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16 皇女と聖女(1)
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公判が終わると、皇妃アデライードが南の離宮で病気療養をするという話は、すぐに皆が知るところとなった。
皇妃の取り巻きだった貴族たちも、すぐに手のひら返しをして皇女宮にご機嫌伺いに来たり、高価な贈り物をしたりしてくる。
わかりやすいおべっかを使ってくる者たちの対応に、ユレニアは飽き飽きした。
(まったく……人間なんて、冷たいものだわ。利用価値がなくなったら、皇妃様を見限るんだから)
そのような信用ならない者たちからの貢ぎ物は不要である。
すべての品を、侍女に言って返す手筈を整えた。
しかし、皇女宮の内部は以前より明るくなった気がする。それは、ユレニアから見てもいい変化だった。
軟禁が解けたヴェルナーは、心を入れ替えてユレニアに忠誠を誓うと言ってくれた。ヴェルナーのお目付け役のカールも、これまで以上の働きを見せてくれる。
皇女暗殺未遂事件の一連の捜査で活躍したアデウスには、褒美として領地と伯爵位を授与しよう、と前日の夜会で皇帝が側近と話していた。
「それくらいの爵位があれば、万が一、お前が彼と結婚したいと言い出しても支障にはならんだろう」
話題を自分に向けられて、ユレニアは頬を赤らめた。
一生、ルドヴィカが戻ってこないなら……自分に選択権があるとすれば、もちろんユレニアはアデウスを伴侶に選ぶだろう。
しかし、そういうわけにはいかない。
そろそろグラストン大神官が、こちらに到着する頃合いだからだ。
もし、ルドヴィカも彼に同行しているなら、体を交換して元通りに戻ることができる。
そうしたら……アデウスがもし領地を持つ貴族になったら、自分はどうすればいいのだろう、とユレニアは思い悩む。
彼女は、もとは孤児だった。聖女だということを除けば、所詮はただの平民。
それゆえ、アデウスの身分が高くなればなるほどに、遙か遠い存在になってしまう気がして寂しかった。
それを考えると、彼にとっての栄誉となることも、ユレニアは素直に喜ぶことができずにいる。
(……いつもは、こんな感じじゃないのになぁ……)
あまりに心が狭い自分を、ユレニアは嘆いた。
普段であれば、人の幸せを我が事のように喜ぶはず。それなのに……アデウスに関することだけは、なぜか心が乱されてしまう。
あれこれと思い悩んでいるところに、侍女がやってきた。
「皇女殿下。グラストン大神官様が謁見を願い出ております……何やら、殿下から手紙をいただいたとのことで」
それを聞いて、ユレニアは立ち上がった。
「客間にお通しして。すぐに、お会いするから」
いよいよ、待ちに待った時がやってきたのだ。
ユレニアが客間に入ると、そこには神官と聖女……自分の肉体の中にルドヴィカが入っている聖女がいた。
「お手紙をいただきましてありがとうございます、皇女殿下」
よそよそしい大神官の挨拶と合わせて、聖女も恭しくドレスの裾を摘んで挨拶をしてきた。
そんな二人を見て、ユレニアは苦笑した。
「人払いは済ませてありますわ、大神官様。わたくしが殿下ではないことは、ご存じでいらっしゃるでしょう?」
「……申し訳ございませんでした、聖女様」
大神官は床の上に膝をついて、ユレニアに謝ってきた。
「神聖力を取り戻す眠りに入られている聖女様のお力を借りてしまって……しかも、魂が誤って交替する事態になり、さぞかし大変な目に遭ったでしょう……!」
「神官様、そんなにかしこまらないでください。こうして、遠路はるばる教皇領から足を運んでくださったのです。何も咎めることはございませんわ」
ユレニアは、神官の後ろに立っているルドヴィカに視線を移す。
銀色の癖のない髪、淡い青の澄んだ瞳、それに可憐な顔立ちと華奢な肢体……見た目だけであれば、鏡の中に映っていた自分とそっくりそのままだ。
しかし、その双眸に宿る生命力に溢れる光は、きっとルドヴィカ生来のものだろう。
