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二十三『胸の底』①

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 案の定というべきか、無理がたたって、龍神は水底に戻るとすぐ倒れてしまった。

 清高きよたかはそんな龍神を引きずるようにして庭から館の中へ運ぶと、敷いた布団の中に押しこんで、横に座って腕を組んだ。
「なんでこんな無茶したんだよ?」
 理性的な彼らしくもない軽率な行動に、少しだけ怒っていた。
 なんだか変な感じだ。後先考えずに動いて面倒をかけるのはいつも清高の役なのに、今は立場が逆転し、龍神の方がばつが悪そうに目を伏せている。
「君が、またいなくなってしまうかと思ったから」
「へ?」
 続けて吐くつもりだった苦言の一つ二つは、強制的に喉の奥に押し戻されてしまう。

 ずるい。そんな言い方をされたら、怒ればいいのか、喜んでいいのか、わからなくなってしまう。
 息が詰まったせいで、顔が赤くなる。

 ――俺を、龍神様の花嫁にしてください。
 あの返事は、まだ貰えていない。
 答えないということは、彼にはそのつもりはないのだろう。
 それならそれでも、まぁ、いいか。
 龍神の力になる、という清高の意志は変わらない。
 その程度に考えていたが、遠回しな言い方ではあるが、こうして側に在ることを許される――だけでなく、望まれているかのような言葉には、そわそわしてしまう。

 だというのに、
「あの者と共に行きたかったか?」
 などと、龍神が的外れなことを尋ねてくるものだから、
「はぁ?」
 と、清高は一度は引っこめた怒りに、再び火を点けた。
「おまえなぁ、今まで俺がおまえに何を言って、何をしてきたか、全然覚えてないのな」
 わけがわからない、という龍神の顔に、溜息をつく。
「いいけどさ、別に」
 今更、朴念仁だ何だと、わかりきったことを言っても仕方がない。

「何か食べるか? って言っても、結局、何も買って来られなかったんだよなぁ。
 菊里に精の付きそうな料理でも頼んでくるか」
「……粥がいい」
 祭の出店に並んでいた食べ物を思い出し、清高が残念がっていると、龍神が控えめな声で言った。
「君の作った、あの粥が食べたい」
「え? あのなんの変哲もない粥?」
「そうだ」
「あんなのでいいのか?」
 自分で言うのもなんだが、あれは大して旨くない。
 それでも龍神は、
「あれがいい」
 と言って譲らない。
(まぁ、疲れてる時はああいうなんでもない物の方がいいか)
「ん。じゃぁ、作ってくる」
 が、自分からねだったくせに、立ち上がろうとすると、龍神は袖を引いて清高を引き留める。
「清高」
「なんだよ?」
 仕方なく座り直すと、龍神は億劫そうにしながら体を起こした。

「もしも、君が望むなら――

 月夜野つきよのでも真庭まにわでも、私は滅ぼすことができる」

「……なんで、そういう発想になるんだよ?」
 まるで前後の繋がりの見えない龍神の発言を「冗談だろ」と笑い飛ばそうとして、声が震えてしまった。
「俺は別にそんなこと望んで……」
 清高をまっすぐ見詰める龍神の目は、澄み切っていて綺麗だった。

 いつかはわからない。
 龍神は、清高の心の底の底、水底の底の幽世かくりよのように奥深くある、淀んだ黒い感情に――触れたのだ。

「ああ、あるさ。そう望んだことくらい」

 真庭の国から瀬良せらに嫁いだ母は、側室としては十分過ぎるほどの扱いを受けてきた。それは庶子しょしである清高もそう。
 それでも、陰で囁く声がなかったわけではない。
 政略的な意図を持って真庭から押しつけられた妾と、その子。

「俺、さ。本当は、瀬良家の長男なんだ。って言っても、明高より数ヶ月早く生まれただけなんだけど」

 瀬良二郎清高。
 己の名にしっかりと刻まれた二の字の意味を教えられたのは、物心付くか付かないかの頃だった。

 ――いいか、清高。おまえは弟として、将来しっかり明高あきたかを支えるんだぞ。

 生まれた順がどうであれ、瀬良家を継ぐのが嫡男ちゃくなんの明高であることは決まっている。だから、二人の男児のどちらが兄で弟かなんて、本来大した意味を持たないはずだった。
 それなのに、父は二人の息子の上下をより強固に区別するため、先に生まれた側室の子を「弟」と定めた。

