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終
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静謐な朝。
一人、外へ出てみると、庭が純白に塗り上げられていた。
吐いた息さえ白く染まる。
いつのまにか、霜が降りる季節になったのだ。
今年は、時が経つのが随分ゆっくりだったような気がする。
怒涛の日々だった。
普通、慌ただしく過ごす時間というのは常に比べて早く流れていくものだが、永い年月をただ静かに通り超えてきた身には、まったく違って感じられるものだ。
色のなかった庭に花が咲き、何もなかった館に灯りがともったような。
その遠く懐かしいものを、一つ一つ確かめては味わう毎日は。
この先に迎えるはずだった百年を、まとめ縮めて詰めこんだようで。
目が回るほど、忙しかった。
彼が言うところの「心」が、忙しかった。
どうやら自分にもまだそれが残っていたらしい。
そう気づいたのも、彼がいたからだ。
何もかもが、彼の影響だ。
閉じた戸の奥で、へくしゅんっ! と、可愛らしいくしゃみが聞こえる。
寒気を入れないようにきっちり閉じたつもりでも、「まだ」人の身である彼の体には堪える朝なのだろう。
「菊里」
「はい」
呼べばすぐに人形が現れる。
「白湯と、冬用の衣を」
「かしこまりました」
言葉少なな主の指示に、余計な口を挟むことなく頭を下げる。
が、もう一度、聞こえたくしゃみの音には、ふわりと優しい笑みを零した。
母が子を思う時のような、慈愛に満ちた眼差しで。
菊里が去ってほどなく、そろそろと部屋の戸が開かれる。
「寒い」
文句を垂れながら出てきた清高は、きっちりと布団を体に巻いて、白い顔をしていた。
「うわっ、真っ白だな」
「体を冷やす。中に居なさい」
血を浴びるほどではなくとも、龍の力をその身に注がれる負担は、彼にとって少なくない。
そんな朝はいつもなかなか起き上がってもこないのに、今朝は寒さのあまり目が覚めてしまったらしい。
こちらは「また具合を悪くするのでは」と気が気でないというのに、清高は、
「水底にも霜って降りるんだなぁ」
と暢気に言いながら、濡れ縁にぺたんと座りこむ。
「じきに、雪も降る」
「へぇ……まぁ、雨が降るんだから、雪も降るか」
傷痕が痛痒いのか、猫のように顔を擦ろうとする手を掴んで止める。
悪化するから、と言い聞かせれば、大人しく手を床に下した。
こちらの手を、握り返したそのままで。
「雪かぁ。その庭が一面雪化粧になったら、綺麗なんだろうな」
「ああ」
きっと、綺麗だろう。
冬も、春も、夏も、秋も。
晴れだって、雨だって。
君と共に見られることが約束されている景色は、すべからく美しい。
「清高、」
「うん?」
初めてここへ来た時はどこか張り詰めていた表情が、今は柔らかく解けている。
今なら、言っても構わない気がした。
「冬を越えて、春になったら……華燭の典を、挙げよう」
「華燭って?」
その言い回しが聞き慣れなかったのか、こてん、と首を傾ける。
「祝言のことだ」
「祝言!?」
「順序は前後してしまったが……」
「そんなの気にしない!」
ぱっと輝いた瞳が、ふと、曇りを帯びる。
「本当に、俺でいいんだな?」
「君以外に誰がいる」
自分がこんな風に笑える日がくるなど、二度とこないだろうと思っていた。
それもこれも、君のせいなのに。
「君は、私の花嫁だろう?」
清高が何かを堪えて黙ったまま、頷いて、体を預けてくる。
その頼りない肩をそっと抱き寄せた。
あの日、見上げた天から沈んできた鳥のような、雪より白い花嫁衣装は、館の奥にずっとしまってある。
頼めば、彼はもう一度あれを身に纏ってくれるだろうか。
そうして、願わくば、そのどんな花より鮮やかな笑顔で、この水底に灯をともしてほしい。
