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十七『真庭』

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 清高きよたかの存在は、おおむね好意的に集落の人々に受け入れられているようだ。
 まだ少しぼんやりとしたまま外を歩いていると、
「おお、兄ちゃん!」
「おみなを助けてくれて、ありがとうなぁ」
 と、次々に声をかけられる。

 村とも呼べない小さな集落。
 十軒かそこらの家が身を寄せ合う中で、子供は皆で共有する宝なのだ。
 そんな「宝」を守った清高は、おみなだけでなく、集落にとっても恩人であるらしい。

 そのおみなと言えば、随分清高のことを気に入ってくれたようで、あれからずっと後をついて来る。
 彼女にとっては自分を助けてくれた清高は英雄であるらしく、何度言っても、
「りゅうじんさま」
 と呼んで離れようとしない。

「兄ちゃん。これ、食ってくれ」
 川辺で拾った清高を集落へ連れ帰ってくれた男の一人が、抱えた籠から桃の実を一つ取り出して、放って寄越した。
「貰っていいのか?」
「ああ。本当は供え物なんだが、一個くらいお裾分けしたって、龍神様は怒らんだろ」
 無責任に言って、男が笑う。

「龍神様にお供えに行くのか?」
「ああ。集落が無事に嵐を越せたのと、おみなを返してくれたお礼にな。兄ちゃんも行くかい?」
「行く」

 龍神に合えるかもしれない。
 という望みは薄いが、真庭国まにわのくにの人々が彼をどんな風に信仰しているのか、知りたい気持ちがあった。

 正確な位置はわからないが、集落は山の、かなり深い場所にあるようだ。
 長雨の名残で柔らかく湿った土を踏み、男の後をついて歩いていく。
 山の集落で生まれ育った者の性なのか、おみなも幼いながらに健脚で、大人二人にしっかりとついて来た。

 嵐が過ぎた後の瑞千川みずちがわは、水嵩も流れも元に戻り、澄んだ水を穏やかに湛えていた。
 男の話によると、ここは清高たちが拾われた川岸から、一里ほど川上にあたるらしい。

 到着するとすぐ、おもむろに、男が果物を詰めた籠を川面に落としたので、清高は驚いた。
「お供えって言うから、社や祠に持って行くのかと思った」
「川下の里にはそうする所もあるみたいだけどな。俺たちは、こうして手を合わせるんだよ。川に棲む龍神様に届けるなら、川に流すのが一番だろ?」
 言って、男は言葉のとおり、川に向かって手を合わせる。おみなも隣でそれに倣っていた。

(それもそうか)
 何かが噛み合えば、あの籠もうまく結界を越えて、本当に龍神の元に届くかもしれない。
 清高のように。

 浮き沈みながら流れていく供え物を眺めながら、それでも清高は、どうしても手を合わせる気にはなれなかった。

「あのね、あたし、大人になったら、りゅうじんさまのおよめさんになる!」
 突然、おみながそんなことを言い出したものだから、清高はぎょっとした。
「龍神様の?」
「うん!」
 屈託なく頷いて、おみなは清高の足にぎゅっと抱き着いた。

(あ。ああ、俺のことか……)
 彼女の中では清高が龍神なのだった。
 無邪気の成せるわざとはいえ、仮にも『龍神の花嫁』だった清高の嫁になりたいとは、肝を冷えさえる発言だった。

「そういえば、月夜野では生贄として龍神様に花嫁を捧げる風習があるんだって?」
 男は男で、清高の動揺に気づかずに、のんびりとした口調で言う。
「あ、ああ……」
「そっかぁ……」

 ――なんと残酷なことを。
 そう言われるのを覚悟して、清高は身構えた。
 月夜野と真庭では龍神に対する捉え方がまったく違うようだから、きっと古くからの風習の違いも理解できないだろう。
 瑞千川の氾濫に長く苦しんできた月夜野の民の苦肉の策は、真庭の民にはわからない。

 が、男は清高の予想に反して、
「龍神様も、川の底で一人で暮らすんじゃ、寂しいものなぁ」
 と言っただけだった。
 その言葉は、清高の中に強く残った。

「さて、戻ろうか」
 そう言われてもその気になれず、ゆるく首を振る。
「少し、この辺りを歩いてみてもいいか?」
「それは構わんが……一人で大丈夫か?」
 男は心配そうに尋ねてきたが、清高の様子から察したようだった。

 今は、一人になりたい。

「わかった。気をつけてな」
「あたしもりゅうじんさまといっしょがいい!」
「おまえは駄目だ。また川に落っこちるぞ」
 むくれるおみなを抱き上げて、男は川辺の一点を指さした。
「あそこに杭が立ってるだろ? あれが目印だ。あそこから登って行けば集落に戻れる。どうしても迷った時は、川原の開けた安全な場所で待ってな。また探しに来てやるから」
 どこまでも親切な男だ。
「ありがとう」
 応え、清高は二人と別れた。

 一人になった清高は、だからといって当てがあるわけでもなく、とりあえず上流の方へ足を向ける。
 道の勾配や木々の様子から見て、ここは竜臥淵りゅうがふちよりは川下だろう。

 今頃、龍神はどうしているだろか?
 清高を探しているだろうか?
 いや、それはないだろう。
 彼にとって招かれざる客であった清高だ。
 元々は、頬に浴びた血の痕が消えるまで、という話だった。
 その後、「気の済むまで居ていい」と言ってはくれたが、わざわざ探し出して連れ戻してまで、清高を側に置いておく必要は、彼の方にはない。

 清高に刻まれた彼の痕跡も、今やもう洗い流された。

(まだ、俺の気は済んでないんだけどな)
 しかし、どうすればこの気持ちは晴れるのだ?
 もう一度会えたところで、当初の目的であった「龍神を殺すこと」なんて、できるわけもない。
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