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十一『雨夜の宴』③
しおりを挟む雨が降る。ぱたぱたと。夜闇の庭に雨が降り注ぐ。
酒を飲むのも久しぶりだ。ほてった体を冷ますため、部屋を出る。
するとそこに、一人濡れ縁に腰かけて、庭を眺める雨月がいた。
清高を見ると「やぁ」と軽く微笑む。
「あんたは中で飲まないのか?」
「賑やかなのは二人に任せようかと思ってね」
(こいつ、)
その柔和な笑みの奥に底知れない深みを汲み取って、体に自然と緊張が走った。
彼は三峰や松姫とは違う。龍神とも。
人の形をしていながら、人の温度が、ない。
「あんたも何かの神様なのか?」
警戒を解かないままに清高が尋ねると、雨月はいやいやと首を振った。
「僕はそんな大層な者ではないよ。君と同じ、神に仕えるだけの存在だ」
「俺は別に、龍神に仕えてるわけじゃない」
「そうだったね。失敬」
雨月は他の二人のよりは話の通じる相手であるようだったが――何故だろう? はぐらかされているような感じがして、心地が悪い。
「それ、どうしたんだい?」
雨月が自分の右頬を突く。
一拍置いて、自分のことを言われているのだと気づき、頬に貼られた布に触れた。
「俺が龍神に襲いかかって、それで、返り血が」
「おやおや。随分と勇敢なことだ。良かったら、傷の具合を見せてくれないか?」
清高があまりにわかりやすく渋い顔をしたからか、雨月はくつくつと笑う。
「そんなに怖がらなくても、とって喰いやしないよ」
「……別に、そんな心配はしてない」
清高はむっとして、雨月の前に堂々と胡坐をかく。
これ見よがしに、頬に貼り付いた布をべりっと剥がしてみせた。
「これは……そうとう根が深いようだな」
「龍神が毎日薬を塗ってくれてるんだけど、なかなか治らなくて」
「なるほど。君は、余程あれと相性が良いらしい」
雨月の手が伸びてきて、指先で清高の頬を撫でる。
ちくっ、とした小さな痛みと共に手が離れると――その指先に、きらりと光るものが摘ままれていた。
「それ、なんだ?」
透き通った、薄く、小さな破片。
花弁のような。貝殻のような。
「……鱗?」
魚や蛇の――否。
龍の。
はっと抑えた頬の、ざらりと固い頬の感触。
「龍の血に呪われるというのは、そういうことだよ」
「呪い……」
毒、と龍神は言った。その意味。
龍神が頑なにその痕跡を消そうとした理由。
清高の身に起きている、異変。
「もし君にまだみずちを殺めるつもりがあるのなら、その結果に起こることまで思いを馳せて、よくよく考えてからにした方がいい」
「俺は、」
「別に、止めようというわけではないよ。それはあれの望むところでもあるだろうしね。
君に、その覚悟があるのなら」
覚悟。
龍神もその言葉を使っていた。
覚悟など、とうに決めてきた。
――はずだった。
黙ってしまった清高を慰めるように、雨月が言う。
「一度ついてしまった匂いは根気よく清めていくしかない。
幸いみずちもそのつもりらしい。彼に任せておけば大丈夫だろう」
匂いを付けたままでは返せないと言われた。その、匂い。
清高に刻まれた、龍神の匂い。
「一つ、聞いていいか?」
「何かな?」
「あんたは、なんであいつのことを『みずち』って呼ぶんだ? 瑞千川の主だから?」
雨月はふふっ、とおかしそうに笑う。
「私たちから見れば、あれはまだ幼子だからね」
その意味は、清高にはわからなかった。
雨月がおもむろに立ち上がる。
軽い足取りで庭に下りると、立て掛けてあった赤い傘を取って、ぱっと開いた。
「もう帰るのか?」
「うん。お邪魔したね」
部屋の中ではまだまだ酒の席が続いている様子だが、雨月は気に留める様子もない。
中の彼らは彼らで、雨月が宴に参加しないことをなんとも思わないようだから、それで構わない関係なのだろう。 清高がとやかく言うべき話でもない。
「みずちに伝えておいてくれ。『近く嵐が来るから、用心するように』と」
――それじゃぁ、またいずれ。
そう言い残し、鮮やかな赤い傘の花は、暗い雨の中に溶けて行った。
意味深な態度ばかり取っていた割には呆気ない。
(呪い、か)
掌に残された透明なびいどろ細工のような鱗を見詰めながら、清高はしばし雨の音に打たれていた。
「清高」
「うわぁ!」
すぐ真後ろで囁かれた声に跳び上がる。
いつのまにか龍神が部屋から出てきていた。
「脅かすなよ!」
「なかなか戻らないから、具合でも悪いのかと」
「いや……ちょっと、雨月って人と話してたんだ」
「あれは?」
「帰ったよ」
「まったく……気まぐれにもほどがある」
龍神は雨の庭に向かって忌々しげに吐き捨てた。
「あの人、何者だったんだ? 神に仕える者、とか言ってたけど」
「あれは雨神の眷属だ。天神は我ら地祇とは違い、俗世での器を持たない。
だから、地上に用がある時は、代わりにああいった式を遣わす」
「へぇ」
神の使い。
という割には、龍神たちと随分気安く接しているように見えた。
日頃から龍神に同輩感覚で相対している清高が言えたことではない、というのはさておいて。
神の世界の上下関係はどうなっているのだろう?
「まったく、一体何しに来たのだか……」
「本当だよ」
まさか本当に清高の顔を確認するためだけに遣わされたのだとしたら、そのお偉い天の神様というのも相当な酔狂だ。
清高に戻された龍神の視線が、布の外された頬の上で止まった。
「ああ、これは……」
雨月から聞かされた話を龍神に打明け、詳しく問い詰めるべきだろうか?
迷っていると、ふいに、龍神の手に頬を包まれた。
「りゅう、」
じっと向けられる、真っ直ぐな視線にたじろいでしまう。
からり、と戸が開かれた。
「あら! 二人ともこんな所に!」
左手に扇を、右手に盃を持った松姫が、ぬるりと部屋から這い出てくる。
「主役が二人とも席を外したままでは駄目でしょう?
ほら、戻って。お話の続きをしましょうな」
「そうだぞ。それに、肴も足らん!」
すっかり出来上がった三峰も、部屋の中で空の酒瓶をぶんぶんと振っている。
清高と龍神は顔を見合わせた。
「……下がっても構わないぞ?」
「いや。せっかくだし、付き合うさ」
清高が雨月と話している間も、龍神は二人に絡まれ続けていたのだろう。
日頃、音の少ないこの館で過ごしている龍神には堪えたに違いない。
清高よりずっと疲れた様子の彼を一人であの中に戻すのは、少々忍びない。
部屋に戻ろうとして、
「あ、そうだ。あの人から、おまえに伝言」
雨月の去り際の言葉を思い出し、龍神の袖を引いた。
「『近く嵐が来るから、用心するように』だってさ」
「……それが本題か」
何か含みがありそうな呟きに、龍神の顔を覗き込む。
「どうした?」
「いや、」
龍神はまだ自分の袖を摘まんだままの清高の手を、そっと押し返した。
「戻ろう。風が出てきたようだ」
「ん」
清高がここへやって来てから半月ほどの間で、季節は菖蒲の終わりから紫陽花の始まり、春の終わりから夏の初めに移り変わりつつある。
が、雨夜の風はまだ涼しい。
じっとしていても汗ばむ日差しがやってくる前に、幾日かの間、じめじめとした鬱陶しい昼夜をやり過ごさなければならない。
もう間もなく、雨が主役の時季が来る。
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