水底に華の燭を~祟りの龍神と生贄の若君~

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二十四『胸の底』②

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「家の者たちと一緒に俺を探しに出かけて、川に流れてた着物を俺と見間違えて、助けようとして飛びこんだんだってさ」

 今思えば愚かなことだ。
 本当に愚かだった。清高きよたかも、義母も。

 月夜野つきよのに住む者であれば、当然、瑞千川みずちがわの気性の荒さを知っている。
 水嵩の増した川に近付いてはいけないことなど常識だ。

「それを、血が繋がってるわけでもない、本当の息子でもない子供を助けるために、なんてな」

 着物を人と間違えるほど動転して。
 何をそんなに必死になる必要があったと言うのか。

 一国の領主の正室ともあろう人が。
 実の子を二人持つ母親が。

明高あきたかにはさんざん罵られたよ。『おまえのせいだ』ってね」

 明高は清高を止めようとした。今思えば、彼の行動が一番正しかった。
 泣きじゃくりながらめちゃくちゃに叩いてくる明高の拳を、幼い清高は呆然としながら受け入れるしかできなかった。
 今思えば、明高が人前で泣いたのはそれが最後だった。

 今思えば。今思えば。今思えば。
 そればかりだ。

 今まで黙って聞いていた龍神が、そっと口を開く。
「清高。君の」
「俺のせいじゃない。とは、言わないでくれ」
 己を気遣おうとしてくれた言葉を、先回りして遮る。

「その時さぁ、父上がなんて言ったと思う?」

 屋敷中の大人たちが沈痛な面持ちで俯き、響くのは子供の泣き声だけ。
 一歩前に進み出た父が、当時の月夜野領主が、妻の死に対して何を言うかと皆が見守る中。

 ――あれは『龍神様の花嫁』になったのだ。
 彼はそう言った。

 父は父で、突然にして理不尽な妻の死に、なんとか理由を付けなければ気持ちが収まらなかったのだろうと思う。
 しかし、父にそう告げられた時の、涙も止まるほどの絶望に苛まれた明高の表情が忘れられない。
 ――母上は、父上のお嫁様でしょう?
 無邪気にすら聞こえる明高の問いかけに、耐えきれなかった誰かが嗚咽を漏らした。

 清高は、最後まで泣けなかった。

「俺のせいだって言ってくれよ。頼むから」

 皆、本当はそう思っていた。表立って口にはしないだけで。
 心にもない言葉で慰めてくれるくらいなら、明高のように面と向かってなじってくれた方がましだった。
 ――貴方のせいではありません。
 そう言われてしまえば己を責めることもできず、義母を、異母兄妹の母を奪った理不尽に対する怒りや悲しみの矛先は、父の言葉に頼るしかなくなった。

 義母は『龍神の花嫁』になったのだ。
 義母が死んだのは、龍神様のせいだ。
 そう思うことでかろうじて心を慰めた。

 でも、もうそれもできない。

「俺は……おまえのせいには、したくない」

 ひんやりとした指先が頬に触れ、視線を上げる。
 慈愛に満ちた水面の瞳に、今にも泣いてしまいそうな自分の顔が映っていた。

「私のせいにすればいい。それで君が少しでも楽になるのなら」
 首を横に振る。
「おまえのせいじゃない」
「ならば、君のせいでもない」
 帰ってくる言葉があまりにも優しいものだから、つい、心の闇にかけた蓋が緩んでしまう。

「……本当はずっと思ってた」

 ここまできてまだ流れてくれない涙で息が苦しくなる。

「どうして俺がこんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ? って。
 俺がしたのは、そこまで悪いことだったのか? って」

 促すように頬を撫で続けてくれる手に心を委ね、とうとう清高は吐き出した。

 ずっと、一人、胸の底に隠してきた想いを。

真庭まにわの血が流れているから? 側室の子だから? 弟だから?
 義母上ははうえを殺したから?
 だから俺はこんなに明高に憎まれなきゃいけないのか?
 死を望まれるまでに? 故国から捨てられなければいけないほどに?」

 だから、清高は自らの運命を粛々と受け入れるべきなのだろうか?

「そんなの、おかしいだろ」

 彼女が死ななければいけなかったのも。
 彼が『龍神』にならなければいけなかったのも。
 今まで何人もの娘たちが『花嫁』という名の生贄に捧げられてきたことも。

「全部、理不尽だ」

 月夜野は、理不尽なことばかりで出来ている。
 月夜野だけではない。
 同盟のために自国の娘を差し出し、同じく相手国の姫を貰い受けようとした真庭国も。
 貪欲に他国を呑みこみ続けようとする高師国たかもろのくにも。

「みんな、いっそ滅んでしまえって……」

 ――何度だって、思ったさ。

「でもさ。もうどうでもいいんだ、そんなことは」

 全てを水面の上に置いてきた、と言い切れるほど潔くはなれない。
 未練も、うらみつらみも、まだまだこの胸の内にはある。でも。

「だって、おまえが迎えに来てくれた」

 おまえの居場所などどこにある?
 問われて何も言えなかった清高に、行動で示された、これ以上もない明白な答え。

「それだけで、もう充分、俺は救われたから」

 あの時、やっと、本当に――
 清高の魂は、この水底に沈みきったのだろう。

「……そうか」
 最後に、龍神はそこにない涙を拭うように、指先で清高の目尻を撫でた。

 離れていく龍神の手を少し名残惜しい気持ちで見送って、清高は「あー」と声を出す。
「えっと、うん……じゃぁ、俺、粥、作ってくるな」
「頼む」
 照れ隠しに立ち上がった清高を、龍神は、今度こそ引き留めなかった。

 厨に向かうと、菊里きくりがせっせと竈に火を起こしていた。
 清高を見て「あら」と首を傾げる。
「手伝ってくれるんですか?」
「うん。っていうか、今日は俺がやる」
「またお粥ですか?」
「粥がいいんだってさ」
 人形である菊里の顔には、およそ表情と呼べるほどの表情は存在しないが、その時、彼女ははっきりと微笑んでいた。
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