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31:真実

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 どくどくと心臓がうるさい。兜人は息苦しさを覚え、引き絞るように返した。

「お、まえ……が、どうして」

「言った、ろ。研究員だって」

「まさか、異能力の進行度を上げる薬の研究を……?」

「そう。それが、俺の……仕事だ」

 それが、仕事。晋平の言葉がぐるぐると頭を回る。もちろんそれは回るだけで意味は一向になさなかったが。

「ったく、言ったのによぉ。宗谷兜人の、相棒にふさわしい異能力だって——」

 確かに彼は、蓮華に会う前の兜人よろしく暴走した発火能力パイロキネシスを、見事水操能力ハイドロキネシスで鎮火してみせた。

 そうだ。晋平はあの夜、襲ってきたメンバーの中に入っていた。

 それなのに何食わぬ顔で、翌朝、兜人とちとせに話しかけていたというのか——

 込み上げてくるものを押さえるべく、歯を食いしばる。晋平は曇天を仰いだまま、独白のように続けた。

「ほんと、はさ……異能力の進行度を止める薬を——ゆくゆくは異能力を治す薬を、開発していたんだ。アマテラスの教育施設には何度か行ったことがあって……この子達が、親元に帰れたらいいなって……俺も、うちの女傑ボスも思ってた。けど」

 ここで晋平は一度咳き込んだ。

「けど、出来たのは異能力の進行度を逆に上げる薬だった。そっからだ、全部……全部がひっくり返っちまった。本社から北条のおっさんが出張ってきて、そっからはその薬——『SXRI』の開発が始まった。秘密裏に研究して、子供を巻き込んで勝手な治験まで……」

「止められただろう」

 語気を強くして、むしろ叫ぶように兜人は言った。

「研究を止めればいいだけだったんじゃないのか」

「……それで俺たちが、何食わぬ顔でアマテラスにいられるか?」

 兜人は言葉に窮した。確かになし崩し的にではあるが、SXRIの研究に巻き込まれてしまった晋平らを、プロジェクトを降りたからと言ってアマテラス側が野放しにしておくとは思えない。SXRIの研究に関わらず、さりとて機密事項である以上は他の研究プロジェクトに参加することもままならないだろう。そればかりかアマテラス以外のところで働くこともできない。研究を降りて待っているのはアマテラス内での飼い殺し状態に他ならない。

「本当は、助けて欲しかったんだ。カブちゃんに」

 兜人はアマテラス内に自分たちを招き入れたのが晋平だったことを思い出す。

「仕事はさ……ただ、収入を得るための手段じゃないんだ。俺たちにとっては存在証明……みたいなもんじゃん……。それを取られたら、俺は……俺たちは」

 我知らず、兜人は晋平の手を握っていた。晋平はいまだぼんやりと曇り空を見つめ、雨粒をその頰に受けながら、言葉を紡ぐ。

「でも、だからって、やっぱり……子供達を傷つけていいわけ、ない……よな」

 ごめん、と晋平は震える声で言う。兜人にはかける言葉が見つからない。

「カブ、ちゃん……。勝手な言い分だって、分かってるけど、うちのボスを助けてやってくれ……」

「ボスというのは、佐倉、という女性か——」

「そう、佐倉栞……」

「どこにいる」

「そこのコンテナ船だ……。エバーブルーの船の中……きっと、あのおっさんと、あと子供達も……」

 晋平はそれだけ言うと、いつもの快活な笑みを浮かべ、がくりと力を失った。兜人は握っていた手を離し、エアガンをホルスターに戻すと、ゆっくりと立ち上がる。踵を返すと、もはや晋平を振り返ることはしなかった。



 雨の降りしきる中、兜人は埠頭を走っていた。水に濡れたアスファルトに足を取られそうになりながら、重く湿ったコートの裾をはためかせながら。そのせいだろうか、足がとてつもなく重い。先ほどの戦闘の疲労が残っているのだろうか、肩が激しく上下するぐらい息が上がっている。顔に打ち付ける雨粒を乱暴に拭い、それでも兜人は前に進んでいた。右側にそびえ立つエバーブルーの船体を見ていないと、自分がどこに向かっているのかもよく分からなくなる。

 脳裏には晋平のことが何度も過ぎっていた。ヘルメットを脱がせた時に見た晋平の表情、それに血を吐くように言っていた晋平の言葉が、ぐちゃぐちゃになって渦を巻く。

 兜人はそれを振り切るように走る速度を早めた。

 ようやく船の入り口にたどり着く。幸いにもタラップは降りたままだった。鉄製の階段を靴裏で踏みしだくように上がり、船内へ入る。

 中は人がやっと一人通れる空間だった。天井や壁には配管が張り巡らされており、申し訳程度の照明がぽつぽつとついている。幼い頃、家族旅行で遊覧船のフェリーに乗ったがそれとは全く違う印象だった。

 兜人は足を止め、前後左右を見比べた。左右は壁、そして前後には狭い通路が伸びている。子供達がコンテナ船のどこにいるかまでは晋平も把握していないようだった。

 まさか操舵室——などということはあるまい。いくら子供達を外界へ輸送するからといって、船をまるごと使う意味はないだろう。

 となると、残る可能性はただ一つ。

 この船に積まれているコンテナのどれかに、子供達がいる。

 そこに北条や佐倉もいるはずだ。

 兜人は踵を返し、後方の廊下へと走り出した。タラップは船尾の方にあった。同じ甲板に上がるなら船尾の方の階段を目指した方が早いと踏んだからだ。

 ほどなくして階段が見えてきた。それはかなり急な作りで段の幅も狭い。兜人は戦国時代の城の天守閣に登る階段を想起しながら、頭を天井に打ち付けないよう登っていく。

 階段を見つければ後は早かった。登り終えた先に扉があり、そこを開けると甲板だった。

 さぁっと視界が開ける。

 重く塞がった空の下、船の上を容赦なく雨が打ち付けている。大気の状態が不安定なのか、海が時化てきたようで、廊下を無我夢中で走っている間には気づかなかった揺れが、ぐらんぐらんと兜人の視界と三半規管を襲った。

 思わず手近にあった柱に手をつく。しかし兜人はすぐに手を放し、右へ左へと動く甲板の上を走り出した。

 視界に飛び込んできたのは、コンテナの山、山、山だ。もちろん固定はされているのだろうが、この揺れで倒れてきて押しつぶされないか心配になるほど積載されている。しかしまだまだ歯抜けのスペースもあるので、おそらくはこれで満載というわけではないのだろう。廊下で船員にも出くわさなかったことを考えると、出港にはまだ余裕があると見ていい。

「ほくとくん! あきらくん、こまちちゃん! いるか!」

 雨風に負けじと、兜人は声を振り絞って鈴の言っていた友達の名を呼んだ。はたして頑丈なコンテナの中に人の声が届くのかという不安はあったが、言わないよりはマシだろう。

「ほくとくん、あきらくん——」
 声を枯らして叫ぶ兜人の目の前に、人影が見えた。霧でよく見えないが、コンテナとコンテナの間を曲がっていく。背丈からして子供ではなく大人だった。しかし北条はかなり背が高い男だったのでそれも違う。きっとあれは——

 兜人はホルスターからエアガンを引き抜き、無言で後を追った。人影はあるコンテナの中に入っていった。

 コンテナにピタリと体をつける。重たい引き戸をひと思いに開け放ち、兜人はエアガンをコンテナの中に差し向けた。

「佐倉栞、止まれ!」
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