全身から、高貴さと強い意志が漲っているように思えた。
「だって、皇女殿下がこちらにいらっしゃったということは、元通りに体を戻せるということですものね」
そう微笑んだユレニアに、ルドヴィカは頬にかかった髪を指先で払いながら頷いた。
「もちろん、そうしていただきたいわ。わたくしも早く、この皇女宮と『薔薇の園』を取り戻したいもの」
声は自分のものであっても、話し方が違うとこうも高雅に感じる。
ユレニアは同性ながら、うっとりとしてしまった。
「……皇女殿下の意識を取り戻すことを優先したため、こんな事態になってしまい申し訳ございません。あの古代の秘術に、まさかこのような副作用があるとは……! 明日には、ディズレー枢機卿猊下が参りますので再度の儀式をして、お二人を元通りにするようにいたします」
大神官の言葉に、ようやくユレニアはほっとした。
「それはありがたいですわ、大神官様」
「枢機卿猊下が参りましたら、こちらの宮殿の一室をお借りして儀式をすることにいたしましょう」
この数週間というもの、様々なことがあったがそれも明日で終わり。
ユレニアは、平穏で心安らかに過ごせる場所に戻っていくのだ。
(……それが、一番いいんだわ……)
アデウスと再会したからこそ、ユレニアはここまで心が乱された。
しかし、物理的な距離が開けば……そして、アデウスが手の届かぬ存在になれば、あきらめることができるのではないか。
ユレニアは悲しそうな笑みを浮かべて、そう思った。
そんな彼女の表情を、ルドヴィカは瞳をきらめかせて見つめている。
「グラストン大神官様、少し聖女様と二人きりでお話をさせていただきたいの。席を外していただいてもよろしいかしら?」
「かしこまりました、皇女殿下」
部屋を出ていく大神官の後ろ姿を見送りながら、ユレニアは何事かと顔をひきつらせる。
そんな彼女に、ルドヴィカは軽やかに笑った。
「……あら、別に聖女様をいじめたいわけではありませんわ。たしかに、わたくしは周りからは悪女と言われているかもしれないけれど、そのほとんどが意地悪な継母が作った嘘なのですから」
聖女の姿ながら、すっかり自分の素を出して高飛車な口調に戻ったルドヴィカは、飲みかけのお茶が残っているソファーに座った。
「さあ、聖女様もおかけになって。せっかくですから、座ってお話しましょう……ああ、やっぱり宮殿の茶葉で淹れたお茶は芳しいこと。辺境のものは種類が違うので、この香りを嗅ぐのを心待ちにしていましたのよ」
「それは、まったく気づきませんでしたわ」
ユレニアは恥じ入るように答えながら、ルドヴィカの前の席につく。
「そうですの? 教皇庁の食事や喫茶とここで出されるものでは、かなりの差があると思いますけど」
「……もちろん、ここの食事が豪華だということはわかりますわ」
ユレニアは言い訳がましくそう言った。
たしかにそれはそうだが、彼女にとって食事は生命の火を繋ぎ続けるための燃料であり、執着すべきものではない。
しかも、ここで皇女を装わねばならない日々の中、豪奢な食事や香り高いお茶をゆっくり味わっている余裕など無いに等しかった。
いつも、何かしら演技をせねばならず、そうでないときはアデウスへの想いに悩み、自分の在り方に悩んできたのだから。
「そうですか……聖女様と私の神聖力の質は似ている、と神官様はおっしゃっていたけれど、私が見たところけっこう違うようですわね」
ルドヴィカは、そんなユレニアを見て笑った。
「聖女様は素晴らしい神聖力をお持ちでいらっしゃいますけれど、治癒能力に特化しているようにお見受けいたします」
「そうでしょうね。皇女殿下は、それ以外のお力をお持ちでいらっしゃるのですか?」
興味本位でそう尋ねると、ルドヴィカは意地悪な笑みを浮かべた。
「そうですわね……読心術もできますわ。わざわざ、聖女様と二人で話したかったのは、そのせいもあるのです」
「え……っ!?」
読心術と聞いて、ユレニアは冷や汗をかく。
ルドヴィカの前で、何かまずいことを考えてしまっただろうか、と思いを巡らすがもう遅かった。
それは、彼女に言い当てられてしまったから――。
「……ユレニア聖女様は、わたくしの騎士に恋心を抱いていらっしゃるのね?」
皇妃の取り巻きだった貴族たちも、すぐに手のひら返しをして皇女宮にご機嫌伺いに来たり、高価な贈り物をしたりしてくる。
わかりやすいおべっかを使ってくる者たちの対応に、ユレニアは飽き飽きした。
(まったく……人間なんて、冷たいものだわ。利用価値がなくなったら、皇妃様を見限るんだから)
そのような信用ならない者たちからの貢ぎ物は不要である。
すべての品を、侍女に言って返す手筈を整えた。
しかし、皇女宮の内部は以前より明るくなった気がする。それは、ユレニアから見てもいい変化だった。
軟禁が解けたヴェルナーは、心を入れ替えてユレニアに忠誠を誓うと言ってくれた。ヴェルナーのお目付け役のカールも、これまで以上の働きを見せてくれる。
皇女暗殺未遂事件の一連の捜査で活躍したアデウスには、褒美として領地と伯爵位を授与しよう、と前日の夜会で皇帝が側近と話していた。
「それくらいの爵位があれば、万が一、お前が彼と結婚したいと言い出しても支障にはならんだろう」
話題を自分に向けられて、ユレニアは頬を赤らめた。
一生、ルドヴィカが戻ってこないなら……自分に選択権があるとすれば、もちろんユレニアはアデウスを伴侶に選ぶだろう。
しかし、そういうわけにはいかない。
そろそろグラストン大神官が、こちらに到着する頃合いだからだ。
もし、ルドヴィカも彼に同行しているなら、体を交換して元通りに戻ることができる。
そうしたら……アデウスがもし領地を持つ貴族になったら、自分はどうすればいいのだろう、とユレニアは思い悩む。
彼女は、もとは孤児だった。聖女だということを除けば、所詮はただの平民。
それゆえ、アデウスの身分が高くなればなるほどに、遙か遠い存在になってしまう気がして寂しかった。
それを考えると、彼にとっての栄誉となることも、ユレニアは素直に喜ぶことができずにいる。
(……いつもは、こんな感じじゃないのになぁ……)
あまりに心が狭い自分を、ユレニアは嘆いた。
普段であれば、人の幸せを我が事のように喜ぶはず。それなのに……アデウスに関することだけは、なぜか心が乱されてしまう。
あれこれと思い悩んでいるところに、侍女がやってきた。
「皇女殿下。グラストン大神官様が謁見を願い出ております……何やら、殿下から手紙をいただいたとのことで」
それを聞いて、ユレニアは立ち上がった。
「客間にお通しして。すぐに、お会いするから」
いよいよ、待ちに待った時がやってきたのだ。
ユレニアが客間に入ると、そこには神官と聖女……自分の肉体の中にルドヴィカが入っている聖女がいた。
「お手紙をいただきましてありがとうございます、皇女殿下」
よそよそしい大神官の挨拶と合わせて、聖女も恭しくドレスの裾を摘んで挨拶をしてきた。
そんな二人を見て、ユレニアは苦笑した。
「人払いは済ませてありますわ、大神官様。わたくしが殿下ではないことは、ご存じでいらっしゃるでしょう?」
「……申し訳ございませんでした、聖女様」
大神官は床の上に膝をついて、ユレニアに謝ってきた。
「神聖力を取り戻す眠りに入られている聖女様のお力を借りてしまって……しかも、魂が誤って交替する事態になり、さぞかし大変な目に遭ったでしょう……!」
「神官様、そんなにかしこまらないでください。こうして、遠路はるばる教皇領から足を運んでくださったのです。何も咎めることはございませんわ」
ユレニアは、神官の後ろに立っているルドヴィカに視線を移す。
銀色の癖のない髪、淡い青の澄んだ瞳、それに可憐な顔立ちと華奢な肢体……見た目だけであれば、鏡の中に映っていた自分とそっくりそのままだ。
しかし、その双眸に宿る生命力に溢れる光は、きっとルドヴィカ生来のものだろう。
全身から、高貴さと強い意志が漲っているように思えた。
「だって、皇女殿下がこちらにいらっしゃったということは、元通りに体を戻せるということですものね」
そう微笑んだユレニアに、ルドヴィカは頬にかかった髪を指先で払いながら頷いた。
