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19 想い人との再会
しおりを挟む(バカだ、俺……)
俺は人知れず葛藤していた。
どんなにイヤがったところで、状況的にオランディーヌ侯爵に犯される運命は逃れられない。
これまでの俺だったら、どう考えても違う対応をしたはず。
自分の見た目の美しさやオメガ性だということを利用して、相手を誘惑でもしてやったほうが物事を有利に運べるというのに。
そう……これまでなら、間違いなくそうしていた。
俺の生きる目的は、ただひとつだけ――妹のアリサと一緒に暮らすこと。そして、アリサをしあわせにすることだけだった。
要は、アリサが俺にとって唯一の生存意義。だから、その目的を達成するためなら何だってできた。
(でも、今は……)
苦い想いが、胸の内側に広がっていく。
俺の胸の中には、ある男が住みついてしまったのだ。
そいつは俺をモルモット扱いしようとしたっていうのに、なぜこんな風にそいつから離れてまで悩まされなければいけないんだ?
……それは、ひどく厄介な感情だった。
メディス伯爵だけに抱かれたい。ほかの誰かに触れられるなんて嫌だ――そんな下らない貞操観念が、知らないうちに生まれてしまう。
伯爵のほうは、俺のことなんてもう忘れているだろう。自分から逃げ出したオメガのことなど、金銭的な損失程度にしか思っていないに違いない。
俺の利用価値なんて、自分の研究のためのモルモット程度。モルモットになるようなオメガは、研究所に行けば俺以外にも見つかるはずだ。
俺よりも若くて、おとなしくて、伯爵の好みにどんぴしゃの子だっているはず――。
そんなネガティブなことを考えているうちに、俺は絶望的な事実に気づいた。
彼に独占されたい。そして、彼を独占したい――。
それらの願いは、完全に俺の独りよがりだった。伯爵の意向でも何でもない。
「つがい」になるには、伯爵から首筋に所有の証をつけられねばならない。オメガがどんなに望んでも、アルファのほうでその気がなければ何の約束もされないことになる。
彼と過ごした夜、その行為がなかった時点で伯爵は俺とつがいになる気がなかったのだろう。
誰かとつがいになれば、この忌まわしい発情期のフェロモンは消え失せる。なぜなら、不特定多数の雄を引き寄せる必要がないからだ。
満たされぬ想いを抱える切なさ……これまで、こんな胸の痛みは知らなかった。
(本当に、バカすぎるよ……俺は……)
何度自分を卑下したところで、何一つ状況は変わらない。
メディス伯爵に必要とされていないことも、これからオランディーヌ侯爵に犯されるってことも。
自覚した途端に、ポロリと生温かいものが頬に零れ落ちた。
唐突に泣き始めた俺を見て、オランディーヌ侯爵は一瞬真顔になった。
しかし、すぐに邪悪な笑みを唇に浮かべた。
「それは、メディス伯爵を想っての涙ですよね? そういうの、かなり好みですよ」
「……ッ!」
「キミを犯しながら、その細くて折れそうな首筋に噛みついてさしあげましょうか? そうしたら、この私と『つがい』になるってことだ。愛しの伯爵とは、もう二度と顔を合わせられないでしょうね」
「……!」
恐ろしい冗談に、俺は蒼褪めた。
どんなにいやでも、アルファのほうにその気があればどうにでもできる。
「ふふふ、そういう恐怖に蒼ざめた表情、ゾクゾクしますね」
嗜虐趣味のある侯爵は、俺が嫌がれば嫌がるほどに興奮の度合いを増していく。
そう……むしろ、メディス伯爵を落としたときみたいに、ノリノリで自分から誘ってしまえば侯爵のようなタイプは逆に萎えるだろう。
それは、わかっている。わかっているのに、俺の気分は下がりっぱなしだ。
それどころか、猛獣に睨まれたウサギみたいにブルブルと体を震わせている。
そんな俺を見て、侯爵のほうは舌なめずりしそうな勢いだ。
「そーんなに、メディス伯爵が好きなんですねぇ……いいですね、その顔。あいつの前で、君を犯せたらさぞかし爽快でしょうに」
そんな粘着質な性格が、ひどく気持ちが悪かった。
もしかしたら、隣接した領地を治めるメディス伯爵とオランディーヌ侯爵は昔から比べられてきたのだろうか。
秀才肌で領民からの信頼が篤いと言われる伯爵に劣等感を覚えているのだろうか。少なくとも、快くは思っていないことは明白だ。
過去の経緯を考えれば気の毒かもしれないが、だからといって同情から愛が生まれることはない。相手が大貴族の仮面を被った犯罪者であれば、なおさら愛情など感じない。
俺の本能は、意外と一途らしい。
伯爵以外の誰かと「つがい」になるだなんて考えられなかった……それは、オメガだけが持つ本能が、俺に拒絶しろと指令を出してきている気がする。
「いやだー! やめろぉー!!」
次の瞬間、渾身の力で侯爵に抵抗し始めた。
この時ばかりは、他の少女たちの運命が自分の行動にかかっていることなどすっかり忘れていた。
戒められていない方の足で、俺はオランディーヌ侯爵の肩を力いっぱい蹴飛ばした。
「くっ……!」
侯爵は体勢を崩したが、それも一時的だった。
重い足枷がある俺が逃げられるわけがない。立ち上がることはできても、すぐに鉄の重石によって歩みが止められてしまうのだから。
「……この愚か者め! この状況で、逃げられるわけがなかろう?」
後ろから哄笑が聞こえてくる。
近づいてくる気配に、俺は目をきつく瞑った。
(こんな時に、伯爵が助けてくれたら……!)
そんな望みのないことを、俺は一心に願い続けていた――。
――キーンッ……!
一閃の光が辺りを照らし、甲高い金属音が部屋中に鳴り響く。
次の瞬間、一気に足元が軽くなった。
不審に思って拘束具に視線を落とすと、ある異変があった。
重い鉄球と俺の足首を戒める鉄の輪……それをつないでいた鎖が、綺麗に切れていたのだ。
「え……なに、コレ?」
目をぱちくりさせていると、さっきと同じ白い光が俺の目の前に現れた。
「……な、何事だ!?」
オランディーヌ侯爵が鋭い声を出し、剣を光のほうに掲げる。
その瞬間、どこからともなく聞こえてきたのは、クスクスと笑う声――。
混乱している俺と、慌てている侯爵を眺めて楽しんでいる……まるで、見えない空間にそんな俺たちを見ている「誰か」がいるようだった。
「だ……、誰だっ!? 私をオランディーヌ侯爵と知って、欺くつもりか!? 早く出てこないと、許さんぞ!!」
「これは失礼。あまりにも、面白い見世物だったもので……」
なめらかで艶っぽい美声が、部屋に響き渡る。
「……伯爵っ!?」
声を聞いた瞬間、俺は気づいた。待ち望んでいた人が、ここに来てくれたということに。
声に少し遅れて、白い靄のような光が消えゆき、その奥から長身痩躯の人影が現れる。
「メディス……!! お前、何をしにここに……!!」
オランディーヌ侯爵は、憎々しげに目の前に現れた闖入者に怒鳴りつけた。
さっきまでの余裕ある様子はどこへやら……怒り心頭といった具合の侯爵に対して、メディス伯爵はシニカルな笑みを浮かべながら、きわめて優雅なお辞儀をした。
「ごきげんよう、オランディーヌ侯爵。お久しぶりでございます」
「はぁ!? なにがごきげんようだ! いいわけないだろうが……これからが、いいところだったのにぃ!!」
「いいところ、とは……聞き捨てなりませんな。そのオメガの少年と、ということでしょうか……?」
そう言いながら、伯爵はちらりと俺のほうに視線を投げかけた。
たったそれだけで、俺の心臓はうるさいほどにドキドキと波打ち始める。
我ながら安っぽいと思うけれど仕方がない。ずっと、会いたかったんだから。
ところが、メディス伯爵が俺を見る目は、どことなく冷たいような気がした……。
「その少年は、王立研究所から我が家に移されたばかりの身の上。それが、どういうわけかこんな場所に囚われてしまって……私の管理不行き届きだったようで、大変申し訳ございませんでした」
それを聞いたオランディーヌ侯爵は、口の端でせせら笑う。
「ここは私の領地内で、私の屋敷でもある。侵入罪は貴族であっても重罪。謝ったところで、何一つ状況は変わらんぞ!」
「それはそれは……オランディーヌ侯爵、そこまでおっしゃるのなら国王からの逮捕状をお見せしましょうか……?」
二人の大貴族の間にある緊張感が、部屋の中の空気をこれ以上ないほどに険悪なものに変えていった――。
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