21 / 23
21 彼がいない日々の中で
しおりを挟む「わーっ! もう、痛くなくなったよ。ユレニア聖女様、ありがとう!」
「これからは喧嘩しちゃダメだからね」
「はーい!」
元気に返事をして子どもたちの輪の中に戻っていく少女を見送って、ユレニアは微笑んだ。
爽やかな風が、彼女の銀色の髪をゆらゆら揺らし、西に傾きかけた木漏れ日が白い顔を柔らかに照らす。
「ここは、いいわね……」
思わず、独り言を漏らしてしまう。
緑豊かな山岳地帯が見渡せる自然豊かな場所。丘陵の麓に建つ、赤い屋根が印象的な建物には一階部分に大きなバルコニーが設置されている。
ここは、かつてユレニアが世話になった孤児院である。
子どもの頃から、バルコニーのテーブルで修道女たちが憩うのを眺めてきた。
孤児たちが遊び戯れる広い庭を見渡せるそこは、いつも子どもの安全を見守らねばならない彼女たちにとって、絶好の休憩場所だったのだろう。
聖女となったユレニアは、ここを訪ねるとバルコニーで修道女が淹れてくれたお茶を飲むのが慣例になっていた。
「お茶が入りましたよ」
声をかけてくれたのは、シスタークレア。
かつてこの孤児院にいる修道女たちの中で一番下だった彼女は、院長となってユレニアのことを歓迎してくれる。
ユレニアが常駐している教皇直轄領から近いため、以前は月に一度は訪問するようにしていたが、最近では様々なことが立て続けに起こっていたのでそれもままならなかった。
「ユレニアがここに来てくれたから、みんないつもよりはしゃいでるみたいだわ」
バルコニーに上がると、ユレニアはシスターの前の席に腰を下ろした。
テーブルに置かれたティーカップを持ち上げて、口に運ぶ。
「……久しぶりですものね」
「眠りから覚めてくれてよかったわ。ここの子どもたちは、みんな神様にあなたの無事を祈っていたのよ」
「神様が願いを聞いてくださったのかもしれません」
そう言いながら、追憶に身を委ねる。
……都からユレニアが教皇庁に戻ったのは、三ヶ月前のこと。
それは建国祭が行われる一月ほど前の話である。
教皇庁の上層部が都に行くために聖女として復帰したものの、教皇直轄領に戻って早々、治癒の仕事が山積みだった。
そのため、休暇を取り孤児院を訪ねるのが後回しになっていた。
(やっぱり、ここに来ると落ち着くのよね)
爽やかな風が、ユレニアの長い銀髪をふわりと揺らす。
それを手で直しながら、彼女は微笑みを浮かべる。
かつて孤児だった彼女に異能が発現したのは、この土地の気を感じてここの教会で祈りを捧げていたからだと思っている。
幼い頃、ずっと願っていた――怪我や病気をした子どもの手を握って、自分の生命力が相手を助けられないものか、と。
その心の声が神に届いたのか、彼女は治癒の力を授かった。
あの時の神の力が体に漲る感覚と驚き、そして高揚感を、ユレニアははっきりと覚えている。
この場所に来たいと思っていたのは、自分の原点に戻りたかったから――。
聖女としての仕事を忙しくこなし、神に与えてもらった力で傷病人を癒していても、ユレニアは自分の気持ちを癒すことはできなかった。
(婚約は……したのかしら。皇女様とアデウス様は……)
青空を見つめながら、ユレニアは浮かない気持ちで考えた。
その程度ならきっと、事情通の大神官に聞けばわかる話だ。
建国祭に参加してきた者であれば、聖職者でもその程度の情報は耳に入るだろう。
しかし、ユレニアは彼らとは建国祭の話を避けていたし、彼らも業務上の話くらいしか聖女に伝えてはこない。
ここが辺境で、都のニュースに皆が疎いのは彼女にとってありがたかった。聞きたくないと思っていることが耳に入ってくることがないからだ
(そうよ。そんなことを、私が知ってどうするっていうのよ?)
