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 藤浦ネネ。性別、女。年齢、十九歳。
 アンドロイドは基本的に年を取らないので、この場合の年齢とは、制作者が何歳を想定してそのアンドロイドを制作したか、ということになる。査定はこの暫定の年齢と同じ歳の人間の平均的な身体能力、知力などを当て嵌めつつ行われていくため、意外とこの数値は重要になっていく。
 制作されてから約五年。東京郊外に住む。
 制作者、藤浦真麻まあさ
 所有者、制作者と同。

 青嶋は藤浦ネネのカルテ――研究所では査定対象の情報を纏めた資料をそう呼んでいる――を初めから読み返していた。
 三回の面談といくつかの検査結果をまとめた資料は、すでに週刊誌ほどの厚さの紙束になっている。このまま査定が続くと、最終的にはこれが百科事典並の分厚さになるのだが、彼女に関する資料はこれ以上増えないかもしれない。
 例の検査の結果を鑑みるに、藤浦ネネの査定はここで終了する可能性が高そうだ。
 対象を合格とできない確たる事物が見つかった場合、その時点で査定は打ち切られる。確実に通らないとわかっている相手にいちいち最後まで付き合っていられるほど、研究所には人手も時間もない。
 最終審査まで残るアンドロイドは査定希望者の大体六割程度。最終審査を通過してREH法の適用が認められる割合は、更に減って四割を切る。
 その程度なのだ。
 ぱらぱらと資料を捲りながら、青嶋は溜め息を吐いた。木崎がまとめてくれた検査結果はカルテに加えてある。チェックもした。後は上に提出するだけなのだが、その前に事実確認をしなければならない。それが青嶋の気を重くしていた。
 しばらく意味もなく資料を開いたり閉じたりした後、ようやく覚悟を決めて机の上の電話から受話器を取った。数回の呼び出し音の後、
『はい。藤浦です』
 と聞き知った声での応答があった。
「東京アンドロイド査定研究所、第六研究室の青嶋です」
『こんにちは、青嶋さん。お世話になっております』
「今、お時間よろしいですか?」
『はい。大丈夫です』
 電話越しでも変わらない藤浦ネネのはきはきとした声に、また一段気持ちが沈むのを感じた。受話器を左手から右手に持ち替え、話を続ける。
「先日行った脳検査の結果が出ました。それについて確認しておきたいことがありまして」
『なんでしょう?』
 包み隠さず、検査の結果、藤浦ネネの人工知能の中から異常な量のデータが検出されたことを伝える。
 藤浦ネネは最後まで口を挟まず、黙って聞いていた。
「そのことを、藤浦さんご自身はご存知でしたか?」
『……』
「そのこと自体には違法性もありませんし、ご存知であってもなくても、藤浦さんご自身はなんの責任も問われません。ただの事実確認です」
 答えようとはしているものの、躊躇っているような気配を感じ、青嶋は言葉を添える。それに背中を押されたのか、藤浦ネネは『……はい』と答えた。
『知っています』
「そうですか」
 正直なところ、安心した。もしこれが本人の与り知らぬことであったのならば、製作者、所有者にも話を聞き、詳しい事情を調べなければならない可能性が出てくる。
 本人との面談だけで済むのならそれに越したことはない。
「単刀直入に言ってしまうと、ですね。そういう場合、査定に通る可能性は限りなく低いです」
『そう、なんですね』
 査定の合格基準について、大まかな情報は噂話程度に世間に流通しているが、細かい内容はもちろん企業秘密である。
 藤浦ネネだってまさか自分が全く合格に値しないアンドロイドだとわかっていたら査定など受けに来ないだろうし、データ量の問題が査定に影響するほど大きな事案だとは考えていなかったのだろう。
 だからこそ、事実を突き付けるのに心が痛んだ。
「上が判断することなので僕にはなんとも言い切れませんが……それでも、このまま査定を続けてもよいかどうか、藤浦さんの意思を確認させて頂きたいんです」
『それは……これ以上査定を続けても、無駄だということですか?』
「いいえ。もし途中で見付かった問題が即時に解消できれば、そのまま査定を続けられる可能性があります。藤浦さんの場合……」
 問題がデータ量の過多だけならば、余分なデータを削除することで解決できるかもしれない。
「一度不合格の判定が出されてしまってから再び査定を受けるとなると、申し込みの手続きから何から、全てやり直しということになってしまいます。はっきり言って、面倒です」
 そう伝えると、藤浦ネネは、
『ありがとうございます』
 と落ち着いた声で言った。
『ですが、査定はこのまま続けてください』
「それは、前回の検査結果をそのまま報告して構わないと……その、問題がある結果のままでよいということですか?」
『はい』
 藤浦ネネの返答は力強いものだった。
『ごめんなさい。合格の見込みが低い査定を続けて頂くのは、青嶋さんにも研究所の皆様にもご迷惑とは思うのですけれど……』
「いえ、それは。こちらもそれが仕事ですから……でも」
『すみません。よろしくお願いします』
「……わかりました」
 決して高圧的ではないが強い意志が感じられる言葉に、それ以上の説明も誘導も無粋に思えて、青嶋は大人しく引き下がった。
 上の判定が出次第また連絡すると伝え、電話を切る。
 書類にチェックを入れ、査定対象との話し合いを行った旨を簡潔に書き込む。後はこれを提出し、上の判断を待つだけだ。
 しかし、どうにも気が進まない。
 査定申込時に提出された書類の証明写真は、相変わらず静かに微笑んでいる。このまま査定を打ち切ってしまうのが申し訳なくなるような、無垢な微笑みだった。
「一目惚れ?」
「違います」
 つい反射的に言い返してしまってから、相手に気付いた。
「室長」
「うん」
 室長はのんびりとした動作で青嶋の隣の椅子に腰かける。
 その席の本来の主は不在だ。そもそも、定時を過ぎた今、研究室に居残っているのは青嶋だけだったのだ。
「綺麗な子だね、藤浦ネネさん」
「そういうのじゃないですから」
「うん? 青嶋くんは綺麗だと思わない?」
「……思わなくはないですけど」
「うん」
 からかっているのだとしか思えないような言いようだが、彼がそういう類の冗談を言う人ではないことを青嶋は知っている。
 綺麗だと思ったから綺麗だと言う。
 第六研究室の代表、宮園秋隆みやぞのあきたか室長は、そういう少しばかり恍けたところのある人だ。
「だけど肩入れし過ぎちゃ駄目だよ?」
「……はい」
 同じ苦言を呈されるのは何度目のことか。その度に心から頷いてきたはずなのに。
 まだ頭の片隅で、藤浦ネネを査定に合格させる方法を思案している自分がいる。
 この研究室に配属になった時から青嶋を知っている室長も、青嶋の素直な返事がその場限りで長続きしないことはわかっているのだろう。
「青嶋くんはさ、不思議だよね。他人と仲良くするのは好きそうじゃないのに、ちょっと関わっただけの人との関係をすごく大事にする」
 だからそんな風に、話題を変えるようにしながら同じ話を続けてくる。
「そうですかね?」
「あれかな? 人間関係の一つ一つを大事にし過ぎて、沢山の関係を一度に維持できないのかな? 途中で投げ出してしまうのが嫌で、中途半端になるくらいなら最初から関わらないでおきたい。だからあんまりいろんな人とは仲良くできないのかな?」
「人を寂しい人みたいに言わないで下さいよ」
「だっていつも一人でお昼食べているじゃない」
 中高生じゃあるまいし、昼休みの過ごし方で友達の有無を心配されたくない。
 だが室長の言うことは青嶋にも自覚のあるところで、実際問題、親しいと言える人が他人と比べて極端に少ないことも否定できない。
 机の上を見れば、永崎ハヤトからの絵はがきがぽつりと飾ってある。
「そんなことを言うためにわざわざ戻ってきたんですか?」
 痛いところを指摘され、反論もできず、つい棘のある口調になってしまった。
 この頃、室長は研究室に顔を出すことが少ない。再来週に控える式典の準備と、それに伴う仕事のスケジュール調整で忙しいのだ。
 REH法制定二十周年を記念し、政府の重鎮やら、アンドロイド研究において功績を上げた研究者、世間で話題となった著名なアンドロイドたちを集めた式典を行うのだそうだ。永崎ハヤトや英典も招待されたと言っていた。
 その運営には研究所を挙げて協力している。下っ端研究員の青嶋にさえ出席の命令が下されたくらいだから、室長の負担たるやその比ではないだろう。
 だが、彼はそんな疲れを感じさせることもない穏やかさで、
「ああ、そうだった」
 と、青嶋に一枚の書類を差し出した。
「有給の使用許可、出たよ。遅くなってごめんね」
 心底申し訳なさそうな声で言われ、青嶋の中の罪悪感が一気に膨らむ。
「すみません」
「ほら、最近ベテランさんが辞めちゃって、事務も人手不足らしいんだよね」
「本当にすみません」
「いやいや、君が謝ることじゃないよ」
 この忙しい時期に休暇を求めるのは気が引けたのだが、この室長が背中を押してくれた。
「だからちゃんと検査はしてもらわなきゃ駄目だよ?」
「……はい」
 まるで我が子を、いや、むしろ孫を諭すような口ぶりに、だから青嶋はいつも頷いてしまうのだった。

 そういったわけで、その二日後、青嶋は仕事を休んで病院へ来ていた。
 十年ほど前。高校生一年だった青嶋は、当時通っていた絵画教室の帰り道、交通事故に遭った。
 結構な大怪我で、治療とリハビリのため、入学していくらも経たない高校を半年も休学しなければならなかった。
 幸い日常生活に支障が出るほどの後遺症は残らなかったが、今でも年に一度は定期検診を受けることを義務付けられている。
「今回はちょっと遅かったね。六月中の予定だったはずだけど?」
「すみません……仕事が立て込んで……」
「医者と警察以外は仕事が忙しくて悪いことはないけどね。あまり不摂生はしないように」
「すみません……」
「けど、立派にやっているみたいで安心したよ」
 事故当時から青嶋の担当である町田医師は、まるで親戚の伯父さんのようなことを言う。
 彼には世話になっている。
 今では年に一度のこの定期検診くらいでしか顔を合わせなくなったが、事故直後の手術から長い入院生活中の精神的ケアまで、随分親身になってくれたものだ。青嶋にとっては恩師のような存在か。
 ふと、永崎ハヤトの顔が浮かんだ。
彼にとっての自分は、自分にとっての町田のような存在なのだろうか。
「うん。とりあえず、今日の時点で分かるところに異常はないね。詳しい検査結果は後日郵送ということで……他に自分で気になるところは?」
「いえ、特には」
「手が痺れたりは?」
「大丈夫です」
「腕伸ばしてみて」
 指示されたとおり、袖を捲って両腕を前に伸ばす。左腕の肩から肘の下に伸びる傷痕は事故の時のもので、未だわかるくらいに残っていた。
「ぐー、ぱー、ってしてみて……はい、いいですよ。あとは……ああ、耳鳴りは?」
「ああ。それは、今は全然」
 言われて初めて思い出した。
 そうだ。たしか去年の検診の時、時折襲ってくる耳鳴りのことを相談したのだった。
「まぁ、あの頃もそこまで深刻じゃなかったですし」
 と青嶋はつい取り繕ってしまうが、あの頃はそれが原因で眠れない日もあったのだ。しかし、面倒事になるのが嫌で、大したことはないと嘘をつき、長引いたり悪化したりするようであれば、と言われていた精密検査も結局受けないままになっていた。
 今ではもういつ収まったのかも思い出せない。つまり、その程度のことだったのだろう。
「ストレスだったんだろうね。職場にもすっかり慣れて、余裕が出てきたってことかな?」
「忙しくてストレスを感じる間もないってだけかもしれませんけどね」
 少なくとも、そんな冗談が言えるくらいには馴染んできたということだろう。
 それからいくつか日頃の生活の上で気を付けるように注意事項を――例えば、睡眠は十分に摂ること、アルコールはほどほどにすること、パソコンの使い過ぎには気を付けること、など言い渡され、来年の検診は必ず定められた期間内に来院するよう釘を刺され、定期検診はお開きとなった。
 外へ出ると無意識のうちに詰めていた息を吐く。院内は何処も消毒液や薬の匂いに満ちていて、気が付かないうちに息苦しくなっていたようだ。
 手入れの行き届いた芝生と植木。澄んだ水が流れる噴水。夏の太陽に照らされた空気はきらきらと明るい。だが、通院、入院患者の憩いの場として気持ち良く整えられてはいるものの、広場にはやはり病院独特の気怠さが漂っていた。
 ひまわりがあとほんの少しで開ききらない花弁を震わせている。足を止め、ぼんやりとそれを眺めた。
「青嶋さん?」
 その黄色に夏を感じていた時だった。
 目を丸くした藤浦ネネが、小さな女の子と手を繋いでそこに立っていた。
「藤浦さん」
「こんにちは。驚きました、こんな所でお会いするなんて」
 面談の時はいつも下ろしている髪を、今日は頭の後ろで束ねている。丈の長いワンピースにサマーニットのカーディガンを羽織った姿は涼やかで、夏の日差しによく似合っていた。
 隣の女の子が藤浦ネネの手をぎゅっと握り、問いかけるように彼女を見詰めるのに、ふわりと微笑む。青嶋が知るよりも柔らかく優しい表情だった。
「ネネのテストをしてくれている、青嶋さんですよ」
 女の子は藤浦ネネから放した手を膝の前で反対の手と重ね、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、ふじうらこころです」
「藤浦真麻の娘です」
 行儀よく名乗った女の子に、藤浦ネネが付け加える。
「ああ、そうでしたか」
 藤浦真麻。藤浦ネネの制作者。
 同じ人から生まれた子供と、作られたアンドロイド。
 姉妹とは違うけれど、二人がどこか似ているように感じるのは、言われてそう見たからだろうか。
「初めまして。青嶋誠一朗です」
「ネネがおせわになっています」
 しゃがまないと視線も合わないような小さな子どもが真面目に言うのが可愛らしく、おかしかった。見ると藤浦ネネも困ったように微笑んでいる。
 あれ? と違和感を覚えた。
 これは「姉妹」の空気感ではなく、まるで「母娘おやこ」のようだ。
 こころが小首を傾げる仕草は藤浦ネネのそれにそっくりで。
「青嶋さんはなんのびょうきなんですか?」
「こころさん」
 慌てたのは藤浦ネネの方で、青嶋は無邪気な問いに意表を突かれ、笑うしかない。
「いや、僕は病気じゃないんですよ」
「じゃぁ、青嶋さんもだれかのおみまい?」
「そうじゃなくて、検診で……ええっと、体に悪いところがないか調べてもらいに来たんです」
「わるいところ、ありましたか?」
「いいえ。ありませんでしたよ」
「よかったですね!」
 にこぉっ、と笑う顔は、子供らしい屈託のなさで。
 二人のやりとりを見守っていた藤浦ネネは苦笑いだった。
「すみません……」
「いえいえ。……あの、藤浦さんは、」
「お見舞いです」
「お母さんのおみまいだよ」
 律儀にもこころがそう言い足した言葉に、藤浦ネネの困り顔が深くなる。
 思わず「え?」と声を上げてしまってから、青嶋は、あまり自分が踏み込むべき事情ではないことに感付いたが、遅かった。
「青嶋さん……もしお時間よろしければ、少しお話しできますか?」
 観念した――いや、腹を括ったという様子で、青嶋に向き合った藤浦ネネは、やはり相変わらず真っ直ぐな目をしていた。

 青嶋も通うこの総合病院は国内有数の大規模施設で、内科、外科を始めとし、存在しない科はない、と言われている。医師の数も病棟も多く、それに伴い、患者のために設けられた病棟前の庭は広く、病院の利用者ではない近隣住民も散歩に訪れることがある。今もちらほら、病院とは縁遠そうな子供たちがきゃっきゃと笑い声を上げていた。
「ひまわりが見たい」
 と言い出したこころも、藤浦ネネがカゴバッグから取り出した白い帽子を被せてやると、とてとてと花壇の方へ走って行った。大人同士の会話の場に自分がいるべきではないと、なんとなくの空気を察したのだろう。聡い子だ。
 庭のベンチは丁度木陰に設置されていて、この真夏の空の下でもなかなか涼しかった。
 しばらくひまわりの間をくるくる歩き回るこころの姿を見守っていた藤浦ネネだが、やがてゆっくりと切り出した。
「隠しているつもりはなかったんですが、こちらから切り出すのも難しくて」
「はい」
「藤浦真麻……こころさんの母親で、私の制作者でもあるんですけど……今、入院していて」
「……はい」
「お話していなくて、申し訳ありませんでした」
 藤浦ネネが頭を下げると、彼女の髪が一房、肩から滑り落ちた。青嶋は首を振る。
「初めの書類の、所有者の許可は偽造ではないんですよね?」
「はい。間違いなく真麻本人の署名です」
「なら、問題はありません」
 査定を受ける上において、制作者や所有者の現状は問われない。
 所有者とは、言わば保護者か、保証人のようなもの。
 そもそも前科のある者や責任能力がないと判断された者はアンドロイドを所有することはできない決まりになっているため、REH法適用の査定において、所有者がどのような人物であるかは影響しない。別居していようが、療養中だろうが、全く関係ない。
 だから藤浦ネネも、何も違反をしているわけではないのだ。
 そう説明すると、彼女は「ありがとうございます」と頷いた。そんなことは承知の上で、それでも謝らずにはいられなかったのだろう。生真面目なことだ。
 ふと、木崎から聞いた話を思い出した。
「あの、藤浦真麻さんが藤浦さ……あなたの制作者であること。それも間違いないんですよね?」
「はい。……私はそう聞かされているだけですが」
 それはそうだ。いくら人工知能、アンドロイドでも、よほど特殊な場合でもない限り、自身が作られている間から意識があるわけではないし、その間の記憶はない。藤浦ネネが自身が起動する前のことを知らないのは当然だ。
「真麻さんはお一人であなたを制作したんですか? そんな設備をお持ちだったのでしょうか?」
 藤浦ネネが首を捻る。
「すみません。私がどうやって作られたかについては、私自身もあまり詳しくは聞いていないんです。ただ、真麻さんは元々アンドロイド開発に携わる研究者だったそうです。こころさんが生まれる時に引退したと言っていましたが」
「そうですか」
 ならば、かつてどこかの研究室に所属しており、そこで制作したアンドロイドの藤浦ネネを引退と同時に引き取り、制作者と所有者として自身の名前を登録した、と考えるのが妥当か。
 木崎の話が気になって尋ねてはみたものの、青嶋自身はそこまで気にしていることではない。
 これまでより、これからのこと、だ。
 藤浦ネネがぽつりと言う。
「長くない、そうです。真麻さん」
「え?」
「随分前からずっと悪くて……最近は、お見舞いに行っても目を覚まさない時もあります」
「それは……」
 思わず口を挟んでしまった青嶋だが、続く言葉などあるはずがなかった。
 藤浦ネネによれば、彼女の病気は全身を蝕む類のものだそうで、昨今発達し続けている人工人体の移植を行っても治る見込みは極めて低いらしい。
 どんなに優秀なアンドロイド研究者であれ、自身の体を作り変えることはできない。
 仕方のないことだが、皮肉な話でもある。
「私が査定を受けることを決めたのは、それが理由です」
 微笑む彼女の顔はどこかぎこちなく、だから、無理に笑顔を作っているのだということは容易に見て取れた。
「……REH法が適用されれば、所有者の登録が必要なくなるから、ですか?」
 REH法制定以前から存在す規定により、アンドロイドは人間に所有されなければならないことになっている。
 必ずしも所有者と所在を共にしている必要はないが、書類の上では管理責任者として所有者を登録しなければならない。
 というのは表向きで、実際には届け出自体が出されていないアンドロイドも多数存在する。が、そういったアンドロイドたちは見つかり次第自治体で保護されることになっていて、場合によっては処分されかねない。野良犬、野良猫と同じ扱いだ。野良アンドロイド、と言ってしまってはあまりに聞こえが悪いけれども。
 もしも何らかの事情――例えば突然の他界など――で新しい所有者が定まらないまま現在の所有者がいなくなってしまった場合、そのアンドロイドはやはり自治体の預かりとなる。行く末は、そういうことだ。
 次の所有者の当てがないのであれば、今の所有者が生きているうちに対処する必要がある。
「それもありますけど……」
 藤浦ネネは再びこころを見遣った。
 自分のよりもずっと背の高いひまわりを、何がおもしろいのか一本一本眺めて歩く姿は、まだあどけない。
「真麻さんが亡くなったら、こころさんは一人になってしまいます。REH法が適用されていないアンドロイドは、後見人になれませんから」
 胸につかえる物を感じた。
 彼女が見ているのは自分ではなく、あの幼い子供のことだった。
「こころちゃんの、父親は?」
「亡くなったそうです。私はお会いしたことがないので、聞いた話ですが」
 青嶋はばつが悪くなって頭を掻く。
 なんてありきたりな不幸だろう。
「……藤浦さん」
「はい?」
 小首を傾げる藤浦ネネを見て、昨日の室長の言葉が過った。
 ――肩入れし過ぎるな。
 その言葉はしっかりと胸に置いてあったはずなのに、反して口が動いてしまう。
「もし、あなたが本当に査定を通りたいのなら」
 思い切って彼女の目を見た。光が透けて明るい色に見える眼に、情けないほど必死な顔の自分が映っている。
「今からでも、あなたの人工知能の中の、過剰なデータを消去すれば、あるいは……」
 藤浦ネネの両目が、青嶋を映したままくるりと丸くなった。
 それから彼女は、
「ありがとうございます」
 と笑う。初めて面談に来た時と同じ。よろしくお願いしますと頭を下げた時と同じ。夏の花が咲くような笑顔で。
