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1 それは婚約破棄から始まった(1)
しおりを挟む「こ、婚約破棄……ですって!?」
私は呻くように、手紙に書かれていた衝撃的な言葉を反芻した。
その手紙は、かれこれ三ヶ月ぶりに婚約者であるフィリップから届いたもの。
グラストン侯爵家の次男である彼は、秀才のうえ誰もが認める美形である。アカデミーで優秀な成績を取り、念願叶って官僚試験に合格した。
いまは、この地方の大都市であるベルンで司法補佐官見習いをしている。
『まずは、僕が基盤作りをしなきゃね』
ベルンへ旅立つ前に、彼はそう言っていた。
『だって、そうだろう? 君を妻として迎えるために、まずは仕事を安定させないと……しばらくは官舎で暮らすだろうけど、すぐに屋敷を構えるよ。そうしたら、すぐにでも結婚しよう』
そう言ってくれたのは、かれこれ一年前の話。
いつ、連絡が来るだろうって毎日心待ちにしていた。
この前、手紙でいつになるのか尋ねたら、「もう少し待ってくれる?」と返事がきたきりだった。
(……それが、婚約破棄? どういうことよ?)
頭にガンガンとした痛みを感じてくる。
風の噂で、彼が屋敷を借りたと聞いた。
その後、なかなか連絡がこないから、すべてをつつがなく整えて、私を驚かそうとしているのだと思っていた。
それなのに……いったい、何が起こったというの?
「どうしたの、カタリナ。グラストン侯爵令息からのお手紙が来たのでしょう? 彼は何て言っているの?」
顔を真っ青にしている私に、お母様が心配そうに声をかけてきた。
「……これ、読んでちょうだい……」
口に出すのもつらくて、私は彼の手紙を手渡した。
驚くべき早さで手紙を読み終わったお母様は、「ああ……」と小さな声をあげて床に崩れ落ちる。
「わっ……お母様!」
「奥様、どうなさいましたか!」
ちょうど紅茶を運んできた侍女のマドレーヌが、床に倒れたお母様を助け起こした。
「……どうしましょう。カタリナが……カタリナの将来が……」
譫言のように呟いて、そのまま失神してしまった。
「奥様! 大丈夫ですか、奥様っ!」
マドレーヌが大声を出すと、執事や他の侍女たちが駆けつけてくる。
私は執事たちがお母様を寝室に運んでいくのを見守った。
「……私ったら、親不孝な娘だわ」
静けさが戻った部屋の中で、私は床に落ちた手紙に視線を落とす。
そして、腹立ちまぎれに赤い靴でそれを踏みにじった。ぐしゃぐしゃになった紙を見ると、少しだけ気分が晴れた。
「そうか……お母様、そんなにショックだったのね……」
予想外に大事になったことに申し訳なさを感じたが、はっきり言って被害者は私のほう。
だって、すべてはフィリップが私と結婚する意志をなくしたのが原因だ。どう考えても悪いのは、あの男のほうだろう。
婚約破棄自体は、ショックだった。
ただ、その驚愕が落ち着いてくると、違う気持ちが胸の奥底からムクムクと湧いてくる。
私はクスッと笑った。
(……ってことは、これでしばらく結婚しなくて済むわよね?)
誰もいない部屋の中で、私はにやにやしてしまう。
婚約破棄されたという事実……これは、うまく使えばいい切り札になりそうだ。
あきらめ切っていた夢を叶えるための、このうえない切り札に――。
この時代では、結婚をするとき女性が男性に持参金を用意するのが習わしだ。
しかし、婚約の儀を正式に挙げているのにもかかわらず婚約破棄になった場合、それを言い出したほうが相手に持参金の半額の慰謝料を支払わねばならない、という決まりがこのベルクロン王国には存在する。
なぜなら、一度でも婚約破棄をされてしまうと、女性側の貞操が疑われてしまう。
二度目以降の縁談が不利になる女性たちのために、設けられた制度だそうだ。婚約破棄で得た慰謝料を加算すれば、それだけ持参金も多くなる。すなわち、縁談が入りやすくなるという配慮だそうだ。
私の実家……エルフェネス伯爵家が、グラストン侯爵家に提示していた持参金は十万ゴールド。すなわち、私あてに侯爵家から払われる慰謝料は五万ゴールドということになる。
五万ゴールドと言えば、フィリップが官僚として働いた給金の一年分に相当する。
そう思ったら、婚約破棄されたばかりだというのに楽しくなってきた。
そもそも、結婚なんて別にしたかったわけじゃない。
伯爵令嬢として生を受けた以上、他の貴族令嬢たちと違うことをして目立つことはよくないと思ってきた。
エルフィネス伯爵家はこの南部地方では有数の家柄だ。その一人娘が行き遅れになったら、色々と悪い噂も立ってしまうだろう。
……しかし、一度相手から婚約破棄をされているわけだから、問題のある令嬢だと見做されて、もう二度と求婚されない可能性もある。
いや、求婚されたとしても断る理由ができたのだ。『婚約破棄でできた心の傷』を言い訳にすればいいのだから。
そういうわけで、婚約破棄されたばかりの私……カタリナ・エルフィネスは男に縋って生きる貴族令嬢の人生を捨てて、夢を追いかけることに決めた。
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