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63 寝取り令嬢の憂鬱(1)

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(……はぁ、疲れたわ。疲れ果てたわ)
 窓ガラスに映る美しい憂い顔を眺めながら、わたくしはため息を漏らす。
 ガラスの向こう側に見えてくるのは、鄙びた田園風景。
(せっかく王都に来ることができたというのに、また南部地方に逆戻りなの?)
 その苦々しい思いに、唇を噛む。
 この三日で、何もかもが振り出しに戻ってしまうなんて信じられなかった。
 フィリップとの婚約が白紙になるかもしれない……こんな危機に陥るだなんて。


 舞踏会の翌日――その日のことを、わたくしは一生忘れることはないだろう。
 それほどに、これまでの人生の中で一番ショックを受けた日だったから。
 朝っぱらから渋い顔をしたグラストン侯爵家の執事が、わたくしに手渡してきたのは新聞だった。
 新聞なんて、貴族の令嬢が朝一番で読むものではないわ。
 わたくしの優雅な朝は、新鮮な果実がたっぷり入ったオートミール、ジンジャーミルクティーから始まる。
 わたくしの美貌と腰の細さは、日々の節制の賜物だわ。
 ほら、よく言うでしょう? 湖に浮かぶ白鳥は人知れず水を掻くって。
 だから、ティータイムのように誰かと楽しむ場所で、わざわざ好き好んで貧相なお菓子を食べるのは愚の骨頂。
 「カフェ・カタリナ」に並んでいるぽっちゃりなお嬢様たちをそう罵ってやりたいけれど、品がいいわたくしだもの……ちらっと軽蔑の眼差しを向けるだけで我慢しておくわ。
 ――さて、咳払いをしてくる執事を上目遣いで見ると、わたくしは新聞の第一面に視線を落とした。
「な……なによ、これ……っ」
 そこに書かれていた見出しに、わたくしは衝撃を受ける。
 『カフェ・ベルトラの衛生管理は素人以下! 元従業員が暴露するずさんな実態』
 それは、あまりにもスキャンダラスな煽り文句。
 急いで記事の内容を読み始めるが、どうしても新聞を持つ手が震えてくる。
 元従業員が働いていた店のことを暴露するのは、よくあること。最近、二人辞めているからそのどちらかが小遣い稼ぎのために、インタビューに応じたと思った。
 しかし、こんなことをさせる原動力はいったい何なのかしら?
 わたくしの脳裏に、疑問と……そして、なぜかカタリナの顔が浮かんできた。
(あの子が仕返しをしたの……!?)
 わたくしが前にナンパ男たちに書かせた醜聞記事。
 あの復讐で、うちのスタッフを買収したのではないかしら……?
 怒りと屈辱を堪えながら、わたくしは傍に控えていた執事に尋ねる。
「フィリップは……彼は、どこにいるの……?」
「お坊ちゃまは、すでに王宮に出仕されております。エレオノールお嬢様のことを心配されておりました。弁護士の手配などはわたくしが代行いたしますので」
 それを聞いて、嘆息した。
 婚約者の一大事だというのに、フィリップは呑気に仕事に行ってしまった。
 もし、彼がわたくしのことを心から愛しているのなら、休みをとってわたくしに付き添ってくれたはず。
 ユーレック子爵は、カタリナにそうしてあげたのではないかしら……?
 そう……これと同じようなことを、わたくしはカタリナにしたのだわ。
 ただ、記事に書かれていたことは認めざるをえない部分もある。
 メアリーの話によれば、カタリナは相当の綺麗好き。自ら厨房の掃除をするほどの徹底ぶりだと言う。
 でも、そんなことをわたくしに求められても困るわ! わたくしは生まれながらのお嬢様よ?
 事業のためだとしても、下女の真似をするなんてできるわけがないじゃない!
 いずれにしても、この記事の内容を新聞社に文句を言って訂正させなくてはならない。
 そのためにも、執事が言うようにまずは弁護士に会うことからしないと。
「そうね……あなたの言う通りだわ。弁護士の手配をお願いするわ」
「かしこまりました」
 執事がダイニングルームを出て行くと、わたくしは新聞を床に投げ捨てた。
 まだ、その時は迫りくる惨劇を理解していなかったのだ。

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