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出戻り3
しおりを挟むコンコン。
「エミレィナでございます。」
執務室の扉を叩くと、いつものように殿下の承諾が下りた。
私は焼いたパウンドケーキと紅茶を運びながら執務室へ入ると、殿下は驚いていた。
「パウンドケーキを焼きましたの。殿下にもと思ってお持ち致しました。」
「ありがとう、エミリー。
しかし、なぜ誰にも運ばせないんだ。
君は今私の客人としてここにいるんだ。使用人をうんと使わないとおかしいだろう?」
慣れた貴族であればそうであろうが、私はもう何年も貴族から離れた暮らしをしている。その為自分でやる方が落ち着くのだ。
「申し訳ありません。自分の手で運びたかったものですから…。」
嘘は言っていない。しかし彼の機嫌は先程よりも良くなってすぐにソファへと移動してくれた。
「エミリーが私の為に作ってくれたのかい?嬉しいな。」
彼の為、だけではないが、確かに成功したら持っていこうと思っていた為否定はしないでおいた。
「味はみましたので、お食べください。」
「エミリーも一緒にここで食べたら良かったのに…。1人で食べてきたのかい?寂しかっただろう。」
「あ、いえ。ブルレギアス様が一緒に食べて下さったので、寂しくはありませんでしたわ。」
私が料理を終え、休憩している時、第一王子であるブルレギアス様が顔を出し、一緒にパウンドケーキを食べた。
1人で食べるよりは確かに寂しさは無かったが、それとは反対にとても緊張した。
すると殿下の顔が強張りを見せ、スッと立ち上がり、私の元へと来ると私の肩を掴んだ。
「兄上がエミリーの元へと来たというのか?」
「え?ええ、急なことで驚きはしましたが、久しぶりにお話ができて嬉しかったです。」
何か変なことでも言っただろうか。
殿下は何やら考えているような素振りだった。
「何かされたり、変なことを言われたりはしなかったかい?」
「…いえ。特には…。背中の傷のことを心配してくれてはおりましたが…。」
「…………そうか。分かったよ。何もなかったのなら良かった。」
殿下は困ったように笑う。
そしてまたソファに座り直してパウンドケーキと見合った。
「美味しそうだね。頂いてもいいかな?」
既にフォークを手にしている彼に私はクスクスと笑うと、彼はそのまま口に運んだ。
「ああ。エミリーの作るものは本当に美味しいね。私は幸せだよ。」
目を瞑り、味を楽しむ彼に私は嬉しさが込み上げた。
「良かったです。明日はアプリコットのタルトを作ろうと思っているので、出来上がりましたらお届け致しますね。」
明日の予定も彼に伝えると、彼はとても嬉しそうにしてくれた。
「私の好きなものばかりじゃないか。
エミリーは本当に優しい子だね。」
ニコニコと笑う彼は私の頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。そんな行動に私も嬉しくなった。
「…ところで殿下…。ローレンス伯爵のことで、報告し忘れていたことがあるのです。」
ローレンス伯爵。それは先日私が潜入した麻薬取引の重罪人だ。その名前を出した途端、彼の目つきは鋭くなった。
「彼に他にも何かされたのか?」
低く、冷たいその声色は怒りが込められているように刺々しいものだった。
「いえ…されたわけではありませんが…。
人身売買のオークションに出されそうになりました。」
そういうと彼の目は先程よりも大きく開いた。
「何だって?」
人身売買などのオークションは国で禁止されている。それはとても重罪となってしまうものだ。
「あの口ぶりからすると、オークションは近々開催されるようでした。
報告が遅れてしまって申し訳ありません。」
「いや。十分だ。まだ取り調べを始めて少しの時間すらも経っていない。
私の方で掴むことができなくて申し訳が立たないよ。
本当に恐ろしい目に合わせてしまったね。怖かったろう…。」
私を見つめる彼の瞳は揺れていた。
「いえ。私は殿下が助けてくださいましたもの。
