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2 恐れていた宿命

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「お兄ちゃん、私たちどうなるのかしら……?」
 アリサの不安そうな呟きに胸が締めつけられる。
 彼女も高熱のせいで、とてもつらそうに見えた。発情の度合いは個体差が大きいと言うけれど、性別によっても差があるのかもしれない。
 俺たちは双子だから年格好はほぼ同じで顔もソックリだ。
 そうは言っても、男の俺の方が多少は背が高い。体格が華奢な妹のほうが発情期の影響を受けている可能性がある。
 研究所の建物の外に出て美しく手入れがされた庭園を横切ると、威厳ある門の外にはすでに馬車が用意されていた。
 ――ここに初めてきたのは、二年前のこと。
 こんな形で研究所を出る日がくるなんて、思いもしなかった。
 ベータとして生まれた奴ら以上に努力しよう……この研究所の職員として雇ってもらえるよう、苦手な勉強もがんばろうってずっと思っていた。
 それなのに……俺たちは、これからどうなってしまうと言うんだろう?
「ねぇ、これからどこに行くの?」
 一歩前を歩いている男に、俺はそう尋ねた。
「気になるか、小僧」
「ああ、もちろん」
「メディス伯爵様の領地だよ。伯爵様はな、この研究所の出資者の一人。すなわち、大金持ちってことだ」
「……ふぅん……」
「お前、器量よしだからうまくいけば伯爵様のお妾になれるかもしれねーぜ。いいなぁ、オメガは!」
「め、妾……!?」
「そうだよなぁ、跡継ぎなんて生んだ日にゃあ正妻になれるかもな。伯爵様は若くてまだ独身でいらっしゃるから。そうしたら、一生働かないで美味しいものでも食って、いい暮らしができるよなぁー。ああ、羨ましい!」
 そんな無責任な発言を聞いているうちに、胃の辺りがムカムカしてきた。
 男の妾になる……そんなの考えただけで気味が悪いに決まっている。相手がたとえ、この国を支配するアルファで大金持ちで、由緒正しいお貴族様だったとしても!
 しかし、男たちが言っていることは、けっして嘘というわけではない。
 ここ百年ほどの間で、二度の内乱があったこのマルニック王国では、人口減少が大きな問題になっている。
 周辺国との戦争だけは回避しようと国王は外交に心を砕いている。
 対外的に抑止力とするため、軍を強化しなければならない。それゆえ若い男が必要だというのに人口は激減し、その後も子を生める女性やオメガ性も激減してしまった。
 平民はもちろん、貴族の家系でもそれは問題になっている。
 昔は家柄が重視された貴族の婚姻も、最近は贅沢を言っていられないらしく、かつては賤民と軽蔑の対象だったオメガを妾として、その子どもが男ならばその子を跡継ぎにすることが容認されているのだ。
 現に、貴族の正妻におさまった野心家もいるから、オメガは底辺に落ちるばかりではなくなってきた。
 ――実際、研究所にくる直前にアリサにはそうした話もあった。
 相手は大貴族の一人……婚姻が成立すれば、これ以上ない玉の輿となるはずだった。
 双子の俺が言うのもなんだが、アリサは美しい少女だ。プラチナブロンドの美しい髪、アメジストのような薄紫の瞳。雪のような白さの肌――。
 異国民との混血が進んだこの王国で、マルニック民族の特徴を色濃く残すその容姿に、大貴族の使いの者は感動したようだ。
「生まれながらのプリンセスのようだ! これなら、オランディーヌ侯爵様の寵愛を得られるに違いない!」
 彼女にとっては、その申し出を受けるのが幸せへの近道だったに違いないが……結論として、アリサはそれを断った。
「自分だけ抜け駆けするなんてイヤよ! わたし、お兄ちゃんといっしょに幸せになりたいの!」
 そう言って、アリサは俺といる貧しい人生を選んだ――。
 そんな妹だからこそ、俺は……俺はどうなってもいいから、妹だけは助けてやりたかったのだ。


 一瞬のうちに、俺は脱出案を考えた。
 俺たちが乗る馬車には御者はいない。おそらく、二人のうちのどっちかが馬車を操り、もう一人が俺たちの見張りとして乗り込むのだろう。
 それを見て、俺は即座に決めた……見張りの男を誘惑する、ということを。
 そして、男が持っている銃でもう一人を脅して、馬車を奪って逃げればいいのだ。
 アリサをつれていた男が御者台に収まり、俺をつれていた男が俺たちと一緒に乗った。
 俺の隣にそいつが乗り込み、アリサがその向かい側に座った。
「あぁ……」
 俺は小さな溜息を漏らしながら、見張りの肩にしなだれかかった。
 それを見た男が、怪訝そうな視線を俺に投げかけてきた。
「どうした、坊主。気分でも悪いのか?」
「ああ……、体がすごく熱くて……」
「体が熱い……? お、おい、坊主……」
 俺が体を擦り寄せると、見張りの男は表情を強張らせた。
「……なんか、おかしいんだ。さっきより、熱くなってきて……」
 そう言って、潤んだ瞳でそいつを見つめた。
 こんなことをやっていると、俺がそうしたことに慣れているかと思われるかもしれないが、全然そんなことはない。
 正直言って、色仕掛けの方法なんてわからない。
 ただ、保護施設にいたときに、オメガ性の一個上の子が小遣いほしさで施設の先生とそういう関係になっていたのを見て、俺は「あること」を悟ったんだ。
 最悪の状況になったら、自分もそういう風にしなきゃいけないんだろうって……男に媚を売って、体を差し出さなきゃならないんだろうって。
 まさに、今がその最悪のシチュエーション。
 熱っぽい眼差しで見つめれば……ほら!
 発情したメスに群がるオス犬みたいに、男の目は充血し涎を垂らしそうな勢いになっているじゃないか!
 縄でグルグル巻きになっているから、俺は男の体に背中を擦り寄せる。
 後ろにある手で器用にズボンの隆起をなぞると、奴は驚いたように俺の手を掴んだ。
「や、やめろ、坊主。こんなところで……!」
「……なんで? 俺を抱きたいんだろ?」
「お、俺は仕事中だ! そう……こ、これは業務時間だっ」
「いいじゃないか、俺はどこかのお貴族様に売られるんだろ……? その前に一回くらいしても、なんの問題もないと思わない?」
「ま、そうだろうが……」
「そうするには、この縄が邪魔だな……少しくらい緩めてくれてもいいんじゃない?」
「わ、わかった……」
 男はわかりやすく鼻息が荒くなっている。
 どうでもいい奴の欲望を見ていると気分が悪くなるが、背に腹は替えられない。
 縄を緩めている間も、俺は奴の耳元に悩ましく囁き続けた。
「もうガマンできない。俺の初めてを、早く奪ってよ」
 自分の演技派女優っぷりに呆れながらも、俺はその様子に目を丸くするアリサの前で下らない茶番を続けた。



 ――太陽がゆっくりと西に傾いてきた。
 俺とアリサは、男たちから奪った馬車を使って走り続けている。一刻でも早く、王立研究所から遠く離れた場所に逃れなくてはならない。その一心で先を急いでいた。
 しかし、時が経つにつれて言い知れぬ空腹感に苛まれ始めた。
 発情期になると、男を誘惑するためのフェロモンが生成される。それ以外にも、子どもを作る準備を体が始めるわけなので、そうではない時期よりもエネルギーを余分に必要とするらしい。
 昨日から、異常に空腹感がひどかったのもそのせいだろうか。
 そんなことをぼんやり思いながらも、俺は馬車の中にいるアリサに声を掛けた。
「アリサ、大丈夫か? そろそろ腹減ってきたよな」
「大丈夫よ。お兄ちゃんこそ、大丈夫? 私が代われればいいんだけど……」
「平気だよ。お前は横になって寝てればいい」
「お兄ちゃん、ありがとう……!」
 申し訳なさそうに俺の顔を見つめてから、彼女は馬車の中に顔を引っ込めた。
 優しくてキレイで、この世で一番愛しいアリサ。
 彼女が無事に……誰の意のままになることもなく、自分の意志で愛する人と出会って幸せな結婚をすること。それが俺にとっての、たった一つの夢だ。
 貧しさが原因で、そんなごく当たり前のことができないオメガが、このマルニック王国にはたくさんいる。
 俺のことはどうなってもいい。ただ、妹の身だけは守らねばならない。
 それには、まずどこか安全な場所に行かなくては……王立研究所やメディス伯爵の追っ手がこない場所に、逃げなければならない。
 高熱で倒れそうになりながらも、俺は御者台で馬に鞭を当て続けた。


 暗闇が辺りを覆う頃には、俺たちは隣国との境に程近い町に着いた。
 当然ながら、宿を借りる金なんてない。仕方がないのでここで食糧を調達して、馬車の中で眠ることにした。
「お兄ちゃん、疲れているでしょう? ここは、私が行ってくるわ!」
 アリサはそう言ってくれたけれど、発情期の女の子がフラフラと夜道を歩いていたら誘拐してくれとお願いしているようなもんだ。
 そこは気持ちだけ受け取って、俺が外に出ることにした。
 街の外にある森に馬車を止めて、アリサに絶対外には出ないようにと言い聞かせてから、食料を調達すべく灯りがある方向へと進んでいく。
 通りに人影はまばらだが、まったくいないわけではなかった。
 商店の灯りが消えつつある。その代わりに酒場は繁盛しているように見えた。
 酒場に行って、食べ物をわけてもらうしか方法がない。
「そーなんだよなー……俺、よく考えたら金がないんだよなぁ……」
 ボソッと呟いて、溜息を漏らす。
 これからの長い逃避行を続けるためにも、まずは腹を満たさねばならないのに。
 しかし、無一文でどうすればいいって言うんだろう?
(物乞いでもするかなぁ……?)
 そう思っていると、フードを目深に被った老婆がゆっくり立ち止まって俺を見上げた。

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