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一『龍神の花嫁』①

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 清高きよたかは憤慨のあまり足音をおさえることも忘れ、どたどたと行儀悪く廊下を踏み鳴らして兄の居室へ向かっていた。
 訪いも告げずに戸を開け放つや否や、憤りのままに叫ぶ。

「兄上、一体どういうつもりだ? あさぎを『龍神の花嫁』に選ぶなんて!」

 文机に向かって書き物をしていた異母兄――明高あきたかは凛々しい眉をきゅっと寄せた。
「騒々しい。おまえはいくつになったら落ち着きというものを身に付けるんだ?」
「落ち着いていられるか! 説明しろ!」
「どうもこうもない。今年の『龍神の花嫁』はあさぎに決まった。それだけだ」
 明高は、とりあうつもりはない、と言わんばかりに、視線を手元に戻して書き物を再開する。
 清高がばしんっ、と文机を叩くと、硯の墨が散って、書かれたばかりの書面の上に黒い点が散った。
 明高はぴくりと口元を引きつらせる。
「大体、あさぎは真庭まにわの若様への輿入れが決まっていただろう? 父上の代からの約束を反故にするのか? そんなこと……」
「だからこそ、だ」
 とうとう筆を置くと、明高は異母弟を見た。

月夜野つきよのは真庭との同盟を破棄する」
「なっ! ……どうして?」

 瀬良せら明高。清高。二人は、この『月夜野国つきよののくに』を治める瀬良家に生まれた兄弟だ。
 二年前に二人の父が亡くなり、今は明高が当主を務めている。
 月夜野国と、隣国の真庭国まにわのくには、二人の祖父、曾祖父より前の代から続く縁で、長年良好な関係にあった。
 清高の母は真庭国の現国主の従妹にあたり、その繋がりもあって、明高の妹――清高にとっても異母妹である――瀬良家で唯一の姫、あさぎは、良き年頃になったら真庭国へ嫁ぐという話になっていた。
 月夜野も真庭も山間の小さな国。争い合うことに理はなく、手を取り合うことこそが繁栄の道。
 清高は父母にそう言い聞かされて育ってきた。それは明高も同じはず。

 それなのに、なぜ? 今、彼の代になって?

「……高師たかもろから、申し入れがあったのだ」
 それで全てを察した清高は 奥歯を噛み締めた。

 高師国は月夜野国の川下に位置する大国で、近年破竹の勢いで国土を広げている。そのやり口は悪辣とも言えるほど強引で、戦を仕掛けられた国は壊滅に近い状態まで追いやられ、領土も民も財産も、根こそぎ奪わるという噂だった。
 その高師国が真庭国に白羽の矢を立てたのだ。

「真庭は抗うつもりらしい」
「見捨てるつもりか?」
「月夜野が手を貸したところで、適う相手ではない」

 幸か不幸か、月夜野国は豊かとは言えない国だ。
 兵力は最低限の守りに回す分しかなく、それでも他国に攻め込まれずにいられたのは、捕っても旨味がないと思われているからだろう。
 一方、同じ山の小国でも、真庭国には豊かな鉱山資源がある。そこに目を付けられたに違いない。

「『真庭を捕るのを邪魔しなければ、高師は月夜野には手を出さない』とでも言われたか?」
 明高は答えない。それが何よりの肯定だった。

 真庭国と縁を切れ。
 それが高師国の提示してきた条件だというのであれば、たしかにあさぎの輿入れによって、月夜野と真庭の関係が深まることは避けるべきだろう。

 明高の考えはわかる。国を思うなら正しい判断だろうとも思う。
 でも。
「それが、あさぎを龍神様の花嫁に据えることと、どう関係するって?」
「あさぎの縁談を取り下げようとすれば真庭は必ず勘づく。高師の態勢が整うまで事は穏便に進めなければならないのだ」
「隣国と縁を切る。そのために、『龍神の花嫁』という立場を利用すると?」

 月夜野と真庭との国境を流れている瑞千川みずちがわには、恐ろしい龍が棲む。
 月夜野では古くからそう語り継がれている。
 ことあるごとに氾濫し、国土と民を飲み込む川の姿はまさに龍そのもので、人々は長くその存在を恐れてきた。
 『龍神の花嫁』は、そんな暴君を鎮めるため、十年に一度瑞千川に捧げられる、言わば生贄だ。

「相手が『龍神様』となれば、真庭も強くは出られまい」
 地形の妙で月夜野ほどではないにしろ、真庭にもその水害に苦しめられてきた歴史がある。龍神の祟りを恐れる気持ちは同様に根深い。龍神の花嫁に決まった娘を強引に奪い取ることはしないだろう。

「おまえ……そんなことのために、あさぎを死なせていいわけがないだろう!」

 本当に龍神の元の嫁ぎ、花嫁として暮らしていけるのならばまだ救いがある。
 だが、『花嫁』などという肩書は、送り出す側の罪悪感を少しでも和らげるためだけの体のいいわけで、選ばれた娘が迎える末路は「死」のみだ。
 たとえ国の為とはいっても、清高は兄として、あさぎをそんな目に遭わせるわけにはいかなかった。

「龍神の花嫁っていう立場を利用したいだけなら、何も本当にあさぎ自身を川にやらなくてもいい」
「影武者を立てろと?」
 明高が声を低くする。
「おまえは、あさぎの命を守るためならば、他の#女子__おなご__を死なせることは構わんと申すのか?
 あさぎが国のために命を落とすことは許せずとも、見ず知らずの娘があさぎのために死ぬのは良い、と?」

 その瞬間、清高は明高の思惑おもわくを悟った。
 この会話は、初めから明高によってここまで誘導されていたのだ。

 あさぎを龍神の嫁に据えると言えば清高が激昂することや、清高が「身内のためならば赤の他人などどうでもいい」とは思えない性分であること。
 それを熟知している明高は、その上で、清高の次の言葉を待っている。

 血が滲むほど強く唇を噛む。
しかし、どんなに悔しくとも、ことここに至っては、清高には相手の望み通りの結論しか思い浮かばなかった。

「……俺が、あさぎの代わりになります」
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