――そう思っているのに、なぜか気になってしまう。
まだ、一人でいると皇女宮にいてアデウスに恭しくかしずかれていた時間を思い出してしまう。
皇女のふりを過ごしていた緊張感は、彼の助力を得たことでいつしか楽しく心が揺さぶられるような時間に変わっていった。
すべてがアデウスのお陰だというのに……彼が素晴らしい騎士で、慕うに値する人物だからだというのに、ユレニアはつまらぬ意地を張ってきちんと別れの言葉さえも告げなかった。
逃げるように都を出発してしまったのを、今では後悔している。
(おとなげなかったわ。でも……皇女様と一緒にいるアデウス様を見たくなかったの)
紅茶のカップをソーサーに置くと、ユレニアは深いため息を漏らす。
その様子を見ていたシスターは、目を丸くした。
「ユレニアったら、どうしたっていうの? 悩みがあるなら、私でよかったら聞くわ」
まるで母のような年齢のシスターにそう心配されると、すべてを打ち明けたくなってしまう。
しかし、一生を未婚で過ごすシスターにこんな俗っぽい話をしていいものか。
悩んだ結果、やはり自分の胸の内に収めることにした。
「いえ……何でもないです」
「……そう? それならいいのだけれど」
「……ところで、最近はどうですか? 私がここに来なかった間に、何かありましたか?」
そそくさと話題を変えたユレニアに、シスターは微笑んだ。
「ここは相変わらずよ。子どもたちはやんちゃだから、日々やることは多いけど修道院で暮らすよりは楽しくて」
「そうなんですね。それは何よりですわ」
「……あぁ! そう言えば、この前、若い領主様が視察にいらっしゃったわ!」
シスタークレアは、目を輝かせて言った。
「……若い領主様? アーレンヴェルク辺境伯様のことですか?」
「そう。辺境伯様はご高齢で、お子様がいらっしゃらなかったでしょう? それを案じた皇帝陛下が、養子にお若い騎士様を推挙されたのよ」
それは初めて聞く話だった。
こちらに戻ってから、すべての情報を意図的に受け入れなかったユレニアは、教皇直轄領からすぐのところにある辺境地域の話題さえ知らなかった。
「そうなんですね。他の貴族と違って辺境伯は特殊だと聞きますから……他国と戦争になった時に砦になる役回りですもの。さぞかし勇猛な騎士様でいらっしゃるんでしょうね」
「それがね、以前、辺境騎士団にいらっしゃった方なんですって! それが皇女様に引き立てられて近衛に入って……そして、皇女様を護衛してお命を守った報奨として、この領地と辺境伯の爵位を賜ったそうよ」
興奮した様子のシスターが話を続けるうちに、ユレニアは既視感を覚えてくる。
(それって……!)
元々、辺境騎士団にいて皇女ルドヴィカに引き立てられて近衛に入隊した騎士。彼女の護衛として功績を上げて、報奨をもらうことになっていた騎士……皇宮にいたユレニアが知る限り、そんな人物は近衛兵の中では一人しかいない。
しかし、シスターが言っている若い領主とユレニアが思っている人物が同じだとは、どうしても信じられなかった。
「……あら? 噂をすれば、ご本人がいらっしゃったわ」
辺境伯が住むアーレンヴェルク城から続く街道沿いを、馬に乗った騎士たちが進んでいく。
その先陣にいるのは、藍色の軍服を身にまとった青年。
陽光に黄金の髪が眩しいほどに輝いているのを見れば、それが誰だかユレニアには否が応でもわかった。
(アデウス様……!)