「でも、それはできないんです」
 藤浦ネネは、笑う。
「青嶋さんたちから見ればこの『データ』は余計なものかもしれませんが、私にとってはそれも大切な『記憶』ですから」
 そう語る口調に迷いはない。
「私の中には、真麻さんの記憶と経験が保存されているんです」
「え?」
 間の抜けた声に、もっと気の利いた受け答えができたらいいのに、と自分の応用力なさをもどかしく思う。
「もちろん、人の記憶は私たちのようなデータではありませんから、真麻さんの記憶をそのままコピーしたわけではありません。私の頭の中にあるのは、真麻さんがそれまでに撮影していた映像や写真を元に作った記憶です。自分が見聞きしたことをデータまとめて、私の人工知能に記録したんです」
 ひまわりの間をひょこひょこと歩き回るこころを見詰める、あの眼差し。それはまさに母親のものだった。
 そういうことだったのか。
「それは、何のために?」
「こころさんのために」
 本当は、尋ねる間もなく、青嶋にもわかっていた。
 藤浦真麻は自分が死んだ後でも、自分からの、教えを、思いを、幼い娘に授けるために、それを自らが作ったアンドロイドに託した。
 いや、順序が違う、のか。
 藤浦ネネはそのために作られたアンドロイドなのかもしれない。
 自分に残された時間だけでは愛しい我が子に伝えられないものを代弁させるため、娘のために、一人の限りなく人に近い存在を作り上げた。
「だから」
 だから、藤浦ネネは消すわけにはいかないのだ。自分が作られた理由を、消すわけにはいかない。
「すみません、でした」
「え?」
 青嶋の謝罪に彼女は首を傾げる。
「無責任なことを言ってしまいました」
 過剰なデータ消去してあるべき量にまで減らせば。その奥にある事情を鑑みもせず、ただ数値だけを見てした提案だった。
 青嶋たちから見ればこの『データ』は余計なもの。だが、藤浦ネネにとってはそれも大切な『記憶』である。
 その意味を改めて思い知る。彼女の中に余計な記憶などありはしない。
「いえ……本当は、私も少し迷いました。真麻さんが本当に私にしてほしいことって、どちらなんでしょう? 真麻さんの思いをこころさんに伝えるために、こころさんを一人にしていいんでしょうか?」
 どう答えればいいかわからない。
 母が託したかった思いも、母親替わりとして側にいてくれる存在も、あの小さな手から取り上げるのはあまりにも酷だ。 思わず尋ねてしまう。
「嫌になりませんか? そんなもの、押し付けられて」
「え?」
「あ、いえ……言い方が悪いですね。重たく感じることはないか? ということです。そういう思いを託されて」
 他人の、まして子を遺していく母の思いなど、話を聞いているだけで息が苦しくなる。
 自分の気持ちでさえ手に余るほどの重さがあるというのに。
「重たく、ですか」
 藤浦ネネは首を傾げる。
「そうですね……そんな風には思わないです」
 その表情は人間と何も変わらなく見えるのに。
「私は、アンドロイドですから」
 と彼女は言った。
「多分、私たちアンドロイドは、人から思いを託される存在なんです」
 そんな風に割り切ってしまわれると。
 人間とアンドロイドを対等にするために働く自分は、一体なんなのかと思ってしまう。
 人間の都合で生きたくないと。人間と対等でありたいと。そう言ってくれればわかりやすいのに。
 藤浦ネネは自分がアンドロイドであることを、アンドロイドである自分にしかできないことを、誇っているようだった。
「ネネ!」
 大人たちの話し合いが終わる頃合いを見計らったように、こころがとてとてと走ってきて、藤浦ネネの腰に抱きついた。
「では、私たちは失礼します。引き止めてしまって申し訳ありませんでした」
 頭を下げた藤浦ネネに倣うように、こころもぺこりと礼をする。
「いえ、こちらこそ。お話、ありがとうございました」
「あおしまさん、またね!」
 無邪気に手を振るこころに微笑みながら、果たして「また」があるのだろうか? と考えてしまう。
 こころに会うことはもうないだろう。それどころか、藤浦ネネにも、もしかしたら。
 一瞬、またあの機械音のような耳鳴りが聞こえたような気がしたが、咄嗟に耳の辺りを手で払うと、何のことはない。ただの小さな虫の羽音だった。
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