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三十『雨が上がって』

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 数日が経ち、雨月うづきが見舞いに来た時、清高きよたかは床の上で体を起こすのがやっとの状態だった。

「これはまた、ひどくやったね」
「おかげさまで」

 龍神の血を浴びた体は、全身、焼け爛れたような痕でまだら模様になっている。
 龍神が朝夕薬を塗って手当てをしてくれているのだが、完治するまでにはもう少し時間が掛かりそうだという。

 じくじくと痛む傷痕と、下がりきらない熱に唸りながら、それでも気分は悪くない。
 外は、快晴だ。

「こんな状態の君をほったらかして、みずちの奴は何をやっているんだい?」
 見舞いの果物を並べながら、呆れ顔の雨月が言う。
「事後処理。三峰みつみね松姫まつひめに手伝ってもらって、走り回ってるよ」

 今回の嵐。残念ながら、被害なしとはいかなかった。
 いくつかの場所で堤が切れ、少なくない田畑や民家が水に浸された。
 死者も出ただろう。
 起きてしまったことは、いくら神様でも取り消すことはできない。
 だからせめて、これ以上被害が広がらないようにと、あの後からずっと、龍神は奔走し続けている。
 瑞千川みずちがわの水位を下げ、乱れた流れを正しく戻し、緩んだ地盤を固め直す。
 まだ手の届くところにある命を、一つ一つ、一つでも多く、救い上げる。
 彼は、そういう神様だ。

 清高も本当は手伝ってやりたいのだが、生憎、体が動かないので留守番である。
「ずるいよなぁ。あれだけ深手を負ったはずなのに、あいつ、もうぴんぴんしてるんだ。俺なんか、まだ全然動けないのに」
「曲がりなりにも神だもの。傷の治りだって、人間よりは早いさ」
「あれだけの血じゃ、まだまだ足りないってことか」

 清高が龍神を斬った目的は、彼の血を浴びて、彼の中の龍の力を半分貰うためだった。しかし、実際に清高が受け取ることができたのは、半分に満たないどころが、微々たるものだったらしい。
 最悪、龍神が死ぬくらいの出血量が必要だ。と、言われていたことを思い出すと、中途半端なことをしてしまったものだ、と少し悔いが残る。

「少しずつ、だよ」
 そう言う雨月の声は穏やかで、とても、嬉しそうだった。
「君も、龍神も、少しずつ変わっていけばいい。幸い、時間はあるのだから」

 * * *

 日が暮れる頃になると、龍神が帰ってくる。
 やらなければならないことは山積みのはずで、寝る間も惜しんで働いているくせに、彼は必ず夜になるまでに一度は戻ってくるのだ。
 それが清高のためだと思うと、こそばゆい喜びに胸を擽られた。

「え? 真庭まにわが?」
「ああ。月夜野つきよのの援助を申し出たらしい」
 さらしを巻き直しながら、龍神が言う。

 清高が自由に動けるようになるまで、外で見聞きしたことは逐一教える、と龍神は約束してくれていた。
 また水面の上のことばかり考えて、と言われたくないので、あえて口にしないでいた清高の想いを、黙って汲み取ってくれたのだろう。

 清高の遺言を聞き届けてくれたからかどうかは知らないが、嵐が過ぎ去った後、明高あきたかは国で蓄えた人材資材を使って、被害を受けた民たちの救済に取り組んでいるそうだ。
 そこへ、真庭が手を差し伸べた。

「そっか……良かった……」
 まだ戦の気配が去ったわけでも、高師たかもろの脅威が消えたわけでもない。
 が、少なくとも、一触即発の事態をとりあえずはまぬかれたのだ。
 ほっと肩の力が抜けた。

 月夜野を助けるだけの余力があるのなら、真庭も大丈夫だろう。
 世話になっていたおみなたちの集落の無事も、三峰が確認してくれている。
 大団円とはいかないまでも、雨月のいうとおり、少しずつ、憂いが洗い流されていっているような気がした。

 ふいに、龍神の手が頬に触れる。
「痕が、残ってしまったな」
「ん? ああ、これか」

 龍神の血は当然顔にも飛び散って、一度はすっかり綺麗になった頬には、前より大きな痕ができてしまっている。
 今度は、今度こそ、一生消えることはないであろう傷痕だ。消すつもりもない。

「俺は別に気にならないんだけど……そんなに見苦しいか?」
 顔に傷痕を残すことをやたらと気にする龍神に、首を傾げる。
 自分では気にしていなくても、彼に「醜い」と思われるのは――少し、嫌だ。

「そういうわけではないのだが……せっかく可愛らしい顔立ちをしているのに、もったいないことをしたと思ってな」
「……おぉう」
「だが、たしかに、傷痕の一つや二つで君が醜くなるということもない。
 君が気にならないと言うのなら、私も気にするのはやめよう」
「……ああ、うん」

 無自覚なのだろうが、だからこそ、質が悪い。
 自分がどんな顔をしているのかわからなくて、清高は横を向いた。
 可愛らしい顔立ち、と言われて腹が立たなかったのは、初めてかもしれない。

「あ、そういえば、ずっと気になってたんだけどさ。前に、松姫たちが言ってたんだよ。龍神の力を分けてもらうために、血を浴びる以外の方法もあるって。
 それって、どんな方法?」
 龍神が硬直してしまったのに気づかず、清高は暢気に言う。
「だからって、もう一回、斬りつけるっていうのは、さすがにちょっと気がひけるし」
 それで今度こそ龍神が死んでしまったりしたら、後悔どころではない。
「別の方法があるなら試してみたいんだけど、駄目か?」

「……それは、」
 とてもとても言いにくそうに、龍神が口ごもる。

「気乗りしない方法なのか?」
「いや……」
「なんだよ、はっきり言えよ」
 彼にしては珍しい歯切れの悪さに、かえって興味をそそられる。
 清高が急かすと、龍神は慎重に言葉を選びながら先を続けた。
「私の体の中で、龍の力を宿しているのは、血だけではない。
 つまり、血以外のものを通じてでも、龍の力を分け与えることはできる」
「血以外のもの? まさか、おまえの肉を食えとか言わないよな?」
 八尾比丘尼やおびくにの伝説もあることだし、あながちないとも言い切れないが――気は進まない。
 幸いなことに、龍神は首を振って否定した。

 まだ躊躇いながら、
「ここに、」
 と言って、清高の腹に手を置く。

「ここ?」

 腹? やっぱり何か食べろということか?
 いや、龍神が触れているのは、もう少し下の――

「え? あっ。あ、あー。なるほど、な?」
 ようやく龍神の言わんとすることを、彼が口ごもった理由まで理解して、清高は目を泳がせた。

「ああ、だから、花嫁って、そういう……えっ、でも、俺、男だけど……?」
「かまわない。子を成すわけではないからな。君の中に、私を取り入れればいい」
 言っていて気まずくなったのか、龍神が目を伏せた。

「……君が嫌がると思って言わなかった。忘れてくれ」

 そう言って立ち上がろうとする龍神の着物の裾を、清高は反射的に掴んでいた。

「嫌じゃないって、言ったら?」

「清、」
「俺が嫌じゃないって言ったら、どうする?」

 水面の瞳にさざなみが立つ。
 清高の心の内の、本音を見定めようとする水鏡。

「君は……怖くないのか?」
「……怖いよ。でも、嫌じゃない」

 龍神の、体温の低い手が頬を撫でて。

「……傷が癒えて、君が元気になってからだ」
「えー。それまでに気が変わっちゃったらどうするんだよ?」

 自分でもそんなことはない、とわかっていながら。
 抗議の声を封じるように塞がれた唇に、思わず笑みが漏れた。
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