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49 反撃の準備(1)
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――メアリー・ガルシア。
それは王都に来て雇用した一番の古参で、マドレーヌやマルコの次に私が信頼しているスタッフである。
彼女をキッチンの監督業務をやらせることにしたのは、三ヶ月前のこと。
路面店のオープンで新人が増えたことで、その時、現場の総責任者だったマドレーヌは過労死ギリギリの状態だった。
少しでも負担を減らすため、それまで極秘にしていた私のレシピを開示して、メアリーにもキッチンの責任者になってもらった。
私やマドレーヌも体調を崩すことはあるから、そんな場合のためにも有能な彼女に手伝ってもらいたかったのだ。
――が、今にして思えば、それが私の大いなる誤算。
なぜなら、メアリーこそが「カフェ・カタリナ」の営業秘密をエレオノールに流している張本人だったから。
うちの誹謗中傷の新聞記事が出た時は、それはただの疑惑に留まっていたが、マドレーヌに休みの日のメアリーの尾行を頼むと、残念な事実が判明した。
暗い表情で、マドレーヌは私に報告してきた。
「……彼女が、エレオノールお嬢様と接触しているのを見ました」
「どんな感じだった?」
「こちらの情報を渡していたのでしょう。二人とも顔を隠していましたから、やましいことをしている自覚はあると思いますよ」
顔を隠しても、どんな格好をしていたとしても、マドレーヌなら見破れる。
エレオノールは自己顕示欲の塊だ。顔を隠していたとしても雰囲気で察することもできる。
だが、それ以上に派手な羽扇とかクズ男からせしめた婚約指輪とか、わかりやすい小物をつけているから、間違えるわけがない。
「……そう。困ったことになったわね」
私は深いため息をついた。
メアリーはやむを得ない事情があって、エレオノールのスパイになったのだろう。
この国の労働者の中で、飲食業に従事する女性の賃金は安い。
家族を養わねばならない場合、それだけでは足らずに汚い仕事をせざるを得ない、というのは十分に理解ができる。
メアリーを罰して解雇するのはたやすいことだが、そうしたからと言って元凶を絶たない限り、第二、第三のスパイが現れてもおかしくはない。
そのたびに従業員を解雇し続けなければいけないとしたら、なんていう不幸の連鎖だろう?
そう思い悩む私を、マドレーヌは慰めてくれた。
「お嬢様、メアリーを解雇するかどうか悩んでいらっしゃるのですね。おつらいお気持ちはわかります」
「マドレーヌ……」
「こうしたら、どうでしょう? 逆にメアリーをこちらの手下にしてしまうのは」
マドレーヌはにやりと恐ろしい笑みを浮かべる。
なるほど、うちの侍女はエレオノールの遥か上をいく悪女らしい。
そうすれば、メアリーの雇用は維持できるし、相手側の情報を得ることもできる。何か攻撃をされそうなときには、先手を打って対策をすることが可能だろう。
「いいアイデアだわ。明日、他のスタッフに知られないように、メアリーを私のところにつれてきてちょうだい!」
「わかりました。あの裏切り者を威嚇しておきますね!」
鼻息荒く、両手を組んでボキボキと骨を鳴らすマドレーヌに、私はこう思った。
敵に回すと厄介なのは、エレオノールよりもこの侍女のほうかもしれない、と――。
新聞記事の件で、私が頼ったのは言うまでもない……リオネル様である。
居候先のウルジニア侯爵も心配してくれたが、こういう泥臭い話には巻き込みたくなかった。
なぜなら、侯爵とイザベラ叔母さんは、私の強い味方。引き続き、実家に私のカフェ経営を秘密にしてくれている。
離れを貸してもらって、快適に滞在していられるのは二人のお陰だ。
両親から手紙で私の様子を聞かれても、王都で社交活動に勤しんで婚約破棄の傷心を癒している最中だ、と嘘をついてくれる。
そこまでさせているのに、これ以上のゴタゴタに付き合わせて、侯爵家の優雅な暮らしを壊したくない。
それなら、リオネル様に迷惑かけていいのかと言われると……そうじゃないんだけど、彼は率先して引き受けてくれた。
そもそも、私に原料を融通してくれたのはユーレック商会だ。会社としても、新聞社に対して名誉毀損の訴えをしたいらしい。
記事ではユーレック商会のことまで言及されておらず、実際の損害は出ていないものの、反撃をせずに次の記事が出てしまえば、商会も取引先の信用を失ってしまうかもしれない。
