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 ◆◇◆


 おもむろに目を開けると、アイスブルーの瞳がすぐそばにあった。綺麗な二重の縁取りと、程よい長さのまつげ。小さな頃から綺麗な顔立ちだったけれど、今は男らしさも加わって見ているだけでどきりとしてしまう。

 お互いに裸のままだと気付いて、私は体を小さく丸めて顔を伏せた。ティアス王子にドレスを着てみてと言われて、侍女と自室に戻ってからどれくらい経ったのだろう。



 ……それにしても。



 誰か呼びに来てもおかしくないのに、誰も来ない。そう言えば、私にドレスを着せた侍女も、ティアス王子を呼んで来ると言って出て行ったきりだ。

 今になって、冷静に頭が動き始める。
 ひとり壁に備え付けられた大きな姿見の前に立って、真っ白なドレスを鏡越しに見た時、私は嬉しかった。生まれて初めて、同じ年頃の令嬢たちが着ているような胸元の開いたドレスを着れたのだもの。

 息の詰まるような襟の無い、ドレスの解放感が嬉しくて思わず表情が緩んだ。その時だった。供も連れず、たったひとりでクレスタが現れたのは。


「あの……、クレスタ。私、そろそろ戻るわ」

「どこに?」

「ティアス王子の所へ。ドレスの感想をお伝えしなくては……」

「はっ。俺に抱かれたお前を、ティアス王子が快く迎え入れると思っているのか?」

「……そ、それは」


 近隣諸国とうまく付き合いながら、クレスタが虎視眈々と隣国に狙いを定めている事は知っている。クレスタのため、ひいては祖国のために、ティアス王子に嫁ぐ日をじっと待っていた。クレスタ以外の男性は誰であろうと同じだし、どうせなら少しでもクレスタの役に立ちたかったから。



 でも、そうね。



 私にはもう、純白のドレスを着る資格が無い。あれほど慎ましく生きて来たのに、何もかもが台無し――。

 穢れた身を偽って嫁ぐわけにはいかないし、両国の関係はどうなってしまうのかしら。私はどうしたら……。



「リジー」



 クレスタが、私の髪を梳くように撫でた。ドレスを引き裂いた手とは思えない、その優しい動きに涙が零れる。



「ひとつだけ確認しておく。ティアス王子の事は、本当に何とも思っていないのだな?」

「ええ。婚約していたとは言っても、今日初めて顔を合わせたのよ。一瞬で恋に落ちるなんて、あり得ないわ」

「では、あのドレスを着て嬉しそうにしていた理由は何だ」

「今まで胸元の開いた流行りのドレスを着た事が無かったから、それが嬉しくてつい。私には分不相応なのに」

「分不相応なものか。俺が、お前に似合う最高のドレスを仕立ててやる」


 驚いた顔でクレスタと目を合わせると、優しい微笑みが返ってきた。


「俺は、欲しいと思うものを全て手にする」

「知っているわ。だから、私はティアス王子に嫁ぐはずだったのよ」

「そのティアス王子は、捕らえられて今頃は牢獄の中だ。この機を得るために、お前たちの婚約の日取りを決めて今日の日を設けた。数日のうちにティアス王子の首を隣国へ送り返して、一戦交える」


 自信に満ちたクレスタの表情に、全身にぞわりと鳥肌が立つ。今日という一日は、全てが彼の手の中にあったのだ。私の胸は震えて、魂ごとアイスブルーの瞳に吸い込まれた。



「クレスタ、あなたは……」



 リジーの紅潮した頬に指先で触れて、クレスタは小さな額に軽くキスを落とす。
 他の令嬢たちが、化粧やお洒落なんかに無駄な時間を費やしてのらりくらりと一日を過ごす中、リジーだけは違った。

 リジーは王宮の図書室に籠って、朝から晩まで本を読んでいた。どんな本を読んでいるのか気になって、リジーの侍女をこっそり呼び出して尋ねた事がある。すると彼女は、これから嫁ぐ国の言葉や文化、政治、歴史の本を読んでいたのだ。

 俺は狭い世界に興味は無い。俺の隣に立つべきは、ふわふわと馬鹿の代名詞のような羽飾りを頭につけた無学な女ではなく、王としての俺を理解する聡い女だ。ひたむきで自分の意思を持ったリジーこそ、俺の伴侶に相応しい。

 リジーを王妃にすると決めてから、俺は徹底的にリジーを無視した。たとえ従兄妹だとしても、俺が声を掛けて親しい素振りを見せれば、俺に群がる女たちが妬んで何をする分からないからだ。リジーの貴重な独学の時間を、そんなつまらない事で邪魔したくはなかった。

 それに、襟の詰まった地味なドレスを着ていても、リジーの体が描く曲線はしなやかで美しい。図書室の椅子に腰かけて、一心に本を読む彼女の姿を何度覗き見しただろうか。そして、リジーの妖艶な白肌を想像して昂った欲を吐き出すために、頭に羽の生えた女たちを抱いた。



 ずっと待っていた。



 隣国とリジーを手に入れる方法を考え、時間を掛けて、今日という日をずっと待っていた。
 手はず通りに事が進み、リジーに全てを打ち明けて求婚しようと部屋へ向かった。すると、リジーはティアス王子から受け取った純白のドレスを着て、嬉しそうに笑っていた。それを見た瞬間、頭にかっと血が上った。


 リジーが、円らな瞳でじっとこちらを見ている。その蜂蜜色の輝きが、言葉にできないくらい愛おしい。凱旋したら、一度だけ言おう。愛していると――。


「ねぇ、クレスタ。私には何の取り柄もないけれど、いつかきっとあなたの役に立つと誓うわ」


 ティアス王子との結婚がなくなったのなら、私は本当に何の価値も無いただの地味な女だ。役に立つと言っても、どう役に立つのかを聞かれたら答えられない。クレスタへの献身だけが、私の生き甲斐だったのに。


「なぁ、リジー。俺の話を聞いていたか?」

「え、ええ。ティアス王子は」

「そうじゃない。最高のドレスを仕立ててやると言っただろう」

「最高のドレスって?」

「王妃たる者に相応しいドレスだ。そうだな、リジーの白い肌には純白より……」


 クレスタがあまりにも自然に言うので、私は耳を疑った。どうにか意味を理解して、途端に大粒の涙が溢れる。滲む視界で、クレスタがにやりと笑った。


「もう一度言う。俺は、欲しいと思うものを全て手にする。国もだがな、お前もだ。リジー」


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