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第二章 生き別れの兄と白い狼

12 黒騎士

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 暗雲立ち込めるとはこの事だろうか、と納得するような空が広がっている。黒灰色の雲が重く立ち込め、時折そよぐ風はべたりと湿っていた。

 ヒヒーン
 馬が後ろ足で立ち上がり、いななきをあげる。あたりには砂煙がもうもうと立ち込めていた。武器のぶつかる金属音が灰色の空に響き、猛る兵士たちの声が途切れることなく聞こえてくる。
 やや黄味を帯びてきている草原は、軍靴と馬の蹄に隙間なく踏み荒らされていた。

 草原の騒乱を眼下にして、城壁の上から見下ろす影がある。
 金獅子騎士団副団長のアリドザイルは、自らの上官であるエディーサ王国将軍エルガルフを振り返った。
 
「閣下、あれをご覧くだされ。一騎、エディーサの騎士とおぼしき者が」
 
 指さす方向には、赤い敵国の騎士のマントが並ぶ中、目にも鮮やかな白い軍衣が閃いている。
 周囲に味方はいない。
 一騎だけが飛び込んでしまったようだった。
 それは普通であるならば非常に危うい状況だ。八方の敵を一度に相手にして、命を保てるはずがないのだから。
 この騎士に関しても、例外ではないと思われた。
 
 だが、それは杞憂でしかない事を、この老副将は知ることとなる。
 小柄なその白い騎士は、素早い動きで周りに敵を寄せ付けず、一騎ずつ確実に倒していた。敵の兵士達もどこかたじろいでいるように見え、その動きは鈍い。躊躇う敵兵に、白い騎士は容赦なく踊りかかってゆく。
 
 アリドザイルは目をまるくして、驚きの溜息をついた。


「一体何者でしょうな」


 エルガルフは微かに唇をほころばせる。


「戦場を一人で走り回るなど、あれぐらいしかいるまい」

「エルフェルム殿ですか、あれが………」

「ザイル老はあれの戦い方を見るのは初めてか」

「はい」


 レンブル城での作戦会議で魔術に秀でているとは聞いていたが、物理攻撃にもとは聞いていなかった。重いグレイブ(穂先が剣状の槍)を鮮やかに操って次から次へと斬り結んでゆく、その光景は優雅な舞を見るようでもある。
 

「あの槍技はロイゼルド仕込みか」


 確かに師弟だけあって、どことなく身のこなしが似ている気がする。


「しかし、むちゃくちゃですな。早死にしますぞ」

「あれは私の言うことなぞ聞きはしないよ」

「従者でもつけて、無茶できないようになされたらどうですか?」

「まだ従騎士だ。それに従者になる者が気の毒だろう」

「従騎士!」

「ロイとはぐれたな」


 無茶をする、と小さく舌打ちする。
 バサッと肩のマントを跳ね上げて、エルガルフは城の中へ歩き始めた。その後をアリドザイルが追う。


「第二軍を出す」

「はっ」
 


 
 エルガルフとアリドザイルが城壁から姿を消したその後も、エルディアは一人敵に対峙していた。


「待て」


 何人目かの犠牲者を足下に転がしたとき、エルディアの前に立ち塞がる者がいた。


「ほう、命知らずがいると思えば、まだ子供ではないか」


 漆黒の鎧に漆黒のマント。
 華やかな赤い羽根飾りと、肩の留め具に彫り込まれた精緻な紋章は高位の騎士を表していた。
 背が高く、鎧の上からでもその均整の取れた体躯がわかる。隆々とした筋肉の形に打ち出した胴鎧を着けているが、その下の身体もそれと変わらないだろうと思われた。

 手綱を引き、馬の足を止めて、エルディアは軽く首を傾げる。
 

「子供と侮ると痛い目を見るよ」

「なるほど、そうだな!」


 そう叫ぶや否や、突然馬を操り大剣バスタードソードを振り下ろしてくる。

 ガキーン
 すれ違いざまに打ち合わされた金属が大きな衝撃とともに軋り声を上げる。


「止めたか」

「…………」

「子供のわりにはよくやる」


 二合三合と立て続けに打ち合った。
 その度に鍛えあげられた鋼の剣が白い火花をあげる。

 キィン
 黒騎士の繰り出す重く速い剣を、エルディアは稀有なる技で受け流してゆく。
 一瞬でも気を抜けば、そこでこの世と永遠におさらばであろう。

(この男、強い!)

 冷や汗が背筋を伝い落ちた。
 リーチの長さでは槍の方がずっと有利だ。なのに相手は本来両手で扱う方が多い長剣を、馬を操りながら片手で軽々と振り回している。間合いを誤り懐に入られれば、かえってこちらが不利になる。
 エルディアは密かに身体に掛けた強化魔法をさらに強めた。

 味方との試合で打ち合うことはよくあるが、戦場の敵とこんなに張り合ったことは初めてではないだろうか。力も強いが、技にも鋭いキレがある。何より騎馬の操縦が格別で、まるで自分の足のように操っていた。
 エルディアはなんとか隙がないかと狙っているのだが、なかなか踏み込めない。

 黒騎士の方にもかぶとに隠されて顔は見えないが、その動きには驚きの色がありありと浮かんでいた。


「オーッ」


 ブンッと腕を振る。

 ガッキィン
 それを踏ん張って受け止めたエルディアは、そのまま横に流してクルリと頭上で槍を回し薙ぐように斬り上げる。

 キィーン
 あっさり跳ね返された。
 周囲の兵士たちは手を出す間がなく、ただ見守るのみ。


「ハァーッ!」

「っ!」

 ガキーンッ
 間合いを詰められたエルディアが、繰り出された剣先を回した槍の柄で止め石突を突き込む。だが、払いきれず頭に大剣を受けた。しかし同時に腹部に突き込まれた衝撃で、力の抜けた黒騎士の腕から大剣が飛んで落ちる。
 エルディアの冑に亀裂が走り、二つに割れて落ちた。


「ちっ!」


 魔力で防御してあったとはいえ、頭への強い衝撃に目眩を起こし、一瞬エルディアの動きが止まった。
 その隙に黒騎士が素早く馬を引く。
 エルディアが追おうとするより早く兵士が二人の間に割り込み、自軍の将を守ろうと動く。

「ヤァッ!」

 襲う白刃をその持ち主ごと叩き斬った。
 その兵士の最後には目もくれず、黒騎士の消えた方向をギッと睨む。
 一斉に飛びかかろうとしていた兵士たちは、一様にその視線の迫力にのまれて斬り込むタイミングを失った。

 次の瞬間、厚い雲をナイフで切った如く光の線が大地を走る。それは意思を持っているようにエルディアを照らし出した。
 全身に朱色の飛沫を浴びたその姿は、されども不思議に神々しい空気を漂わせていた。
 印象的なその瞳。吸い込まれそうなほど透き通ったエメラルドの、ただの輝石ではなく意志をたたえた強い視線。

 兵士達は知らず知らず後退あとじさっていた。少年を取り囲むように広げられたその輪は、微動だにせず沈黙している。

 どうしてこんなに畏怖を感じるのか。
 この目の前の少年騎士に。
 どうしてこんな恐怖すら覚えるのだろう。

 エルディアはそんな戸惑いを気にする様子もなく、うるさげに頭を振った。銀粉を振り撒いたように、銀髪に光が弾ける。


「ウワーッ」


 一人の騎士が重圧を振り払うように突っ込んだ。

 ズバッ

 重い音がしたかと思うと、ブシューッと血飛沫が天に噴き上がる。力を失った身体がガクリと地に崩れた。
 難なく敵を葬ったエルディアは、グレイブを軽く一振りして血油を切る。眩しいものでも見るように少し目を細めて唇を引き結ぶ、その表情はまるで彼の死を悼むようにも見えた。そして周囲を見回す。

 静かで穏やかな目だった。
 それなのに威圧される。無言で服従を強いられている気がする。
 敵軍の中で一人、狼狽えることもなく超然としたその様子は、ただただ異様な光景だった。


退け………」


 兵士たちの壁を押し分けて、新しい剣を受け取った黒騎士が姿を現した。二馬身ほど開けて、睨み合うように向かい合う。

 黒騎士は大きく息を吐き、なるほどな、と小さく呟いた。


「トルポント軍が言っていた魔物とは其方のことだな」

「………」

「名は何という?」

「聞く前に名乗れ。それが礼儀だ」

「ヴェルワーン」

「エルフェルムだ」


 フフッと黒騎士が笑う。
 やはり、と呟いたような気がした。
 まるで知っていたかのような反応に、エルディアの眉が不審げにひそめられる。

 その時、兵士たちの背後から、エディーサ軍の鬨《とき》の声が上がった。砦から新たに吐き出された兵士達が、波のように押し寄せる。
 波の一つが輪の一角を切り崩し、たちまちその場は両軍が入り乱れた。
 退却のラッパが鳴り響く。


「残念だが、合図だ」


 そう言うとヴェルワーンは素早く馬首を返して走り出す。しかし、少し離れて再び振り返るとエルディアに向けて手を挙げた。

「また、逢おう!エルフェルム」

 そう言い残して、彼は森に向けて駆けていった。
 その後ろをエルディアはあえて追わなかった。
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