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70 伯爵令嬢、田舎での日々(2)

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 伯爵が新しくつけた侍女と護衛は、両方とも手強そうだった。
 マドレーヌと違って、お金では買収されなさそうな厳格な空気を醸し出している。
 ほぼ軟禁状態と言ってもいいエルフィネス伯爵邸の中で、屋敷の中にいる時は侍女が常について回り、庭の散歩をする時は護衛がぴったりと後ろにいる。
 友人宅を訪問することも、街に行くことも許されない。
 唯一、友人に手紙を書くことは許可されたが、どうせ中身は伯爵に検閲されるだろう。
 それがリオネル様あてのものであれば、検閲されてから中身を捨てられるに違いない。
 ただ……この前の伯爵の発言で、彼は私のことをあきらめたかもしれない。
 だって、古い考え方をする石頭の伯爵を説得してまで、私と結婚したいと思うものだろうか?
 もし、私が彼の立場なら絶対にあきらめると思う。
 それでなくても、リオネル様は魅力的だ。
 パートナーとして参加している舞踏会でも、令嬢たちが彼を熱い視線で見つめているのを何度目撃したことか!
 私が隣にいなければ、彼女たちは嬉々としてリオネル様に近づくだろう。
 それを考えただけで、胸にツキッとした痛みが走る。
(つらいなぁ……なんで、私はこの家に生まれちゃったんだろう?)
 ぼんやりと伯爵邸の庭を眺めながら、私はため息をついた。
 もし王都にいる平民の娘だったら……それが無理でも、たとえばマドレーヌのように侍女ならば、身分のことでリオネル様との交際を咎められたりしなかっただろうに。
 ……たぶん、それはないものねだり。
 前世、貧しい環境のせいで、恋愛をする暇がなかった私。
 死ぬ直前に思ったことは、こうだった。
『もう一度、どこかで人生をやり直せるなら、お金持ちの家に生まれてすてきな人と恋をしてみたい。できることならカフェを経営したい』
 その両方を、いまの人生で叶えることができた。
 恋をするのは、カフェを経営すること以上に素敵なことだった。
 リオネル様と初めて会った日のことが、昨日のことのように思い起こされる。
 ナンパ男たちに絡まれたところを助けてもらって、舞踏会のパートナーとして出かけた先で告白されて付き合うことになり……カフェ経営のことで色々とアドバイスをくれたり、トラブルに巻き込まれたりしたら助けてくれた。
 前世から今に至るまで、リオネル様ほど私に誠実に接してくれた男性はいない。
 だから、こんな風に軟禁されている状態でも、簡単に希望は捨てたくなかった。
 せっかく、前世でやり残した人生を生きているんだから。


 南部地方に戻って二週間ほど経ったある日、私はエルフィネス伯爵の書斎に呼ばれた。
 そこには、伯爵夫人もいた。
(二人とも揃って、何事なのよ?)
 なにかまたまずいことが明るみに出たかと気を揉んだが、なぜか夫妻ともにこの二週間一度も見ていないような朗らかな表情をしている。
「ごきげんよう、お父様、お母様」
「よく来た、カタリナ。そこに座りなさい」
 二人が座っている席の前に腰かけると、侍女がお茶を運んできた。
(……飲まないわよ。変なもの入っていたらいやだもの!)
 そう思うくらい、私は伯爵夫妻を信用できなくなっていた。
 それだけ、リオネル様を傷つけた彼らを許せなかった。
「何かお話でしょうか?」
 あまりの居心地の悪さに、私は先を促した。
「ああ、実はお前に求婚状が届いてな」
 ……また、求婚状か!
 南部地方に戻ってから、もう何通来たことだろう?
 フィリップとの婚約破棄のほとぼりが冷めてから、私のもとには多くの令息から恋文や求婚状が届けられた。
 ただ、そのほとんどは話したことさえない相手。返事をする気も起きなかった。
「お断りいたしますわ」
 相手の名も聞かずに即答する私に、伯爵夫人が羽扇を口元に当てて上品に笑った。
「おほほ……カタリナったら、どうしたのかしら? そんなに、頑なになってしまって」
「本当だよ。お前にとっても、我が家門にとっても名誉なことなのだぞ」
「そうよね、あなた。新興貴族に比べたら、驚くような素晴らしい相手よね?」
 二人は目を見交わして、うれしそうに微笑んだ。
 ふーん、いやに勿体ぶった言い方をするわね?
 断るには断るけど、相手が誰か聞いてやろうじゃないの。
「……どなたですの? その名誉な方というのは?」
「それがな。王子殿下のうちのおひとりだそうだ」
「王子殿下……!」
「国王陛下じきじきに書簡を送ってこられて、ぜひお前を殿下のお妃候補にしたいということなのだよ」
 それを聞いて、私は失神しそうになった。
(……ああ、リオネル様……)
 心の中で愛しい人の名を呼ぶ。
 せっかく転生して念願の恋愛をしたというのに、運命はなぜ私とリオネル様に試練を与えてくるのだろう?
 よりによって王室からの求婚状とは!
 それは、よほどの事情がなければ断ることができないものだ。
 私は押し黙ったまま、今後どうするべきか思い悩んだ。

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