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27 伯爵への想い

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 ――結局、アリサと離れる決断はできず、俺はマルトの街に残った。
 仮住まいは、もちろんナオおばさんの家。
 発情期が終わって落ち着いた俺は、リュウやユンと協力して積荷などの力仕事を手伝っている……とは言っても、非力な俺は彼らの半分程度の働きしかしていないけど。
 一方、アリサは事務所の仕事をやり始めた。
 王立研究所にいたときに、読み書きや計算などを教わったのが役立った。
 ナオおばさんいわく、アリサは即戦力になっているようだ。
 食事を作るときもアリサはおばさんを手伝い、おばさんは家のことから仕事のことまで、みっちりとレクチャーをしている。
「ユンったら、いい子を見つけてきちゃってうれしいわー」
 事あるごとにおばさんに言われると、俺も思わず笑顔になってしまう。
 アリサが褒められるのを聞くと、いい気分になる。
 俺まで居候させてもらっているわけだし、自分たちの食いぶち稼げるくらい貢献しなきゃ、ナオおばさんに悪いっていうのもあるけどな。
 おばさんは、しきりにユンにアリサと早く結婚しろ、と勧めている。
 二人が正式に夫婦になれば、俺がこの家に居続ける理由にはなる。
 こんなにあたたかい家族の一員になれるなんて、少し前には思ってもいなかったこと。
 日中はハザマ商会の仕事を手伝い、夜には食卓をアリサとユンと、ナオおばさんたちといっしょに囲む。
 夜風を遮る部屋も与えられ、安心して眠ることもできる。
 ここの人たちは、俺たちがオメガだからといって卑下することはない。今後も俺たちを偏見に満ちた外界から守ってくれるだろう。
 この家にさえいれば安全で、平凡なしあわせを手にすることができるのだ。
 それ以上の幸運が、オメガにとってあるだろうか?
 ……が、俺の気持ちはなぜか沈む一方だった。


(本当に、これでいいんだろうか……?)
 俺は、寝室で窓の外を見て溜息をついた。
 夜空には、冴え冴えとした月が輝きながら俺を見下ろしている。
 あの夜……メディス伯爵と愛し合った夜と、同じ月の形に戻ろうとしている。
 つまり、あれからひと月が経とうとしているのだ。
 彼のことを想うだけで、なんだか胸がツキンと痛くなる。
 時間が経つごとに、伯爵に抱かれたときの昂ぶりが生々しく甦ってくるのはなぜなんだろう?
 そのたびに発情期は過ぎたというのに、体が熱くなってしまう。
(っつーか、すげーバカバカしい! こんなに、ヤツのことばっかり考えてるなんて……!)
 苛立ち紛れに、俺は自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した。
 こんな調子だと眠れそうにないし、ユンがアリサと遅くまで下で喋っているのも気にならない。
 二人の話している内容は他愛もないことだ。
 最初のうちは隣で聞いていたけれど、なんだかそれはそれで面倒になってきた。
 彼らの仲がいいのは喜ばしい。
 二人でいたいから恋人なんだし仲がいいから結婚したいわけだし、これから家族になる間柄なんだから話が尽きないのは結構なことだ。
 でも……俺は結局のところ蚊帳の外で、手持ち無沙汰になってしまう。
 それだったら、一人でぼんやりしていたほうが何百倍もマシだ。
 妹をユンにとられたからって、メディス伯爵が恋しいわけじゃない。
 メディス伯爵は俺が思っていたよりもずっと前から、俺のことを見ていてくれたから……。
 あの夜、「愛してる」って言ってくれたこと。その昔も、「つがいになる」って約束してくれたこと。
 その事実を知って、思わず心が震えた。
 だが……彼は俺を「つがい」にしようとしなかったし、王都に同行させようともしなかった。
 情事のあと、城館まで送ってくれただけ。
 そのあまりにも素っ気ない態度に、俺のほうが物足りない気分になった。
 何の約束もない、あっけない幕切れ――。
 あのとき、ヤツはひどく無口だった。
 それまでの昂ぶりが嘘かのように、ひどく冷たい横顔をしていた。
 なにがいけなかったのか、どうしてそんな風になったのか……原因はわからない。
 情熱的な言葉はただの気まぐれだったかもしれないし、俺の体にもう飽きたのかもしれないし……。
 本人に問い詰めないと、もうわからないことだった。
 メディス伯爵にとって、俺の存在って何なんだろう?
 道端に転がっているだけの石ころと似たようなものかもしれない。
 オメガ性という研究材料であり、肉体的な欲求を満たす道具。二重の存在意義はあるにしたって、利用価値が薄れればゴミ同然なんだろう。
 きっと、俺がマルトに残ろうがどうしようが、ヤツにとってはどうでもいいに決まっている。
 またどこかで再会して、お互いがそういう気分になればヤルんだろうし、そうじゃなければヤラないだけのこと。
 なんだか、そう思うと途端にムシャクシャしてきた。
「くっそー……!」
 俺は、握りこぶしで窓を叩いた。
 バリンとガラスが揺れて、その向こうにある月が微かに揺らいだ気がする。
 何だか虚しくなって、手から流れる血を見下ろしながら泣きたくなった。


 マルトは東方との交易が盛んな海洋都市だが、週に二回ほど王都経由でも荷物が運ばれてくる。
 リュウが担当する荷解きを手伝っていると、俺はとある荷物に目を留めた。
 神経質そうな細い字に、見覚えがあった。
 それはメディス伯爵からのもので、荷物はユンに宛てたものだった。
「ほら、コレ、お前あての荷物だ」
「あ、これは……! ありがとうございます!」
 ユンは荷物を受け取ると、そそくさと上の階にあがっていった。
 メディス伯爵の字にドキドキしたのもつかの間のことで、荷物を渡してしまうと心にぽっかりと穴が開いた気分になる。
 二階でドアが閉まる音を聞いてから、俺は小さくため息を漏らした。
 正直言って、ユンがうらやましかった。
 荷物どころか、俺のところには文のひとつも届きやしない。
 メディス伯爵が必要なのは俺じゃなくて、部下だったユンなのかもしれない。
 性欲処理の道具は替えがきくが、ユンはそうではないのだろう。
 ユンは伯爵が領地に戻るまでマルトに滞在するが、その後はおばさんの家に戻るか伯爵の部下に復帰するかは、まだ決めかねているという。
 でも……遅かれ早かれ、ユンはメディス伯爵と再会する運命にある。
 なぜなら、ユンは兵士として有能だから。
 私兵としての職位を退いても、定期的に訓練は受けると聞いている。伯爵領の予備役の兵士として、有事の際には主のもとに馳せ参じるためだ。
 もしかすると、マルトに留まって諜報活動をするのかもしれないが、それは俺が詮索すべきことではない。
 何があろうと、ユンはメディス伯爵との縁は切れることはない。
(でも、俺は……)
 知らぬ間に、唇を噛みしめる。
 社会的に重要な役割がない身は気楽だが、どことなく心もとない。
 結婚前提の交際をしているアリサが、ひどく羨ましく感じる。
 俺の意向がどうあろうと、彼女はユンについていくことだろう。そうすることが、アリサが導かれた運命なのだから。
 だが……俺は、どうだろう?
 アリサの兄だからと言って、金魚の糞みたいにいつまでも二人に同行するのはおかしくないか?
 これまで、妹を守ることが自分にとっての唯一の生きる証だと思っていた。
 だからこそ、伯爵邸を脱出するという危険を冒してまでアリサを助けようとした。
 ……あ、まぁ、結果的にはメディス伯爵がみんなを助けたわけだけどな!
 今になって、ようやく気づいた。
 妹はいつまでも子どもじゃない。大人になって、俺から自立したってことを。
 双子だから……肉親だからって、ずっと一緒にいることはない。どこかのタイミングで、それぞれの道を歩むことが必要になってくる。
 アリサが無事に一人前になったことに感謝して、ユンにすべてを委ねればいいだけ。
 二人の結婚を見届ければ、俺は自由だ。
 どこの街でも、職を見つけることはできるだろう。
 この先も俺を惑わす発情期をどう乗り切るかってことだけは不安だが、他のオメガよりは力仕事の適性はありそうだ。
 自分の食い扶ちだけなら、何とか稼いで暮らしていけるだろう。
(……アリサの近くに、ずっといたらダメだ。妹の重荷になる兄なんて、サイテーじゃないか!)
 この先の自分の人生を、俺は真剣に考え始めた。


 力仕事のいいところは、多少の考え事をしながらでもできることだ。
 リュウは黙々と作業をこなすから、一緒にいても気づまりではない。
 段々と荷物の山が低くなってきたので、俺が運ぶ方面別に荷物を分けて、それをリュウが馬車の荷台へと運ぶことにした。
 分担作業を始めるや否や、二階から俺の名を呼ぶ声がした。
「シェリルさまー!」
「ああ?」
「ちょっと見てください、コレ!」
 満面の笑みで駆け下りてきたユンは、目の前に革袋を差し出してきた。
「……それ、中が金貨でぱんぱんになってるわけじゃねーよな?」
「まさか! でも、シェリル様とアリサ様にとってはそれ以上の価値があるものです!」
 怪訝そうな表情に変わった俺に、ユンは続けた。
「改良された抑制剤ですよ!」
「え……!?」
「伯爵は王立研究所で貢献したあなたがたに、一生これと同じものを送るとおっしゃっています! もちろん、無償で!」


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