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二十七『心の底の澱』①

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 濡れ鼠になって帰ってきた清高きよたかの姿を見て、菊里きくりが「まぁまぁ」と声を上げた。
「お一人ですか?」
「まぁな」
 菊里の視線が、清高が頭かから被っている着物に向けられる。
「喧嘩でもなさったのです?」
「喧嘩っていうか……」

 あれは喧嘩、だったのだろうか?
 清高が龍神の機嫌を損ねてしまったことは間違いないが、口喧嘩というにも、どこか壁のある言い合いだったように思う。
 喧嘩にすらならなかった。というのが正しい。

「とにかく、着替えておしまいなさい」
 菊里がすぐさま乾いた手拭いと新しい着物を持ってくる。
 そのきびきびとした動作はとても人形とは思えない。
 着替え終わった清高は、龍神の着物を衣装掛けに広げ、重い息を吐いた。

「上手くいかないもんだなぁ」
「何かあったのですか?」
 白湯さゆを運んできた菊里が首を傾げる。

「龍神は、俺のことどう思ってるんだろう?」

 最初は、招かれざる客だっただろう。望んでもいない花嫁。求めてもいない生贄。
 そんな清高に、ここにいてもいいと言ってくれた。
「戻ってくれてありがとう」とも。

 しかし、「花嫁にしてくれ」という清高の頼みには、龍神は頷かなかった。

「あいつにとって、俺ってなんなのかなぁ?」

 清高のぼやきをきょとんとした様子で聞いている菊里に、急に我に返って、恥ずかしくなる。
「突然なんだよ、って話だよな」
 何かを誤魔化すように軽い調子で言うと、
「いえ、突然どころか、今さら何を、と言いたいところですけれど」
 菊里が冷めた口調で応えた。

「あなたは龍神様の良き理解者になれるもの思っていたのですが……
 そうでもないのかしら?」

「俺がぁ?」
 思わず声が上ずってしまう。
「あいつの考えてることなんて、俺には全然わからないけどなぁ」

 あの少ない言葉から、動きのない表情から、龍神の意図を察するのは難しい。
 ついさっきも怒らせてしまった。怒らせてしまったのに、彼がなぜ、何に怒ったのか、清高にはわからないのだ。

「そう言う菊里の方こそ、俺より付き合いが長い分、あいつとは上手くやれてるんじゃないのか?」
 少なくとも、龍神が菊里を叱っているところを見たことはない。
「私では駄目なのですよ」
 菊里は妙に確信ありげな、はっきりとした口調でそう言った。

「あなたでなければ、駄目なのです」
「どうして……」

 清高は「龍神の花嫁」に選ばれた人間ではあるが、それは、龍神に選ばれた人間であるということではない。
 いくらこの水底へ辿り着くことができる者が稀だとして、それだけで「自分は龍神にとっての特別な存在だ」と自惚れることができるほど、清高は自分を過大評価してはいなかった。
 それに、それを言うなら、菊里だって龍神に拾われてここにいるという点で、彼にとっては意味のある存在であるはずだ。

「私は、器こそ花嫁を模した人形ですけれど、中身はただ溺れて死んだ愚かな女というだけの者ですもの」
「でも、あいつは別に花嫁を求めていたわけじゃないんだろう?」
「ええ。ですが、龍神様はきっと、ずっと、自分の隣で、自分と同じものを見てくれる相手を求めていたのだと思います」
「それが、俺?」
「そうですとも」
 まだよくわからないでいる清高に、菊里は大きく頷いた。

「あなたと龍神様はよく似ています。背負ったものや、その苦悩も」

「……あ、」
 それは以前、龍神の生い立ちについて聞かされた時、清高自身も思ったことだ。

 故国を守るために祟りの龍を退治し、今度は自身がその役目を負って、水面の下に自身を閉じこめた彼。
 同じく故国を守るため、花嫁として選ばれ、祟りの神を殺めようとしていたはずが、数奇な巡り合わせから、その神と共に水底で生きることを決意した自分。

 神と、その生贄。
 立場はまるで違うようでいて、担った役目は似通っていた。

 理解は、突然訪れた。

 ――もしも、君が望むなら――月夜野つきよのでも真庭まにわでも、私は滅ぼすことができる。

 あの時、なんの脈絡もなく彼がそんなことを言い出したのは。

 ――そんな国、いっそ滅んでしまえって……

 清高が思ったことがあるように。
 彼もまた、何度も繰り返し考えたのだろう。
 そして、その苦悩は今もまだ――

(だから、か)

 自分が捨てざるを得なかった故郷への未練。
 自分を捨てた故国への恨み。
 いつまでも水面の上の世界に執着し続けているような清高の態度は、彼が二百年余も腹の底に抑え込んできたそれらを呼び覚ましてしまった。

 もしも、菊里の言うように、龍神が清高に望んでいるのが、彼と同じものを見て、彼と同じ感情を抱くことであったならば。
 捨てられた恨み。理不尽への怒り。失望。孤独。嫉妬――
 彼の中に渦巻く負の感情に――清高は、気づいてやれなかった。

 長い長い間、彼は一人だった。
 そこへようやく現れた、唯一、同じものを抱えた存在。
 理解者になってくれることを期待したその相手にすら、裏切られたら。

 ――己を傷つけたもののために、その『心』とやらを砕いて何になる。また裏切られるだけだ。

 彼の心は、今――

 背筋にぞっと寒気が這い上ってくる。

 外では雨が降ってる。

 雨は、彼の中の龍を呼び覚ます。
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