上 下
34 / 34

しおりを挟む
 静謐な朝。
 一人、外へ出てみると、庭が純白に塗り上げられていた。
 吐いた息さえ白く染まる。
 いつのまにか、霜が降りる季節になったのだ。

 今年は、時が経つのが随分ゆっくりだったような気がする。
 怒涛の日々だった。
 普通、慌ただしく過ごす時間というのは常に比べて早く流れていくものだが、永い年月をただ静かに通り超えてきた身には、まったく違って感じられるものだ。

 色のなかった庭に花が咲き、何もなかった館に灯りがともったような。
 その遠く懐かしいものを、一つ一つ確かめては味わう毎日は。
 この先に迎えるはずだった百年を、まとめ縮めて詰めこんだようで。

 目が回るほど、忙しかった。
 彼が言うところの「心」が、忙しかった。

 どうやら自分にもまだそれが残っていたらしい。
 そう気づいたのも、彼がいたからだ。
 何もかもが、彼の影響だ。

 閉じた戸の奥で、へくしゅんっ! と、可愛らしいくしゃみが聞こえる。
 寒気を入れないようにきっちり閉じたつもりでも、「まだ」人の身である彼の体には堪える朝なのだろう。

「菊里」
「はい」
 呼べばすぐに人形が現れる。
「白湯と、冬用の衣を」
「かしこまりました」
 言葉少なな主の指示に、余計な口を挟むことなく頭を下げる。
 が、もう一度、聞こえたくしゃみの音には、ふわりと優しい笑みを零した。
 母が子を思う時のような、慈愛に満ちた眼差しで。

 菊里が去ってほどなく、そろそろと部屋の戸が開かれる。
「寒い」
 文句を垂れながら出てきた清高は、きっちりと布団を体に巻いて、白い顔をしていた。
「うわっ、真っ白だな」
「体を冷やす。中に居なさい」

 血を浴びるほどではなくとも、龍の力をその身に注がれる負担は、彼にとって少なくない。
 そんな朝はいつもなかなか起き上がってもこないのに、今朝は寒さのあまり目が覚めてしまったらしい。

 こちらは「また具合を悪くするのでは」と気が気でないというのに、清高は、
「水底にも霜って降りるんだなぁ」
 と暢気に言いながら、濡れ縁にぺたんと座りこむ。
「じきに、雪も降る」
「へぇ……まぁ、雨が降るんだから、雪も降るか」

 傷痕が痛痒いのか、猫のように顔を擦ろうとする手を掴んで止める。
 悪化するから、と言い聞かせれば、大人しく手を床に下した。
 こちらの手を、握り返したそのままで。

「雪かぁ。その庭が一面雪化粧になったら、綺麗なんだろうな」
「ああ」

 きっと、綺麗だろう。
 冬も、春も、夏も、秋も。
 晴れだって、雨だって。
 君と共に見られることが約束されている景色は、すべからく美しい。

「清高、」
「うん?」

 初めてここへ来た時はどこか張り詰めていた表情が、今は柔らかく解けている。
 今なら、言っても構わない気がした。

「冬を越えて、春になったら……華燭の典を、挙げよう」

「華燭って?」
 その言い回しが聞き慣れなかったのか、こてん、と首を傾ける。
「祝言のことだ」
「祝言!?」
「順序は前後してしまったが……」
「そんなの気にしない!」
 ぱっと輝いた瞳が、ふと、曇りを帯びる。

「本当に、俺でいいんだな?」
「君以外に誰がいる」

 自分がこんな風に笑える日がくるなど、二度とこないだろうと思っていた。
 それもこれも、君のせいなのに。

「君は、私の花嫁だろう?」

 清高が何かを堪えて黙ったまま、頷いて、体を預けてくる。
 その頼りない肩をそっと抱き寄せた。

 あの日、見上げた天から沈んできた鳥のような、雪より白い花嫁衣装は、館の奥にずっとしまってある。
 頼めば、彼はもう一度あれを身に纏ってくれるだろうか。
 そうして、願わくば、そのどんな花より鮮やかな笑顔で、この水底に灯をともしてほしい。

 水底に華の燭を。

<了>
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

信じて送り出した養い子が、魔王の首を手柄に俺へ迫ってくるんだが……

鳥羽ミワ
BL
ミルはとある貴族の家で使用人として働いていた。そこの末息子・レオンは、不吉な赤目や強い黒魔力を持つことで忌み嫌われている。それを見かねたミルは、レオンを離れへ隔離するという名目で、彼の面倒を見ていた。 そんなある日、魔王復活の知らせが届く。レオンは勇者候補として戦地へ向かうこととなった。心配でたまらないミルだが、レオンはあっさり魔王を討ち取った。 これでレオンの将来は安泰だ! と喜んだのも束の間、レオンはミルに求婚する。 「俺はずっと、ミルのことが好きだった」 そんなこと聞いてないが!? だけどうるうるの瞳(※ミル視点)で迫るレオンを、ミルは拒み切れなくて……。 お人よしでほだされやすい鈍感使用人と、彼をずっと恋い慕い続けた令息。長年の執着の粘り勝ちを見届けろ! ※エブリスタ様、カクヨム様、pixiv様にも掲載しています

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

魔力なしの嫌われ者の俺が、なぜか冷徹王子に溺愛される

ぶんぐ
BL
社畜リーマンは、階段から落ちたと思ったら…なんと異世界に転移していた!みんな魔法が使える世界で、俺だけ全く魔法が使えず、おまけにみんなには避けられてしまう。それでも頑張るぞ!って思ってたら、なぜか冷徹王子から口説かれてるんだけど?── 嫌われ→愛され 不憫受け 美形×平凡 要素があります。 ※溺愛までが長いです。 ※総愛され気味の描写が出てきますが、CPは1つだけです。

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 時々おまけのお話を更新しています。

【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜

N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。 表紙絵 ⇨元素 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定、ご都合主義です。 ※ハーレム要素を予定しています。

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・不定期

処理中です...