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しおりを挟む「エミリー、今いいかい?」
殿下を見送ってから丸2日。私はずっと王宮に隣接されている、整備された森林の中で祈りを捧げていた。
その場所以外に私が足を踏み入れることのできる、清らかな場を知らないからだ。
今日は祈りを捧げている間にルキアが来たため、私の膝に乗るルキアを見て、ブルレギアス様は驚いているようだ。
「いくらここが王宮の隣接地で王宮よりも警備が薄いと言ったって、しっかりしているんだがね…。入ってこれるなんて凄い猫だ。」
彼はルキアを見てそう言う。
「…ブルレギアス様。何か御用でしょうか。」
私がそう聞き返すと、私を呼びにきた理由を聞かされた。
「母上がヴィサレンスの皇女であるミレンネ殿とエミリーと3人でお茶会をしたいと言い出してね。
私とロレンザ殿も2人で話をすることになっているから、その間だけでも行って欲しいんだ。…いいね。」
彼のお願いは私にとっては命令と同じ。私は彼のその申し出に頷くことしかしないのだ。
「何時からでしょうか。用意して参ります。」
「ああ、14時だ。ローザには話を通しておいたから、君の部屋で準備するといいよ。」
それは以前私が使っていた部屋のことだろう。確かに王妃様に招待されたお茶会なのだからドレスにも気を配らなければならないだろう。王宮の部屋を使えるのは助かる。
そう思うと、ふいに荷物の整理をしなければならないことに気付いた。ヴィサレンスに行くことが決定した私は、家の荷物をまとめる必要がある。
しかし、それほど物のない為、彼らが戻ってくるという報告を受けてからでも遅くはない。
この国を出る。それは分かっているというのに、まだ実感がわかなかった。
この国を出るのは寂しい。
しかし、彼らの役に立てるのは嬉しい。
私はそんな渦のような気持ちに蓋をして、お茶会の準備をする為に部屋へと向かおうと足を踏み出した。
「あ、ルキア、1人で帰れる?」
私が足を止めたのは、足元にいる彼に気づいたからだ。
「ニャー。」
「門まで送ろうか?」
すると、要らないというように首をプイっとする。それに私はウフフと笑った。
「それじゃ、ルキアに甘えようかしら。
また後でね。」
そう言って頭を撫でてやる。
「…ブルレギアス様は行かないのですか?」
すると、ブルレギアス様が続けた。
「私は猫が好きでね。少し戯れたいんだよ。先に行ってくれて構わない。」
「でも、ルキアはあまり人に懐いてくれなくて、すぐにどこかへ行ってしまいますから、お戯になるには、少し愛嬌が足らないかと…。」
「いや、構わないよ。
眺めているだけでいいからね。
それよりも、足元に気を付けていくんだよ。」
彼に見送りの言葉を受けた私は、そのまま礼をして歩き出した。
「お招き頂きまして光栄です、王妃殿下。ご機嫌麗しゅうございます。」
私は綺麗に礼をしてみせる。
すると彼女はホホホと綺麗に笑った。
「エミリー。会わない間に随分と母君に似ましたね。凄く綺麗よ。」
私はその言葉に息を飲む。
王妃の夫、つまり国王陛下は自分の奥底に眠る恋心を5年も持ち続けた。
陛下の1番近くにいた王妃である彼女がそれに気付いてなかったということはあり得ないだろう。
その中での発言に、私は手が汗ばむのが分かった。
「あ、ごめんなさい。恐縮させるつもりはなかったの。ただ、あなたともう少し打ち解けて話がしたかっただけなのよ。」
彼女は優しく微笑む。
それは国母にふさわしい優しい雰囲気を持っていた。
「…ミレンネ皇女が来られるまで、2人で話でもしましょうか。座って頂戴。」
私は用意された席へと着くと、すぐに侍女によって紅茶が注がれる。
とてもフルーティな香りがし、口にするととても飲みやすい物だった。
「…エミリーはグリニエルが好きかしら?」
「はい。」
私は彼を慕っている。
生まれ変わっても彼の元で彼の役に立ちたいと思うのだから、その答えは私にとって当たり前のものだった。
「それじゃ、あの子のために、あなたは何ができるかしら?」
「彼が望み、私ができることであるならば、できないことなどありません。」
「そう…。グリニエルのことが心配かしら?毎日祈っているということは知っているのよ。」
私は一応人目のつかない場所でしていた。
それなのに筒抜けだったことはなんだかこそばゆいものだ。
「…はい。グリニエル様がお強いことは重々承知しておりますが、それとは違うのです。
お側で彼をお守りすることができないということは、どうしても私自身が堪えるようですわ…。」
せめて彼と共に行けたなら、こんなに不安な日を過ごすことはなかっただろうにと思うのだ。
「うふふ…。エミリーは面白いわね。」
「え?」
「あの子の心配をするなんて、きっとそれはあなただけよ。」
彼は戦いに関してだけではあるが、異端児と呼ばれる程に才能がある。
だから、そうなのかもしれないが、私だけというのは言い過ぎだろうと思った。
「ねぇ、エミリー。
それなら、聞きたいことがあるわ。
エミリーは、もし、グリニエルから離れて力を得られるのと、力のないままグリニエルの側にられることを天秤にかけたら、どっちをとる?」
「…その二択であれば、私は彼の側にいることを望みます。」
「それはどうして?」
「力があっても、彼の役に立つことができないのであれば、それは私にとって意味のないことです。
私は身一つであっても、彼の役に立てる術を見つけ出してみせます。
だからその場合なら、力は要りませんわ。」
私がジッと王妃様を見ると、彼女はなんだか少し嬉しそうだった。
そこで、ミレンネ様が到着したことが伝えられた。
「お待たせして申し訳ありません。」
少し慌てたように席へと着く彼女に、私も王妃様も大丈夫だということを伝えた。
「お誘い頂けて光栄で御座います。
ヴィサレンス帝国、第一皇女、ミレンネでございます。」
彼女はロレンザ様と同様に薄金色の髪に淡いピンクの瞳をしている。ただ、ロレンザ様とは違って、とても優しい顔をしている。彼女が笑うだけでふんわりと花が咲くようだ。
「王妃のサラビアです。
例のオークションとやらでは大変な目にあったと聞きましてよ。怪我はなくて?」
「はい。エミレィナ様が私をお助け下さいまして、何事もありませんでしたわ。」
彼女がそう言うと、王妃様は頭を下げた。
「麻薬が原因だとは聞いているけど、国王の想いを止めきれなかったのは私のせいでもあるわ。本当に怖い思いをさせましたね。」
「いえ。そんな…!
ニーヴローズは幻覚を見せるものです。
王妃様も国王様も悪くはないのです。」
それでも、王妃である彼女は眉を下げる。
きっと、自分に想いが向いていればそうはならなかったと思っているのだろう。
「…王妃様。」
「なぁに、エミリー。」
「王妃様は少し、誤解しているようですわ。」
「え?」
「国王陛下は、王妃様をちゃんと愛していらっしゃいますもの。」
それはブルレギアス様やサターシャ、そしてニーヴローズの対応をするテテに教えてもらったことを整理すると、1つの答えに至ったのだ。
「ニーヴローズは自分の奥深くに眠る欲望を掻き立てる物です。だから、面と向かって愛を伝えることのできる王妃様には反応しなかっただけで、陛下は王妃様をしっかりと愛しておられます。
その証拠に、今陛下は、王妃様にどう償いをしたらいいかと悩んでおられるようです。」
麻薬のせいであるとはいえ、若かりし頃の恋心を抑えきれなかった彼は、王妃様に自身の愛情を信じてもらえないのではないかと考えているらしい。
「もう一度、陛下を信じてあげることはできませすでしょうか。」
「…眠る欲望、ね。
彼がレティシアーナに心を奪われた時、私は2人の男児を産み、余裕というものがなかったわ。だから私はあの頃、国王の恋心を咎めることもせず、むしろ私の代わりに彼の相手をしてくれるのであれば助かるとさえ思っていたわ。
まあ、それも、月日を経るごとに私達の仲は修復され、愛し合うことができるようになったのだけれど、それが麻薬によってもう1度呼び起こされたのね…。」
「何度もぶつかり合った私たちだもの、きっとまた元に戻れるわ。
ありがとう、エミリー。