それは王都に来て雇用した一番の古参で、マドレーヌやマルコの次に私が信頼しているスタッフである。
彼女をキッチンの監督業務をやらせることにしたのは、三ヶ月前のこと。
路面店のオープンで新人が増えたことで、その時、現場の総責任者だったマドレーヌは過労死ギリギリの状態だった。
少しでも負担を減らすため、それまで極秘にしていた私のレシピを開示して、メアリーにもキッチンの責任者になってもらった。
私やマドレーヌも体調を崩すことはあるから、そんな場合のためにも有能な彼女に手伝ってもらいたかったのだ。
――が、今にして思えば、それが私の大いなる誤算。
なぜなら、メアリーこそが「カフェ・カタリナ」の営業秘密をエレオノールに流している張本人だったから。
うちの誹謗中傷の新聞記事が出た時は、それはただの疑惑に留まっていたが、マドレーヌに休みの日のメアリーの尾行を頼むと、残念な事実が判明した。
暗い表情で、マドレーヌは私に報告してきた。
「……彼女が、エレオノールお嬢様と接触しているのを見ました」
「どんな感じだった?」
「こちらの情報を渡していたのでしょう。二人とも顔を隠していましたから、やましいことをしている自覚はあると思いますよ」
顔を隠しても、どんな格好をしていたとしても、マドレーヌなら見破れる。
エレオノールは自己顕示欲の塊だ。顔を隠していたとしても雰囲気で察することもできる。
だが、それ以上に派手な羽扇とかクズ男からせしめた婚約指輪とか、わかりやすい小物をつけているから、間違えるわけがない。
「……そう。困ったことになったわね」
私は深いため息をついた。
メアリーはやむを得ない事情があって、エレオノールのスパイになったのだろう。
この国の労働者の中で、飲食業に従事する女性の賃金は安い。
家族を養わねばならない場合、それだけでは足らずに汚い仕事をせざるを得ない、というのは十分に理解ができる。
メアリーを罰して解雇するのはたやすいことだが、そうしたからと言って元凶を絶たない限り、第二、第三のスパイが現れてもおかしくはない。
そのたびに従業員を解雇し続けなければいけないとしたら、なんていう不幸の連鎖だろう?
そう思い悩む私を、マドレーヌは慰めてくれた。
「お嬢様、メアリーを解雇するかどうか悩んでいらっしゃるのですね。おつらいお気持ちはわかります」
「マドレーヌ……」
「こうしたら、どうでしょう? 逆にメアリーをこちらの手下にしてしまうのは」
マドレーヌはにやりと恐ろしい笑みを浮かべる。
なるほど、うちの侍女はエレオノールの遥か上をいく悪女らしい。
そうすれば、メアリーの雇用は維持できるし、相手側の情報を得ることもできる。何か攻撃をされそうなときには、先手を打って対策をすることが可能だろう。
「いいアイデアだわ。明日、他のスタッフに知られないように、メアリーを私のところにつれてきてちょうだい!」
「わかりました。あの裏切り者を威嚇しておきますね!」
鼻息荒く、両手を組んでボキボキと骨を鳴らすマドレーヌに、私はこう思った。
敵に回すと厄介なのは、エレオノールよりもこの侍女のほうかもしれない、と――。
新聞記事の件で、私が頼ったのは言うまでもない……リオネル様である。
居候先のウルジニア侯爵も心配してくれたが、こういう泥臭い話には巻き込みたくなかった。
なぜなら、侯爵とイザベラ叔母さんは、私の強い味方。引き続き、実家に私のカフェ経営を秘密にしてくれている。
離れを貸してもらって、快適に滞在していられるのは二人のお陰だ。
両親から手紙で私の様子を聞かれても、王都で社交活動に勤しんで婚約破棄の傷心を癒している最中だ、と嘘をついてくれる。
そこまでさせているのに、これ以上のゴタゴタに付き合わせて、侯爵家の優雅な暮らしを壊したくない。
それなら、リオネル様に迷惑かけていいのかと言われると……そうじゃないんだけど、彼は率先して引き受けてくれた。
そもそも、私に原料を融通してくれたのはユーレック商会だ。会社としても、新聞社に対して名誉毀損の訴えをしたいらしい。
記事ではユーレック商会のことまで言及されておらず、実際の損害は出ていないものの、反撃をせずに次の記事が出てしまえば、商会も取引先の信用を失ってしまうかもしれない。
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