でも他にもオークションに掛けられている子がいるかもしれないと思うとそれこそ恐ろしいものです。」
「分かったよ。私とケインで調べを進めることにしよう。」
「…ありがとうございます。殿下…。」
できるならば私も参加させてもらいたい。
しかし怪我が治るまでは仕事をさせないと言われてしまっている為、私から告げることは出来なかった。
そうして、伝えたいことを伝え終えた私は、その後自室で夕食をとり、ブルレギアス様がいらっしゃる前に湯あみを終える段取りを組んだ。
「ブルレギアス様が私の傷の容態を見に来られるらしいの。だから早めに湯あみをして傷元を清潔にしておきたいのだけれどいいかしら?」
「まあ。そうなのですね、分かりました。
すぐに準備致しますので、少々お待ち下さい。」
私は無理を言ってローザに湯あみの時間を早めてもらい、汗を流すことができた。
今日は一日中厨房にいた為、随分と汗をかいてしまった。その為、そのままの姿で背中を晒すことは出来ないと思ったのだ。
流石にいつもの背中の開いたドレスはやめておく。脱ぎ着のしやすいものではあるが、王太子殿下の前に立ってもいいような少し華のあるワンピースに身を包んだ。
そうして準備を終える頃、ブルレギアス様が到着されたことが伝えられた。
私はすぐに入っていただくようにとローザに伝え、そのまま仕事の話は聞かせられないと思って部屋の外にいるようにと頼む。
「こんばんは。時間を取らせてしまってすまないね。」
「いえ。むしろ私の方が出向かわなければならないというのに申し訳ございません。」
私がそうして深々と頭を下げようとすると、彼はそれを止めた。
「今は硬いのは止そうじゃないか。」
私は例の如く頷くしかない。
するとブルレギアス様の方から本題へと移ってくれた。
「エミリー。まずは背中の具合を確認させてもらってもいいかな?」
「…はい。」
私は1人でも脱ぐことのできるワンピースを脱ぐと、彼はとても悲しそうな声色に変わった。
「ああ。エミリー…。何日も経つというのにまだこんなになっているのか。
痛かったろう。」
彼は傷に触れはしないが、なぞるかのように背中に手をかざし動かした。
「私が回復魔法を使うことができればすぐに治してあげられるのにね。」
回復魔法。それは聖女のみが使うことのできる能力で、今この世には回復魔法を使うことのできる聖女はいないとされている。
「ブルレギアス様は充分凄い方です。
私のこの傷はいずれ治るものですのでご心配には及びませんわ。」
私がそう言っても、彼は複雑そうに苦笑いを浮かべていた。
「安心しておくれ。エミリーへの怪我を負わせた罪はグリニエルがきっちりと取らせるからね。」
「いえ。私が怪我をしたことよりも麻薬での罪の方が重いですので、背中は罪として関係ないですわ。」
「まあ、一般的にはそうかもしれない。
でもグリニエルの前で君に手を上げたんだ。
きっと今頃、エミリーにしたことの倍以上のことを受けている頃だろう。」
私はそれを聞いてゾッとする。
「ぐ、グリニエル様は取り調べと仰いました。彼が罪人を痛めつけるなどとは聞いたことがありません。」
するとブルレギアス様はクスクスと笑いを溢すのだ。それを見た私は言わずとも眉を顰めた。
「ほう…。エミリーはグリニエルを随分と慕っているんだね。
…まあ、君が言うならそうかもしれない。
私が言ったことは気にしないでおくれ。」
グリニエル様は確かに、戦場に赴き隊長と共に背を守り合う程の力を持っている。
ブルレギアス様と比べれば人を傷つけることに抵抗はないだろう。
しかし、いくらグリニエル様でも、本当はお優しい方なのだから、いくら罪人だとしても彼が取り調べの段階でそんなことをするはずがないと、私は本気でそう思っていた。
「…っ。そういえば私に頼みたい仕事というのは何でしょうか。」
私は早く話を変えてしまいたくてその話を出すと、彼は足を組みなおして口を開いた。
「エミリー。それを話す為にはまず長い説明をしなければならない。それでもいいだろうか?」
「…はい。」
「まず、君とは血のつながりのない兄妹だということは分かるね?
