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2 金髪碧眼の美青年の正体

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 音もなく現れる、とはまさにこういうことを言うのだろうか――。
 その人物が部屋に入ってきたとき扉が開く音はせず、寝台に近づくときも足音すら聞こえなかった。
 ただ空気が揺らぐ気配だけが、人がそこにいることを感じさせる。
 はなはだ不気味ではあるけれど、自分が置かれた状況を知るには勇気を出さねばならない。
 目を開けてその人物を見上げた瞬間、思わず声を漏らしてしまう。
「あっ……!」
 きっと、途方もなく間抜けな顔をしていたのだろう。
 その人物――黄金の髪と紺碧の瞳を持った青年は、まるで笑いを噛み殺しているような微妙な表情をして、わたくしの顔を覗き込んでいたから。
 お茶会での事件以来、プライドを傷つけられることはしばしばあった。
 だけど、基本的にわたくしは生まれながらの令嬢なので、馬鹿にされることに慣れていない。
 腹に据えかねて、彼に異議を申し立てる。
「……目覚めたばかりのレディーを嘲笑うなんてひどいですわ。わたくしを誰だと思っていらっしゃるのかしら?」
「ああ、これは失礼した」
 耳当たりの良い艶やかな声で、彼は謝罪した。
「アリシア・ロンバルト……罪人のような有様だからすっかり失念していたが、お前は侯爵令嬢だったな。それならば、礼儀を弁えねばならぬだろう」
「……あなたは、いったい……」
 わたくしの名を知っているから、ここの領主か何かだろうか?
「俺のことは、ラミエルと呼べ。何か必要なものがあれば、使用人に言えば調達してくれるだろう」
 やはり、彼はこの屋敷の主なのかしら……領主かどうかはわからないけれども、それなりの富を持った者のはず。
 彼の外見はこれまでに出会ったどんな貴公子よりも美しく、上品で洗練されている。
 白いチュニックに、茶色のトラウザース。何気ない格好なのに彼が着ているだけで光り輝いて見えるのは、美しい顔立ちの割に体つきが騎士のように逞しいからかもしれない。
 わたくしは寝台の上に起き直って、しげしげと自分を保護している相手を観察した。
「……たしか、わたくしは吹雪の中で倒れたはずですが」
「その通りだ」
「あっ……わかりましたわ!」
 にやりと笑うわたくしに、ラミエル様は小首を傾げた。
「ラミエル様ったら、わたくしの美しさに一目惚れなさったのね? そうじゃなければ、囚人服姿の女を助けるわけがございませんもの」
「ほぉ、面白いことを言う女だな!」
「いいですわよ。ラミエル様が望むのなら、わたくしがあなたと結婚して差し上げても」
「助けてもらったから代償として、体を差し出すつもりか?」
「品のない発言ですが、許しますわ……今回だけ特別に」
「それは、ありがたい」
 わたくしも、思いつきでそんなことを言ったわけじゃない。
 権力のある殿方に嫁ぐのは、わたくしとしても好都合だから。
 かつての栄華は、もうどこにもない。
 罪人になり侯爵家の後ろ盾が期待できない状態なら、誰かに頼るしかない。
 そう……世間知らずのわたくしだって、わかっているの。
 お金も身分もない女が行きつく先がどんな地獄なのか。
 そんな目に遭わされるくらいなら、その前にわたくしを庇護してくれる殿方と婚姻を結ぶのが一番だって。
 それに、ラミエル様は理想通りの人物だ。
 お屋敷もあるし、お金には不自由していなさそうだし……もし、問題があるとすれば、彼が既婚者かもしれないということだわ!
「ラミエル様はご結婚していらっしゃるの? まずは、それを先に尋ねるべきでしたわね」
 口元を笑わせて、ラミエル様はわたくしをじっと見つめてくる。
「俺には妻はいない。しかし、お前と結婚する気は微塵もない」
「まあ……! わたくしの何が不服ですの?」
 唇を尖らせるわたくしに、ラミエル様はこう言った。
「不服があるわけではない。だが、色恋沙汰よりも先に俺には必要なものがある」
「それは何ですの?」
「お前は、悪魔について聞いたことがあるか? 奴らには使い魔という非常に便利なパシリがいるのだが、俺もそういう者が一人ほしくてな」
 そう言った途端、彼の周りに黄金の光が溢れ出た。
 眼前に繰り広げられるのは、信じられない光景――。
 ラミエル様の背には白く大きな翼が現れた……そう、まるで天使のように!
「……う、そ……て、天使様……?」
「その通りだ。俺は大天使ラミエル……お前には、使い魔ならぬ『お使い天使』となってもらおうか」
 わたくしが、なぜそんなものにさせられるのかしら?
 そもそも、なぜ大天使がわたくしをパシリにする必要が……?
 疑問がたくさんありすぎて、軽くパニックを起こしそうだった。

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