【完結】オメガバース イタズラな情欲

江原里奈

文字の大きさ
上 下
25 / 30

25 どうしようもない衝動

しおりを挟む

「あ、愛してるって……? 俺を……?」
 彼が呟いた言葉に、俺は混乱していた。
 正直言って、メディス伯爵が正気を失ったのではないかと勘繰った。
 だって、俺はこの世の中で底辺をさまようオメガ性で、ヤツはアルファなのだ。しかも、その中でも最も権力を持つ大貴族様ときている。
 ……たしかに、オメガを愛人にする貴族は多い。
 昔に比べれば、このマルニック王国でもオメガに対する偏見が少なくなってきたらしい。
 全員が全員、売春しなければ生きられないというわけでもないけれど、やはり賤しい身の上だと見做されることは多い。
 特に、男のオメガの場合は自然の摂理に反するわけだから、本人が必死になって隠すのが普通だ。
 俺だって、そういう特殊な性別が多い環境にいなかったら、ずっと隠して生きていたかった。
 男どもがオメガを求めるのは、純粋な愛情による欲求ではない。
 生殖というメカニズムが備わっているから、「子を産む」道具として求められるに過ぎない。
 だから、愛なんて生ぬるいものは信じられないと思って生きてきた。
『跡継ぎがほしい、子を産んでほしい』
 そんな風に、ビジネスライクな物言いをされるほうが、どんなにか気が楽になるだろう?
 愛なんて、そもそも絵空事じゃないかって思っていたから……。
 無言のままの俺を見て、伯爵はため息を漏らした。
「わかっていましたよ……あなたは、大昔の約束なんて果たす気がないってことは」
 揶揄するような物言いに、俺は慌てて言い訳をした。
「えっ……イヤ、そういうことじゃなくって……」
「じゃあ、どういうことなんです!? ずっとあなたと『つがい』になることを夢見て、私は寝る間も惜しんで学業に専心してきました。領民の役に立つことじゃなく、ただひたすらあなたのために……!」
 俺はメディス伯爵に向き直って、月に照らされた美しい顔を凝視した。
(俺のため……? なんで、こいつがそこまでして……?)
 思わず首を傾げた俺だったが、次の瞬間、「あっ」と小さな声をあげた。
 なぜなら、急に彼の胸に抱き寄せられたから……。


 ――メディス伯爵と肉体関係を結んで、すぐに離れ離れになって……。
 その時に感じたのは、言いようのない喪失感。
 妹と離れ離れになった心細さに加えて、彼との一晩の性愛から覚えた気分の揺れ動きは思いがけず激しいものだった。
 一度、人肌のぬくもりを覚えると、その快さが恋しくて堪らなくなる。
 相手が見目麗しいメディス伯爵だからそう思えるのか、他の誰かでもそう思うのか?
 これまでの俺は、オメガの発情期のせい……そして、優れたアルファに惹かれてしまう自然の摂理だと思い込もうとしていた。
 ――が、オランディーヌ侯爵にすり寄られて怖気立ったことから、その答えは明白なものになる。
(好き、なのか……俺は……)
 色々なことがあって、僅かに薄れていたその気持ちが、俺の奥底で首をもたげてくる。
 伯爵に抱き寄せられる懐かしい感覚と、心地よいぬくもりに理性が崩れていく……。
 自分の気持ちを認識すると、心よりも先に肉欲の炎が燃え上がった。
 そう……一週間前と同じ。
 俺の体の奥底に潜む何かが、メディス伯爵を誘惑したくてウズウズしている。
 発情期が引き起こす情欲に翻弄される自分が呪わしいが、逆を言えば発情期があるお陰で、俺はこの忌まわしい欲求を正当化できるんだ。


「この香りは……まだ、発情期が終わっていなかったんですね」
 掠れた声で、伯爵が呟いた。
 そして、俺の体を拘束していた腕の力をほどく。
 その途端、ひんやりとした夜の冷気が体温の急上昇した肉体にまとわりつく。
 もっと密着していたいのに、なぜ伯爵は俺を放すんだろう……?
 それに、なぜそんなにも苦しそうな表情をしているんだろう?
 俺の頭の中には、疑問符が飛び交っていた。
「……発情期が終わってないから、なんだってんだよ?」
 呻くように俺が尋ねると、伯爵は美しい顔にあいまいな笑みを浮かべる。
「君が望まぬようなことも、君が発情期だったらたやすくできてしまう。それは、私の本意ではありません」
「お前……俺と、寝たいのか?」
 そう尋ねると、ヤツは肩を竦めてこう言った。
「君みたいに気が強くてやんちゃで、すごくキレイで……要は、世界中の誰よりも魅力的なオメガと、寝たくない男なんて、どこにもいないでしょう?」
 そのまどろっこしい物言いが、短気な俺にとっては腹立たしく感じる。
 発情期だろうが何だろうが、ヤリたいもんはヤリたいんだ!
 それが一時の気の迷いだろうが、何だろうがどうだっていいじゃないか。
 あんな子どもの頃から、俺と『つがい』になりたいとか言うようなマセガキだったくせに、今は上品なお貴族ぶってるのが気に入らない。
 それに、発情期のオメガが発する匂いは強烈だ。
 一度契ったことのある相手なら、今の俺を受け入れないわけにはいかないはず。
 能動的に迫ってこないのはムカつくが、背に腹は代えられない。
 風に揺れる黒髪を引っ張って、俺は奴の体を手繰り寄せた。
「イタッ、なにを……!」
 文句を言い出すメディス伯爵の首筋を引き寄せて、俺はヤツの唇にキスをした。
「んっ……」
 甘い吐息を漏らしながら、伯爵は俺の舌を受け入れて自分から絡ませてくる。
 それは、さっきから待ちかねていたかのような積極的さだった。
 俺の背を抱き寄せて、腰を擦り寄せてくるほどだから……。
(チッ……素直じゃねーな)
 心の中で舌打ちしながらも、ヤツの下肢で熱くなっているものに手を伸ばす。
「んっ……!」
「コレ、なーんだ?」
 俺は耳朶を甘噛みしながら、囁いた。
「あーあ。上品なお貴族様が、下賤な生まれのオメガに発情しちゃってるわけ?」
「く……そんな、こと……」
「否定しようっていうの? こんなに、ギンギンに硬くなってるのに。やりてーんだろ……俺と?」
 月明かりの下で、メティス伯爵の白皙の美貌にほんのりと朱が走った。
 俺がコイツをモノにしたいのは、そんなリアクションの一つ一つが妙に色っぽいから。
 男相手にそそられるなんて変態かなって思うけど、コイツだって十歳くらいの俺に目を留めたショタコンなんだから同類だろう。
「……どうなの? 俺だってやりてーよ! まだ、発情期が終わってないんだからな」
「そんな、ここは外だぞ……!」
 困ったような彼を、俺はせせら笑った。
「ふーん。お貴族様は、天蓋付きのフワフワのベッドじゃなきゃセックスができないわけ?」
 笑いながらそう問うと、視界が思いっきり揺れて反転した。
「さっきから、あなたは……貴族、貴族ってバカにして!」
 苛立ちが感じられる低い声に続いて、俺は足元の叢に突き飛ばされる。
 俺のような下賤な生まれの者に対して性的に反応してしまうことは不本意なのかもしれない。
 圧し掛かってくる伯爵の怒りを孕んだ瞳に、思いがけずゾクゾクしてしまう。
 無言のまま服を脱がしてくる彼の手の動きにさえ、肌が粟立つような衝動が起きていた。
「へぇ……俺を、ここで抱くんだ?」
「……!」
「度胸あるじゃん。でもな、こんなとこ誰かに見られたらヤバいぜ。自分の立場、わかってる?」
 我ながら、滑稽なことを言うと思った。
 少しでも理性が残っていれば、こんな場所で彼が俺を抱くわけがない。
 ここは、オランディーヌ侯爵の所有地の中。しかも、領主の逮捕という大事件が起きた直後だ。
 そこかしこに、メディス伯爵の配下の者が見回りをしている。領民たちの暴動の可能性に備えて、敷地内の所々に控えているのだ。
 俺だけなら、別に構わない……が、オランディーヌ侯爵が失脚した今、メディス伯爵は自分の領地ばかりか侯爵領まで面倒を見ることになる重要人物だ。
 それなのに、拉致被害にあったオメガと肉体関係を持っているところを見られたら、とんでもない醜聞になる。メディス伯爵の評判は地に落ちて、今後の執政にも悪影響が出るはずだ。
 ところが、俺の心配を他所に伯爵はこう言った。
「立場など、どうでもいい……あなたのことが、どうしようもなく欲しいんです……!」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない

鈴宮(すずみや)
恋愛
 孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。  しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。  その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?

ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
 第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。  言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。  喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。    12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。 ==== ●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。  前作では、二人との出会い~同居を描いています。  順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。  ※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。

貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~

倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」 大陸を2つに分けた戦争は終結した。 終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。 一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。 互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。 純愛のお話です。 主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。 全3話完結。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

処理中です...