あまりにもできすぎた偶然に、ユレニアは言葉を失った。
アデウスのほうも、彼女の姿を認めたようだ。
馬を降りて、部下たちに何かを伝えてから一歩一歩、孤児院のほうへと近づいてくる。
「領主様、ごきげんよう! 本日はどうされましたか?」
シスタークレアはうれしそうに、バルコニーの脇の階段を降りて彼に駆け寄った。
「ああ……焼き菓子を下町の領民からもらったので、他の品々もあわせてこちらに持って参りました。子どもたちに喜んでもらえたら」
「それは、お優しいこと! 神のご加護が領主様にありますように」
簡易な祈りを捧げるシスターの肩越しに、アデウスはユレニアのほうを見て目を眇めた。
「……ユレニア聖女様……」
アデウスが自分の名を口にすると、ユレニアの胸はドキッと高鳴った。
すらりと姿勢がいい立ち姿も、美しい顔立ちも変わっていない。
いや……むしろ、皇宮にいた頃よりも威厳が増したように思える。
彼女を真っ直ぐに見つめる青い瞳を見て、ユレニアは実感が湧いた。
(ああ……本当に、辺境伯になったんだ)
シスターの話が嘘偽りなく、自分がしていた想像が荒唐無稽なものではなかった。
この数ヶ月間、彼女の空想の中にいたアデウスが目の前にいることが、まるで夢のように思えた。
「院長先生、部下が物資を運び込みますのでどちらにお持ちすればよいか、シュミット大尉にご指示いただけますでしょうか?」
「わかりましたわ」
シスターが籠を持ったシュミット大尉たちのほうに行くのを見送って、アデウスが腰を折り、宮廷式の挨拶をしてきた。
「聖女様、お久しぶりでございます。あなたのしもべである、アデウス・フォン・アーレンヴェルクがご挨拶差し上げます」
「……アデウス様……!」
泣きそうになる気持ちを堪え、ユレニアは席を立った。
バルコニーから庭に続く階段を降りて、今も胸を占めている想い人へと一歩一歩近づいていく。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
死んでるはずの私が溺愛され、いつの間にか救国して、聖女をざまぁしてました。
みゅー
恋愛
異世界へ転生していると気づいたアザレアは、このままだと自分が死んでしまう運命だと知った。
同時にチート能力に目覚めたアザレアは、自身の死を回避するために奮闘していた。するとなぜか自分に興味なさそうだった王太子殿下に溺愛され、聖女をざまぁし、チート能力で世界を救うことになり、国民に愛される存在となっていた。
そんなお話です。
以前書いたものを大幅改稿したものです。
フランツファンだった方、フランツフラグはへし折られています。申し訳ありません。
六十話程度あるので改稿しつつできれば一日二話ずつ投稿しようと思います。
また、他シリーズのサイデューム王国とは別次元のお話です。
丹家栞奈は『モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します』に出てくる人物と同一人物です。
写真の花はリアトリスです。
【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り
楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。
たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。
婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。
しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。
なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。
せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。
「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」
「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」
かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。
執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?!
見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。
*全16話+番外編の予定です
*あまあです(ざまあはありません)
*2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪
【完結】元お飾り聖女はなぜか腹黒宰相様に溺愛されています!?
雨宮羽那
恋愛
元社畜聖女×笑顔の腹黒宰相のラブストーリー。
◇◇◇◇
名も無きお飾り聖女だった私は、過労で倒れたその日、思い出した。
自分が前世、疲れきった新卒社会人・花菱桔梗(はなびし ききょう)という日本人女性だったことに。
運良く婚約者の王子から婚約破棄を告げられたので、前世の教訓を活かし私は逃げることに決めました!
なのに、宰相閣下から求婚されて!? 何故か甘やかされているんですけど、何か裏があったりしますか!?
◇◇◇◇
お気に入り登録、エールありがとうございます♡
※ざまぁはゆっくりじわじわと進行します。
※「小説家になろう」「エブリスタ」様にも掲載しております(アルファポリス先行)。
※この作品はフィクションです。特定の政治思想を肯定または否定するものではありません(_ _*))
教会を追放された元聖女の私、果実飴を作っていたのに、なぜかイケメン騎士様が溺愛してきます!
海空里和
恋愛
王都にある果実店の果実飴は、連日行列の人気店。
そこで働く孤児院出身のエレノアは、聖女として教会からやりがい搾取されたあげく、あっさり捨てられた。大切な人を失い、働くことへの意義を失ったエレノア。しかし、果実飴の成功により、働き方改革に成功して、穏やかな日常を取り戻していた。
そこにやって来たのは、場違いなイケメン騎士。
「エレノア殿、迎えに来ました」
「はあ?」
それから毎日果実飴を買いにやって来る騎士。
果実飴が気に入ったのかと思ったその騎士、イザークは、実はエレノアとの結婚が目的で?!
これは、エレノアにだけ距離感がおかしいイザークと、失意にいながらも大切な物を取り返していくエレノアが、次第に心を通わせていくラブストーリー。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
異世界召喚されたけどヤバい国だったので逃げ出したら、イケメン騎士様に溺愛されました
平山和人
恋愛
平凡なOLの清水恭子は異世界に集団召喚されたが、見るからに怪しい匂いがプンプンしていた。
騎士団長のカイトの出引きで国を脱出することになったが、追っ手に追われる逃亡生活が始まった。
そうした生活を続けていくうちに二人は相思相愛の関係となり、やがて結婚を誓い合うのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる