2 / 34
一『龍神の花嫁』①
しおりを挟む
清高は憤慨のあまり足音をおさえることも忘れ、どたどたと行儀悪く廊下を踏み鳴らして兄の居室へ向かっていた。
訪いも告げずに戸を開け放つや否や、憤りのままに叫ぶ。
「兄上、一体どういうつもりだ? あさぎを『龍神の花嫁』に選ぶなんて!」
文机に向かって書き物をしていた異母兄――明高は凛々しい眉をきゅっと寄せた。
「騒々しい。おまえはいくつになったら落ち着きというものを身に付けるんだ?」
「落ち着いていられるか! 説明しろ!」
「どうもこうもない。今年の『龍神の花嫁』はあさぎに決まった。それだけだ」
明高は、とりあうつもりはない、と言わんばかりに、視線を手元に戻して書き物を再開する。
清高がばしんっ、と文机を叩くと、硯の墨が散って、書かれたばかりの書面の上に黒い点が散った。
明高はぴくりと口元を引きつらせる。
「大体、あさぎは真庭の若様への輿入れが決まっていただろう? 父上の代からの約束を反故にするのか? そんなこと……」
「だからこそ、だ」
とうとう筆を置くと、明高は異母弟を見た。
「月夜野は真庭との同盟を破棄する」
「なっ! ……どうして?」
瀬良明高。清高。二人は、この『月夜野国』を治める瀬良家に生まれた兄弟だ。
二年前に二人の父が亡くなり、今は明高が当主を務めている。
月夜野国と、隣国の真庭国は、二人の祖父、曾祖父より前の代から続く縁で、長年良好な関係にあった。
清高の母は真庭国の現国主の従妹にあたり、その繋がりもあって、明高の妹――清高にとっても異母妹である――瀬良家で唯一の姫、あさぎは、良き年頃になったら真庭国へ嫁ぐという話になっていた。
月夜野も真庭も山間の小さな国。争い合うことに理はなく、手を取り合うことこそが繁栄の道。
清高は父母にそう言い聞かされて育ってきた。それは明高も同じはず。
それなのに、なぜ? 今、彼の代になって?
「……高師から、申し入れがあったのだ」
それで全てを察した清高は 奥歯を噛み締めた。
高師国は月夜野国の川下に位置する大国で、近年破竹の勢いで国土を広げている。そのやり口は悪辣とも言えるほど強引で、戦を仕掛けられた国は壊滅に近い状態まで追いやられ、領土も民も財産も、根こそぎ奪わるという噂だった。
その高師国が真庭国に白羽の矢を立てたのだ。
「真庭は抗うつもりらしい」
「見捨てるつもりか?」
「月夜野が手を貸したところで、適う相手ではない」
幸か不幸か、月夜野国は豊かとは言えない国だ。
兵力は最低限の守りに回す分しかなく、それでも他国に攻め込まれずにいられたのは、捕っても旨味がないと思われているからだろう。
一方、同じ山の小国でも、真庭国には豊かな鉱山資源がある。そこに目を付けられたに違いない。
「『真庭を捕るのを邪魔しなければ、高師は月夜野には手を出さない』とでも言われたか?」
明高は答えない。それが何よりの肯定だった。
真庭国と縁を切れ。
それが高師国の提示してきた条件だというのであれば、たしかにあさぎの輿入れによって、月夜野と真庭の関係が深まることは避けるべきだろう。
明高の考えはわかる。国を思うなら正しい判断だろうとも思う。
でも。
「それが、あさぎを龍神様の花嫁に据えることと、どう関係するって?」
「あさぎの縁談を取り下げようとすれば真庭は必ず勘づく。高師の態勢が整うまで事は穏便に進めなければならないのだ」
「隣国と縁を切る。そのために、『龍神の花嫁』という立場を利用すると?」
月夜野と真庭との国境を流れている瑞千川には、恐ろしい龍が棲む。
月夜野では古くからそう語り継がれている。
ことあるごとに氾濫し、国土と民を飲み込む川の姿はまさに龍そのもので、人々は長くその存在を恐れてきた。
『龍神の花嫁』は、そんな暴君を鎮めるため、十年に一度瑞千川に捧げられる、言わば生贄だ。
「相手が『龍神様』となれば、真庭も強くは出られまい」
地形の妙で月夜野ほどではないにしろ、真庭にもその水害に苦しめられてきた歴史がある。龍神の祟りを恐れる気持ちは同様に根深い。龍神の花嫁に決まった娘を強引に奪い取ることはしないだろう。
「おまえ……そんなことのために、あさぎを死なせていいわけがないだろう!」
本当に龍神の元の嫁ぎ、花嫁として暮らしていけるのならばまだ救いがある。
だが、『花嫁』などという肩書は、送り出す側の罪悪感を少しでも和らげるためだけの体のいいわけで、選ばれた娘が迎える末路は「死」のみだ。
たとえ国の為とはいっても、清高は兄として、あさぎをそんな目に遭わせるわけにはいかなかった。
「龍神の花嫁っていう立場を利用したいだけなら、何も本当にあさぎ自身を川にやらなくてもいい」
「影武者を立てろと?」
明高が声を低くする。
「おまえは、あさぎの命を守るためならば、他の#女子__おなご__を死なせることは構わんと申すのか?
あさぎが国のために命を落とすことは許せずとも、見ず知らずの娘があさぎのために死ぬのは良い、と?」
その瞬間、清高は明高の思惑を悟った。
この会話は、初めから明高によってここまで誘導されていたのだ。
あさぎを龍神の嫁に据えると言えば清高が激昂することや、清高が「身内のためならば赤の他人などどうでもいい」とは思えない性分であること。
それを熟知している明高は、その上で、清高の次の言葉を待っている。
血が滲むほど強く唇を噛む。
しかし、どんなに悔しくとも、ことここに至っては、清高には相手の望み通りの結論しか思い浮かばなかった。
「……俺が、あさぎの代わりになります」
訪いも告げずに戸を開け放つや否や、憤りのままに叫ぶ。
「兄上、一体どういうつもりだ? あさぎを『龍神の花嫁』に選ぶなんて!」
文机に向かって書き物をしていた異母兄――明高は凛々しい眉をきゅっと寄せた。
「騒々しい。おまえはいくつになったら落ち着きというものを身に付けるんだ?」
「落ち着いていられるか! 説明しろ!」
「どうもこうもない。今年の『龍神の花嫁』はあさぎに決まった。それだけだ」
明高は、とりあうつもりはない、と言わんばかりに、視線を手元に戻して書き物を再開する。
清高がばしんっ、と文机を叩くと、硯の墨が散って、書かれたばかりの書面の上に黒い点が散った。
明高はぴくりと口元を引きつらせる。
「大体、あさぎは真庭の若様への輿入れが決まっていただろう? 父上の代からの約束を反故にするのか? そんなこと……」
「だからこそ、だ」
とうとう筆を置くと、明高は異母弟を見た。
「月夜野は真庭との同盟を破棄する」
「なっ! ……どうして?」
瀬良明高。清高。二人は、この『月夜野国』を治める瀬良家に生まれた兄弟だ。
二年前に二人の父が亡くなり、今は明高が当主を務めている。
月夜野国と、隣国の真庭国は、二人の祖父、曾祖父より前の代から続く縁で、長年良好な関係にあった。
清高の母は真庭国の現国主の従妹にあたり、その繋がりもあって、明高の妹――清高にとっても異母妹である――瀬良家で唯一の姫、あさぎは、良き年頃になったら真庭国へ嫁ぐという話になっていた。
月夜野も真庭も山間の小さな国。争い合うことに理はなく、手を取り合うことこそが繁栄の道。
清高は父母にそう言い聞かされて育ってきた。それは明高も同じはず。
それなのに、なぜ? 今、彼の代になって?
「……高師から、申し入れがあったのだ」
それで全てを察した清高は 奥歯を噛み締めた。
高師国は月夜野国の川下に位置する大国で、近年破竹の勢いで国土を広げている。そのやり口は悪辣とも言えるほど強引で、戦を仕掛けられた国は壊滅に近い状態まで追いやられ、領土も民も財産も、根こそぎ奪わるという噂だった。
その高師国が真庭国に白羽の矢を立てたのだ。
「真庭は抗うつもりらしい」
「見捨てるつもりか?」
「月夜野が手を貸したところで、適う相手ではない」
幸か不幸か、月夜野国は豊かとは言えない国だ。
兵力は最低限の守りに回す分しかなく、それでも他国に攻め込まれずにいられたのは、捕っても旨味がないと思われているからだろう。
一方、同じ山の小国でも、真庭国には豊かな鉱山資源がある。そこに目を付けられたに違いない。
「『真庭を捕るのを邪魔しなければ、高師は月夜野には手を出さない』とでも言われたか?」
明高は答えない。それが何よりの肯定だった。
真庭国と縁を切れ。
それが高師国の提示してきた条件だというのであれば、たしかにあさぎの輿入れによって、月夜野と真庭の関係が深まることは避けるべきだろう。
明高の考えはわかる。国を思うなら正しい判断だろうとも思う。
でも。
「それが、あさぎを龍神様の花嫁に据えることと、どう関係するって?」
「あさぎの縁談を取り下げようとすれば真庭は必ず勘づく。高師の態勢が整うまで事は穏便に進めなければならないのだ」
「隣国と縁を切る。そのために、『龍神の花嫁』という立場を利用すると?」
月夜野と真庭との国境を流れている瑞千川には、恐ろしい龍が棲む。
月夜野では古くからそう語り継がれている。
ことあるごとに氾濫し、国土と民を飲み込む川の姿はまさに龍そのもので、人々は長くその存在を恐れてきた。
『龍神の花嫁』は、そんな暴君を鎮めるため、十年に一度瑞千川に捧げられる、言わば生贄だ。
「相手が『龍神様』となれば、真庭も強くは出られまい」
地形の妙で月夜野ほどではないにしろ、真庭にもその水害に苦しめられてきた歴史がある。龍神の祟りを恐れる気持ちは同様に根深い。龍神の花嫁に決まった娘を強引に奪い取ることはしないだろう。
「おまえ……そんなことのために、あさぎを死なせていいわけがないだろう!」
本当に龍神の元の嫁ぎ、花嫁として暮らしていけるのならばまだ救いがある。
だが、『花嫁』などという肩書は、送り出す側の罪悪感を少しでも和らげるためだけの体のいいわけで、選ばれた娘が迎える末路は「死」のみだ。
たとえ国の為とはいっても、清高は兄として、あさぎをそんな目に遭わせるわけにはいかなかった。
「龍神の花嫁っていう立場を利用したいだけなら、何も本当にあさぎ自身を川にやらなくてもいい」
「影武者を立てろと?」
明高が声を低くする。
「おまえは、あさぎの命を守るためならば、他の#女子__おなご__を死なせることは構わんと申すのか?
あさぎが国のために命を落とすことは許せずとも、見ず知らずの娘があさぎのために死ぬのは良い、と?」
その瞬間、清高は明高の思惑を悟った。
この会話は、初めから明高によってここまで誘導されていたのだ。
あさぎを龍神の嫁に据えると言えば清高が激昂することや、清高が「身内のためならば赤の他人などどうでもいい」とは思えない性分であること。
それを熟知している明高は、その上で、清高の次の言葉を待っている。
血が滲むほど強く唇を噛む。
しかし、どんなに悔しくとも、ことここに至っては、清高には相手の望み通りの結論しか思い浮かばなかった。
「……俺が、あさぎの代わりになります」
0
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説
信じて送り出した養い子が、魔王の首を手柄に俺へ迫ってくるんだが……
鳥羽ミワ
BL
ミルはとある貴族の家で使用人として働いていた。そこの末息子・レオンは、不吉な赤目や強い黒魔力を持つことで忌み嫌われている。それを見かねたミルは、レオンを離れへ隔離するという名目で、彼の面倒を見ていた。
そんなある日、魔王復活の知らせが届く。レオンは勇者候補として戦地へ向かうこととなった。心配でたまらないミルだが、レオンはあっさり魔王を討ち取った。
これでレオンの将来は安泰だ! と喜んだのも束の間、レオンはミルに求婚する。
「俺はずっと、ミルのことが好きだった」
そんなこと聞いてないが!? だけどうるうるの瞳(※ミル視点)で迫るレオンを、ミルは拒み切れなくて……。
お人よしでほだされやすい鈍感使用人と、彼をずっと恋い慕い続けた令息。長年の執着の粘り勝ちを見届けろ!
※エブリスタ様、カクヨム様、pixiv様にも掲載しています
魔力なしの嫌われ者の俺が、なぜか冷徹王子に溺愛される
ぶんぐ
BL
社畜リーマンは、階段から落ちたと思ったら…なんと異世界に転移していた!みんな魔法が使える世界で、俺だけ全く魔法が使えず、おまけにみんなには避けられてしまう。それでも頑張るぞ!って思ってたら、なぜか冷徹王子から口説かれてるんだけど?──
嫌われ→愛され 不憫受け 美形×平凡 要素があります。
※溺愛までが長いです。
※総愛され気味の描写が出てきますが、CPは1つだけです。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
ギルド職員は高ランク冒険者の執愛に気づかない
Ayari(橋本彩里)
BL
王都東支部の冒険者ギルド職員として働いているノアは、本部ギルドの嫌がらせに腹を立て飲みすぎ、酔った勢いで見知らぬ男性と夜をともにしてしまう。
かなり戸惑ったが、一夜限りだし相手もそう望んでいるだろうと挨拶もせずその場を後にした。
後日、一夜の相手が有名な高ランク冒険者パーティの一人、美貌の魔剣士ブラムウェルだと知る。
群れることを嫌い他者を寄せ付けないと噂されるブラムウェルだがノアには態度が違って……
冷淡冒険者(ノア限定で世話焼き甘えた)とマイペースギルド職員、周囲の思惑や過去が交差する。
表紙は友人絵師kouma.作です♪
【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜
N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。
表紙絵
⇨元素 様 X(@10loveeeyy)
※独自設定、ご都合主義です。
※ハーレム要素を予定しています。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。
【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる