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5 アデウスの独白(2)

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 その翌日、教皇庁にルドヴィカは移送された。
 付き添っていたアデウスは、案内された神殿に近づくにつれて神聖な空気が漂っているのを肌身で感じた。
 普段、信心深くない彼でもわかるくらいの神気だった。
 そのエネルギーの源は、神殿の奥の寝室で横たわるユレニア聖女--。
 彼女の寝姿は、神々しかった。美しい銀髪は白いシーツの上に流れ、穏やかな表情でいるのが印象深い。
 その隣に、兵士たちがルドヴィカを乗せた寝台を運び込む。
 そしてグラストン神官が、何人かの聖職者と連れ立って寝室に入ってきた。
 老人が多いその中で一番若い男が、アデウスに声をかけてくる。
「騎士様、私がディズレー枢機卿です。皇女殿下を連れてこられたこと、感謝申し上げます」
「アデウス・フォン・ゲーリングです。皇女殿下のお命の危機を大神官様に助けていただき、感謝しております。そして、今度は枢機卿猊下にまでお手数おかけしてしまい、教皇庁には重ね重ねご迷惑をおかけします」
「お気になさらず。私としても、古代の秘法を試させてもらういい機会になるでしょうから……」
 知的好奇心を掻き立てられるようで、ディズレー枢機卿は目をきらりと光らせた。
 この状況を面白がっている様子は、聖職者としてはいささか不道徳とも言える。
 アデウスもそんなことを言われたら、普段なら不安しか感じないだろう。
 しかし、今はディズレー枢機卿以外に助けてくれる人物がいないから、細かいことで怒っている暇はない。
「枢機卿猊下、お願いいたします! どうぞ、我が主をお助けください」
「全力を尽くさせていただきます。しばしお待ちください」
 穏やかな口調で制されて、アデウスはグラストン大神官と共に寝室の後方にある椅子に腰かけて事の成り行きを見守った。
 大神官が言ったように稀有な術であるらしく、何人もの聖職者が見学に来ている。
 補佐役の神官が聖女と皇女の周りに聖水を撒き終わると、ディズレー枢機卿が古語で何やら呪文のような祝詞を唱え始める。
 この世には文武両道の騎士もいるだろうが、残念なことにアデウスはそこまで神学や語学に明るいほうではなかった。
 理解できない言葉を聞いていると、不気味さに背筋が寒くなってくる。
(本当に、これで大丈夫なのだろうな?)
 冷や汗をかきながら、枢機卿の一挙一動を見守った。
 どれほどの時間が過ぎた頃か--長々しい呪文を唱え終わった枢機卿が、手にしていた杖で聖女と皇女の肩を交互に軽く叩いた。
 すると、不思議なことに聖女の体が輝き、その黄金の光は寝室の中に溢れるほどに広がっていく。
 その光は徐々に細く強い光源となり、皇女の体に向かっていく。
 光が皇女を包み込むと、枢機卿の杖がルドヴィカの心臓の部分に触れた。
 再び呪文が唱えられ、それが終わった途端、ルドヴィカの体がびくりと揺れ動いた。
「……!」
 息をのむアデウスの目の前で、皇女はゆっくりと目を開けた。
「ルドヴィカ皇女殿下。お加減はいかがですか?」
 ディズレー枢機卿の言葉に、ルドヴィカはゆっくりと視線を彼に向けた。
 まだぼんやりとしているのか、それ以上の反応はなかった。
 しかし、ルドヴィカの意識が戻っただけで、アデウスは今にも泣き出しそうなほどに感動していた。
「よかった……本当に、神はいらっしゃるのですね。猊下にも聖女様にもなんとお礼をしたらいいのか……」
 瞳を潤ませるアデウスを一瞥して、ディズレー枢機卿は淡々とした口調で伝えた。
「ゲーリング卿。この術は完璧ではございません」
「え……?」
「二人の魂を交換することで覚醒させ、また魂を戻すという術式で皇女殿下の意識を呼び戻しました。しかし、どちらかの魂に疲弊がある状況だと、それもうまくいかない可能性があります」
 アデウスは怪訝そうに、枢機卿の顔を見つめる。
「……どういうことでしょう?」