「もちろん、そうしていただきたいわ。わたくしも早く、この皇女宮と『薔薇の園』を取り戻したいもの」
声は自分のものであっても、話し方が違うとこうも高雅に感じる。
ユレニアは同性ながら、うっとりとしてしまった。
「……皇女殿下の意識を取り戻すことを優先したため、こんな事態になってしまい申し訳ございません。あの古代の秘術に、まさかこのような副作用があるとは……! 明日には、ディズレー枢機卿猊下が参りますので再度の儀式をして、お二人を元通りにするようにいたします」
大神官の言葉に、ようやくユレニアはほっとした。
「それはありがたいですわ、大神官様」
「枢機卿猊下が参りましたら、こちらの宮殿の一室をお借りして儀式をすることにいたしましょう」
この数週間というもの、様々なことがあったがそれも明日で終わり。
ユレニアは、平穏で心安らかに過ごせる場所に戻っていくのだ。
(……それが、一番いいんだわ……)
アデウスと再会したからこそ、ユレニアはここまで心が乱された。
しかし、物理的な距離が開けば……そして、アデウスが手の届かぬ存在になれば、あきらめることができるのではないか。
ユレニアは悲しそうな笑みを浮かべて、そう思った。
そんな彼女の表情を、ルドヴィカは瞳をきらめかせて見つめている。
「グラストン大神官様、少し聖女様と二人きりでお話をさせていただきたいの。席を外していただいてもよろしいかしら?」
「かしこまりました、皇女殿下」
部屋を出ていく大神官の後ろ姿を見送りながら、ユレニアは何事かと顔をひきつらせる。
そんな彼女に、ルドヴィカは軽やかに笑った。
「……あら、別に聖女様をいじめたいわけではありませんわ。たしかに、わたくしは周りからは悪女と言われているかもしれないけれど、そのほとんどが意地悪な継母が作った嘘なのですから」
聖女の姿ながら、すっかり自分の素を出して高飛車な口調に戻ったルドヴィカは、飲みかけのお茶が残っているソファーに座った。
「さあ、聖女様もおかけになって。せっかくですから、座ってお話しましょう……ああ、やっぱり宮殿の茶葉で淹れたお茶は芳しいこと。辺境のものは種類が違うので、この香りを嗅ぐのを心待ちにしていましたのよ」
「それは、まったく気づきませんでしたわ」
ユレニアは恥じ入るように答えながら、ルドヴィカの前の席につく。
「そうですの? 教皇庁の食事や喫茶とここで出されるものでは、かなりの差があると思いますけど」
「……もちろん、ここの食事が豪華だということはわかりますわ」
ユレニアは言い訳がましくそう言った。
たしかにそれはそうだが、彼女にとって食事は生命の火を繋ぎ続けるための燃料であり、執着すべきものではない。
しかも、ここで皇女を装わねばならない日々の中、豪奢な食事や香り高いお茶をゆっくり味わっている余裕など無いに等しかった。
いつも、何かしら演技をせねばならず、そうでないときはアデウスへの想いに悩み、自分の在り方に悩んできたのだから。
「そうですか……聖女様と私の神聖力の質は似ている、と神官様はおっしゃっていたけれど、私が見たところけっこう違うようですわね」
ルドヴィカは、そんなユレニアを見て笑った。
「聖女様は素晴らしい神聖力をお持ちでいらっしゃいますけれど、治癒能力に特化しているようにお見受けいたします」
「そうでしょうね。皇女殿下は、それ以外のお力をお持ちでいらっしゃるのですか?」
興味本位でそう尋ねると、ルドヴィカは意地悪な笑みを浮かべた。
「そうですわね……読心術もできますわ。わざわざ、聖女様と二人で話したかったのは、そのせいもあるのです」
「え……っ!?」
読心術と聞いて、ユレニアは冷や汗をかく。
ルドヴィカの前で、何かまずいことを考えてしまっただろうか、と思いを巡らすがもう遅かった。
それは、彼女に言い当てられてしまったから――。
「……ユレニア聖女様は、わたくしの騎士に恋心を抱いていらっしゃるのね?」
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