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二『龍神の花嫁』②
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清高の母は父の二番目の妻――単刀直入に言えば側室――で、真庭から月夜野に嫁いできた。
見目麗しい可憐な女性で、聡明な人だった。
決して出過ぎた真似はせず、夫に忠実に尽くし、常に正室である明高とあさぎの母を立てることを忘れない。
その謙虚な姿勢の甲斐あってか、夫に十分な愛を注がれながらも、正室からのやっかみを買うこともなく、慎ましくも平穏な日々を幸せに過ごしていたようだ。
惜しむらくは、美人薄命、才子多病の言葉どおりの人であったことか。清高が七つの歳を迎えてすぐに逝ってしまった。
清高は母親似だ。母の昔を知る人からは「若い頃の姫様にそっくりだ」など、しみじみと言われたりする。
清高にとって、それはまったくありがたくない話だった。
母のことが嫌いなわけではない。が、可憐な女性に似ているというのは、つまり、そういうことで。
同年代の男児たちより頭一つ背が低く、白い肌に、立派な青年と言える歳になっても、まだどこか少女めいている顔立ち。幼い頃から必死に体を鍛えてきても、肉の付きにくい体質はいつまで経っても華奢なまま。
瀬良家は元々、武門の一族だ。
仮にも武人の子として生まれた上では不利益にしかならない自分の容姿が、清高は嫌いだった。
(それなのに、まさか、この貧相な体が役に立つ日が来るなんてな)
真白い打掛を着せ掛けられながら、清高は自嘲する。
鏡に映る白い顔は化粧を施され、紅を引かれた唇が孤を描くと、そこにいるのは嫁入り前の不安と希望を抱えた、可憐な少女にしか見えなかった。
それが余計に気を滅入らせる。
「お兄様」
衝立の向こうから聞こえた控えめな声に、曇った気持ちにわずかに光が差し、清高は今度こそ本当の笑みを浮かべた。
「準備は終わりましたか? そちらへ行ってもいい?」
「終わったよ。おいで」
着付けと化粧をしてくれた侍女が几帳を上げると、あさぎが恐る恐るといった様子で顔を覗かせる。
彼女の大きな両目は、清高を映すと、さらにまん丸に開かれた。
「お兄様?」
「そうだよ」
「あんまり綺麗だから誰かと思った。どこからどう見ても立派な花嫁様だわ」
控えていた侍女がくすりと笑い、それから、笑ってしまったことを恥じるかのように面を伏せた。
清高がなんのためにこんな格好をしているのか、思い出したのだろう。
それはあさぎも同じだったようで、すぐに、今にも泣き出しそうに顔を歪ませる。
「ねぇ、お兄様。本当に行ってしまうの?」
そんな妹の頭を、清高はそっと撫でてやった。
「これが兄様の役目だからね」
あさぎには、清高があさぎの身代わりを買って出たことを教えていない。
あくまで清高が自ら龍神の花嫁に志願したということにしてある。
そういうことにしておいてくれ、と明高に嘆願した。
「でも、やっぱりおかしいわ。どうして兄様が? だって、お兄様なのに」
事情を知らないあさぎからすれば、わけがわからなくて当然だ。
花嫁にあえて男の、しかも領主の弟である清高が志願する理由など、納得できるはずもないだろう。
あさぎはまだ幼いが、物を知らない子供ではない。
清高たちが隠していても、何かしら感じるものがあったに違いない。
だから直接、清高に確かめに来たのだ。
「あのね、」
身を屈め、内緒話をするように、清高はあさぎの耳元に顔を寄せる。
「実は、兄様は悪い龍を退治しに行くんだ」
「え?」
「花嫁のふりをして龍神様に近付いて、この懐剣で一刀両断にしてやるのさ。
そうすれば、この先、もう誰も生贄になんてならなくていいだろう?」
「そんなこと、できるの?」
「できるさ。知ってるだろう? 兄様は強いんだ」
無論、それはあさぎに言い聞かせるために用意したいいわけだ。
だが、こうして口に出してみると、案外悪くない計画のような気がしてくる。
(……やってみるか)
何せ相手は曲がりなりにも神様だ。一筋縄ではいかないだろう。
が、万が一うまく事が運べば、今後、月夜野から生贄を捧げる必要はなくなる。
もう誰も、龍神の花嫁と称した犠牲にならなくて済むのだ。
清高の自信ありげな言葉を聞き、あさぎの頬に赤みが差す。
「そうね。きっと、兄様なら龍神様にだって負けないわ!」
「ありがとう、あさぎ」
妹の無邪気な言葉に励まされ、清高は腹の底で決意を固めた。
(どうせ、どうあっても死ぬんだ。なら、最期に一花咲かせてやろうじゃないか)
思いがけず勇敢な死に様を描けるかもしれないという期待に、少しばかり気分が高揚してくる。
