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10:異能力演習場
しおりを挟む生涯で一日の間にこんなにお茶を飲んだことがあっただろうか。
歩く度にちゃぽちゃぽと音を立てているような気がする腹を抱えつつ、兜人とちとせは蓮華に導かれるままに、地下三階の実験場とやらに足を踏み入れた。
蓮華がIDカードを通してドアを開く。
室内に照明がついていないため詳細は分からないが、廊下から差し込む光では壁や天井を照らし出せないほど広く大きな部屋だということは分かる。
足元を見ると、開いたドアの形に切り取られた光に、兜人とちとせ、それに蓮華の小さな影が映り込んでいる。床はどうやら打ちっぱなしのコンクリートのようだった。
蓮華が手近にあったスイッチをつけると、手前から順番にいくつもの照明がぱちりぱちりとついていく。
「これは……」
兜人は訝しげに眉を顰めた。
だだっ広い室内だったが、置いてあるものは二種類だけだった。
足の付け根ほどと高さまである小さな台と、その数十メートル先に黒く塗りつぶされた円が描かれている正方形の板だ。それらが合計五セット、横一列に整然と並んでいる。
ちとせもぱちぱちと目を瞬かせつつ、首を傾げている。
「これってあれだよね、ピストルの練習をする……」
「そう、射撃訓練場じゃ」
「どうしてこんなものが異能力研究機構の地下にあるの?」
「うちが作らせた」
あっけらかんと答える蓮華に、兜人は開いた口が塞がらなかった。一研究員がそれほどの権限を持つものなのだろうか。
その思考を読み取ったかのように、蓮華はにやりと口端をつり上げた。
「なんせうちは天才だからのう」
「……滝杖先輩って、非接触性精神感応者ってわけじゃないんですよね?」
「んなわけあるかい」
蓮華にばしっと背中を叩かれ、兜人は二歩三歩とたたらを踏む。ちょうど一番手前の台につくと、蓮華は遠く離れた的に指を差し向けた。
「では、早速実験としゃれ込もうではないか。小僧、あの的に思い切り発火能力を放ってみぃ」
「……っ」
蓮華の要求に、兜人はその場で立ち尽くした。手袋に覆われた掌を無意識に握り込む。
「宗谷くん?」
ちとせが心配そうに覗き込んでくる。ミルクティー色の薄い色素は相変わらず優しげで、だからこそ兜人はふいっと顔を背けずにはいられなかった。
腕組みをしてその場を見守っていた蓮華は「ふむ」と頷いた。
「小僧、手袋を脱いでみぃ。できたらコートもな」
どうやら本当に全部お見通しらしい。兜人は観念して、手袋とコートをその場で脱ぎ捨てた。
「あっ……!」
ちとせが口に手をあて、言葉を失う。
コートの下に隠れていた夏服の袖から伸びる兜人の両腕には、痛々しい火傷の跡が残っていた。赤い染みのように残る皮膚のひきつれは、指先にまで及んでいる。それは皮肉にも炎の象徴のような形をしていた。
「——最初に異能力が発現した時に、怪我をしました。以来、俺がこの能力を制御できたためしはありません」
ちとせも蓮華も黙したまま、それ以上のことは聞かなかった。
兜人は遠く先にある的を見つめ、続ける。
「だからあの的を狙うなんてどだい無理な話ですよ。失敗したらまた痛い目を見るかもしれない。自分は発火能力者ですが、熱いのはご免です」
「なるほどのう」
蓮華はことさらに頷くが、大体の見当はついていたのだろう。
自分で自分を焼き尽くしてしまう発火能力。
この繋がれていない猛獣のような能力をどうにかできるものならしてみろ。
そんな気概でもって、兜人は蓮華を見返した。
「よっし、分かった」
蓮華はこともなげにぽん、と手を打つと、ポケットから取り出した何かを、こちらに放って寄越した。
「これを使ってみぃ」
無骨な感触が掌から伝わってくる。これは——
「まさか……本物の拳銃ですか?」
「ええっ!? そうなの、蓮華ちゃん!?」
「だーかーら、んなわけあるかーい! お主ら、うちを何だと思っとるんじゃ! これはエアガンじゃ、なんの変哲もない玩具よ」
兜人は手の中のエアガンを上下左右にくるくると回して観察してみた。確かに蓮華の言うとおり、どこか変わった様子はない。
「これをどう使えって言うんです。溶かしてみろとでも?」
「いや溶かすな、あほちん! 結構高かったんじゃぞ。……でなくて、それを構えて打ってみよと言っとるんじゃ」
ええい、と蓮華は業を煮やしたようにつかつかと兜人に近寄ってきた。背伸びして兜人の腕を掴むと、無理矢理銃を構えさせた。
「これからお主には銃の中の弾がなくなるまで、的を撃ち続けてもらうぞ。ちとせ、台の下にモニター用の端末があるじゃろう。そこに表示される命中判定を教えてやってくれ」
「は~い!」
「よっし、始め!」
引き金を引くと、パンパンと軽い音がして連続で弾が射出されていく。一発一発引き金を引くわけではなく、押している間だけ弾が出る仕組みらしい。
「宗谷くん、もうちょっと左、あともうちょっと下だよー」
「うむ、筋がいいではないか。修正して狙え」
「は、はぁ」
これが何になるんだという気分で的を狙っていると、気が緩んだところをまたもや見透かされたのか、蓮華が叱咤してきた。
「これはイメトレだ。弾を己の炎と心得よ。掌から炎が出るのではない、引き金を引いている間だけ己の炎が拳銃を伝うイメージだ!」
「宗谷くん、今度はもうちょっと上だよー」
歯切れのいい口調の蓮華と、あくまでものんびりとした口調のちとせ。両者の落差に軽く混乱しつつ、兜人は蓮華の指導通りイメージを拳銃に注ぎ込む。途中、かっと掌が熱くなり、思わず射撃を止める。
「止めるな! そのまま続けよ!」
「暴走したら、危険です……!」
射撃を続けつつも、兜人は上擦った声で反論した。
「自分だけじゃなく、恵庭先輩と滝杖先輩まで……」
——そう、それが恐ろしかった。
自分に被害が及ぶならまだいい。
けれど、この炎が周囲の人まで巻き込んでしまったら。
今にも引き金から指を離しそうになる兜人に、今度は隣から声がかかる。
「大丈夫だよ、宗谷くん」
的に絞られていた視界をはっと見開く。射撃の音が完全に止まる。兜人はちとせをゆっくり振り返った。
彼女はやはり柔らかく微笑んでいる。
「私が守るよ、兜人くんも蓮華ちゃんも。大丈夫、私はフェイズ7の星光能力者なんだから」
いつの間にか冷たくなっていた手を一度、グリップから離して握り込む。
「だから、思いっきりやってみようよ——ねっ?」
花咲くようなその笑顔が、兜人の恐怖を拭ってくれる。兜人は意識せずちとせに向かって一度頷き、再び拳銃を構えた。
的を狙って、連射を繰り返す。頭の中でイメージを作り上げているとまた掌が熱を帯びてきた。
——今度は、躊躇わない。
そのまま、射撃を続ける。
そして、
「うっ、ぐ……!」
かっと頭の芯が熱くなり、自分の中に眠る力が掌に集中する。暴発する。そう危惧した瞬間、しかし力は掌を、腕を焼くことはなく——かといってその魔の手を無差別に、四方八方に伸ばすこともしなかった。
代わりに、ずずっと銃身に引きずり込まれるような感覚が兜人を襲う。
そして次の瞬間には、銃口に炎の弾が生まれていた。
「なっ……!」
「続けろ!」
驚きに固まったところへ、即座に蓮華の声が飛んでくる。かろうじて集中を取り戻した兜人は、銃身の先にある炎の弾を見つめた。
先ほどまで射出されていたBB弾の大きさだったそれは、引き金を絞っている間にみるみるその大きさを増していく。
中でとぐろを巻く炎の弾は、すぐに兜人の顔の大きさを超える。
自らが生み出した炎に照らされ、視界が赤々と輝く。熱風がちりちりと肌を焼き始めた。
「頃合いだな。よし、引き金を離せ」
蓮華の指示に自然と体が従い、指の力が緩む。続けて蓮華が高らかと言い放った。
「——行け、発射!」
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