年下研修医の極甘蜜愛

虹色すかい

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Story 13

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 ◆◇◆





 彩の寝息が規則正しくなったころ。
 仁寿は、そっとベッドをおりて服を着た。床に散らばっている彩の服と下着をたたんで、フットベンチに置く。それから一度、彩の寝顔を覗いて部屋の照明を消すと、静かに寝室をあとにした。

 今日の夕方、担当している入院患者の多職種合同カンファレンスのあと仁寿が医局に戻ると、いつもならまだ仕事をしているはずの彩の姿がなかった。同期の研修医からめずらしく定時に帰ったと聞いて、仁寿は消灯された人気のない血管造影室の前で彩に電話をかけたのだった。



 ――もしかして……。



 具合が悪いのかな。昨日も今日も、そんな感じではなかったような気がするけれど。

 その時の胸の内は、心配なのか不安なのかよく分からない気持ちでいっぱいだったように思う。冷静に考えれば、彩さんにも当然プライベートがある。それに、不眠になるのは年に一度か二度だといっていたから、焦る必要なんてなかったのに。





 体に残る気怠さを払拭するように、リビングへ向かう廊下を歩きながら頭を振ってギアを切り替える。

 二年間の初期研修が終わるまでに、定められた種類の疾患や症候についてレポートを作成しなくてはならない。

 今日はその症候のうち、最近経験した一つの症例についてまとめるつもりでいた。それ以外にも、定例の振り返りで使うポートフォリオとして、ほぼ毎日その日に実践したり学んだり、とにかく医師として経験し、関わったことすべてを記録に残している。

 病院では業務をこなすのが精一杯で、他に費やす時間がない。だから仁寿は、夜な夜な無音の静かなリビングでポートフォリオ作りに勤しんでいる。

 リビングに向かう途中で、バスルームに寄って洗面台の前に立つ。仁寿は、冷水で顔を洗うと、正面の鏡を手前に引いて鏡裏の棚からメガネを取った。

 オーバル型のナイロール。いまいちトレンドと自分に似合うものが分からなくて、眼鏡店の店員にすすめられるまま選んだ無難な黒のフレームだ。それをかけて、髪を手櫛で整えながらバスルームを出る。

 車の運転に必要な視力に少し満たない程度の近視で、裸眼で生活しようと思えばできなくはない。しかし、視界がはっきりしなくて目が疲れるし、なにより仕事をするうえで支障があるから普段はコンタクトを使っている。

 お風呂に入る時にコンタクトをはずして、いつもならメガネをかけるのに今日はそれをしなかった。実をいうと今日だけではない。土曜日の夜もそうだった。少し視界がぼやけているほうが、都合のいい時もあるからだ。



 ――彩さんは目がきれいだから、直視するとこっちの心臓がもたないんだよね。



 リビングの照明をつけて、テーブルに置いたままになっていたグラスを洗う。

 仁寿は高校二年の夏休みを、仕事でスウェーデンに滞在していた父親のもとで過ごした。
 海外は初めてではなかったけれど、最後に日本を離れたのは小学校入学前で、スウェーデンの公用語なんてかじったこともなかったから好奇心より不安のほうが勝っていたように思う。しかし、実際に行ってみると、英語を話せる人が多くて言葉の壁はまったくといっていいほど感じなかった。

 父親の住まいはストックホルムの住宅街の一角にあって、近くには同じ年頃の学生がたくさん住んでいた。高校や大学などの教育機関が充実していて、立地がよかったからかもしれない。

 父親が親しくしていた隣人宅に滞在の挨拶にうかがったのをきっかけに、翌日から近所の学生が訪ねて来てくれるようになった。スウェーデンの学校もちょうど休みの時期で、一緒に遊びに出かけたり図書館へ勉強しに行ったり、男子も女子も見知らぬ異邦人にフレンドリーに接してくれる親切な人たちばかりだったのが印象的だ。そのうちの数人とは、今でも時々メールで連絡を取り合っている。

 スウェーデンで過ごすのもあと一週間ほどになったある日、仲良くなった近所の学生に誘われて南部のスモーランドを訪れた。バルト海に面していて、美しい海岸線が有名なのは知っていたけれど、スウェーデンのガラス工芸の歴史がこの地から始まったと知ったのはこの時だった。

 洗ったグラスを水切り台にふせて、タオルで手を拭う。

 スモーランドにある工房の店で、一目惚れして買ったグラス。特に青色が好きなわけではないけれど、北欧の青は日本の青より色素が薄く澄んでいてすごく目を惹かれた。



 ――彩さんも気に入ってくれたみたいで、よかった。



 スウェーデンでの生活は、たった一カ月ほどだった。しかし、風土や気候、国に根づく思想や文化、なにもかもが違う国での生活はそれまでの考え方を一新するくらい刺激的で、当時を振り返ると楽しい思い出ばかりが脳裏に浮かぶ。



 ――真面目な話もくだらない話もたくさんしたなぁ。



 なにもかもが日本とは違うといっても、年頃の男子が話す内容に国境はない。男子五人で庭のベンチに腰かけて、いつまでも沈まない夕日に顔を赤く染めながら話すのは、おおかた恋愛についての話題がほとんどだった。ただし、恋愛対象の性別にこだわらないところはさすがだと思う。


 What kind of girl are you attracted to?


 一人の男子に尋ねられて、返事に窮したのもいい思い出だ。もちろん、これは仁寿が自分の心と体の性を男性と認知していて、恋愛対象が女性だと明かしたうえでの質問だった。

 よく笑う人には好感を持つ。優しい人は確かに安心するし、頭のいい人なら話に飽きない。しかし、それが恋愛と結びつく魅力だろうかと自問自答すると答えが出ない。グラスと違って、人の魅力を一般的な価値観で判断して、ありきたりな言葉でそれをあらわすのは難しいから。

 そもそも、一般的な価値観ってなんだろう。掘り下げるとキリがなくて、軽く頭が混乱してしまう。
 日本では時間つぶしのような中身のないただの恋バナも、国が違えば意味合いも深さも変わる。ちょっと性的な内容も含んだ彼らとの会話は、恋愛の枠にとどまらず、人を好きになるってどういうことだろうと真剣に考えるきっかけを与えてくれた。



 ――僕は、どんな人と一緒にいたいのかな。



 スウェーデンでの日々を思い出しながら、ダイニングテーブルのイスに座ってタブレットの電源を入れる。向かいのイスに置かれた彩の青いハンドバッグと背もたれに掛けられた上着に、仁寿の顔が無意識にほころんだ。
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