 それは結果として、清高よりも、明高の中の何かを、確実に歪めた。
 明高は「本当は弟であったはずの自分」を否定しようとするかのように、より「長男」としての役目をまっとうしようとし、清高を徹底して「側室の子」として扱った。
 対する清高は清高で、「庶子」である自分の立場を弁え、決して出すぎた真似はせず、努めて「弟」であろうとした。
 それでも、清高と明高が「兄弟」であるということに変わりはなく。
 あさぎという、まごうことなき二人にとっての「妹」が生まれてからは、自分たちなりに正しい家族の関係性を築けていた。

 それが崩壊したのは、清高が九つの時。

義母上ははうえが、死んだのはさ……俺のせいなんだよなぁ……」

 それこそなんの脈絡もなく昔語りを始めた清高に、龍神は何も言わない。
 何も言わず、黙って耳を傾けてくれる。



 夏が秋に変わる頃だった。
 今ほど季節の移ろいや、それに伴う天候の乱れが頭に入っていなかった愚かな子供たちは、その日も平然と外へ遊びに出かけていた。

 ――少しでも雨雲が見えたら、すぐに帰って来るんだぞ。
 そんな父の言い付けを、どこまでの危機感を持って聞いていたことか。

 まだ小さかったあさぎの手を引きながら、明高と一緒に野山で駆け回っていると、ぽつぽつと雨が降り出した。
 三人は互いに互いの顔を見る。
「帰らなきゃ」
 頷き合い、急いで屋敷に駆け戻る途中、あさぎが「あっ」と声を上げた。
「どうした?」
「かんざしを落としちゃった」
 清高が明高に背負われたあさぎの後ろ頭を見ると、たしかにさっきまで挿していたかんざしがなくなって、髪が解けていた。

 母方の祖父から貰ったのだと、自慢げに見せてくれた藤の花を模したかんざしの形は、清高もよく覚えている。

「さがしに行く」
 そう言って背中から下りようとするあさぎを、明高が慌てておぶい直す。
「危ないぞ、駄目だ」
 そうして立ち止まっている間にも雨はどんどん強くなり、怪しい風も吹き始めていた。視界も悪くなってきている。
 どこで失くしたかもわからない、小さな落とし物を探しに戻るのが危険であることくらいは、幼い清高たちでもわかっていた。
 それでも、あさぎは乱れた髪を揺らして首を振る。
「いや。もどるの」

「わかった。なら、兄様が探しに行ってやる」
 今思えば本当に愚かなことに、清高はそう言って妹に微笑みかけた。

「清、」
 明高の咎めるような視線も笑い飛ばして、胸を張る。
「あさぎの大事なかんざしだ。大丈夫。すぐに見つけて戻るから。おまえたちは先に帰ってろ」
「おにいさま、本当? 本当に見つけてくれる?」
「本当さ。知ってるだろう? 兄様は強いんだ」

 あさぎの前で格好をつけたかったのかのかもしれない。
 明高に「役に立つ弟」であるところを見せたかったのかもしれない。
 いずれにしろ、本当に愚かだった。

 結局、かんざしは見つからなかった。

 雨の中、その日遊び回ったあちこちを辿るうち、地を這う濡れた蔦に足を引っかけて転び、膝を擦りむいて。
 べそをかきながら歩いていたところに、追い打ちのように雷が鳴り出した。
 泣きっ面に蜂とはまさにこのことで、身を竦ませた清高は、慌てて近くに見えた掘立小屋ほったてごやに避難する。
 それは近隣住民が川を渡る時のために小船や縄などをしまって置くための倉庫で、暗く黴臭い小舟の陰に身を潜ませて、ただひたすら早く嵐が立ち去ってくれるように願った。

 そうして、清高にとっては永遠に等しく長く感じられた時間が過ぎ去った後。
 川の様子を見に来た漁師によって発見された清高は、無事に瀬良の屋敷まで送り届けられて。
 そこで、義母が瑞千川みずちがわに落ちて死んだことを知らされたのだった。
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