君の両親が命を落とし、私たちの元で暮らすようになったのは、君の両親と私の父である国王が親密な仲だったからだと小さい頃に聞かされたよね。」
そう。私はそこまでしか知らない。
知りたいとは思わなかったし、知る必要もないと思っていた。
「私が15になる頃、父から言われたんだ。“エミリーと結婚して、エミリーを王妃にしろ”とね。」
「っ!」
「君を王妃にする為に、名を変えず、その上で教養を受けさせていたんだよ。
どうしてそんなにもエミリーを王妃にしたいのか。それを聞いても父は答えもしなかった。
私もグリニエルも、その理由が何なのか、理由によっては阻止しなければならないのかを見極めなければならないからね。裏調査を始めたんだ。」
「まあ、私としてはエミリーとの結婚は大歓迎なんだけど、グリニエルは猛反対だった。
“エミリーはちゃんと恋をして、そいつと幸せにしてやるべきだ。だから認めない。”と言っていてね。その時の私はそれに頷いてしまったんだよ。」
「それくらいの頃からはエミリーとあまり会わないようにと、グリニエルが間立って過ごしたんだけど、今になって思えば、君に私を好きになって貰えれば、そのまま結婚に至っても良かっただろうにと思うよ。」
それは陛下の考えが平和なものであれば、の話だ。もし仮に私を王妃にするということで、良からぬことを考えているのであれば、私は存在を消されてもおかしくはない。
「それでね、……君の母君であるのは、レティシアーナ様という聖女様だったということがわかったんだ。」
聖女レティシアーナ。
それは過去最高の力を持つ聖女で、世界の秩序を正したとされる者だ。しかし、彼女が子を生んだということは言い伝えられてはいない。偽りの情報ではないかと思った。
「父はもしかしたら、君に聖女の力が宿っているかもしれないと思い込んで、王妃にしようとしているんじゃないかと思うんだ。
それを裏付ける為に神殿に行こうと思うんだが、君にもついて来て欲しくてね。」
「神殿?」
「ああ、ここからさほど遠くはない。しかし、中には入れてもらえなくてね。
でも、聖女の娘である君なら話は違うかもしれない。」
国王陛下が聖女の力を欲していることを裏付ける証拠が神殿にあるとは思えない。
しかし、きっと調べずに断言することは難しいのだろう。
「私には聖女の力どころか、並大抵の魔力すらもありません。聖女の娘というのは些か無理があるかと思います。」
「いや、ヴィサレンスの力はハーフでは受け継がれにくいと聞いたことがある。
だからエミリーの父君がヴィサレンス国の者ではなく、この国の者であれば、いろいろと辻褄が合うんだよ。」
「…もし陛下が聖女の力を欲していて、私を王妃にしたいと言っているとしたら、どうするおつもりですか?」
「君に聖女の力がないということを分からせるまでだよ。
それを知るためにも聖女の杖に触れる必要があるんだが、私では話にもならなくてね。」
つまりは神殿に行くことが第一歩となるのだろう。そうなれば、行くしかない。
「分かりました。それでは傷が治り次第、神殿へと向かうことにします。」
私は今、謹慎状態。グリニエル殿下の許可なしに仕事をしてはならないのだ。
「いや、明日にでも向かってほしい。」
「でも、グリニエル様にバレてしまったら、仕事を下ろされてしまうかもしれません。」
「その心配はない。
神殿には清浄水と呼ばれる清らかな水がある。背中の傷を癒す為に行っていたといえば問題はないだろう。」
彼はそこまで計算した上で私にこの話を持ちかけてきたのだろう。やはり、策略家と呼ばれるだけのことはある。
義理の妹、兼、仮の婚約者だとしても、ベストのタイミングであるならば迷うことなく私を送り出すのだろう。
「…分かりました。とにかく明日神殿に向かえば良いのですね。」
「ああ。念のために私も同行しよう。
君の働きに期待しているよ。」
とても心強い。
今の彼は私を妹としては見ていない。
ただの駒としてこき使おうとしている。
私情を挟まないそのやり口は、王として頼もしい姿だと思った。
そうして私は彼との話し合いを終えて、寝床に着いた。
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