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第三章 風の神獣の契約者

14 異端の獣

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 ミゼルによって別の部屋に引きずり連れて来られたエルディアは焦っていた。

(ロイが危ない)

 鎖に縛られ手負いの魔獣と一緒の部屋に残されたロイゼルドを助けようと、エルディアは自身の拘束を解くべくもがく。
 この鎖には何の魔術が掛けられているのか。
 魔封じ、とミゼルは言っているが、身体の内部から魔力が吸い取られるような感覚がある。以前フェンリルと戦う時にアーヴァインがくれたダガーと、同じ原理の魔術が使われているのかも知れない。


「無駄です。この鎖は魔獣を捕らえる為に私が作り出したもの。そう簡単に外れるものではありません」


 勝ち誇ったようなセリフに、エルディアはぎりりと奥歯を噛み締めた。


「エディーサ王国の魔術師だったくせに、なぜこんな事に手を貸しているんだ!」


 くつくつと笑いながら、ミゼルは床の上にエルディアを突き飛ばして転がす。


「魔術師団はこの私ではなくアーヴァインを選んだのです。アーヴァインの弟子の姫、私はエディーサ王国が嫌いなのですよ。もちろん、彼と貴女の事も」


 隠されることのない敵意にエルディアはぞっとする。


「お前は私の事を知っているのか?」

「魔獣に呪われ身に余る魔力を制御出来ず、研究所にかくまわれた姫。アーヴァインが守り育てた弟子」


 そこまで知っている者は団の内部でもかなり高位の者だ。
 エルディアは見覚えのない顔を睨みつける。


「呪いというのはどうやらアーヴァインの間違いだったようですが。魔獣と契約を交わすにはどうすればよいのです?」

「エルフェルムといい、この者といい、まるで神殿の彫刻のような姿だ。この容姿で魔獣を手懐けたのか」


 シャーザラーンが抑揚のない声で言う。


「どうしてそなたらが魔獣の刻印を得たのだ」

「早く答えて助けにいかねば、あの騎士がどうなるかわかりませんよ」


 ミゼルが楽しそうにエルディアの顎をつかんで顔を覗き込んだ。


「知らない!魔獣の刻印は、魔獣自身が選んだ者に与える祝福だ。私達は魔獣フェンを助け信頼を交わした。人に捕らえられ痛めつけられた魔獣が、人間に祝福を与えるはずがないだろう!」

「獣の信頼………」


 そんなものがあるのか?
 ミゼルの視線は疑いを隠さない。


「魔獣は人を襲うもの。どうやって信頼を得るのだ」

「それは私にもわからない。私達は怪我をしたフェンを助けただけ」

「エルフェルムもそれは言っていたが、それが祝福を受けたきっかけか?」

「本当に知らないんだ。本来、魔獣は神獣だった。神に仕える獣が人に従う事自体がありえない」


 そうだ。
 神の子フェンリルは、魔獣に堕ちながらも高貴さを持っていた。
 意識を取り戻した獣は、女神の従臣らしく誇り高い狼だった。
 彼等の様な生き物が、人に従うなど考えられない。


「我等の試み自体が無駄だと?」

「当たり前だ」

「目の前に貴女達のような奇跡があるというのに」


 エルディア自身にもわからない。
 なぜフェンは自分達双子に刻印を与えたのか。
 フェンリルがいたからか?


「逆に問いたい。お前たちは魔獣を捕らえ従えようとして、それが可能だと感じたか?人間を襲い喰らう彼等が、人を守るよう変化すると思えたか?少なくとも、人間の側から望んで得られるものではないと私は思っている」


 何度も魔獣と戦った。
 どんな小さな魔獣も、自分に出会えば攻撃魔法を撃ち、食らいつかんと襲って来た。それはまるで本能の中に組み込まれているかのようだ。
 人を憎み、襲えというかのように。

 ミゼルの顔が歪む。
 シャーザラーンはただ静かにエルディアを見つめている。

 エルディアは一瞬、レンブルの森の光景を思い出した。
 フェンは違う。
 幼き日、双子と出会った白い狼は、初めから子犬のように大人しかった。
 だから自分達はただの狼の子だと思って………


「………フェンリルはフェンを、異端の獣と呼んだ。もしかしたら、フェンは他の魔獣達とは違うのかも」


 フェンを見つけた時、魔獣のようには見えなかった。
 可愛い姿のただの子犬に見えた。
 そして、脚に怪我をしていた。

………フェンが?
 フェンがエルディアやフェンリルと同じと考えれば、怪我などするはずがない。
 傷などすぐに消える身体のはずだ。
 誰に傷つけられた?
 幼くても魔獣であるフェンを傷つける事が出来る者は、只者ではありえない。
 
 一体、フェンは何者だ?
 フェンは本当に魔獣なのか?

 考え込むエルディアを眺めていたシャーザラーンが、何かを感じ取ったかの様にポツリと呟いた。


「望んで得られるものではない、か………」


 皇子の口数は少ない。
 かつて皇帝の隣に並び立っていた時のような、光る威厳は無い。
 荒れた草原のような、荒涼とした雰囲気を漂わせていた。


「では、父も私も無駄な夢を見たということか」


 ミゼルに教えられた、魔獣の力を得る方法。
 それが出来る方法がある、手に入れられると信じていた。
 そして父は臣下の信を失った。

 兄は全て知っていたのだろうか。
 魔獣を操るなどという、甘い夢を見るのは無駄だと。
 その傍らに、常に精霊の如き美しい魔術師を従え、なのに彼の秘密を隠し、その禁忌に触れようとはしなかった。

 いつも兄は自分の前を進んでいた。
 たった一つ違いの兄。
 なのに全てにおいて自分よりも優れていた。
 父母以外の誰もが、兄を後継者に望んでいた。
 臣下達も、自分が皇太子となってからですら、自分ではなく兄の方に味方した。

 わかっていた。
 自分が皇太子に選ばれたのは、ただ単にトルポント王国の血のせいだ。
 父は東の大地を手に入れる事を考えた。その為にトルポント王国の王女を娶った。
 自分の存在は父にとってその結果に過ぎない。
 だが、父は最後に、兄ではなく自分にこの夢を託した。

 だから、自分はこの夢に溺れた。


「ミゼル、終わりにしよう」

「皇子!」

「あの白い獣はきっと特別なのだ。私はこの娘が嘘を言っているように見えぬ。この双子の心を掴んだものが、魔獣の力を得て覇者となる。すでに片方はヴェルのものだ」


 シャーザラーンは諦めたような表情で、薄く笑みを浮かべた。


「ヴェルワーンが皇帝になる。私は潔く裁きを受けよう。ミゼル、お前もだ」


 ミゼルは驚いたように目を瞬かせた。


「本気ですか?皇子。貴方こそがこの国を統べる皇帝となるべき方ですのに」

「皇帝はヴェルだ。エルフェルムを連れて来い。無事帰せばお前だけでも追放くらいで許されるかもしれぬ。あの騎士も早く助けるのだな。コカトリスは腹が満ちている。今ならまだ間に合うだろう」


 シャーザラーンは背を向けて部屋の外へ出て行こうと扉へ向かう。
 その背に向かって、ミゼルは両手をかざした。
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