自分を責めるのは止めよ。
私は彼の償いでも受けて、彼の愛情が真のものだと、色眼鏡なしで見分けなければならないわね。」
そう言って笑う彼女はとても美しかった。
「少し辛気臭くなってしまったわね。
こんな話よりも、ミレンネ皇女の恋の話でも聞かせて頂戴な。」
「~~っ。い、いえ。私は恋だなんて、そんな!」
頬を赤く染め、そう言うのはミレンネ様だ。
「あら、護衛のトロア、と言ったかしら、彼がそうなのではなくて?」
「ト…トロアは、その。幼馴染みでして、恋とかそういう関係では…。」
真っ赤な彼女が否定をしても、嘘だと分かる。そんな彼女を見ていると微笑ましかった。
「先日の見送りの時、いい雰囲気だと思って見ていましたのよ。」
「…私も思いましたわ。トロア殿とミレンネ様がとても仲睦まじくしておられたので、てっきり…。」
「………それが…。無理なのです。」
急に眉を下げ、悲しそうにする彼女は何を抱えているのだろうか。
「私はまだ力を得ることはできてはおりませんが、次期聖女だと神言を受けました。
だから聖女になることが決まっているのです。
しかし、聖女は勇者とひとつになってはならない。そう決められているのです。」
それは前聖女であるレティシアーナのことを知っている私にはすぐに理解することができた。
「聖女と勇者がひとつになることは、神に許されてはおりません。それを犯してまで、私は彼の手を取ることはできませんわ。」
それは聖女が“選んだ”勇者だからだ。
まだ聖女の力を得ていないらしい彼女が勇者を選ぶことなどしてはいないはずだというのに、彼を勇者と称するのはなぜだろうか。
「…トロアはヴィサレンス1の腕を持つ騎士です。他に勇者となれるものなんておりませんわ。」
「…そうなのね。許されてはいない恋はやはり辛いものね。」
前聖女は初めて自国の者ではない人を勇者と決め、結ばれ、命を落とした。
きっと彼女は自国のものから勇者を選ぶようにと言われているのだろう。
そう思った。
「…それで、正式に聖女となるためにはどれほど時間が必要なのかしら。」
「私は本来、既に聖女の力を得ていなければならないのです。
しかし、歴代の聖女とは違い、前聖女様と過ごすことは叶いませんでした。
…だから、彼女が隠したはずの力を探しているのですが、一向に見つけることができないのです。」
「聖女レティシアーナが崩御して20年。
新たな聖女が空気を浄化しなければ、また魔族や魔物が力を振りかざしてしまうかもしれないのです。
聖女が誕生しなければ、王家は1人を除いて血を捧げ、地を納めなければなりません。だからどうにかしなければとは思うのですが…。」
これは随分なものを背負っている。
まだ10代と聞く彼女の背には、沢山の運命がのしかかっているのだ。
「…私は直接力になることは少ないかもしれませんが、何かあれば協力致しますからね。」
魔力のもたない私ができることなど少ないが、その力を探す協力くらいはできると思ったのだ。
するとそのまま流行りのドレスや装飾品の話。そしてヴィサレンスの観光名所とも呼ばれる温泉の話を聞いているうちに、随分と長い時間を過ごすことができた。
「王妃様。本日は誠にありがとうございました。とても有意義な時間でしたわ。」
私がそう言うと、ミレンネ様も続けた。
「ええ。とっても楽しかったですわ。
ありがとうございました。
エミレィナさまも、ご一緒できて嬉しいです。ヴィサレンスに戻っても、一緒に過ごしましょうね。」
「ええ。ヴィサレンス帝国がどんな場所か、今から楽しみです。」
そんな私たち2人に、王妃様は告げた。
「2人とも、信じて待ってあげるのも彼らの役に立つということですからね。
彼らが帰還するのを笑顔で迎えてあげられるように、心を持つのですよ。」
きっと王妃様は私たち2人を気にかけてくれて、お茶会を開いたのだろう。
そんな優しさに気づいた私たちは、彼らの帰りをただ不安がるだけでなく、彼らを信じる気持ちを持って過ごした。
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