「ユレニア聖女のほうが先に眠りについていたので、魂が覚醒する確率が高い。そうすると、皇女殿下の肉体に聖女様の魂が戻ってしまう可能性があるのです」
「えっ……」
「しかし、本当にそうなのかどうかはすぐにはわからない。元の肉体と魂の結びつきは強いはずなので大丈夫だとは思いますが……しばらくは、皇女殿下の様子を注意深く見守ってください」
 もしそうなったらとても困るが、この時のアデウスはルドヴィカが覚醒したことだけで十分だと思っていた。
「わかりました、私が殿下のことはお守りいたします」
「ユレニア聖女は……やはり、覚醒されないようです。私たちの意図を汲んで、何かあったとしても、ご自身よりも皇女殿下の肉体を優先されているようですね」
「そんなことが……!」
 ディズレー枢機卿は、静かに横たわるユレニア聖女を振り返って続けた。
「儀式の途中で、ユレニア聖女の神聖力の発露をご覧になったかと思います。恐らく、無意識のうちにお力添えくださったのではないかと……」
 それを聞いて、信じられない気分でアデウスは呟いた。
「……ですが、聖女様は意識を失われたままではありませんか」
「これが、ユレニア聖女の大いなるお力です。意識を失っていても、この教皇庁とその周囲を守ってくれているのです」
「そうなんですね……」
 その説明に、アデウスは胸が痛くなった。
 眠りについていてもなお、彼女は誰かのために働いている。
 異能をアデウスの部下を助けるのに使ったときも、自分を休めるために必要だった時間を割いてくれた。
 聖女--このヴェルグ帝国の平和を、無意識のうちにも守らねばならない役回り。それは、アデウスが想像できないほど重いものだろう。
(ユレニア聖女様……、あなたはこれまでどれほどのご苦労をされてきたのだろう?)
 それを思うと、やるせない気持ちになる。
 しかし、アデウスは一介の近衛兵である。聖女の安寧を願うよりも、主である皇女を生かすほうを選ぶしかない。
「聖女様が意識を取り戻したら、ぜひ面会させてください。直接、今回の件のお礼を申し上げたいのです」
「わかりました。一日でも早く、その日が来るよう私も神に祈りましょう」
 --そうして、体調は優れなくとも意識だけは取り戻したルドヴィカに付き添って、アデウスは都に戻ったのだった。



 その後も、ルドヴィカの体調は芳しくなかった。
 意識はあるもののぼんやりしているし、ほとんどの時間を眠りについていて、会話や執務ができるような状態ではない。
 皇女が『薔薇の園』でお気に入りだった兵士たちを寝台に侍らせてみても、大した反応もなく、アデウスは心配していた。
 --それがようやく、人間らしい反応を取り戻したのだ!
 しかし、正気に戻ったと思えば美青年たちの存在に悲鳴をあげたり、「記憶喪失になったみたいで……」と頬を赤らめたりする。
 そうしたルドヴィカの変化を目の当たりにしたアデウスは、不意にユレニア聖女のことを思い出した。
(皇女殿下は聖女様と体と魂を交換して、意識を取り戻された……もしかして、その影響で何か起こったのでは?)
 そう思うのは、彼女が聖女を彷彿とさせるような清純さを醸し出していたから。
 しかし、このままではいけない。ルドヴィカ皇女は、ヴェルグ帝国の次期君主なのだから……多くの男たちを圧倒的な魅力で支配する、聖女とは真逆の存在でなければいけないのだから。
 そう思っているのに、なぜか最近ルドヴィカと話していると聖女を思い出してしまう。
 そんな自分に、アデウスは苦笑いしてしまう。
(……聖女様は、まだ眠り続けているのだろうか?)
 遙か彼方の地で眠りにつく聖女に、アデウスは思いを馳せた。
 もう一度、彼女と会いたかった。会ってきちんと礼がしたい……そして、もう少し彼女のことを知りたい。
 そんな激しい感情に、そんな気持ちを抱いたことがないアデウスは戸惑ってしまう。
 ただの憧憬なのか、それとも恋というものなのか……それはきっと、いつか聖女と再会できれば、自ずと答えが出るような気がしていた。
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