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25 どうしようもない衝動
しおりを挟む「あ、愛してるって……? 俺を……?」
彼が呟いた言葉に、俺は混乱していた。
正直言って、メディス伯爵が正気を失ったのではないかと勘繰った。
だって、俺はこの世の中で底辺をさまようオメガ性で、ヤツはアルファなのだ。しかも、その中でも最も権力を持つ大貴族様ときている。
……たしかに、オメガを愛人にする貴族は多い。
昔に比べれば、このマルニック王国でもオメガに対する偏見が少なくなってきたらしい。
全員が全員、売春しなければ生きられないというわけでもないけれど、やはり賤しい身の上だと見做されることは多い。
特に、男のオメガの場合は自然の摂理に反するわけだから、本人が必死になって隠すのが普通だ。
俺だって、そういう特殊な性別が多い環境にいなかったら、ずっと隠して生きていたかった。
男どもがオメガを求めるのは、純粋な愛情による欲求ではない。
生殖というメカニズムが備わっているから、「子を産む」道具として求められるに過ぎない。
だから、愛なんて生ぬるいものは信じられないと思って生きてきた。
『跡継ぎがほしい、子を産んでほしい』
そんな風に、ビジネスライクな物言いをされるほうが、どんなにか気が楽になるだろう?
愛なんて、そもそも絵空事じゃないかって思っていたから……。
無言のままの俺を見て、伯爵はため息を漏らした。
「わかっていましたよ……あなたは、大昔の約束なんて果たす気がないってことは」
揶揄するような物言いに、俺は慌てて言い訳をした。
「えっ……イヤ、そういうことじゃなくって……」
「じゃあ、どういうことなんです!? ずっとあなたと『つがい』になることを夢見て、私は寝る間も惜しんで学業に専心してきました。領民の役に立つことじゃなく、ただひたすらあなたのために……!」
俺はメディス伯爵に向き直って、月に照らされた美しい顔を凝視した。
(俺のため……? なんで、こいつがそこまでして……?)
思わず首を傾げた俺だったが、次の瞬間、「あっ」と小さな声をあげた。
なぜなら、急に彼の胸に抱き寄せられたから……。
――メディス伯爵と肉体関係を結んで、すぐに離れ離れになって……。
その時に感じたのは、言いようのない喪失感。
妹と離れ離れになった心細さに加えて、彼との一晩の性愛から覚えた気分の揺れ動きは思いがけず激しいものだった。
一度、人肌のぬくもりを覚えると、その快さが恋しくて堪らなくなる。
相手が見目麗しいメディス伯爵だからそう思えるのか、他の誰かでもそう思うのか?
これまでの俺は、オメガの発情期のせい……そして、優れたアルファに惹かれてしまう自然の摂理だと思い込もうとしていた。
――が、オランディーヌ侯爵にすり寄られて怖気立ったことから、その答えは明白なものになる。
(好き、なのか……俺は……)
色々なことがあって、僅かに薄れていたその気持ちが、俺の奥底で首をもたげてくる。
伯爵に抱き寄せられる懐かしい感覚と、心地よいぬくもりに理性が崩れていく……。
自分の気持ちを認識すると、心よりも先に肉欲の炎が燃え上がった。
そう……一週間前と同じ。
俺の体の奥底に潜む何かが、メディス伯爵を誘惑したくてウズウズしている。
発情期が引き起こす情欲に翻弄される自分が呪わしいが、逆を言えば発情期があるお陰で、俺はこの忌まわしい欲求を正当化できるんだ。
「この香りは……まだ、発情期が終わっていなかったんですね」
掠れた声で、伯爵が呟いた。
そして、俺の体を拘束していた腕の力をほどく。
その途端、ひんやりとした夜の冷気が体温の急上昇した肉体にまとわりつく。
もっと密着していたいのに、なぜ伯爵は俺を放すんだろう……?
それに、なぜそんなにも苦しそうな表情をしているんだろう?
俺の頭の中には、疑問符が飛び交っていた。
「……発情期が終わってないから、なんだってんだよ?」
呻くように俺が尋ねると、伯爵は美しい顔にあいまいな笑みを浮かべる。
「君が望まぬようなことも、君が発情期だったらたやすくできてしまう。それは、私の本意ではありません」
「お前……俺と、寝たいのか?」
そう尋ねると、ヤツは肩を竦めてこう言った。
「君みたいに気が強くてやんちゃで、すごくキレイで……要は、世界中の誰よりも魅力的なオメガと、寝たくない男なんて、どこにもいないでしょう?」
そのまどろっこしい物言いが、短気な俺にとっては腹立たしく感じる。
発情期だろうが何だろうが、ヤリたいもんはヤリたいんだ!
それが一時の気の迷いだろうが、何だろうがどうだっていいじゃないか。
あんな子どもの頃から、俺と『つがい』になりたいとか言うようなマセガキだったくせに、今は上品なお貴族ぶってるのが気に入らない。
それに、発情期のオメガが発する匂いは強烈だ。
一度契ったことのある相手なら、今の俺を受け入れないわけにはいかないはず。
能動的に迫ってこないのはムカつくが、背に腹は代えられない。
風に揺れる黒髪を引っ張って、俺は奴の体を手繰り寄せた。
「イタッ、なにを……!」
文句を言い出すメディス伯爵の首筋を引き寄せて、俺はヤツの唇にキスをした。
「んっ……」
甘い吐息を漏らしながら、伯爵は俺の舌を受け入れて自分から絡ませてくる。
それは、さっきから待ちかねていたかのような積極的さだった。
俺の背を抱き寄せて、腰を擦り寄せてくるほどだから……。
(チッ……素直じゃねーな)
心の中で舌打ちしながらも、ヤツの下肢で熱くなっているものに手を伸ばす。
「んっ……!」
「コレ、なーんだ?」
俺は耳朶を甘噛みしながら、囁いた。
「あーあ。上品なお貴族様が、下賤な生まれのオメガに発情しちゃってるわけ?」
「く……そんな、こと……」
「否定しようっていうの? こんなに、ギンギンに硬くなってるのに。やりてーんだろ……俺と?」
月明かりの下で、メティス伯爵の白皙の美貌にほんのりと朱が走った。
俺がコイツをモノにしたいのは、そんなリアクションの一つ一つが妙に色っぽいから。
男相手にそそられるなんて変態かなって思うけど、コイツだって十歳くらいの俺に目を留めたショタコンなんだから同類だろう。
「……どうなの? 俺だってやりてーよ! まだ、発情期が終わってないんだからな」
「そんな、ここは外だぞ……!」
困ったような彼を、俺はせせら笑った。
「ふーん。お貴族様は、天蓋付きのフワフワのベッドじゃなきゃセックスができないわけ?」
笑いながらそう問うと、視界が思いっきり揺れて反転した。
「さっきから、あなたは……貴族、貴族ってバカにして!」
苛立ちが感じられる低い声に続いて、俺は足元の叢に突き飛ばされる。
俺のような下賤な生まれの者に対して性的に反応してしまうことは不本意なのかもしれない。
圧し掛かってくる伯爵の怒りを孕んだ瞳に、思いがけずゾクゾクしてしまう。
無言のまま服を脱がしてくる彼の手の動きにさえ、肌が粟立つような衝動が起きていた。
「へぇ……俺を、ここで抱くんだ?」
「……!」
「度胸あるじゃん。でもな、こんなとこ誰かに見られたらヤバいぜ。自分の立場、わかってる?」
我ながら、滑稽なことを言うと思った。
少しでも理性が残っていれば、こんな場所で彼が俺を抱くわけがない。
ここは、オランディーヌ侯爵の所有地の中。しかも、領主の逮捕という大事件が起きた直後だ。
そこかしこに、メディス伯爵の配下の者が見回りをしている。領民たちの暴動の可能性に備えて、敷地内の所々に控えているのだ。
俺だけなら、別に構わない……が、オランディーヌ侯爵が失脚した今、メディス伯爵は自分の領地ばかりか侯爵領まで面倒を見ることになる重要人物だ。
それなのに、拉致被害にあったオメガと肉体関係を持っているところを見られたら、とんでもない醜聞になる。メディス伯爵の評判は地に落ちて、今後の執政にも悪影響が出るはずだ。
ところが、俺の心配を他所に伯爵はこう言った。
「立場など、どうでもいい……あなたのことが、どうしようもなく欲しいんです……!」
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