1 / 9
1 断罪された悪役令嬢の事情
しおりを挟む――ここは、いったいどこかしら?
瞼をうっすら開けて見える、自分を取り巻く光景の不自然さに、真っ先にそう思った。
支柱つきの清潔な寝台、肌に触れる柔らかなリネン、燭台から漂う蜜蝋と薔薇の香油が混じった匂い。
そうしたもののすべてが、この部屋が貴族のものだと伝えてくる……おそらく、それなりに裕福な貴族の館だろう。
それはさておき、なぜこんなところに寝かされているの?
再び瞼を閉じて、これまでの経緯をゆっくりと思い起こしてみた。
わたくしの名は、アリシア・ロンバルト――ネルシオン王国の屈指の名門貴族であるロンバルト侯爵家の一人娘だった。
なぜ過去形かと言うと、わたくしは追放刑になると同時に貴族の身分を剥奪されたから。
実の父から「家門の面汚しだ」と罵声を浴びせられ、獄中で勘当されたときの悲しみったらなかったわ。
思えば、一晩にしてわたくしは多くのものを失った。
王都の一等地にある美しい屋敷、恭しくかしずく使用人たち、高価な宝飾品や百着以上ある色とりどりのドレス、侯爵令嬢という肩書き……そして、何より未来の王太子と呼び声高い、ネルシオン王国の第一王子カーライル殿下の婚約者という輝かしい地位を。
わたくしの不運の始まりは、あの女狐……リアナ・レビオットが聖女になった時期に遡る。
リアナの趣味は慈善活動のためのお菓子作りと刺繍。お茶会などの社交活動より教会通いを熱心に行う、という男爵令嬢だった。
そんな変わり者など、気にするまでもなかった……何をどう間違ったのか、突然に教皇庁が彼女を聖女に任命するまでは。
この大陸に聖女が現れたことはあるけれど、ネルシオン王国では初めてだ。
国王陛下を始めとする王族の方々は、聖女の称号を得たリアナをまるで教皇庁からの貴賓のように丁重に扱うようになった。
それまでリアナは、まるっきり目立たない地味な令嬢だったのに、一瞬で国王陛下に比肩する華々しい存在になったから大変!
王族に取り入りたい貴族や平民の金持ちが、毎日のようにリアナに貢ぎ物を送って、彼女のご機嫌を窺うようになったの。
周囲の視線が変われば、自ずとリアナも変わってくる。
どうやら、彼女はカーライル殿下に一目惚れしたらしい。
以前は低い身分ゆえに宮廷に呼ばれもしなかったリアナだけど、聖女となってからは王族とも頻繁に言葉を交わすようになったのだ。
そして……カーライル殿下のほうも、リアナのことを嫌がっていない様子。
急接近する二人を見せられて、わたくしが正気でいられるはずがない。
聖女になったという自信からなのか、事あるごとに彼女はわたくしを煽るような発言をするようになった。
……今にして思えば、それらはすべて彼女の計算だった。
わたくしが皆の前で癇癪を起こし、リアナを虐めるようにさせていたのよ!
そして、離宮で催されたお茶会の席で事件は起きた。
「……聖女様! どうなさいましたのっ?」
貴婦人の叫び声に振り向くと、リアナがティーテーブルに突っ伏していた。
彼女と同じテーブルについた三人が、同様にもがき苦しんでいる。
大騒ぎになる会場の中で、わたくしは呆然とするしかなかった。
「毒が入っておりますっ! 銀のスプーンが黒くなって……!」
メイドの叫びを聞いて、わたくしを睨みつけたのは第二王女のパトリシア殿下だった。
「……もしかして、あなたの仕業かしら? ロンバルト侯爵令嬢」
「どういうことでしょう?」
「カーライルお兄様と聖女様が恋仲だから、聖女様を亡き者にしようとしたのでは……?」
パトリシア殿下の疑念に、他の令嬢たちがわたくしを見て眉を顰めた。
「わたくしは無実でございます。準備をしたのは、王宮のメイドではございませんか!」
確かにこの茶会は、わたくしが妃教育の一環で開いたもの。
しかし、招待状や茶会の進行を担っただけで、茶葉の選定や管理は王宮側でやっている。
人手が足りないだろうと思って侍女をひとり貸したが、ただそれだけで……。
その瞬間、その侍女がパトリシア殿下の前にひれ伏して、驚くべきことを言い始めた。
「申し訳ございません……! 王子殿下のことでお嬢様はお悩みでいらっしゃったのです! 私もお断りすることができず、毒を入れてしまいました!」
「まあ、やっぱり侯爵令嬢の仕業なのね! なんて、恐ろしいお方でしょう!」
パトリシア殿下は、即座に近衛兵に指示を下す。
「ロンバルト侯爵令嬢を、塔に幽閉しなさい。絶対に逃げられないように気をつけるのよ」
「はい、王女殿下!」
――かくして、わたくしは衛兵たちに両脇から抱えられて、その場を去ることになった。
「お助け下さいませ、殿下! 神に誓って、わたくしは無実です……っ!」
王女殿下に嘆願する自分の声だけが、虚しく響き渡る。
去り際にようやく少し顔を上げたリアナが、わたくしのほうを一瞥した。
意地悪な笑みを浮かべているのを見て、ようやくわたくしはすべてを理解した。
(……はめられた? うちの侍女を買収したのはリアナね……!)
――しかし、悲しいかな。
これまで働いてきた数々の悪行により、真実を口にしても誰も信じてくれない。
薄暗い塔の部屋に移された後は、囚人と同じ生活を余儀なくさせられ、形式だけの裁判を受けて国家反逆罪を言い渡された。
聞くところによると、わたくしの寝室から毒入りの瓶が発見されたらしい。リアナが侍女を使って仕込んだことは明白だが、誰も弁護をしてくれない状況では否定しても誰も相手にしてくれなかった。
王族が参加している茶会で毒物を使用したということ……そして、教皇庁に認められた聖女を狙った犯行だと考えれば斬首を免れられないが、高位貴族の娘であることを勘案して下されたのは追放刑――この寒い時期に北部に送られれば、結局のところ処刑宣告も同然だ。
それゆえ、未踏の北の大地に送られたわたくしは、寒さとひもじさで凍死したと思っていた。
……が、なぜか、こうして温かな部屋に寝かされている。
誰がわたくしを助けたの?
罪人になったわたくしには、もう何もないのに。
そんな人間を、いったい何のために……?
――次の瞬間のことだった。忽然と何者かが現れたのは。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
聖女にはなれませんよ? だってその女は性女ですから
真理亜
恋愛
聖女アリアは婚約者である第2王子のラルフから偽聖女と罵倒され、婚約破棄を宣告される。代わりに聖女見習いであるイザベラと婚約し、彼女を聖女にすると宣言するが、イザベラには秘密があった。それは...
旦那様、離縁の申し出承りますわ
ブラウン
恋愛
「すまない、私はクララと生涯を共に生きていきたい。離縁してくれ」
大富豪 伯爵令嬢のケイトリン。
領地が災害に遭い、若くして侯爵当主なったロイドを幼少の頃より思いを寄せていたケイトリン。ロイド様を助けるため、性急な結婚を敢行。その為、旦那様は平民の女性に癒しを求めてしまった。この国はルメニエール信仰。一夫一妻。婚姻前の男女の行為禁止、婚姻中の不貞行為禁止の厳しい規律がある。旦那様は平民の女性と結婚したいがため、ケイトリンンに離縁を申し出てきた。
旦那様を愛しているがため、旦那様の領地のために、身を粉にして働いてきたケイトリン。
その後、階段から足を踏み外し、前世の記憶を思い出した私。
離縁に応じましょう!未練なし!どうぞ愛する方と結婚し末永くお幸せに!
*女性軽視の言葉が一部あります(すみません)
初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】第三王子殿下とは知らずに無礼を働いた婚約者は、もう終わりかもしれませんね
白草まる
恋愛
パーティーに参加したというのに婚約者のドミニクに放置され壁の花になっていた公爵令嬢エレオノーレ。
そこに普段社交の場に顔を出さない第三王子コンスタンティンが話しかけてきた。
それを見たドミニクがコンスタンティンに無礼なことを言ってしまった。
ドミニクはコンスタンティンの身分を知らなかったのだ。
孤島送りになった聖女は、新生活を楽しみます
天宮有
恋愛
聖女の私ミレッサは、アールド国を聖女の力で平和にしていた。
それなのに国王は、平和なのは私が人々を生贄に力をつけているからと罪を捏造する。
公爵令嬢リノスを新しい聖女にしたいようで、私は孤島送りとなってしまう。
島から出られない呪いを受けてから、転移魔法で私は孤島に飛ばさていた。
その後――孤島で新しい生活を楽しんでいると、アールド国の惨状を知る。
私の罪が捏造だと判明して国王は苦しんでいるようだけど、戻る気はなかった。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる