8 / 36
7:つまみ食いが解雇理由?
しおりを挟むちとせがパチパチと拍手を送る。
薫も悪い気はしていないらしく、少し誇らしげに鼻の穴を膨らませていた。
これを自分がやると途端に嫌味っぽく見えてしまうのだろうな、と思った。まぁ、やらないが。
「だろ? なのに、たったあれだけのことでクビになるなんてさ……」
「たった、あれだけ?」
ちとせが話の先を促すと同時に、兜人は『訴因』の欄にペンを移動させた。
「——そうだよ。ちょーっと、園児のおやつをつまみ食いしただけなのに!」
夕方のお茶会に沈黙が降りた。
兜人はおろか、それまで冷静に話を聞いていたちとせもぽかんとしている。
テーブルを挟んだ向かいでは、むっつりと頬杖をついた薫が二人の言葉を待っている。
「え、えーとぉ……」
お優しいちとせはなんとか言葉を探しているようだった。兜人はペンを置き、耐えきれないとばかりに口を開いた。
「つまみ食いしたんですか? 先生が? 子供のおやつを?」
「だ、だって気になったんだもん!」
さすがは精神感応者、こちらの沈黙を呆れた故だと理解しているらしい。いや、そうでなくとも分かる、か。
急に駄々っ子のように手足をばたばたと動かしながら、薫は訴えを続けた。
「いつも出てる美味しそうなクッキーがあってさ。一度、クラスの園児に分けてもらったことがあったんだ。そしたら予想通り美味しいのなんのって。それから小腹が空いたらちょこちょこいただいてたんだ。それだけなんだよ!」
「つまり陰で園児の分のおやつをくすねてた、と?」
「人聞きの悪いことを言うなよなー! あ、あれだよ、毒味だよ毒味ぃ!」
兜人はじいっと半眼で薫を睨んだ。「うう、どす黒いオーラだよぉ、絶対……」と呻いて、薫はたじろいだ。
「ま——まあまあ。とにかくそれが解雇事由なんですね?」
場に漂った緊張感を取り払うように、ちとせのゆったりした声が二人の間に割って入る。薫はもじもじと指を突き合わせて、決まり悪そうに言った。
「わ、悪いなぁ~とは思ってたんだよ。でもたった五回ぐらいのことだったし、弁償もしたのにさぁ」
「窃盗は窃盗でしょう」
「宗谷くん! ……その、窃盗だけど、あれだよぉ。会社のボールペンを一本持ち帰ったっていうぐらい微妙な窃盗だよぉ!」
「窃盗じゃないですか」
窃盗窃盗と連呼され、薫はしょんぼりと肩を落とした。
「でもさ……それを半年も経ってから蒸し返されるなんてさぁ」
「え? 半年?」
ちとせが思わずといった様子で首を捻る。薫はカップの縁を指でなぞりながら、ぽつりぽつりと話した。
「うん、園長先生につまみ食いがバレたのは半年前なんだ。ごめんなさいって謝って、代金を弁償して、それで話はついたんだよ。なのに昨日になって、突然あの時のことでクビにするって言われて」
「そうだったんですか……」
「まったくなんだってんだよ。じゃあ、弁償したお金返してよ!」
盗っ人猛々しいとはまさにこのことである。兜人は盛大な溜息をついて、ついに調書票をテーブルに投げ出した。
一方のちとせは顎に指を当てて、考え込んでいる。
この案件のどこに熟考の余地があるというのか。兜人はお人好しに釘を刺すつもりで、ちとせに言った。
「先輩。半年前だろうがなんだろうが、犯罪は解雇事由にあたると思います。大方、彼女より優秀でつまみ食いもしなさそうな新人を雇えた、とかじゃないんですか?」
占環島でも保育士は人材不足である。
一番年かさの異能力者で三十代、もちろん占環島で生まれた子供も多数存在するし、異能力は遺伝するので異能力者同士の子供はもれなく異能力者だ。
そして絶対に何かしらの職業に就かなければならない占環島において、本島以上に保育園の需要は高い。
つまみ食いという罪を犯した薫を即刻解雇したいが、代わりがいない。それがようやく見つかった。
ただ、それだけのことだ。
ちとせにちらりと視線を送る。さしもの彼女もこんな不届き者の訴えには耳を貸さないだろう。さぁ、叩きだそうという意味だったが、しかし。
「分かりました。今度、雇用主の方の話も聞いてみますので、連絡先を教えてくれますか?」
「ほんとかい!?」
「ちょっ……先輩?」
喜び勇む薫とは対照的に、兜人は焦ってちとせを制止する。
「こんな案件にまで絡むんですか、執行官が」
話を聞くだに、これがさっき言っていた執行官が取り組むべき『緊急性の高い案件』とは思えない。兜人の脳裏に、薫を連れてきた時の安平愛の申し訳なさそうな表情が甦る。
これ、明らかに面倒くさい話を押しつけられてないか……?
しかし当のちとせは涼しい顔で、薫に保育園の連絡先を教えてもらっている。
「絡むよ~、執行官がそう判断すればね」
「そんな……」
「あと、室長は私だけど、執行官にはそれぞれに権限があるの。宗谷くんはどうする? この件、一緒に調べる?」
間髪入れず、こんな仕事はごめんだ、と返したかった。
だがちとせの少し試すような表情と、そして薫の期待を込めた眼差しが、一斉に突き刺さる。すると元来の負けん気がむくむくと起こり、気がつけば、
「——分かりましたよ、やりますよ」
と、まったく正反対の事を口走っていた。
やった! と囁き合って、ちとせと薫が手を合わせる。兜人はむっつりとした表情で黙り込んだ。すっかりちとせにしてやられたような気がしていた。
ちとせは執行官の顔に戻って、薫に告げた。
「では、雇用主にも聴取をします。そして労働基準執行官である私が可能だと判断した場合に限り、こちらの相談窓口で調停を行うこととなります。どちらにせよご連絡しますので、しばらくお待ちいただけますか?」
「うん、分かったよ。よろしくね」
薫は晴れ晴れとした顔で残りの紅茶を飲み干した。ちとせの手が調書票に伸びたので大人しく受け渡す。
「じゃあ、宗谷くん、薫さんを入り口までお送りしてくれる?」
「……はい」
なんとなく納得のいかない流れになったが、仕方ない。兜人は渋々立ち上がり、薫を労基局の入り口まで送った。
エントランスを出ると、周囲の建物が黒い影に沈んでいた。
「わぁ、もうすっかり暗いなぁ」
薫がふと空を見上げたので、つられて兜人もそうする。
頭上に広がる空は夕闇色のグラデーションに染まっている。空の天辺にはちらほら星が見え始めていた。もう日没が近い。
では、と薫に短く呼びかけようとした矢先、彼女がくるりと振り返った。
「君……カブトくんだっけ? 君の異能力はなんなの?」
島内にいる全員が異能力者である占環島において、異能力の内容を聞くのは挨拶のようなものだった。それが分かっていながら、兜人は口調に苦々しさを隠せなかった。
「……フェイズ6の発火能力者《パイロマニア》です」
「へえ、それじゃあ、強いんだなぁ!」
掛け値無しの褒め言葉に、しかし素直には喜べない。兜人は無意識に掌を握り込んだ。
「ちなみにちとせもそれぐらい強いの?」
「まぁ……そうです」
「ふーん、そっかそっかぁ」
薫は頭の後ろで手を組み、しばしその場で片足をぶらぶらと遊ばせていた。なんなんだこの時間は、と兜人が少し苛つき始めたその時、薫がつと真っ直ぐに兜人を見つめてきた。
「——頼むね、保育園のこと」
その真剣な眼差しに、兜人はわずかにたじろぐ。
結局、小さく頷き返すと、薫は「じゃあね」と軽い口調で言い残し、この場を後にした。
通りの明かりに照らされ、そして曲がり角の闇に消えていく薫の背中をしばし見送る。
……急にどうしたんだ、あのつまみ食い女。
何かがひっかかり、考えるが、大したことは思い当たらず、しばらくして兜人は踵を返した。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
エラーから始まる異世界生活
KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。
本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。
高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。
冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。
その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。
某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。
実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。
勇者として活躍するのかしないのか?
能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。
多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
初めての作品にお付き合い下さい。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ズボラ通販生活
ice
ファンタジー
西野桃(にしのもも)35歳の独身、オタクが神様のミスで異世界へ!貪欲に通販スキル、時間停止アイテムボックス容量無限、結界魔法…さらには、お金まで貰う。商人無双や!とか言いつつ、楽に、ゆるーく、商売をしていく。淋しい独身者、旦那という名の奴隷まで?!ズボラなオバサンが異世界に転移して好き勝手生活する!
【完結】そして、誰もいなくなった
杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」
愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。
「触るな!」
だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。
「突き飛ばしたぞ」
「彼が手を上げた」
「誰か衛兵を呼べ!」
騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。
そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる