汀に立つは有明の月

虹色すかい

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有明(二)

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 わたくしは、どうして言い訳しているのかしら。
 らしくない自分の言葉に、ますます顔が熱くなる。きっと不審がられているに違いないわ。蓮珠は、恥ずかしさに耐えかねてふいっと視線をそらしてしまった。一方の濤允はというと、蓮珠を凝視したまま思考停止していた。


 ――濤允様。


 さえずりのような声が、俺の名前を呼んだ。心の中で、恭悦の大波がざぶんと押し寄せてしぶきを散らす。大好きというのも、もしかして胡桃酪じゃなくて俺のことなんじゃないか。そんな気さえしてしまう。


「あ、あの……」

「あ、あぁ……。申し訳ございません、蓮珠。俺の庵は、あなたを招くには華にも品にも欠けます。それでもよろしければ、その、喜んで……」


 だめだ、喜びが胸に収まりきらない。濤允は、だらしなくゆるみそうになった顔の筋肉に力を入れて必死に平静を装った。礼を言って赤い顔を伏せる蓮珠の手を引いて、回廊を引き返す。

 琉璃瓦の殿舎が甍を連ねる中に、ぽつんと建っている藁葺き屋根の小屋。そこが濤允の住まいだ。自室に着くと、濤允はいつも自分が使っている席に蓮珠を座らせて、陽佳に胡桃酪を用意させた。

 家令が宇宰相を伴って庵に現れたのは、陽佳が温かい胡桃酪を運んできた直後だった。父親との再会の喜びが胸をよぎったのは一瞬。美髯びぜんをたくわえた宇宰相の顔に浮かぶ険しい表情に、蓮珠はただならぬ雰囲気を感じておののいた。


「急にお呼び立てして申し訳ありません、宇宰相」
「話は皇宮で皇太后様にお聞きしました」
「三日後に、趙高僥が蓮珠を召し上げるそうです」


 宇宰相が、手で顔を覆って深いため息をつく。


「私は、濤允殿の后となるよう蓮珠を躾けました。あのような奸者に大事な娘をやるつもりはない。やはり、なんとしてでも先帝を説得するべきでした。濤允殿に帝位を継がせるべきだと。そうすれば、濤允殿が玉座に座り、我々は賢帝の御代を支える一助となれたはずだ」


 趙家の祖が長子継承を唱えて、気が遠くなるほどの星霜を経た。志を持って努力を重ねても、長子でなくては月にも太陽にもなれない。愚かな兄の贄となり、明け方の空に張りつく白い月影のように人目にも触れず、ただ天と共に空を巡って消えていくだけだ。


「いいえ、宇宰相。先帝が趙高僥に帝位を譲ると決心なされた時、俺は趙高僥の身代わりになって処分を受け入れる道を選びました。失敗を恐れたのです。そんな俺が帝位に就いたところで、賢帝になれたはずがありません」


 宇宰相は、濤允の発言を否定するかのように首を横に振って、奥の席に座る蓮珠に目を向けた。宇家の娘として、皇后になって然るべきと教え育てた。だから、誇りを傷つけられて婚礼後数日もしないうちに、実家に帰りたいと泣きついてくるのではないか。そう案じていた。

 趙高僥ではなく趙濤允が天子になっていたなら、蓮珠を皇宮へ嫁がせて皇后にしていた。趙高僥を帝位に就けてはいけない。先帝に進言もしたが、長子継承を覆すは趙家祖代への不忠だと聞き入れてはもらえなかった。太皇太后からの圧力もあったのだろう。

 蓮珠を湖光離宮に嫁がせたのは、権威や栄光よりも幸せを願ったからだ。趙高僥と縁を結べば、否応なしに運命を共にしなくてはならなくなる。沈んでいく船に我が子を乗せる親などいない。


「……濤允殿。三日の間、湖光離宮の門を閉ざして外へ出ないでください。その間にかたをつけます。次に湖光離宮の門が開く時、趙家の治世は終わっているでしょう」
「はい。俺はもう、世に暮らす一介の平民です。夫人にも累が及ぶことのないよう、よきに計らってください。俺は二度と皇宮の門をくぐらない。蓮珠と穏やかな一生を送れたら、それが本望ですから」


 宇宰相は楊濤允との話が終わると、蓮珠と短い時間会話を楽しんで湖光離宮を出ていった。
 その日の夜は、荒れた天気になった。風が吹き荒れて、激しい雨が地を叩きつける。回廊も水浸しで、輝蓮宮に帰ろうにも帰れず、蓮珠は濤允の庵で一晩過ごすことになった。


「ひどい雨だ」


 縁側の戸を閉めながら、濤允がつぶやく。蓮珠は、床に敷かれた寝具の傍らに落ち着かない様子で座っていた。華にも品にも欠ける。その言葉どおり、楊濤允のねぐらはがらんとしていて質素すぎる。それに、寝台を使っていたから、床敷きの布団なんて今まで一度も寝たことがない。正座したまま手を伸ばして、布団の端をめくる。


「お許しを、蓮珠」


 濤允の声に、蓮珠の手がぴくんと跳ねた。いつの間にか隣に座った濤允が、布団を触っている蓮珠の手をつかまえる。


「俺は気に入っているのですが、あなたには寝心地が悪いかもしれない」
「……ひ、一晩だけですし」
「一晩だけ? つれないな」


 手を引っ張られて、小さな悲鳴を一つ上げる間に押し倒されて組み敷かれた。今日は大変な一日だったように思う。宇宰相と楊濤允の会話を思い出しながら、蓮珠は唇を重ねようとする濤允の目を見つめた。


「困りましたね。あなたに見つめられると、どうしていいか分からなくなる」

「わたくしは、賢帝にふさわしくあれと父上からきつく言われていました。父上のいう賢帝とは、濤允様のことだったのですね」

「まさか。俺は色を好み、後宮の妃嬪まで手籠めにして皇宮を追い出された放蕩皇子ですよ」


 帝位がどうのなんて難しい話は、よく分からない。けれど、楊濤允が背負った罪は、すべて現皇帝陛下の犯した罪――。
 嘘ばっかり。蓮珠が言うと、濤允はばつが悪そうに苦笑いした。


「初夜で罵ったこと、怒っていらっしゃいますか?」
「いいえ、蓮珠。どのような言葉でも、あなたの声なら俺にとっては迦陵頻伽のさえずりです」


 燭台の明かりが、濤允の顔立ちに陰影を添えてゆらゆら揺れる。
 太皇太后様の古希祝いで楊濤允に声をかけたのは、憐みと好奇心からだった。人道に背いた咎人だと、さげすんでいたのだ。無知で愚かな自分が恥ずかしい。


「……濤允様」


 なにも知らず、無意味な誇りでこの人を傷つけた。いえ、わたくしは父上の気持ちすらも分かっていなかった。


「許してください」


 声を震わす蓮珠の額に、濤允がそっと口づけを落とす。


「蓮珠。あなたはなにも心配しなくていいし、気に病む必要もないのですよ」
「でも」

「そうだ。天気のよい日に書肆しょしへ行って、あの俗書の続刊を買いましょうか」

「嫌ではないのですか? 夫人が俗書を好むなんて」

「あなたにだけこっそりお教えします。俺は、禁書に手を出していますから、俗書などどうということはありません」

「禁書ですって?」

「はい。恥ずかしい話ですが、後宮の妃嬪を手籠めにして皇宮を追い出されたのに、俺にはその……、女性の経験がなかったので……。あなたにそれを気取られないよう、閨のあれこれを禁書で勉強しております」


 濤允が顔を赤くしたので、蓮珠もつられて赤くなってしまった。
 一度だけ、春画なるものをちらりと見たことがある。恥ずかしくて、とても見られたものではなかった。それを凌ぐであろう禁書とは、一体どのような内容なのだろう。

 しかも、勉強しておりますって……。突然の告白に、それまでの話はすっかり頭から飛んでいってしまった。


「蓮珠にお願いがあります。両の手足をついてそこで四つん這いになってくれませんか?」
「……え、はい?」
「ほら、早く」


 言われるがまま、蓮珠はわけが分からない状態で四つん這いになった。背後に忍び寄った濤允が、蓮珠の真っ白なくんをまくり上げて柔尻に指先をくい込ませる。そして、尻の割れ目を左右に広げた。


「……な、なにをなさるの?」


 蓮珠は驚いて腰をひねる。すると、濤允が顔をうずめて、舌先で陰核をつんつんと突いた。


「あ…っ、ん」


 生温い濤允の舌が、固くなったり柔らかくなったり器用に形を変えながら秘裂を丁寧に舐め上げていく。舌で暴かれるのはとても恥ずかしい。


 でも、すごく気持がちいい。


 上体を支える腕が、ふるふると震える。余計な自尊心が、気持ちよさに溶けていく。ぴちゃぴちゃと、膨れた赤い尖りを舌でもてあそばれて口で啜られると、蓮珠はたまらず喉を反らして小さな悲鳴を上げた。






 ◆◇◆






 楊濤允の屋敷は、皇帝がお暮しになっている皇宮からほど近い都の一等地に、楼閣のような正門を構えて威風堂々と建っている。禅譲ぜんじょうにより趙家の治世が滅して数年。今はもう、濤允の屋敷を離宮と呼ぶ者はいなくなった。

 時折、楼閣のような門が開いて、屋敷の主人と夫人が街へ出かける。手を繋いで街を歩く二人は、評判の鴛鴦おしどり夫婦だ。

 春の盛りが過ぎて初夏にさしかかったある日の朝。輝蓮宮の庭の一角で、木香薔薇が満開になった。しわのある貴婦人の手を引いて、蓮珠はゆっくりと庭を歩く。空から、柔らかな日差しがそそいでいる。今日もいい一日になりそう。


「足元に気をつけてくださいませね、お母様」
「ありがとう」


 楊濤允によく似た顔をほころばせる貴婦人の笑顔は、とげのない木香薔薇のように可憐で上品だ。あぁ、幸せ。蓮珠の胸をすっとその言葉が通り過ぎた瞬間、少し膨らんだ腹の内側を小さな命が蹴った。

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みんなの感想(4件)

樹結理(きゆり)

完結おめでとうございます!
二人が幸せになれて良かった(*´ω`*)
閨のお勉強で四つん這いにちょっと笑ってしまったww

虹色すかい
2022.02.23 虹色すかい

★樹結理さん

わーい!ありがとうございます!\( 'ω')/
樹結理さんには、朝からRシーンを読ませちゃったりいろいろと卑猥なご迷惑をお掛けしました(笑)
私の文章は重たいので、どうしてもシリアスな雰囲気になってしまいがちなのですが、私なりに笑いを仕込んでおります( ´艸`)
濤允のまさかの告白からの四つん這いww
これからこの夫婦の技もレベルアップしていくことでしょう(笑)

感想ありがとうございました!✨

解除
ひらり
2022.02.23 ひらり

わーい(o´罒`o)ニヒヒ♡
こっちにもお邪魔します(♥ω♥*)
題名も章題も素敵だし文章も細部まで丁寧に書かれていて心理描写も何もかも・・・全部素敵🥰
蓮珠の気持ちの変化と濤允の蓮珠への深い愛😍がたまりませんでした
蓮珠からのお願いの所濤允が可愛くって蓮珠も可愛いし😆

またすかいさんの作品で大好きなのが増えてしまいましたっ(ʃƪ ˘ ³˘)ㄘゅ〜❣。・゚♡
たくさん読ませていただきまーーーす🥰

虹色すかい
2022.02.23 虹色すかい

★ひらりさん

いらっしゃいませー(≧∇≦)💕
しばらく停滞しての最終話だったので、ちょっと心配&不安だったのですが、ひらりさんの大好きになれてとってもとっても嬉しいです!
そんなに褒めてもらって……(*ノωノ)
どうしよう、お酒がすすんじゃう(笑)

どっぷりなRシーンも書きたいなって思ってストーリーを練るんですけど、やっぱり私らしさといえば美へのこだわりかなって、この作品を書いてみて改めて実感しました。
これからもノロノロですが、綺麗な物語を書いていきたいです!

いつもたくさんの優しい言葉や励まし、応援をありがとうございます。
ひらりさんには感謝してもしきれないですー(´;ω;`)❤❤❤

解除
さめ姫
2022.01.08 さめ姫

Twitterから来ました^^アルファさんは読みやすいしレビューも気軽に出来るので助かります☆また更新楽しみにしています(^^)Twitterでは私から発信しないので不審に感じてたらゴメンなさい⤵︎人の呟きみるのは好きなのですが…自分となるととにかく億劫で(><)とにかく応援してます♪

虹色すかい
2022.01.09 虹色すかい

★さめ姫さま

わわ!いらっしゃいませー(^^)
ツイートって、様々な人の目に触れるから気を遣いますよね。さめ姫さんのお気持ちよくわかります。
いえいえ!フンドシだのなんだの、そんなことをつぶやいてる私の方がよっぽど不審者です(笑)
ネットの広~い海で、私と私の小説を見つけてくださって本当にありがとうございます。
はい、楽しんでいただけるように頑張ります!

解除

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