もっとも、どんな雄姿を飾れたところで、死装束が花嫁衣装では、いまいち格好はつかないだろうけれども。
見目麗しい可憐な女性で、聡明な人だった。
決して出過ぎた真似はせず、夫に忠実に尽くし、常に正室である明高とあさぎの母を立てることを忘れない。
その謙虚な姿勢の甲斐あってか、夫に十分な愛を注がれながらも、正室からのやっかみを買うこともなく、慎ましくも平穏な日々を幸せに過ごしていたようだ。
惜しむらくは、美人薄命、才子多病の言葉どおりの人であったことか。清高が七つの歳を迎えてすぐに逝ってしまった。
清高は母親似だ。母の昔を知る人からは「若い頃の姫様にそっくりだ」など、しみじみと言われたりする。
清高にとって、それはまったくありがたくない話だった。
母のことが嫌いなわけではない。が、可憐な女性に似ているというのは、つまり、そういうことで。
同年代の男児たちより頭一つ背が低く、白い肌に、立派な青年と言える歳になっても、まだどこか少女めいている顔立ち。幼い頃から必死に体を鍛えてきても、肉の付きにくい体質はいつまで経っても華奢なまま。
瀬良家は元々、武門の一族だ。
仮にも武人の子として生まれた上では不利益にしかならない自分の容姿が、清高は嫌いだった。
(それなのに、まさか、この貧相な体が役に立つ日が来るなんてな)
真白い打掛を着せ掛けられながら、清高は自嘲する。
鏡に映る白い顔は化粧を施され、紅を引かれた唇が孤を描くと、そこにいるのは嫁入り前の不安と希望を抱えた、可憐な少女にしか見えなかった。
それが余計に気を滅入らせる。
「お兄様」
衝立の向こうから聞こえた控えめな声に、曇った気持ちにわずかに光が差し、清高は今度こそ本当の笑みを浮かべた。
「準備は終わりましたか? そちらへ行ってもいい?」
「終わったよ。おいで」
着付けと化粧をしてくれた侍女が几帳を上げると、あさぎが恐る恐るといった様子で顔を覗かせる。
彼女の大きな両目は、清高を映すと、さらにまん丸に開かれた。
「お兄様?」
「そうだよ」
「あんまり綺麗だから誰かと思った。どこからどう見ても立派な花嫁様だわ」
控えていた侍女がくすりと笑い、それから、笑ってしまったことを恥じるかのように面を伏せた。
清高がなんのためにこんな格好をしているのか、思い出したのだろう。
それはあさぎも同じだったようで、すぐに、今にも泣き出しそうに顔を歪ませる。
「ねぇ、お兄様。本当に行ってしまうの?」
そんな妹の頭を、清高はそっと撫でてやった。
「これが兄様の役目だからね」
あさぎには、清高があさぎの身代わりを買って出たことを教えていない。
あくまで清高が自ら龍神の花嫁に志願したということにしてある。
そういうことにしておいてくれ、と明高に嘆願した。
「でも、やっぱりおかしいわ。どうして兄様が? だって、お兄様なのに」
事情を知らないあさぎからすれば、わけがわからなくて当然だ。
花嫁にあえて男の、しかも領主の弟である清高が志願する理由など、納得できるはずもないだろう。
あさぎはまだ幼いが、物を知らない子供ではない。
清高たちが隠していても、何かしら感じるものがあったに違いない。
だから直接、清高に確かめに来たのだ。
「あのね、」
身を屈め、内緒話をするように、清高はあさぎの耳元に顔を寄せる。
「実は、兄様は悪い龍を退治しに行くんだ」
「え?」
「花嫁のふりをして龍神様に近付いて、この懐剣で一刀両断にしてやるのさ。
そうすれば、この先、もう誰も生贄になんてならなくていいだろう?」
「そんなこと、できるの?」
「できるさ。知ってるだろう? 兄様は強いんだ」
無論、それはあさぎに言い聞かせるために用意したいいわけだ。
だが、こうして口に出してみると、案外悪くない計画のような気がしてくる。
(……やってみるか)
何せ相手は曲がりなりにも神様だ。一筋縄ではいかないだろう。
が、万が一うまく事が運べば、今後、月夜野から生贄を捧げる必要はなくなる。
もう誰も、龍神の花嫁と称した犠牲にならなくて済むのだ。
清高の自信ありげな言葉を聞き、あさぎの頬に赤みが差す。
「そうね。きっと、兄様なら龍神様にだって負けないわ!」
「ありがとう、あさぎ」
妹の無邪気な言葉に励まされ、清高は腹の底で決意を固めた。
(どうせ、どうあっても死ぬんだ。なら、最期に一花咲かせてやろうじゃないか)
思いがけず勇敢な死に様を描けるかもしれないという期待に、少しばかり気分が高揚してくる。
もっとも、どんな雄姿を飾れたところで、死装束が花嫁衣装では、いまいち格好はつかないだろうけれども。
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