上 下
24 / 36

24:先輩、どうしたんですか?

しおりを挟む
 廊下の曲がり角を戻った兜人は、ふうと一息つくちとせに文句を言う。


「強引かつ不自然にもほどがあります、先輩」

「いいかね、宗谷くん。ビジネスの世界にはこういう格言がある。『機を見るや、矢よりも急げ。斧よりも強く』ってね」

「なんですかそれ」

「なんかこう……社長さんが言いそうなこと」


 適当に言っているらしい。兜人は深い深い溜息をついて、ちとせの鞄を見やった。

 やり方はまるで押し売り、というか強奪に近かったが——とにもかくにもサンプルを獲得できたことはでかい。あとは蓮華に成分を分析してもらえばいいだけだ。

 それで——分かる。

 薫の言っていることが、本当かどうか。

 この会社が子供相手に、しかも秘密裏に——人体実験をしているかどうか。

 そして考えれば考えるほど、疑問を持たざるを得ない。


「これって、労基局の仕事なんでしょうか……」

「まぁまぁ、堅いこと言わな~い」


 堅いこと、というよりは、薫の情報だけを頼りに警察機構へ相談しても捜査できるかどうか難しいところではある、と兜人は思った。だからこそ薫も『不当解雇だ』などと言って労基局に相談しに来たのだろうし、実際自分たち労働基準執行官には自由に動けるだけの裁量がある。どちらにせよ、このクッキーの形をした物的証拠を以て、警察に案件を引き渡せばいいだけの話だ。

 そんなこと考えながら、長い廊下を行くことしばし。もうすぐエレベータに差し掛かるというところで、左側のドアが開いた。

 そこから出てきたのは、見覚えのある二人組だった。

 壮年の男性と、兜人たちと同年代の少女の組み合わせ、あの保育園で会った者達だ。

 鉢合わせた兜人とちとせを見て、少女は艶やかな前髪の向こう側から怪訝な視線を寄越した。


「あなた達は……」


 兜人は思わずぎくりと足を止める。

 自分たちが保育園を辞した後、園長が兜人らの身元を彼らに説明しただろうことは想像に難くない。事実、少女の顔には『労基局の人間が何故ここへ?』という疑問がありありと書かれている。そして彼女はその疑問をありのままぶつけた。


「ここで何をしているんです?」


 糾弾するような響きに、兜人は眉をしかめる。多くの企業にとって労基局は畏怖と嫌悪の対象だ。さもありなん、会社の労働環境を内偵されるということは、自分たちの腹を探られるのにも等しい。しかも実際はそれ以上のことをしているのだ。兜人は少女の言葉に口を噤むしかなかった。

 逆に平然としていたのはちとせである。さすがというか、なんというか。先輩の執行官だけのことはある、場数も踏んでいるのだろう。ちとせがたおやかな笑みを崩さないまま口を開きかけたその時、


「——まぁまぁ、佐倉くん」


 兜人たちを半ば睨み付けていた少女——佐倉を制したのは、男性の方だった。皺の寄った口端を軽く歪めて、男性は落ち着いた様子で労基局から来た執行官たちを見比べた。ひょろりと背が高く、鋭い眼光が上から兜人らを見下ろしていた。


「先日は大したご挨拶もせず、失礼致しました。園長から話は伺っています。保育士の一人が訴えを起こしたとか」

「はい、そうなんです」


 答えたのはちとせだった。


「こちらが運営元だと伺ったので、一応、総務部に保管されている資料を見せていただいていました」

「ほうほう、そうでしたか。そういえば————」


 男は細い目をさらに細めてちとせを品定めするように眺めつつ、細い顎をさすった。


「件の保育士の解雇事由……おやつをつまみ食いした、とかでしたか」

「え? はい、そうですが」

「実はあのおやつは私どもの部署で開発したものでしてね」


 にやり、と唇を吊り上げて男が呟くと同時に、兜人は声を上げそうになった。

 佐倉が「北条部長っ」とたしなめるように男を見上げる。男——北条は自らの手で佐倉を制した。


「系列の教育施設にしか卸していないんですが、栄養補助機能も備わっていて、親御さんからもなかなか評判がいいんですよ。いやはや開発には苦労しました。というのも、私、こうみえても研究者でしてね」

「そう……なんですか」


 かろうじて、といった様子でちとせが男に返答する。と、ここで北条はわざとらしく腕時計を見て「あぁ、そろそろ時間だ」などと呟いた。


「無駄話をして申し訳ありませんでした。では執行官殿、くれぐれもお手柔らかに——」


 北条は佐倉を伴い、足を踏み出す。

 ちとせの横をすれ違う際、北条の口元が少し動いたように見えた。

 瞬間、ちとせの瞳が零れんばかりに見開かれる。

 続く、佐倉の鋭い視線にも気づいていないようだった。

 二人が廊下の向こうへ消えるのを確認してもまだ、ちとせはじっと自分の足元を見つめている。


「先輩……?」


 ちとせはいつにもまして真剣な——ともすれば悲壮とも言える表情で、自身の拳を固く握りしめていた。

 付き合いは浅いが——こんなちとせは見たことがない。

 兜人の胸にざわざわとした違和感が去来する。


「先輩、どうかしたんですか」


 思わず強めの語気で再び尋ねると、ちとせはやっと拳を開いた。

 そして小さくかぶりを振る。


「ううん、なんでもないよ」


 にこりとこちらを見上げるちとせに、兜人は何か言おうとして口を開いた。だがその笑顔があまりにも完璧すぎて、何をどう言えばいいか迷っているうちに、ちとせが不意に踵を返す。


「早く蓮華ちゃんのところへ行こう。クッキーを解析してもらわなきゃ」


 エレベータのボタンを押すちとせに、結局兜人は何も言えず、小さく「はい」とだけ頷いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

エラーから始まる異世界生活

KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。 本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。 高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。 冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。 その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。 某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。 実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。 勇者として活躍するのかしないのか? 能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。 多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。 初めての作品にお付き合い下さい。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

転生したら倉庫キャラ♀でした。

ともQ
ファンタジー
最高に楽しいオフ会をしよう。 ゲーム内いつものギルドメンバーとの会話中、そんな僕の一言からオフ会の開催が決定された。 どうしても気になってしまうのは中の人、出会う相手は男性?女性? ドキドキしながら迎えたオフ会の当日、そのささやかな夢は未曾有の大天災、隕石の落下により地球が消滅したため無念にも中止となる。 死んで目を覚ますと、僕はMMORPG "オンリー・テイル" の世界に転生していた。   「なんでメインキャラじゃなくて倉庫キャラなの?!」 鍛え上げたキャラクターとは《性別すらも正反対》完全な初期状態からのスタート。 加えて、オンリー・テイルでは不人気と名高い《ユニーク職》、パーティーには完全不向き最凶最悪ジョブ《触術師》であった。 ギルドメンバーも転生していることを祈り、倉庫に貯めまくったレアアイテムとお金、最強ゲーム知識をフルバーストしこの世界を旅することを決意する。 道中、同じプレイヤーの猫耳魔法少女を仲間に入れて冒険ライフ、その旅路はのちに《英雄の軌跡》と称される。 今、オフ会のリベンジを果たすため "オンリー・テイル" の攻略が始まった。

【完結】そして、誰もいなくなった

杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」 愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。 「触るな!」 だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。 「突き飛ばしたぞ」 「彼が手を上げた」 「誰か衛兵を呼べ!」 騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。 そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。 そして誰もいなくなった。 彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。 これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。 ◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。 3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。 3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました! 4/1、完結しました。全14話。

処理中です...