水底に華の燭を。
<了>
一人、外へ出てみると、庭が純白に塗り上げられていた。
吐いた息さえ白く染まる。
いつのまにか、霜が降りる季節になったのだ。
今年は、時が経つのが随分ゆっくりだったような気がする。
怒涛の日々だった。
普通、慌ただしく過ごす時間というのは常に比べて早く流れていくものだが、永い年月をただ静かに通り超えてきた身には、まったく違って感じられるものだ。
色のなかった庭に花が咲き、何もなかった館に灯りがともったような。
その遠く懐かしいものを、一つ一つ確かめては味わう毎日は。
この先に迎えるはずだった百年を、まとめ縮めて詰めこんだようで。
目が回るほど、忙しかった。
彼が言うところの「心」が、忙しかった。
どうやら自分にもまだそれが残っていたらしい。
そう気づいたのも、彼がいたからだ。
何もかもが、彼の影響だ。
閉じた戸の奥で、へくしゅんっ! と、可愛らしいくしゃみが聞こえる。
寒気を入れないようにきっちり閉じたつもりでも、「まだ」人の身である彼の体には堪える朝なのだろう。
「菊里」
「はい」
呼べばすぐに人形が現れる。
「白湯と、冬用の衣を」
「かしこまりました」
言葉少なな主の指示に、余計な口を挟むことなく頭を下げる。
が、もう一度、聞こえたくしゃみの音には、ふわりと優しい笑みを零した。
母が子を思う時のような、慈愛に満ちた眼差しで。
菊里が去ってほどなく、そろそろと部屋の戸が開かれる。
「寒い」
文句を垂れながら出てきた清高は、きっちりと布団を体に巻いて、白い顔をしていた。
「うわっ、真っ白だな」
「体を冷やす。中に居なさい」
血を浴びるほどではなくとも、龍の力をその身に注がれる負担は、彼にとって少なくない。
そんな朝はいつもなかなか起き上がってもこないのに、今朝は寒さのあまり目が覚めてしまったらしい。
こちらは「また具合を悪くするのでは」と気が気でないというのに、清高は、
「水底にも霜って降りるんだなぁ」
と暢気に言いながら、濡れ縁にぺたんと座りこむ。
「じきに、雪も降る」
「へぇ……まぁ、雨が降るんだから、雪も降るか」
傷痕が痛痒いのか、猫のように顔を擦ろうとする手を掴んで止める。
悪化するから、と言い聞かせれば、大人しく手を床に下した。
こちらの手を、握り返したそのままで。
「雪かぁ。その庭が一面雪化粧になったら、綺麗なんだろうな」
「ああ」
きっと、綺麗だろう。
冬も、春も、夏も、秋も。
晴れだって、雨だって。
君と共に見られることが約束されている景色は、すべからく美しい。
「清高、」
「うん?」
初めてここへ来た時はどこか張り詰めていた表情が、今は柔らかく解けている。
今なら、言っても構わない気がした。
「冬を越えて、春になったら……華燭の典を、挙げよう」
「華燭って?」
その言い回しが聞き慣れなかったのか、こてん、と首を傾ける。
「祝言のことだ」
「祝言!?」
「順序は前後してしまったが……」
「そんなの気にしない!」
ぱっと輝いた瞳が、ふと、曇りを帯びる。
「本当に、俺でいいんだな?」
「君以外に誰がいる」
自分がこんな風に笑える日がくるなど、二度とこないだろうと思っていた。
それもこれも、君のせいなのに。
「君は、私の花嫁だろう?」
清高が何かを堪えて黙ったまま、頷いて、体を預けてくる。
その頼りない肩をそっと抱き寄せた。
あの日、見上げた天から沈んできた鳥のような、雪より白い花嫁衣装は、館の奥にずっとしまってある。
頼めば、彼はもう一度あれを身に纏ってくれるだろうか。
そうして、願わくば、そのどんな花より鮮やかな笑顔で、この水底に灯をともしてほしい。
水底に華の燭を。
<了>
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