年下研修医の極甘蜜愛

虹色すかい

文字の大きさ
上 下
19 / 43

Story 17

しおりを挟む
 ◆◇◆





「お先に失礼します。お疲れ様でした」

 十二月五日。
 彩は、昼休憩中の上司と医師たちに挨拶をして医局をあとにした。その手には、青いハンドバッグと重要書類の入ったA4サイズの茶封筒が握られている。

 医局秘書課に所属する彩は、医事課やその他の事務職員たちとは違って制服がないから、更衣室に寄って着替える必要もない。今日は院外に出なければならない業務はなく、コートの下は七分袖の白いコットンリネンのブラウスとそれに合う膝下丈の黒いフレアスカートというシンプルな装いだった。

 廊下ですれ違った院内薬局の薬剤師と軽い雑談をして、タイムカードに打刻する。職員通用口から外に出ると、冬陽にしては熱のある強い日差しがさんさんと降りそそいでいた。

 時刻は十二時二十三分。駅までは徒歩で十五分ほどだから、ゆっくり行っても待ち合わせの時間より少し早く着くだろう。


「あれぇ、彩さん。今日は半休なんだ?」


 背後から声をかけてきたのは、数カ月前に医局長に任命された外科の篠田医師三十五歳。クセ毛のようなパーマがかもしだすイマドキの外見に、濃紺のスクラブの上に羽織ったドクターコートの袖を腕の中ほどまでまくるのは、彼の通年定番スタイルだ。

 彩は篠田の歩いて来た方向から、タバコを吸いに行っていたのだと察する。病院は、屋内はもちろん敷地も含めて禁煙なのだが、彼は敷地内に絶好の穴場を見つけて、そこでこっそり喫煙しているのだとか。時折、彩の上司がそれとなく注意するが、どこ吹く風。まったく聞く耳を持たない。


「はい。所用があって、お休みをいただきました」

「ふぅん。彩さんの机の上に、先生たちの勤務希望の紙を置いといたんだけど、気づいたかな」

「来週中には当直と日直を組んで先生にお渡ししますね」

「いつもごめん」


 悪いとはこれっぽっちも思っていない、ただの社交辞令だと明白な篠田の軽い口調。それでも彩は、顔色一つ変えずに応える。

 実をいうと、彩は篠田が苦手だ。彼の軽薄さや聞きたくなくても耳に入ってくる噂、年配の先生に対する敬意のないものの言い方。言葉遣いや口調の荒さが高圧的に感じるし、納得できないと相手をとことん問い詰めて論破してくるところも面倒で扱いづらい。

 しかし、彼は育った境遇と経験から、確固たる信念をもって医師の仕事と向き合っている。仕事にストイックで、一切の妥協を許さない。それを間近で見ているから、彩は私情と仕事を切り離して、篠田のいいところに目を向けるよう心がけている。それは篠田に限らず、他の医師に対しても同じだ。


「先生が忙しいのは承知しているので、気になさらないでください。でも、わたしが当直と日直を組んでいることは、絶対に内緒ですよ。事務が勤務を決めていると知ったら、先生たちの不平不満が爆発して収拾つかなくなっちゃいますから」

「分かってるよ。彩さんには世話になってばかりだな。そうだ、御礼に飯でもおごろうか」

「お気持ちだけいただきます」

「俺と二人で飯食うの、嫌なわけ?」


 篠田が、片方の口角をあげて笑う。


「先生と二人はちょっと」

「はぁ? どういう意味だ、こら」


 おかしそうに笑う彩をどう思ったのか、篠田が「じゃあね。お疲れ様」と笑顔で言い残して、ひらひらと手を振りながら職員通用口に入っていく。

 その背中を見送って、彩は日傘を広げた。生成りのリネン生地にマリーゴールドがワンポイントで刺繍されたそれは、百貨店で一目惚れして買ったお気に入りだ。

 じりじりと地面をこがすような日差しの中、駅前にあるコーヒー専門店を目指す。ヒールの高い靴を好まない彩の足音は、猫の忍び足のように静かだった。



 ――暑いなぁ。



 もう十二月だというのに、晴れた日の昼間は夏と変わらない。途中でたまらずコートを脱ぐ。車通りの多い片側一車線の県道を渡って、駅へ続く小道を歩くこと十五分。

 彩は待ち合わせ場所のコーヒー専門店に入ると、スマートフォンの画面をタップしてお店のアプリを立ち上げた。炎天下を歩いて乾いた喉を、冷たいコーヒーで潤そうと思ったのだ。

 注文カウンターに並ぶ前に一度、店内を見回す。待ち合わせ相手の姿はまだない。新商品のかわいいフラペチーノにマキアート、それからラテも魅力的だったが、結局、シンプルなドリップアイスコーヒーを注文して奥の窓際に座る。

 店内は、コーヒー特有の芳香と女性たちの陽気な笑い声に満ちていた。壁に掛けられた有名なイラストレーターの絵が描かれたカレンダーを見ると、今日の日付に赤字でポイント五倍と書かれている。どおりで、平日の昼過ぎにもかかわらず繁盛しているわけだ。

 コーヒーのグラスにさしたストローを唇ではさんで、外に目を向ける。大きなガラス張りの窓の向こうには、スーツ姿のサラリーマンや小さな子供を連れた女性たちが闊歩する日常的な光景が一枚絵のように広がっていた。それを眺めながら、冷たいアイスコーヒーを喉に流し込む。



 ――あぁ、生き返る。



 普段は会議や打ち合わせに事務作業、時には医師と別の病院へ行ったり、タイトなスケジュールで埋まっている午後が休みだと気分が一気に開放的になる。二カ月に一度あるかないかの午後半休は、彩にとって貴重なリフレッシュの時間だ。

 テーブルに置いていたスマートフォンが、振動してメッセージの受信を知らせる。メッセージアプリをタップすると、待ち合わせの相手からだった。


『今、駅の駐車場に着いた』


 彩は、アイスコーヒーのグラスを置いて、末尾に汗をかきながら走る人の絵文字がついたメッセージにスタンプで返事をする。選んだスタンプは、由香や親しい女友達にしか使わない、パステルカラーのモコモコしたかわいいクマ。胸に抱えた大きなハートマークに大きく「OK」と書かれている。送信すると、すぐに既読がついた。

 指先でメッセージの履歴をさかのぼる。
 仁寿の院外研修が始まってからの主な連絡手段は、このメッセージアプリだ。以前なら業務的な味気ない内容ばかりだったのに、日常の何気ない話だったり今日みたいに会う約束だったり、スクロールする画面にはプライベートなメッセージが並んでいる。


『じゃあ十二月五日、午後一時に駅前のコーヒー店で』


 仁寿からのメッセージの所でスクロールを止める。彩の顔が、ふわりと自然な笑顔になった。

しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

敏腕ドクターは孤独な事務員を溺愛で包み込む

華藤りえ
恋愛
 塚森病院の事務員をする朱理は、心ない噂で心に傷を負って以来、メガネとマスクで顔を隠し、人目を避けるようにして一人、カルテ庫で書類整理をして過ごしていた。  ところがそんなある日、カルテ庫での昼寝を日課としていることから“眠り姫”と名付けた外科医・神野に眼鏡とマスクを奪われ、強引にキスをされてしまう。  それからも神野は頻繁にカルテ庫に来ては朱理とお茶をしたり、仕事のアドバイスをしてくれたりと関わりを深めだす……。  神野に惹かれることで、過去に受けた心の傷を徐々に忘れはじめていた朱理。  だが二人に思いもかけない事件が起きて――。 ※大人ドクターと真面目事務員の恋愛です🌟 ※R18シーン有 ※全話投稿予約済 ※2018.07.01 にLUNA文庫様より出版していた「眠りの森のドクターは堅物魔女を恋に堕とす」の改稿版です。 ※現在の版権は華藤りえにあります。 💕💕💕神野視点と結婚式を追加してます💕💕💕 ※イラスト:名残みちる(https://x.com/___NAGORI)様  デザイン:まお(https://x.com/MAO034626) 様 にお願いいたしました🌟

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

冷徹上司の、甘い秘密。

青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。 「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」 「別に誰も気にしませんよ?」 「いや俺が気にする」 ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。 ※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

小野寺社長のお気に入り

茜色
恋愛
朝岡渚(あさおかなぎさ)、28歳。小さなイベント企画会社に転職して以来、社長のアシスタント兼お守り役として振り回される毎日。34歳の社長・小野寺貢(おのでらみつぐ)は、ルックスは良いが生活態度はいい加減、デリカシーに欠ける困った男。 悪天候の夜、残業で家に帰れなくなった渚は小野寺と応接室で仮眠をとることに。思いがけず緊張する渚に、「おまえ、あんまり男を知らないだろう」と小野寺が突然迫ってきて・・・。 ☆全19話です。「オフィスラブ」と謳っていますが、あまりオフィスっぽくありません。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも掲載しています。

外国人医師と私の契約結婚

華藤りえ
恋愛
※掲載先の「アルファポリス様」の<エタニティブックス・赤>から書籍化・2017年9月14発売されました。 医学部の研究室で、教授秘書兼事務員として働く結崎絵麻。 彼女はある日、ずっと思い続けている男性が、異国の第二王子であると知らされる。 エキゾチックな美貌の優秀な研究者で、そのうえ王子!?  驚き言葉を失う絵麻へ、彼はとんでもない要求をしてきた。 それは、王位を巡る政略結婚を回避するため、彼と偽りの婚約・同棲をするというもの。 愛情の欠片もない求婚にショックを受けながら、決して手は出さないという彼と暮らし始めた絵麻。 ところが、なぜか独占欲全開で情熱的なキスや愛撫をされて、絵麻の心はどうしようもなく翻弄されていき……? 叶わない恋と知りながら――それでも相手を求めてやまない。 魅惑のドラマチック・ラブストーリー!(刊行予定情報より) ※2017/08/25 書籍該当部分を削除させていただきました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

処理中です...