学二年の時から好きな人がいると言い続けて、一向に彼女を紹介しないからさ。家族みんな、僕がモテなさ過ぎてイマジナリー・ガールフレンドと疑似恋愛してるんじゃないかと疑ってるみたいなんだよね。だから、僕としては一刻も早く彩さんを両親に紹介したいところ」
彩の手が、フォークにパスタを巻きつけたまま停止する。
「でも、まずは彩さんの気持ちが大事だし、僕の両親より彩さんのご両親のほうが先だと思うから」
にこやかな表情とは裏腹に、声から真剣な気持ちが伝わってくる。鼻の奥がつんと痛くなって、また涙が出そうになった。
「先生は、いつもそんなふうに考えてくださってたんですね」
「うん」
「ありがとうございます」
ぽたっと涙が落ちて、彩は慌てて仁寿のシャツの袖で目尻をおさえる。その時、シャツの胸元に筆記体でpassionとプリントされているのに気がついて、彩の涙腺と腹筋はあっけなく崩壊してしまった。
その日は、出張に必要なものを買いそろえるために、夕方から二人でショッピングモールへ行った。街はクリスマスに向けて日に日に冬っぽく装飾され、どこもプレゼント商戦が始まっている。
ショッピングモールを歩く途中で、彩が持っている青いハンドバッグの話になって、彩はそれを買った経緯を仁寿に話した。その他にも、ワインのおいしいレストランで夜ご飯を食べながら、仕事の話や世間話など二人の話題は尽きない。
「それじゃ、彩さん。次は土曜日、病院で会おうね」
「はい。土曜日は先生たちの体制が悪いので、午前中は医局が空っぽになると思います。だから、病院に来るのはお昼近くでいいですよ」
「うん、分かった」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
アパートの玄関先まで送ってくれた仁寿を見送って、玄関の鍵をかける。左手に残る仁寿のぬくもり。ショッピングモールで買い物をしている時も道を歩いている時も、ずっと握っていてくれたから、まだ手を繋いでいるような感じがする。
――先生は、待ってくれている。
わたしが、いろいろ時間がかかってしまうかもしれないと言ったから。院外での研修で、自分だって毎日大変なのに。仁寿の顔を思い浮かべると、胸がきゅっと締めつけられるように切ない。
先生の思いを知った。わたしは、どうするべきだろう。
彩は、お風呂と洗濯を済ませて仁寿にメッセージを送った。
『今日はありがとうございました。
もうすぐ誕生日ですね。なにかほしいものはありますか?』
今週の土曜日、仁寿と彩は昼過ぎの新幹線で出張先へ向かう予定だ。ちょうど日曜日が仁寿の誕生日だから、その時にプレゼントを渡そうと思ったのだ。すぐに既読がついて、返事がきた。
『考えておくね』
メッセージと一緒に送られてきた真っ赤なハートが、仁寿のパッションを表現するように画面いっぱいにはじける。
仁寿の喜んでくれている顔が見えるようで、胸がとくとくと高鳴る。その夜、彩は幸せな気持ちで眠りについたのだった。
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